2014年6月27日金曜日

一連の騒動に関して


一連の騒動、つまり塩村都議会員のセクハラやじ事件について、コメントさせていただきます。

まず、何かを批判する場合、集められるだけの情報を手に入れて、吟味を重ねた上での意見というのが、客観性および整合性のある批判、ということになると思います。

それについて、偉そうなことは言えませんが、有力な情報として、彼女が先日、外国人記者クラブで、1時間余りにわたって会見を行ったビデオを、最初から最後まで熱心に見て聴きました。その上で、批判させていただきます。

まず、その会見では、塩村議員による、問題となったやじがどのような状況のもとで行われたかを、彼女の口から説明されました。それが十分と思えるほどの長さと内容であったと思います。その上で、出席者からの質問が設けられました。その中で私が一番注目した発言は、神保哲生記者による提言です。
それは、あぁした場面(野次が飛び交った場面)では、議長が議員たちの静粛を求めるべきだった訳で、それを規定している法律113条を適用して、まずは議長の責任を問うために罰するべきだ、というものでした。
これが一番、法治国家としてあるべき姿だと私も思います。

その質問者の中に、フランス人男性の記者がいて発言したのですが、これは小保方さんの事件に酷似している、と。つまり当事者が女性であるために起こった事件だ、と言いました。これも当たっていると思いました。

それを受けてフランスはどうか、と見てみますと、同じようなことは起きてるんですね。
先日辞任してしまったのですが、前地域間平等・住宅大臣(エコロジストの党派です)だった、セシル・デュフロ Cécile Duflot さんは、いつもパンタロン(ズボンのこと)をはいているので有名でした。ところが何が起きたのか、国会の会議場に花柄のワンピースを着てきた。 それをいち早く発見した男性議員たちが、口笛を吹いたり、野次を飛ばしたりした訳です。
(男ってまったく!と思いますが。でも可愛いですよね。笑)
ところがここからが日本と違うところで、議長が黙っていなかった訳です。すぐに「静粛に!( Allez ! Écoutez bien !)」と、議員たちを黙らせた。日本は違いましたね。議長も、議員たちと一緒になって笑っていたと言うじゃありませんか。
なので、やはり神保哲生記者が提唱した罰則が適用されるべきなのです。議長が一緒になってレベルを下げたら、一体誰がその場の責任をとるんでしょうか。


正直、私も、塩村議員という人を、この会見の中でじっくりと見ていたわけですが、申し訳ないですが、女性一般を守る、味方となるには器が小さいと思います。まぁ35才とかなり若いので仕方ない面もありますが、どうも、頼もしくない。ですが、そのことと、今回の事件は切り離して議論すべきです。

私は随分前に、フェイスブック、ツィッターをやめているので知りませんでしたが、夫から見せてもらって、ひどいことになっているのを今朝知りました。塩村議員の過去が、もう全部暴露されてしまっているような感じで、悪意むき出しのコメントが噴出しています。

あの会見で、最初に質問に立った、初老の女性記者、まさに「マダム」と呼ぶにふさわしい貫録のある方の発言で、塩村議員に、「急に有名におなりになったのだから、今後の貴方の一挙手一頭足は、世の中全体の注目のまとになりますから、ご注意ください」というのが、今や現実となってしまっています。

果たして、都議会議員になるのに、過去のことは問題になるのか?あるいはこの事件に関して、彼女の過去の経験や経歴が問題とすべきなのか?議論は分かれると思います。

でも過去のプライベートを問題にするとしたら、フランスの国会議員に限らず、公的な職業についている人たちはひとたまりもないと思いますね。国を代表する国家元首である大統領にでさえ、公認の愛人がいるような世界ですから。

そしてキリスト教徒として一言。
これは福音書の記述にあるエピソードですが、
過去に悪行を重ねてきた、ふしだらな女が、人々から罵声を浴びて、石まで投げられそうになっていた。(実際に、ユダヤ教では、姦通を働いた女性は石打の刑で殺されました。)そこにキリストが居合わせて何と言ったか。
「自分に全く罪がないと思う者だけが、この女に石を投げよ。」
そう言われた聴衆は、1人、また1人とその場を立ち去って行き、最後にはキリストとその女だけが残された、と書かれています。
ことほど左様に、「自分のことを棚に上げないと人のことは非難できない」ということだと思います。
もちろん、塩村議員が過去に何をしたかなんて、知りたくもありません。知ったところで、どうということもないですし。

最後に私としては、「女の敵は女」ですが、「女の見方もまた、女」である、という立場に立ちたいです。しかし、女性の側に立つ、ということは、これもまた、こうした辛いことも引き受けないとならないのだ、ということを肝に銘じないとならないのだ、と思いました。


今回使った写真は、昨日、俳句の仲間と行った、パリ郊外の庭園です。詳細は次回の投稿でしたいと思います。

長文お読みくださって、誠にありがとうございました。


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