2013年12月17日火曜日

素晴らしい晴天


今回、父のことがあって帰国して以来、初めて隅田川沿いを散歩しました。この時は見事な晴天で、気分も上向きだったので、思い切って散歩に出かけました。
でも案の定、隅田川を見ながらの散歩を始めたら、どうしても父のことを思い出してしまい、涙が止まらなくて困りました。こんな状態ばかりを紹介するブログは、読んでいる方にとってもあまり良いとは思われないので更新できずにいましたが、この素晴らしい晴天をお見せしたくてアップしました。

撮影した場所は、隅田川にかかる橋の1つ、桜橋という、歩行者だけの幅の広い橋を台東区側に渡って、下流方向(写真の右側)へ歩き始めた位置です。スカイツリーを撮るのに絶好の場所です。観光客がほとんどいない、地元の人だけが知っているような所です。
じっと見ていると目に染みるような空の青さと、太陽の光が川面に反射してキラキラしていて、本当にまぶしい光景でした。父はこの、青空の向こうにいるんだ、と思いながら、涙と感謝のうちに歩きました。



すみません。どうしても悲しみに傾いていまいますね。
でも気分を変えます!

先日、親しい友人とパンダバスに乗りました。前々から気になっていたのですが、大体1時間に1本しか走っていないので、機会を待っていました。この日は後20分ぐらいで来るとわかったので、友達とカフェで時間を潰して待ちました。ここは吾妻橋のたもとにある交番のところにあるバス停で、「水上バス乗り場」といいます。目の前の水上バス乗り場には、バスを待つ人々の列がありました。

写真左手はその交番に向かってバスが来たところ。右手は、行き先のスカイツリーのある橋のたもとで降りた後に撮りました。乗ったパンダは女の子。天井に赤いリボンがついています。
友達とは、子供の様にはしゃいで乗り心地を楽しみました。まぁ普通のバスの小型車ですが、座席の背には、パンダの耳がついていたりして、童心に帰った気分でした。
浅草からスカイツリーまでは、ものの7分ぐらいの道のりでしたが、道行く人の、パンダバスを見る表情を楽しみながらの短い旅でした。たまにはこんな気分に浸る時間が、必要ですよね。

今晩から東京は寒波で、雪がちらつく天気になるとか。今のうちに外出の予定を済ませる必要がありそうですね。北陸の雪も、何十年も見られないようなこの時期としては珍しい豪雪とか。夏だけでなく、冬の異常気象も始まっていますね。

家の片づけ。何とか進ませたいです。

 

2013年12月9日月曜日

近所の公園


家から5分ほどのところにある公園です。目の前には、父、2人の兄が通った小学校もあるので、長い歴史のある地でもあります。でも私にとっては本当に小さいころにしか遊んだ記憶がありません。せいぜい小学校低学年ぐらいまででしょうか。小学校から電車通学をして遠くの学校に通っていたためです。その頃は、この公園の真ん中にはコンクリートでできた小山があって、様々な角度から上れるように工夫がしてありました。もう40年ぐらい前になるので、もうその小山は壊されてありませんし、このように開放的な雰囲気になりましたが、当時はその小山がとても高くて、てっぺんまで上った後、降りるのが本当に怖かったのを覚えています。
他の遊びとしては、公園をぐるりと囲んである高さ30センチほどの囲いの上を、下に落ちないように1周する、というのがありました。子供ながらにバランスをとるのが難しく、色々な樹木につかまりながら従妹と遊んだ記憶があります。それだけのことでしたが、とってもスリリングで、落ちそうになると悲鳴を上げるほど真剣だったのを覚えています。

久しぶりにこの公園の前を通って、お母さんと子どもたちが陽だまりで遊んでいるのを見て、急に撮りたくなりました。この頃は単に買い物に行くときでも、デジカメを持ち歩いています。
なんて平和なんだろう、と心が動かされました。父のいない世界にも慣れつつあるとはいえ、思い出の多い土地にあって、何かにつけて父を思い出します。父が長年にわたって書き綴っていた日記は、まだとても読めません。ちょっと開いて読んだだけでも号泣してしまうので。


散歩の途中で出会った、目の覚めるような黄色の菊に出合いました。
自然の色は、どの色だって目に優しいはずですが、これは本当に目にまぶしかったです。
下町は、路上にこまごまと工夫を凝らして花を育てている家が多く、歩いていて飽きません。ちょっと気になったものは、すぐに撮れるように心がけています。人がいる時は、声をかけると、そこで触れ合いが生まれて楽しいものです。

とにかく今は、家や自分自身をいつもきれいに整えていたいと思っています。ともすると、虚しさで何もかもがどうもよく、構わなくなってしまいそうになるので。。




2013年12月4日水曜日

隅田川  


ちょっと暗い感じですが、晴天、昼前の隅田川です。左上の高速道路のせいで、日がさえぎられているため暗くなっています。 でも何となくうらぶれた雰囲気が渋いと思って載せます。
家に一番近い、厩橋のたもとから降りたところで、手前には屋形船が並んでいました。ちょうど、船着き場になっていて、昔は釣堀でもありました。
この親水公園ができてから、何キロにもわたって水辺を歩くことができます。走るのも、もちろん爽快です。西の玉川と違って、こちらは都心の川なので、とても都会的な、整備された川となっています。


ポールの上にはカモメが。
河口に近く、海の香りもします。






歩く幅が大きいので、あちらこちらに花壇がありますが、
冬はやはりこの花、パンジーですね。
結婚前、父とガーデニング(園芸)に凝っていたので、パンジーやビオラなど、花の少なくなるこれからの季節に鉢植えで楽しんだことを思い出します。春に咲く球根を植え付けるのもこの時期でした。


家の近所を歩いていると、やはりどうしても父の面影が現れます。
日本の秋、冬の晴天に、心が癒されているとはいえ、
父がこの世にいない、ということが、未だに信じられない思いがします。やはり父は私にとって大きな存在だったのだな、と思います。

でもこの静かな安心感。
もう父はこの世にはいないけど、いつも一緒にいてくれているという確信。これが私に生きる勇気を与えてくれます。

明日は葬儀屋さんが来て、いよいよ祭壇を片付けます。この祭壇がなくなると、いつもの日常が戻ってくるかな、と思います。

2013年12月2日月曜日

待降節  L'Avent


前回のメールではご心配をおかけしまして、申し訳ございませんでした。昨日から始まった待降節により、気分を持ち直しました。友達と、近所の教会のミサに出席した後、地元のスカイツリーに繰り出しました。

これはすでに日が暮れた様子、スカイツリーの4階のアリーナという広場での様子です。
この日は歌手が向かって左手で生出演していることで、皆さん、左方向を向いている訳です。
この季節によく言われることで、言われ過ぎているためにあまり価値がなくなっていることですが、日本人は、クリスマスは年間行事の1つとして、キリスト教に関係なく、お祭り騒ぎをして楽しむ、ということが定着していますよね。今更批判する気にもなりませんが、祭りの1つとして捉えるならば、人の心に何らかのプラスの影響を与えるものとして好意的に解釈しても構わないのかもしれません。ただ、私としては、このきらびやかさが自分の心に慰めを与えてくれた、というより何か寂しさ、虚しさが一層募ったような気がしました。もちろん、綺麗だとは思いましたが。。


 












建物の4階にあるので、いわば空中庭園ということで周囲のピル群も背景として都会的なクリスマスのイメージが先行しています。

スカイツリーは、去年創業して以来、連日の人込みで、人気は全く衰えていないようです。
日本一高い電波塔としての人気ぶりだと思いますが、私も含め、皆さん、高いところ、お好きなようで。私もパリにいた頃は、エッフェル塔が大好きで、夫と一度だけですがてっぺんまで上ったのをよく覚えています。上までたどり着くのに、1時間以上待つのは当たり前の状態なので、滅多に上れないのですが、この時は2月という厳寒期だったため、割とすぐに上れたと記憶しています。

このスカイツリー。やはりものすごい人気ですが、日本人らしく、システマティックに整理され、上に行くのにチケット制、時間が来たら並んですぐに上れるので、エッフェル塔よりはかなり手軽に上れそうです。

キリスト教徒としてのコメントは敢えて控えますが、この季節、母の祥月命日も控えていることもあり、あまりお祭り気分にはなれませんが、逆に心を静めて1人、実家で片づけをしながら過ごしたいと思います。こうした機会を与えてくださった神様に感謝しながら。



2013年11月30日土曜日

虚しさ


浅草にもっとも近い橋、吾妻橋の真ん中あたりで撮りました。実家からは歩いて10分ちょっとです。夕方4時前後の夕暮れだったと記憶しています。ぶらぶら1人で歩いていて、あまりに空の紅色が美しくて撮りました。何枚か撮って先に進もうとしたら、いつの間にか同じようにして携帯で写真を撮っている人たちがいました。皆、同じように感じるのだな、と嬉しくなりました。

パリでも、美しい風景に出合うと、すぐにデジカメを取り出して写していましたが、こうした夕暮れの風景は、どこの国でも美しいですね。パリだと、セーヌに架かる橋から、よく感嘆して眺めたものです。

父とも、結婚前に、母の代わりとしてよく海外旅行をして、その時に夕暮れの景色を一緒に味わいました。日の出の美しさは言うまでもありませんが、夕暮れのそれは、暮れていく寂しさを伴って一層美しく見えたものです。

父が他界し、あんなに気を遣っていた相手がいなくなると、寂しいものですね。他人が評するところの父親像と、娘の私が感じていた父親像が、必ずしも一致しないところもあって、尚一層、自分の気持ちを察してくれる人が限られています。しょうがないのかもしれません。でもそれでも、「一生懸命、子供たちのために生きてくれた、本当にありがとう!!」という気持ちで一杯です。遺影を見ながらついて出る言葉はもう、それしかありません。

父が死んで3週間が経ちました。
自由が嬉しいと言いながら、今は虚しさをかんじています。何にも興味が持てない。つまらない。
食事をしていても、1人だと義務感でしている感じです。


あまり暗くなっても申し訳ないので。。
でもなるべく1日に1回は外を歩いています。これは、近所の家の昼顔(?)。こういう色をヘブンリーブルーというのでしょうか。やはり美しいので撮りました。
散歩は好きです。日本の朝の明るさに救われています。

2013年11月25日月曜日

震災記念堂


家から歩いて行ける距離にある、慰霊堂です。1923年に起きた、関東大震災で多くの犠牲を出した地として、この公園が造られました。因みに亡き父が生まれたのもこの年で、震災の1週間後に生まれたので、「震災っ子」と呼ばれたそうです。祖母は、大きなお腹で地震の中を逃げ回ったのだと思うと、その生命力の強さに感心します。何はともあれ、母強し、ですね。
でも忘れてはならないのは、この地震で、罪なき人々が汚名を着せられて殺されたこと。こうした影の歴史も、しっかり伝えて行かなくてはならないと思います。


本当に見事な銀杏並木ですが、近所のお母さんが、小さな子供たちを遊ばせている時間でもありました。思い思いに自転車を置きっぱなしにして、左奥にある砂場で子供たちは歓声を挙げて遊び回り、お母さんたちは日向ぼっこをしていました。
この裏手にある学校を挟んで、隅田川沿いにある同愛記念病院は、私や兄たちが生まれた病院です。すっかり綺麗に改築されて、昔の面影はありません。


銀杏(ぎんなん)を拾っているのでしょうか、女の子が、お父さんの監視のもと、地面にかがんでいるのを撮ってみました。中々絵になるなぁと思いながら。
とにかく、パリも黄葉の季節だと思いますが、これほど銀杏を並木として植えている個所はないだろうと思います。銀杏はフランス語では Ginko 、銀行みたいで面白いなと、覚えたとき思いました。

生まれて初めて味わっている1人暮らし、でも生まれ育った家なので、やはり思い出が多く、自由とはいえ寂しさを味わっています。自由と引き換えに得た心境なのでしょう。やはり自由を得るには大きな犠牲か、喪失を経験するのかもしれません。

深まりゆく日本の秋を味わえることに感謝しながら。


 


2013年11月23日土曜日

浅草寺


家の近所で一番の観光スポットといえば、今はもうスカイツリーとなってしまいましたが、お隣の台東区の浅草寺は、やはり今でも大人気です。実家からは歩いて12~3分。地元とはいえませんが、近場の遊び場としてはかなり重要です。お参りという義務感がなくても、単にぶらぶらと仲見世を歩くだけでレジャーランドに来たような楽しさを味わえます。

 宵闇迫る仲見世の様子はこんな感じです。

ここに来ると色々な国籍の人がいるので、パリを思い出し、ホッとします。 ここは日本だけど、世界は日本人だけではないんだ、ということを思い出させてくれます。とても良いことだと思います。
でも正直、日本に帰るたびに、周囲で話されていることが100パーセント理解できる世界というのは、本当に楽だなぁと思うのですが。


去年、夫と旅した京都・奈良を思い出します。こういった文化遺産は、後々の後世までずっと、残されていって欲しいと思います。そんなことを思うようになったのも、年のせいでしょうか。

父の家族や母のお寺も、ここから歩いて行ける距離にあります。
父の納骨は、都合により年明け以降になります。
毎日、父の遺骨に祈り、見守って暮らしています。
不思議なのですが、父の死の悲しみは散々味わった後で、今はとても静かな気持ちでいます。
この生まれ育った家で、たった1人で暮らしている不思議と、初めての1人暮らしに、とても平安で自由な気持ちです。父には、「ありがとう、本当にごめんね!」と祈っています。

夫には申し訳ないですが、初めてぐらいに味わう自由。しばらくの間、この家で猫と暮らそうと思います。





2013年11月17日日曜日

帰国


すっかりご無沙汰しました。
前回の更新日、8日の日に、急きょ帰国が決まり、今までの忙しさにかまけて、ブログの更新ができませんでした。父の急死でした。死因は強度の狭心症。カテーテルの手術の最中に死にました。
満90歳。大往生でした。

こんな日がいつかは来るからと、後悔のないように生きてきたつもりだし、父に対してもいつも仲良くいようと努めていましたが。。実際にいなくなってみると、悔やまれることばかりです。本当に私は、父の愛情に、ちゃんと報いていたんだろうか、と。
でも誤解を恐れずに言えば、もう父と闘わなくて良いんだ(良い意味でも悪い意味でも)、そう思うと、心からの安堵を覚えます。もう実際には会えなくても、いつも一緒にそばにいてくれるんだ、と信じられます。だから多少の寂しさはあっても、悲しくありません。


福島へ帰る兄を上野で見送った後、歩いて自宅へ戻りました。途中、母のお墓へ行き、手を合わせました。まだ遺骨は一緒にはなっていないけど、天国で仲良く一緒に暮らしていると信じ、気を休めてきました。

今日は見事な満月。厩橋の上から撮りました。スカイツリーとの共演が見事。これからしばらくはこうした光景を見ることができます。パリ便りならぬ、下町便りとなりますね。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

2013年11月8日金曜日

アルベール・カミュ生誕100年


昨日は、アルベール・カミュの、生誕100周年でした。ル・モンドなどで一応記事として取り上げられていましたが、あまり、というか全く公的な祝典がありませんでした。なぜか?やはり彼の政治的決断、行動が、未だに尾を引いている、ということのようです。
彼は1913年にアルジェリアに生まれ、つまりPied-noir (ピエ・ノワール、黒い足。アルジェリア生まれのフランス人のことの総称)だったわけですが、アルジェリアの独立に関しては反対の立場だった。そのために、サルトルと有名な論争をした訳ですが、やはり民族独立の気運の中にあって敗れ、叩かれたことはある意味必然でした。そのことを、フランス国民は未だに忘れていない、ということなんだそうです。

余談ですが、当時、サルトルが極右(アルジェリア独立に反対する過激派、OAS)の人々によって、家(当時彼はサン・ジェルマンのアパルトマンに住んでいました。実存主義のたまり場でした。)をプラスチック爆弾によって襲撃されたのは有名な話となっています。
こうした歴史が生きた街で生きる意味を考えます。

故フランス文学者の森有正さんも著書で取り上げていましたが、「日本人として誇りをもつ」ということが、一体どういうことなのか、このパリという街にいると、日々突きつけられているようで、いつも考えてしまいます。何をもって誇りとするのか?難しい問題ですよね。
「そ~んなこと、考えたってしょうがないじゃない」と、開き直っている人たちも、もちろん大勢いる。しかし、自分の根は一体どこにあるのか?ということにぶれないことが、この国で健全に生きる、ということに直結しているようにも思います。

 centenaire albert camus

 カミュといえば、「異邦人」、「ペスト」など、もう古典と言っても良いぐらいの昔の本ですが、日本人には未だに馴染みのある作家だと思います。少なくともフランス文学を志している学生は(そんな学生の人数も、減ってしまいましたが)彼の本は外せないでしょう。彼の生み出した、「不条理」という言葉、概念は、今でも日本人の心を引きつけるところがあると思います。特に2年前の東日本大震災を経験した日本に住む日本の人たちは、感じることでしょう。「なぜ?」と。
その問いに関して、前教皇もまた、その問いへの答えはない、と言っていました。
自然災害を始め、人的災害にしても、その不条理を嘆くしか、一般市民はできないのでしょうか。

あまりここでは政治的に突き詰めた発言をしようとは思いませんが、やはり「連帯」ということを考えます。自分は一体、どちら側の人間なのか?ということです。決して偉そうなことは言えませんが、パリに住んでいると、それはやはり重要な問題なのでは、と、秋の夜長に考えています。。。


左の写真は、見出しの写真と同じ店で、こちらは店内です。
友人たちと、夕食を共にした時に撮ったものですが、店の人たちの雰囲気といい、店内のインテリア、料理の質、ともに最高でした。もちろん、見ての通りのビストロなので、気楽なフレンチということで、値段はそう高くありませんでした。

気の置けない友人たちと、たまに外食するのは、最高の気晴らしですね!


今日はちょっと、カミュを起点として、真面目な話を書かせていただきました。
お読みいただいてありがとうございます。

2013年11月6日水曜日

秋の味覚 3


昨日はちょっとダウンして、1日家で過ごしました。朝から外の気温は3度で、激しい風と雨でした。もちろん部屋の中は暖房が効いているので暖かいのですが、ここまで気温が低いと、通気口からの風が身に沁みます。その風をシャットダウンするため、普段は開けている分厚いカーテンを引いて過ごしました。日中も最高で11度ぐらい。寒さにやられたのか、疲れが出ました。

ところで写真は柿です。日本の柿で、「KAKI」として売られています。このKAKI という文字を見ると、いつもカーキ色のカーキを想像してしまいますが、こちらではKAKI といえば、この柿を指します。もちろん、買う時も「KAKI ください。」と言います。近所のスーパーでは1個0,5ユーロ、いつもの果物屋さんでは3個で2ユーロでした。日本の柿そのままに、とっても美味しいです。
ところが実は私、小さいころはこの柿が苦手で食べられませんでした。特に熟れたものは、食感が苦手でしたし、熟れてなくても味が好みではありませんでした。でも成人するにつれ、美味しく食べられるようになって、今では干し柿も含め、大好きです。和風の夕食後にむいて夫と食べてると、日本の秋みたいでほっこりします。

でも小さいころ苦手、というか、絶対食べられなかったものでも、大人になってから食べられるようになるというのも、面白い現象ですよね。大人になると、味覚が変わるのでしょうか?食べ物で好き嫌いがなくなるというのは、一般的には良いこととされていますが、別の見方をすると、味覚が鈍感になったとも言えるのかも。。でも多分、人間関係と同じく、許容範囲が広がった、と好意的にみるべきなのでしょう。


先日、Denfert Rochereau に用事があって、それからカトリックセンターへ行ったのですが、その際歩いた、Bld Raspail (ラスパイユ大通り)の様子です。やはり黄葉はまだ少ないですね。この並木、あるいは車の駐車の列と言ってもいいのですが、それに挟まれている石畳は、自転車通路となっています。落ち葉がたくさん落ちているのが見えるでしょうか。パリにはこうした自転車専用の道が完備されていて、歩行者の安全が守られています。左の車の列の背後、建物に沿った道(わかりづらいですが)が、歩行者専用の道です。

この通りには、密かに気になる建物があって、それがこちらです。


パリには珍しい、戸建てで、格子付きの窓からは、壁一面、天井まで本がぎっしりと並んでいます。とてもしゃれた雰囲気、しかもアカデミックな感じがして、前を通るとき、いつも見てしまいます。偶然ですが、面前に留まっている赤いベスパも、写真の彩りに一役買ってくれました。



さて恒例の食卓の風景ですが、こちらは朝食というより、朝昼兼用の食事です。夫が午前中、大学がない時にはよくこのパターンとなります。大体、10時から11時ごろに食べます。
そしてこの頃は、この1日の最初の食事を、野菜たっぷりのサラダから始めることにしています。夫が減量中で、毎朝走っていますし、どうせなら食事の内容ももっと良いものにしようということで、サラダを食べ始めました。こちらでは、サラダに使う葉っぱ類(日本のレタスのようなものは、ありますが、買いません。もっと1つが巨大な葉でできた野菜です。多くはBatavia とか、Frisé と言います。)
その丸々1個が、1ユーロか、それ以下の値段で買えるのです。格安でしょう?日本で生野菜でお腹一杯にするのは至難の業ですが、こちらでは安いゆえに可能です。トマトもとても安いです。ただ気になるのは残留農薬で、食べる直前に、充分流水で洗いますが、どこまで取れてるか不安です。それなら一層無農薬野菜に切り替えては?と思いますが、中々高いのと、店が遠いのとで続きません。もう子供も諦めたことだし、美味しいんだし、良いか、と開き直ってます。

付け加えると、フランスに来て、大抵の人が驚くのが、バターの美味しさではないでしょうか。宿泊するホテルのものはもちろん、スーパーで売られているバターは、マーガリンも含めると、一体何種類あるのか分からないぐらい豊富です。

写真のバターは、私の一押しのバターです。去年、フランスの生産業者のバター部門で、銀賞をとったものです。産地はブルターニュ。種類は Demi-sel (塩入)ではなく、無塩の Doux です。この方が、料理での塩加減が自在にできるし、ただパンにつけて食べるだけでも、私個人としては塩なしの方が好みです。(辛いもの好きなんですが) そしてこのバターの優れているところは、単に味わい深くて美味、というだけではなくて、良く普通のバターにありがちな、表面は黄色で、中が白い、という変色が、全くないことです。そういう変色は、よく品質には変わりはありませんとの能書きがつくものですが、私はちょっと違うんじゃないか、と思っています。本当に質の良いバターは、表面が薄黄色、というかクリーム色で、中身も、最後の最後までその色なのです。それに驚きました。
そういう訳で、このバターを紹介させていただきました。

長々とすみません。秋の夜長につい、筆が進んでしまいました。
読んでいただいてありがとうございます。
                                                          

2013年11月3日日曜日

朝の風景  Le paysage matinal


ブログの更新頻度が高くてもしょうがない、だって毎日何かしら写真を撮っているから、と腹を決めさせていただきます。この写真は、今朝の8時半ごろ。気温は7度でした。自分の家(アパルトマン)4階の窓からの眺めです。西側に面しています。公園前のアパルトマンが白く見えにくくなっているのは、朝日のせいです。それよりも、11月に入ったというのに、まだ公園の落葉樹がほとんど黄葉していない、というのが驚きです。(それで撮りました。)例年でいくと、すっかり黄葉していてもおかしくないのですが。。 写真左手が小学校、手前に広がっているのが敷地内の中庭です。通りから続いている生垣に、真っ赤な実が一杯ついています。鳥が好んでこの実を食べに来ます。
手前の芝生は、1年中青々としています。西洋芝という品種は、冬でも枯れないそうです。それを初めて知った時の衝撃。芝生といえば、ゴルフ場でよく見てきましたが、日本の冬のグリーンは枯れていましたので、真冬でも青々としてる芝を見たときは本当にびっくりしました。所変われば何でも驚きになりますね。


恒例となりました、食事の風景です。今日は日曜なので、ミサの帰りで朝昼兼用の食事です。
以前から紹介している、Cours de Vincennes という大通りに面した、お気に入りのパン屋のパンです。皿の向こう側が、Baguette de Tradition (田舎風のバゲット)、手前はもちろんクロワッサン、そして今日初めて買った、Chausson Napolitain という名のアーモンドクリームにクルミが入ったものが中に詰まっています。みんなどれもため息がつくほど美味しい。もうここのパンを食べ慣れたら、他のパン屋のパンは、相当美味しくないと、美味しいと評価できないですね。それぐらいの美味しさです。 ジャムは、BIO のものを使っています。1つは Pêche Abricot (桃とアプリコット)と、もう1つは Fraise Rhubarbe (苺とルバーブ)です。これもとっても美味です。



さてお待たせしました。先月の16日から、友人からもらったアボカドで水栽培をしているのですが、昨日になって、ようやく1つの方に、根っこが出ました。およそ根が出るまで2週間以上。待てど暮らせど、でしたが、ここは1つ辛抱とがんばりました。実際、同じことをしている人たちで、あまりに変化がないために途中で投げ出している人が多いとか。でもここまで来るまでに、種の表面に亀裂が入ったりして、私としては面白かったですね。植物の成長を眺めるのが好きなので。
右は3年前に購入したシャコバサボテン。今年大きな鉢に植え替えたのが大成功して、大きく伸び伸び育っています。昨日あたりから、先端に花芽が付き始めたのでこれも撮りました。眺めているだけで、幸せな気分になるのって、楽でいいですね(笑)。













2013年11月2日土曜日

死者の日  Fête des défunts


このところ、ブログの更新頻度が高くてすみません。実は、、、暇してます。。というのは冗談ですが、最近は夜は9時には寝てしまうので、早朝、というか、3時とか4時とかに起きてしまうのです。当然外は真っ暗。どうせ、朝の9時近くにならないと明るくならないので、エイやっと起きてしまいます。でもこの時間が至福の時なのです。し~んと静まり返った中で、1人ハーブティーを飲みながらパソコンで遊ぶ。時々本や雑誌も読みます。

写真は、晴れた日の午後3時ぐらいです。場所は家の近所のナシオン広場。写真右手が広場の中央で、円形の緑地帯、真ん中に大きな女神像が立っています。その周辺を車がぐるぐる走っているわけです。十字路を、このように円形にしてその周囲を巡ってから放射線状に伸びている道のどれかを選んで右折していくわけですが、このシステム、日本にはないので、最初見たときはびっくりしましたね~。どこに入るか前もって知っていないと、ぐるぐる々、何周もしてしまいます。そして入る道を間違えたらもっと大変。後戻りするのに、ものすごい距離を迂回しなくてはなりません。このRond Point (ロータリー)でパリで一番大きいのが凱旋門。これは昔、車で流したことがあるのですが、「ここはサーキットレース場か?!」と思うぐらい、車の数もすごいし、運転マナーもなっていないしで、叫び声を上げながらの運転でした。運転していてあんな怖い思いをしたのは 初めてだったので、それ以来、パリでは運転しないことにしています。(もっとも、自家用車持ってませんが。)


昨日は Toussaints と言って、日本語訳では「諸聖人の祝い」。カトリックの暦では祝日にあたります。今日2日は「死者の日」。菊の鉢植えを買って、墓地にお参りに行きます。日本のお盆に良く似ていますね。菊という花はあまり好きではないですが、この時期、花屋の店頭に並んでいる色とりどりで満開の菊の鉢植えを見ると、やはり美しいなぁと感じます。こちらでも、菊は死者を弔う花なのですね。

ところで写真は、昨日、友人宅に昼食に招かれていただいた1品です。これはメインのビーフカレー。友人曰く、「カレーは慎太郎さんの十八番なの知ってるんだけど、これしかなくて」と出してくれました。日本のルーを使っていても、味はどことなくフランス風。というのも、肉にステーキに使う肉(Entrecôte) を使っているからでしょうか。牛の脂がしみ込んだ、とても味わい深いものでした。上に乗っているのがイタリアンパセリ。ニンジンとの色合いがきれいですね。福神漬けは日本製。「京子」で買ったそうです。はぁ~、今はお金を出せば、何でも手に入る時代ですね~。
この友人は、前回ブログで扱った、ユダヤ人街、つまりマレ地区に住んでいます。「また来たね」と夫と話しながらお邪魔したのですが、とても素敵なお住まい。特に、天井が高くて梁があるところがロマンチックです。でも友人曰く、「見た目は素敵でも、いつもどこかしら故障してるから、お金かかるし住みづらいのよ~。」でした。それを聞いた私。うちは近代建築だから、滅多に故障しないし、かえって快適かも。と思った次第でした。


閑話休題:
 パリでは、東京にいるよりも家に人を呼んだり招かれたりする機会が断然多いので、人をもてなすマナーや料理、食器などを、いかに美味しく、美しくするかが手本となります。
この友人宅でも、家自体のインテリアは元より、テーブルのしつらえが楽しいものでした。水を入れるピッチャーも、写真でちょっと写っていますが籐のカバーがしてあって、水滴が気になりません。他の食器類も美しく、このコーヒーカップなども青がテーブルクロスの赤に映えて美しかったです。近いうちに、また人を招きたくなりました。



2013年11月1日金曜日

ユダヤ人街散策 パート2


前回は、ユダヤ人美術館をゆっくり見学した後に、打ち上げをしたお店を紹介しました。この写真は、そこでの食事を終えた後の帰り道で撮ったものです。通りの名はご存じ Rue des Rosiers。たまたま人があまり写っていませんが、通りに人は溢れていました。左手、店の前で携帯をいじっているのでしょうか、立ち止まっているのはユダヤ教徒。彼らの服装で一目瞭然です。 黒いスーツに黒いキッパーと呼ばれる独特の帽子を被っています。この帽子は、とくにシナゴーグに入る時に必須のもので、神への崇敬がこめられているとか。こうした民族衣装(?)に身を包んだ彼らは、ここでは水を得た魚のように生き生きしています。
 
こちらは行きに撮った写真ですが、 Rue des Rosiers の看板が見えるでしょうか。この店では、1982年、テロリストたちにより、20数名のユダヤ人が銃撃に遭い、死傷したところで、その記念碑が立っています。1982年といえば、そう遠い昔ではありませんが、未だに偏見と迫害によって差別を受けている民族だということに、変わりはありません。
そうしたことを私たちが声に出して話していると、いつの間にか、若いユダヤ教徒たちが背後に。私たちが熱心に読んでいるのを見て、好感をもったのでしょう。にこやかな笑顔をしてくれました。やはり、歴史というのもを知らずしてこの街を歩くことはできないなぁと実感しました。

 引き続き、夜のユダヤ人街ですが、彼らの食生活はベジタリアンに近いものがあります。豚を食べないのはもちろんですが、 他の肉類でも、ユダヤ教に則った形で処理されたものしか食べません。パリのスーパーでは Cacher (カシェール)というコーナーがあり、ユダヤ教徒のための食品が並んでいます。軽食としては、Falafel (ファラフェル)といった、マクドナルドのハンバーガーのようなスナックがあります(もちろん、豚肉は使っていません)。青豆をつぶして団子状にまるめ、それをコロッケのように揚げたものを、ピタパンに挟んで食べるわけですが、10種類はある野菜類をそれに自由に付け加えて食します。体に良いものを食べているなぁ、という感じ。とっても美味です。

写真右上は、無意識に撮ったものですが、後で画面で見てびっくり。店名が、「Café des Psaumes」となっているではありませんか。Psaume とは、フランス語で「詩編」の意。さすが旧約聖書を教典としているだけあって、お店にもその名前を付けたりするのですね。感心しました。実際に、店内ではユダヤ人たちが詩編を唱えていたりして(?)。

宗教的に寛容だと言われる日本人からすれば、奇異なことでも、やはりパリに住んでいる以上、こうした宗教への尊敬を欠いた態度は許されません。ただ単に、「おしゃれな街」として楽しむだけではなく、こうした背景を知った上で行動したいですね。

 

2013年10月30日水曜日

ユダヤ人街散策 パート1


今日は友人たち総勢11人で、ユダヤ人街散策に繰り出しました。街はヴァカンス中とあって(Toussaint - 諸聖人の祝いでほぼ2週間の休み)、大勢の人々で賑わっていました。このお店の真ん前にある本屋でユダヤ人の歴史の一端に触れた後、ユダヤ人美術館に行きました。およそ2時間かけて館内を回った後、このお店で打ち上げをしました。
ユダヤ人の歴史といえば、迫害と追放の歴史。どうしてここまで迫害されなくてはならないのか、正直日本人としてはピンときません。どの民族だって、他民族を支配してきた歴史がある訳ですが、ことユダヤ人に限っては、あまりにひどい、と思わざるを得ません。よく迫害の理由として言われるのが、イエス・キリストを殺したのがユダヤ人だから、というのがありますが、、、キリストも同じ、ユダヤ人だったのですよね。なのになぜ?
その点日本人は、ユダヤ人に対する偏見が、全くといって良いほどないので(=キリスト教を正確に知らないから)、昔から日本人とユダヤ人は仲が良いとされていますね。
 

写真上は、ご存じ名物のチーズケーキ。添加物がなく、甘みも控えめで美味しいのですが、意外や意外、食べてみると食べごたえ充分で、日本人としては一切れで2人分という感じです。お土産に持って帰った友人たちは、手にした時の重さにびっくりしていました。
写真右は、ワインと一緒に注文した、ピタバンにつける前菜、アペリティフです。ワインはイスラエル産の赤ワイン、私は飲まなかったので味はお伝えできませんが、中々腰のある美味だったそうです。 手前の前菜は、巨大な唐辛子、ピクルス、オリーブで、どれもびっくりするぐらい「しょっぱい」。後で喉が渇きました。向こうの皿には、典型的なユダヤ料理の前菜の盛り合わせで、フムスやタマラ、マグロのムースなど、肉は一切なしのベジタリアン。5人であっという間に食べ切りました。
美術館での疲れを癒しながらの打ち上げでしたが、お店を切り盛りしているのも、もちろんユダヤ人たち。生活に密着した形で文化を知る醍醐味に、時の経つのを忘れてしまいました。

ユダヤ人美術館の館内は、撮影を禁じられていたので残念ながら写真はありません。
次回は、もう少し街の様子をお届けいたします。
 

2013年10月29日火曜日

チョコレート!


オペラ座から見た、ヴァンドーム広場の入り口です。オペラ界隈は良く行くのですが、こちら側は滅多に行かないので撮ってみました。ここら辺を歩いているのは、ブランドショップで働いている人やビジネスマン、そして観光客ぐらいでしょうか。日本のビジネスマン同様、スーツ姿でビシッと決めている男性たちが目につきます。パリは、地区によって、ガラッとその顔を変えるので面白いです。

この日は、オペラ街から、エッフェル塔方向へ用事があったので、この界隈を通ってみることにしたのです。普段、自分のいるカルチエ(地区)に比べ、本当にパリらしい美しい建物が連なっているので、観光客よろしく写真を撮りまくっていたら、一緒にいた友人に、「パリに10年いて、そうして写真を撮るのえらいね~。」と皮肉とも思われる言葉をいただきました。確かに。。10年いても、全然新鮮さを失わない自分の感性、というより、この街の魅力に、ただただ驚くばかりです。


ヴァンドーム広場を突っ切って、サントノレ通りとの交差点です。有名なチョコレート店。日本では有名になり過ぎて、飽きられているところもあるのでしょうか。私個人としては、チョコレートに限っては、フランスのメーカーより、ベルギーとスイスのものの方が断然好きですね。これはカカオを生産している国によって決まるらしいのですが、フランスは、過去の植民地の関係で制限があるそうで、そうした制限のないベルギーやスイスは、世界で一番美味しい生産地を選べるので、必然的に美味しくなるとか。チョコレート1つとっても、歴史が関わってくるのですね。


こちらもベルギーのもの。パリの街角のあちらこちらに見かけます。ハロウィーンに因んだチョコレートは、sucette といって、子供用の棒付きキャンディー。買う時に店員さんに「自分のために買いたいんだけど」なんて言ってみたら、「もちろん、大人だって食べるわよ!美味しいのよ~!」と励ましてくれたので買いました。
夫と2人で分け合って(かじり付き合って?)食べました。
ここのも、本当に美味しいです。

チョコレート談義のついでに。。
私はフランスに来る前は、チョコレートって、大して好きではなかったし、買って食べたこともあまり記憶にありません。もちろん、チョコレートのついているお菓子類は食べていたと思うのですが、チョコレートそのものを1つ1つ吟味して買うようなことはなかったし、子供の頃は、今のように海外のチョコレートメーカーが店を連ねていることもなかったので、あまり縁がなかったと思います。
でも板チョコはありましたね。CMソングで、「チョッコレイト、チョッコレイト、チョコレイトは○○○~」はすぐに思い浮かびます。でも板チョコなんて、買って食べたかな~?という感じです。

そもそもが私、辛党です。甘いものより、お煎餅の方が好きです。
子供の頃は、「パリに行って、お菓子屋さんになるんだ~」などと叫んでいたそうですが、今じゃ、全く興味ありません。お菓子を作るんだったら、フランス料理を習いたいぐらい。たま~にお菓子も買って帰りますが、とにかくこちらのケーキ類は甘いので。。「甘いのダメ」という人と、話が合ってしまうこの頃です。



2013年10月26日土曜日

黄葉


パリは秋が深まり、落葉樹は黄葉を始めています。こちらは紅葉と書くような、赤く葉が色づくことはあまりありません。木の種類によるのでしょう。落ち葉の中には、マロニエの実も混じって、形の良いものはいくつか拾ってオブジェとして家の棚などに飾って楽しみます。

日本では、台風26号に始まって、27、28と大型台風が襲来したそうですね。被害に遭われた方々には、心からお悔やみ申し上げます。さらに、三陸沖での地震があり、不安な毎日と思います。

パリも異常気象です。
日中の気温が、例年より10度近く高い日が続いています。20度以上あります。朝も15度以上あったりして、暖房の効いている部屋では暑いぐらいです。快適といえば快適なのですが。。。むしろこれから来る冬がどうなるのかが、今からちょっと心配です。


「昔、森でキノコ狩りをしたのはいつだっけ?」と、つらつら写真を眺めていたら見つかりました。
ちょうど4年前の今頃、夫と2人でサン・ジェルマン・アン・レーの森に出かけて、様々な種類のキノコを見つけては楽しみました。(種類がわからないので、決して触らないようにしましたが)
これがその時の写真です。この後、近くに住む友人と合流して、車であちこちを回りました。とても懐かしい思い出です。


ガラッと話題が変わりますが、この間、シャンゼリゼを歩いていて、日本の花嫁さんを見つけたので思わず撮りました。平日の午後、しかもあまりお天気は良くなかったのですが、2人の姿は光っていました。写真右手すぐに凱旋門があるという位置です。
彼らは、アルバム作りのために、専門のカメラマンたちに写真を撮ってもらっていたのですが、この時は凱旋門を背中にしてではなく、シャンゼリゼ通り下方をバックにして撮っていました。それが面白いと思いました。

でも何はともあれ、幸せそう。特に花嫁さんが、輝く笑顔で、まっすぐ上を向いていたのが印象的でした。 
秋は行楽のシーズンだけでなく、結婚のシーズンでもありますね。



朝食第二弾ですが、先日、友人の住む15区で、おしゃれで美味しいパン屋を紹介されたので、思わず立ち寄り買ってきたものです。手前はもちろんクロワッサン、そして写真横がパン・ド・カンパーニュ(Pain de Campagne ) (田舎風パン)です。それぞれ美味しいだけでなく、どっしりと思いのが印象的でした。地元のパン屋より、1,5倍ほど値段が高いのも印象的でしたが。(1つ 1,5ユーロでした。)これは普段というより、特別な日の朝食ですね。(別に贅沢、という訳でもありませんが) これにカフェ・オ・レをつくって飲みながらいただきました。 
でも私はやっぱり、地元のパン屋のパンの方が、馴染みがあって美味しいと感じました。


ところで昨日から、Toussaints (諸聖人の祝い)の休暇が始まりました。学生たちはほぼ2週間のお休みとなります。そのせいか、今晩(土曜の真夜中です)は上の住民(若いカップル)が、友達を大勢呼んで、楽しく騒いでいます。普段しかめ面をして大人を装っている人たちも、騒ぐときはまるで子供。遠慮なく叫び声を上げたり笑ったりしているのを聞いていると、私もこんな風にストレスを発散する必要があるなぁと痛感します。また友人たちを、自宅に招いて食事会としますか。