2016年10月30日日曜日

黄葉深まる  Les feuilles jaunissent profondément


パリは黄葉が美しい季節となっています。
ここは私と夫の住むアパルトマンの、眼下にある小さな公園です。望遠で撮りました。
お天気のいい日に窓を開けると、この黄葉が眩しいぐらいに見えます。
この時は朝のわりと早い時間帯で、区の職員が、こうして余分な枝を切り落としていました。
伐採するためのチェーンソーの音が、周囲に響きわたっていたのですが、10時半からうちで行われる歌のレッスンが始まるころには止みました。

日本の紅葉も今、見頃らしいですね。
奈良や京都、素晴らしいことでしょう。
日本は紅葉と一口にいっても、赤だけでなく、オレンジや黄色など、色のグラデーションがありますが、フランスは、黄色が多いですね。そして枯れ始めると茶色となって、物悲しい風情です。
枯れ葉を見ると、イヴ・モンタンの「枯れ葉」のメロディーが浮かびます。


こちらはセーヌ川。今フランスは Toussaints (諸聖人の祝い)といって、カトリックの暦で祝日、学校は休暇中です。夫の大学も、短いながらも休みとなり、久しぶりに散歩に繰り出しました。

久しぶり、とはいえ、ブログの更新のための写真を撮るのは、いつも散歩の最中なので、ブログを読んでいる人からすると、私たち夫婦はいつも一緒に散歩しているように思われるかもしれません。                                                                            場所は、Hôtel de Ville (パリ市庁舎)の近くからセーヌに出たところで、橋は Louis Philippe (ルイ・フィリップ橋)、そこから右手にサン・ルイ島を見ながら上流に向かって歩きました。
左の写真、右手がサン・ルイ島の家並みと並木、その上空に見えるのは、工事中のクレーンです。なんでも、アラブの大金持ちがその一角を買い占めたとかで、大々的な建て直しをしているそうです。                    そのたもとにある橋が、Pont du Sully(シュリー橋)。この橋の左手の通りをまっすぐに行くとバスティーユ広場にぶつかります。                                     写真左手の遊歩道は、本来車道なのですが、パリ市民に解放しようと、車を進入禁止にする計画が進んでいます。


もっと遊歩道を写してみました。
この日は秋晴れ。雲も秋の気配を表していました。

それにしてもセーヌは美しいですね。
水の流れを見るのが大好きな私は、何時間でも眺めていたいと思わせます。
東京の実家の隅田川を思い出すというと、「全然違うでしょう」と言う人がいますが、いえいえ、隅田川は、昨今、遊歩道が綺麗に整備されていますし、川の水も綺麗です。ただし、青テントがあるところが大きな違いでしょうか。


セーヌに行く前に一息ついたカフェです。
カメラを常備していると、いつでもシャッターチャンスがあることに気が付きます。
散歩で少々体がほてったので、私はレモネードを注文しました。(夫は何だったかな?)

パリでも自転車に乗っている人は、それほど多くはないとはいえ、わりと見かけます。Velib (自動レンタサイクル)ができたお蔭で、乗っている人は多いはずですが、あまり目立たないですね。パリという街並みの美しさのせいでしょうか、それとも乗っている人たちの服装がバッチリ決まっているせいでしょうか。街並みに溶け込んでいるのが分かります。


最初の写真と連動して、自宅への帰り道、公園側からアパルトマンを写してみました。
黄葉した木に隠れていますが、その辺りに私たちの住んでいる部屋があります。
この辺りでは割と大きいくて、外壁が白いので目印になります。
右手は小学校。
この小学校からも、第二次大戦当時、ユダヤ人の子供たちがナチスによって連行 (déportation) されたことが、壁面に記されています。パリにはそうした、歴史的な出来事を記した看板や表示が至るところにあって、歴史を忘れないように、常に再認識するようになっています。美しいだけではない、そこには悲惨があったことを、パリの街並みは教えてくれます。

黄葉の美しいパリ、もうしばらく楽しめそうです。






                              

2016年10月26日水曜日

焼き栗の季節  Saison de châtaignes grillées


室内と外との温度差で、風邪をひいている人が多いこの頃です。
夫も例に漏れず、のどを痛め、授業のない日は家で横になっています。
そのせいか私も少々風邪気味。寝込むほどではありませんが、うがいをして、家の中で大人しくしています。

とはいえ、どうしても用事があり、久しぶりにオペラ街に行ってきました。これは正面ではなく、真裏の様子です。
この近所に、知る人ぞ知る、レートの良い両替屋があります。
日本から来た日本人の方から、円建てでお仕事代をいただいたのでユーロに換えたのですが、円高でびっくり。1ユーロ百円近くまで下がっていました。ユーロになりたては、確かやはり1ユーロ百円計算だったので、そこまで落ちたことに驚きました。ラッキーです。

こちらが正面です。
このような冴えない天気ですが(この季節らしい天気です)、やはり観光地のメッカ、オペラ街には人通りが多く、会社も多いので、いつも賑わっています。
写真のように、2階建て観光バスがひっきりなしに通行しているので、それを避けて写真を撮ることはかなり困難です。

正面階段には、いつも若者たちが階段状に座ってのんびりおしゃべりを楽しんでいます。

上記するのを忘れましたが、このガルニエ・オペラの裏手の方に、ユニクロのフランス1号店があり、ときどき行くようにしています。
色々と問題があるようですが、フランスでは根強い人気で、いつ行っても店内は客が多くいます。


左の写真は、焼き栗を売っているお兄さん。
あぁ、その季節になったのだな、と思わずカメラを構えました。
でも売っているのがこうして肌の浅黒い、中近東らしき人、で買おうとしているのが中国の若い女性たち。こんな風景も、観光地らしいですね。

写真向かって左には、かの有名な Café de la Paix があります。
以前、結婚する遥か前ですが、ここで朝食をとる機会があって、出されたカフェオレとクロワッサンが絶品だったことを思い出します。もちろん、そのお値段にもびっくりでしたが(通常のカフェの2倍以上はします)、それ相応のお味でした。夫曰く、高いのは品質が良いからだけじゃなく、場所代らしいですが。でも相応のサービスもありますから、仕方ない、という感じです。
でも、最近のこのカフェの雰囲気は、あまり好きではないですね。なんとなく、お金をもった外国人観光客が、これみよがしな態度を取っている感じで。なんなんだ、この威圧感は?と思う節もあります。


このおじさんも焼き栗売り。やはり中近東の人っぽいですね。
先ほどの写真から、通りを一つ渡ったところですが、まだオペラ座前の交差点です。いかに大きいか、改めて思います。
焼き栗、どこで買っても大抵は美味しいですし、値段も一律で、新聞紙にくるんで片手で持てる量で一つ2ユーロ。熱々が特に美味しいです。

ここら辺を歩いていても、前ほど日本人に会わなくなりました。あ、日本人かな?と思うと、すれ違う言語で、中国人だったり、韓国人だったりします。やはり自主規制しているんでしょうね。


ここまで来て、全景が撮れました。
ここから伸びているオペラ通りまで辿り着くまでに、いくつもの信号を渡らなくてはならないのですが、車の往来が多く、運転するのも一苦労だろうな、と思います。

それにしても、こちらに居を構えて13年目。未だ自分がパリで暮らしている不思議を思います。
「いい加減慣れたら?」と自分でも思いますが、外に出るたびに、新鮮な驚きがあります。
自分が日本人で外国人だから、というのではなく、これはひたすら私自身の気質に因るんだと思います。いつも何か、ほんの些細なことでも新たな発見をしていると感じます。

ちょっと例はあんまり良くないと思うのですが、今思い出すのは、この日のメトロの中でのこと。
本格的なラッシュアワーにはならない、直前ぐらいの混み具合で、人との距離にあまり隙間がありませんでした。6番線だったのですが、私は揺れに弱いのでしっかりと棒につかまって周囲の人を観察していました。
ある駅で素敵なカップルが乗り込んできました。女性の方が、私のつかまっている棒につかまりました。そういう姿勢になったので、目の前に彼女の手が来たわけで、見るとはなしに見ると、ジャケットの袖口から少し見えていた手首に、産毛がたくさん生えていたのです。日本にいると、女性は腕の毛、剃りますよね?夏の間だけでしょうか?
ただし、この方は薄茶の髪でしたので、腕の毛も悪目立ちは全然していませんでした。むしろ、なぜこんなことを書くのかというと、この自然体の美しさに胸打たれたからです。彼女の心から楽しげに笑う様子が、やはりとても美しく、あぁ、この人は自分の人生を謳歌しているな、と思いました。


パリで暮らす魅力の一つに、こうした、何気ないことも、多くあると思います。
やはりその国の魅力というのは、そこに住んでいる、生活している人たちに因るのだ、と思います。国は、住民によって成り立っているのですから。
逆に言えば、そこに住んでいる人たちの魅力、人間性によっても、その国の評価が決まってくるように思います。 そこで生きている人たちが、文化を担っているということで。
そんな事にも、考えが行くようになるパリという街の魅力を思います。

 


 




2016年10月24日月曜日

未だ厳重体制のパリ、そして秋の夜長 



パリは、どんどん秋の深まりを強めています。
今朝は雨が降っているので、気温が緩んでいますが(11度)、普段は朝は8度前後、部屋の中の暖房が入っていても、少し厚着をしないと寒いです。 

写真は家の近くのナシオン広場の一部です。
昨日の朝撮ったものですが、日曜の朝ということで、人通りはまばらでした。
でも写真の中央の奥に、見えるでしょうか、軍人が4人います。彼らは、普段から3~4人組んで、パリ市内を循環しているのですが、やはり、フランスはまだ厳重な警戒態勢をとっているということで、彼らの姿を見るたびに緊張が走ります。迷彩服を着て、銃を持って歩いている様は、周囲に威圧感を与えます。でも日曜の早朝からご苦労様、とこの時は思いました。

パリは今、夜が明けるのが8時半過ぎと、日本の感覚でいくとかなり遅くなっていて、明けても大抵数時間は薄暗いままです。いよいよ、こうした季節がやってきた、という感じで私なんかは身構えてしまうのですが、まだ、日本の感覚が強く残っているからでしょうね。


よく日本で出版される本で、「日の出と共に起き、日の入りと共に眠る」のが健康に良い、というのを見かけますが、国が違えば、全く通用しない文面であることが分かります。そんなこと、パリにおいては全く不可能だからです。日の出を待たず、つまり外がまだ真っ暗なうちに起きなくてはなりませんし、会社や学校に行くのも、真っ暗な中、という事態にこの季節、来年の春以降まで続くからです。そもそも、夜が明けて、日が昇ると同時に朝日が輝くような、素晴らしい環境ではないのです。朝日を浴びて、体のスイッチをオンにする、ということも、パリではほとんど不可能です。
日の入りも、これは日本と同じく相当早くなりますし、パリでは秋の夜長を利用したナイトライフ(コンサートや観劇、カフェでのおしゃべりなど)を楽しまなかったら大人じゃない、ぐらいの文化があります。

あまり写真でご紹介するほどのことではないのですが、          先日、日本のカレーのルーを使ってカレーライスを作りました。

あえてメーカー名は書きませんが、純日本製のカレーのルーは、
パリのあちこちのお店で手に入ります。
大抵は日本食料品店の「京子」、あとは中国や韓国の食料品店で買えます。買えますが、「京子」とか他の日本のお店でと、他のアジアの国の店では値段が違います。他店ではひと箱4,5ユーロ、「京子」等ではもう少々高かったと思います。それにしてもひと箱、円にして500円ちょっとする計算になりますから、たかがカレーでその値段は高いと思いませんか?


ですからカレー(あくまで日本のルーだけを使ってつくるカレーですが)は、パリではとても贅沢なんです。ということで二人では食べきれないので、残りをカレーうどんにしてみました。うどんの汁としてだし汁をいれてのばしたものに、茹でた麺をと生卵をいれただけですが、絶品でした。

カレーうどんには思い出がありまして、よく結婚前、実家の近くのおそば屋さんで出前をとって食べたものです。私には二人の兄がいるのですが、兄たちもこのカレーうどんが大好物。火傷しそうに熱かった汁を思い出します。

写真に写っている一味唐辛子とラー油は日本から持ってきたもので、醤油差しはパリの日本文化会館で買いました。中身の醤油ももちろん、パリです。ただ、この器は、日本の実家から程近い、稲荷町のかっぱ橋道具街でひとめぼれして買ったもので、パリに持ってくるのに一苦労しました。割れないように手荷物にしたのですが、重い上にかさばるので腕が折れそうになりました。

そんな思いをして持ってきた日本の食器がパリにはたくさんあります。友人からの贈り物もあり、どれも大切にしています。


こちらはお芋のスープ。
フランスの芋(サツマイモ)は、なんと、中身がオレンジ色なのですよ。それを潰し、牛乳とブイヨンで溶いたものなのですが、このオレンジ色を見ると、反射的にカボチャ?と思ってしまいます。
夫はこのお芋が好きですが、私は日本のサツマイモの方が断然好きです。味と食感が今ひとつと思ってしまうのです。

秋の夜長。
夜食に温かいスープでもいかがですか?
(因みに上に振りかけているは、Herbes de Provence、プロヴァンスの、数種類のハーブを挽いて混ぜたものです。香りが抜群です。)


 



2016年10月17日月曜日

肌と髪のお手入れについて 興味のある方に


今回は、日頃から実践している肌と髪のお手入れについて、お話したいと思います。

まずは、ちょっとレアというか、逆に今更?という観もあることですが、
知っている人は知っている、「湯シャン」について、私なりの実感を書きたいと思います。

その前に、ここパリ・フランスでは、日本とは水が違う、という前提があることを留意していただきたいと思います。普通にシャンプーをしても、日本ほどあわ立たない、ということです。
それで、カッコつきですが、「髪に良い」とされる湯シャン。つまりお湯だけで髪の毛を洗う方法ですが、結論から言うと、現代人にはお勧めできません。
何故か?昔とは空気が違うからです。少なくとも先進国において、お湯だけでは髪の汚れ、正確に言えば頭皮の汚れは落ちません。

以前、もう4~5年は前になりますが、湯シャンをパリで実行したことがあって(それが初挑戦だったのですが)、ひと月で挫折しました。今回は、なんと1週間で挫折。前回とくらべて、年をとったこともあって、意識がより行くようになったためだと思いますが、何がダメって、あの頭皮のべた付きに耐えられないのです。
たった1週間程度でも、頭皮のべた付きは、いくら湯シャンの前にブラッシングしても取れるわけはなく、子供のころからシャンプーをしてきた人間にとって、お湯だけ、というのは無理があります。
シャンプーに含まれる成分が、地肌を痛め、ひいてはすすぐ時に顔にかかるから顔の肌にも悪影響する、ということですが、私の場合は、そういう目に合っていませんし、地肌を痛めるといっても、洗っている最中の爽快感、もちろん、洗った後の清々しさには代えられません。

結論から言うと、湯シャンは、少なくともきちんとした社会生活を送っている人間には不向き、と思われます。ここで引きこもり、という言葉を使ってよければ、(以前それに似た状態を私も経験していますが)引きこもりをしているぐらいじゃないと、実践できない、ということです。
念のため言うと、私は油性の肌質ではなく、普通肌です。それで、1週間シャンプーを使わないだけであれだけべた付き、表に出るのが困難、つまり頭皮がべた付いているから、頭のてっぺんがべたっとして、見た目にも影響してくるのです。どうやってもフワッとはなりませんから。

別に湯シャンを目の敵にしている訳でもありませんが、(うまく行っている人がうらやましいぐらいですが) あのべた付きに、3ヶ月から半年我慢すると、嘘のように髪質が変わってべた付きもなくなる、というのが、ちょっと信じられない気もしますし、実際、その期間、べた付きを我慢する、というのが、かなり無理があるのではないか、と思われます。
もう少し書くと、髪の毛というのは、自分の体から出る油分だけではなく、自分のいる環境(うちでも外でも)から受ける、つまり空気ですね、その空気に含まれる汚れ、匂いも吸うものなんです。なので、頭皮のべた付きがなくなっても、その汚れ、匂いは防ぎようがありません。
私には無理でした。


それから、肌(顔・体をふくめて)を石鹸で洗わずお湯洗い、そしてその後、何もつけない、というのも、私には無理でした。
私は、およそ10年ぐらい前から、つまりパリ生活を始めて3年ぐらいしてから化粧をしなくなりました。つまり、すっぴんで過ごすようになったのです。日本にいると、優秀な化粧品がありますし、使っていて楽しいアイテムがたくさんあるからそれらを全部使わない、というのは困難だし寂しい感じがしますが、ここパリでは、すっぴんが通用します。最初はとても人前に出せないほどの肌でしたが、パリにいると、色々な肌の色の人がいるので全く気にならないんですね。よくパリの日本人からは「顔色悪いね」とは言われましたが.... 
そうした、すっぴんが当たり前となった肌で、お湯洗いに挑戦したのですが、
やはりシャンプーを使わないで頭を洗うのと一緒で、お湯だけ当てても全然すっきりしません。
頭皮や髪の毛ほど肌は汚れませんが、やはり石鹸で、しかも体の場合は垢すりのようなものを使って、キュッッキュと洗うのが好きですね。顔は手で洗いますが、でもしっかり石鹸を手のひらで泡立てて、ゆっくりと二度洗いします。お化粧をしていなくても、石鹸での二度洗いが好きです。
先ほど油性の肌ではないと書きましたが、それでもTゾーンは多少油分が出ますから二度洗いしないとすっきりしません。むしろ、それは石鹸洗いの特性でもあると思います。漫然と使っていると、すっきり感は出ません。意識してゆっくり丁寧に洗う。そうして初めてすっきりとします。しかも石鹸はBIOで有名なメーカーのものを使っています。

肌断食といって、顔を洗った後何もつけない方法がありますが、
これは1週間に一回程度実践しています。自分の肌の力を回復させるためですが、
これも年齢によるでしょう。50才を過ぎたら、よっぽどじゃない限り乾燥で悩むことになると思います。
年齢で思い出したのですが、亡父は、何かで読んだのか見たのかして、
「年をとったら肌を洗いすぎるのは良くないらしいよ」と言っていました。当時父は80才前後だったと思います。確かに高齢になると、体から出る油分というかホルモンはかなり減少するでしょうから、この説は当たっていると思われます。自分がその年になった時にそうするかは分かりませんが、父はその代わり朝晩とゆっくり湯船に使っていましたし、湯上りに日本酒をつけていましたから、いつまでも若々しい、つやつやとした肌でした。


今回は、美容談義(というほどでもありませんが)となりました。
何かの参考になれば、と思います。




食欲の秋・芸術の秋  gourmandise en automne ・art en automne


ご無沙汰しました。
実は、編み物の作品を仕上げようとやっきになっていたので、更新ができませんでした。
アートの世界ではトップをいく会社の通信講座で、棒針編みの入門コースと講師コースを受講していて、まだ入門の段階なのですが、パリに持ってきて再開したのでした。
でも今朝になって、翻訳の依頼がきたので、編み物も一時中止です。

編み物は純粋に好きですが、資格までとってどうする?という夫の意見もあります。それで食べていく、つまりプロになるわけではなく、純粋に自分の楽しみのためだったら、こんなに苦労してまで資格をとる必要はないのかもしれません。
でもやりかけたことを完全にやめてしまうのも、かなり勇気がいることなんですよね。
「好き」という気持ちがあるから尚更です。

ところで写真は、日本のデラウエアを大きくしたような、
それでいて巨峰よりはやや小さめのブドウです。種類をチェックするのを忘れましたが、
今まさにスーパーでは色々な種類のブドウが並んでいます。
日本と違って量り売りですので、大体キロ単位で買うのですが、これは1,5キロぐらいはあるでしょうか。とても美味しいのですが、痛んでくるまえに食べきるのが大変です。このブドウは、キロ大体3,5ユーロぐらいでした。少し値段がはるものの方が、断然美味しいのです。


先日、書道家の東野舜水さんの vernissage (展覧会の初日で、一般公開に先立つ特別な人向けの招待)に行ってきました。   東野さんは、毎年この画廊で個展をされており、夫が通訳を担当しています。                                上の写真の通りは、画廊のある rue Visconti (ヴスコンチ通り)の様子です。6区にある、いわばカルチエ・ラタンのど真ん中に位置し、とてもパリらしい界隈です。                     ヴェルニサージュには、多くのフランス人が詰め掛け、東野さんとの再会を喜んでいました。
来た人はもちろん、東野さんの才能を高く評価している人たちですが、同時に大の日本びいき。
そういう人たちを前にすると、なんだか関係のない自分まで誇らしいような、くすぐったい気持ちになりました。よく日本とフランスの関係を、日本の一方的なフランスへの愛、つれない愛人のようにたとえられますが、どうしてどうして、日本を愛するフランス人は結構います。嬉しいですよね。

昨日は、成島志保さんのリサイタルに行ってきました。曲目は、二人の作曲家の新曲と、シューベルト、ベートーベンでした。             久しぶりに生のピアノ演奏を聴いて、本当に感動しました。彼女の才能の素晴らしさがトップレベルだということもありますが、その迫力、思い切りの良い演奏に、ただただ感動し、最後のベートーベンの「月の光」では、涙が溢れました。                                 私が芸術家や演奏家に対してものを言う事はいつもためらわれるのですが、この感動を伝えられずには済まない、という思いがしています。   演奏の終わった志保さんと話をして、演奏の素晴らしさを褒め称えると、「感受性の強い方なんですね」と言っていただきました。実はそのことは自分でも感じていて、どうしようもない、時にはやっかいなことと恥じているのですが、占いによると、大抵このことが指摘されていて、つまりアーティスト肌であるということなんだそうです。私にアート?一体何ができるんだろうと思いますが、自分でもままならなくなるこうした激しい感情の波を思うと、「何をすれば?」といつも考えてしまいます。


カトリックセンターで、生け花を習い始めました。
先生は池坊の方で、長年センターで教えておられます。

実は私は結婚前に、亡き母の友人で、古流の先生から7~8年ほど教わり、師範の看板を家元からいただいています。とはいえ20年以上も前の話、すっかり忘れているので、センターでは一から始めるつもりで習い始めました。
びっくりしたのが、活け方の違い。古流では考えられないほど自由に活けられるのを知って、本当に衝撃を受けました。こんな活け方もありなんだ?!と。目が覚める思いで、次回もとても楽しみとなりました。
編み物と違って、お花を活けるということは体力も使います。こちらの方があっているかもしれません。


久しぶりの投稿に、筆が鈍ったのを感じます。
編み物の魔力に構わず、もう少し更新の頻度をあげたいと思います。
読んでいただきましてありがとうございました。










2016年10月7日金曜日

エッフェル塔  La Tour Eiffel


この日も良く晴れました。
といっても実はこれ、前回のブログと同じ日の出来事です。
そう、16区のイエナから、歩いてエッフェル塔へ向かったのです。
ギメ美術館とエッフェル塔は、いわば目と鼻の先。歩いても10分とかかりません。
写真は、ご存知のようにトロカデロ広場の高台から撮ったもので、ちょっと遠いですが、青々と広がる空を背景に、すっくと立っている様は、やはり圧巻でした。

天気のことをちょっと話すと、
10月に入ってもなお、20度をちょっと超えるような気温は、パリとしては前代未聞です。
昨日は最高気温17度、18度ぐらいと聞きましたが、直射日光が強烈な中を歩いていると、体感温度はもっと高い感じがします。例年でいくと、8月の後半にはもう秋めいて涼しくなることを思うと異例の暑さ。まぁ寒いよりは暑いほうが良いので助かっていますが。
それにしてもこれ、10月のパリとは思えません。


トロカデロ広場を下って、塔の方へと向かっていると、イエナ橋の手前に、こんなメリーゴーランドを見つけました。レトロですね。これは簡易式で、季節によって移動するものですが、なぜか、このメリーゴーランドを見ると郷愁に誘われます。昔、子供の頃、日本でもこのようなタイプのレトロなメリーゴーランドがあったのかもしれません。


こちらはイエナ橋から見た風景です。ちょうど、船が往航しているところでした。
写真では分かりづらいですが、船上の人の数がやや少なめに感じました。
本来ならば、こんな晴天です、もっと鈴なり状態でもおかしくないのですが、、、ちょっと意外でしたね。


でもエッフェル塔の足元は、ご覧の通り。
パリとしては大勢の人で賑わっていました。やはり、観光地ですね。

パリらしい、といえば最もパリらしい所ですが、
私も例に漏れず、エッフェル塔が大好きです。

最初にパリ(フランス)に来たときに上ったのが、もう30年近く前だと思うと、感慨しきりですが、
それよりも、結婚のために来た2003年の冬、夫と上った方が印象に残っています。
当時は、冬のパリの寒さに耐えられず、マレ地区のブティックに飛び込んでムートンのロングコートを買って着ていましたが、今じゃ、そんなコート、誰も着ていませんね。
それ以来、夫も私もこのエッフェル塔の上まで上っていないのですから、不思議といえば不思議です。パリに住んでいるのにね~、とは友人の言葉ですが、それもそのはず。いつ行っても行列なんです、上に上るための。これは、並んだことのない人には分からないですが、日本人的に考えると、ちょっとあり得ないぐらい、時間がかかるのです。

つい、日本の地元のスカイツリーに上ったことを思い出してしまいますが、
日本人は、少しでも早く、効率的に多くの人が昇れるように工夫しますが、ここでは一切なし。
ただひたすら順番が来るのを待つばかりです。

効率一辺倒も味気ないですが、待つ身になると、どっちが客の立場に立っているかと考えると、、、やはり日本に軍配が上がる気がします。
以前、郵便局での順番待ちで、「こんな風に並ばせておくなんて、恥ずかしいと思わないのか!」と叫んでいたムッシューのことも思い出します。そう、フランス人が、「恥」という言葉を使ったのですよ。びっくりしましたね~。


最後に、もう一度全景を載せてみます。
こちらは良く絵葉書になる構造ですね。
イエナ橋、セーヌ、そしてエッフェル塔と、やはり美しいです。

かなり待たされることになったとしても、上からの眺めは最高、それで皆、よしとするのでしょう。
途中階には、絶景が眺められるレストランがあるそうです。いつか行こうと思います。

今回は大好きなエッフェル塔特集でした。


追記: 現在、テロの影響で、人が少なくなっていて、ほとんど並ばないで済んでいるという情報もあります。とにかくこの日、並びに行ったわけではないので、正確な情報は持ち合わせていません。すみません。 フランス当局では、こうした観光地や人が多く集まる場所に行くときには、充分に注意するように、 勧告しています。





 

2016年10月3日月曜日

ギメ美術館 Le Musée Guimet


連続の更新ですが、昨日も外出をしたので載せてみます。

さて、写真にあるのはギメ美術館。
この日は月の第一日曜日ということで、パリ市内の美術館は、全て入場無料となる日に当たっていたため、この美術館を選びました。
日本の浮世絵が展示されている期間でした。


ギメ美術館は、東洋の美術品のみを扱う美術館として名高く、ここに来ると、古代ギリシャから連綿と続いてきた芸術や宗教の流れが、各部屋ごとに展示されており、特に仏教の源泉、アジアへと流入されていく間の変遷が、よく分かるようになっています。
仏教は、中国が源泉ではなく、インドであることは知っていましたが、世界で一番古い仏像は、ガンダーラ(現在のアフガニスタンやパキスタンの辺り)にあったことを発見した時は衝撃でした。その仏像が、西洋人的な彫りの深い顔、たとえばアポロンの顔をしているのです。文明でいうと古代ギリシャであって、ここからアジアへと広まって行くうちに、アジア的な顔になっていったということです。
世界は繋がっているな~、と、その壮大な時空間を思い、しばしうっとりとなってしまいました。

右下の写真は、北斎を中心とした浮世絵が展示されている部屋で、部屋の奥には春画もありました。
笑ってしまったのは、18歳以下、立ち入り禁止の札があったことで、入る前は「そんなに?」と思っていましたが、なるほど、結構あからさまな作品が多くありました。
夫と二人して、「こんな春画をたくさん展示する意味がどこにあるんだろう?」と首を傾げることしきり。
「日本人のこと誤解するよね」と夫。「え~、もう既に誤解されまくってるでしょ」と私。

この春画を含めた浮世絵展は、「Miroir du désir」(欲望の鏡)と名づけられていて、その命名に、感心しました。

もともと、浮世絵という版画自体、日本では(当時は)高い文化とは違うものとしての扱いだったのが、西洋人がその魅力を発掘した、ということで、そういう意味では春画も興味深いのかもしれません。日本で珍重されていた墨絵による風景画は、西洋では受けなかったということです。西洋では、人物画に比べて風景画は価値が下がるのだとか。
国によって、芸術作品の価値も違うのだ、という事を改めて感じました。

私個人としては、葛飾北斎が同じ墨田区、両国あたりの生まれということで、親しみがあります。
両国駅には江戸東京博物館という、やはり江戸文化を中心とした博物館がありますが、その建物から真っすぐに伸びている大通りは、今では「北斎通り」と名づけられ、道も、私が小学生のころとは打って変わり、きれいに整備され、立派な通りとなっています。40年近く前には、あの通りは歩道と車道の区別すらない、しかし車の往来の激しい、危ない通りでした。亀沢に住む同級生と一緒に、ランドセルをしょって手を繋いで歩いて学校に通いましたが、車が危なくてよく後ろを振り向いたものです。
近々、「北斎美術館」なるものもできるそうで、今夏、建築中の様子を兄と見に行きました。
左の写真にある芸者は、両国で人気の女性だったらしいのですが、この絵をじっと眺めているムッシューがいて、うん、こういうスタイルなら西洋人にも受けるよね、と思いました。

 
右の写真は美しい櫛の展示です。
父は生前、よく「一髪」と言っていました。つまり、女性の美しさは髪の毛から、ということで、入院がちだった母の代わりに、よく私の髪を梳いてくれていました。
なので今でも猪の毛のブラシで髪の毛をブラッシングするのが習慣となっています。


こちらは館内にある図書館。といっても貸し出しをしている訳ではなく、美術品の一部としての展示のようです。
図書館という場所も、また魅力のある空間ですね。この本が整然と並んでいる様子や、古い本の匂い、そして独特の静寂などが好きで、子供の頃からどこの図書館でも行くのが好きでした。

とにかく、このギメ美術館に来たのは、何年ぶりか、というぐらいなので、特別展以外は変わっていない展示品に、懐かしさを感じました。

ここは、メトロでいうと、イエナ( Iéna ) にあたり、9番線です。なのでうちから1本で行けるわけですが、パリの東から西(中央)に行く感じになるので30分近くは乗るでしょうか。(直線距離にするとたいしたことはないのですが)

夫は、「16区だぜ~!」などと、肩で風を切って歩いていましたが、私はあの美しい街並みが大好きです。 日本人がよくここに住んでいるのは、日本の企業から派遣されている人たちだからで、今では大分、人数が減ったようです。普通の日本人が自力でここに住むのはちょっと無理があると思います。高級なアパルトマン、もちろんお金を出せば手に入りますが、そこを維持し続けるのは、至難の業です。外観はとても素敵でも、住むためのメンテナンスは、日本人にとっては想像を絶するもので、よく日本のテレビで「シャトーを買った日本人」などともてはやしますが、当のご本人は、相当の苦労をしていると思われます。シャトーに限らず、16区辺りのアパルトマンは、歴史的な建造物としての扱いになるので、その外観の維持を始めとして、常に良い状態に保つ「責任」と「義務」があるのです。そこら辺の認識の甘い日本人が、下手に手を出すと、数年で手放さざるを得ない状況に追い込まれます。

実際、見ると住むとでは大違いで、
外観は素晴らしいけど住みにくい(いつもどこか故障している)、スーパーは遠いし、魚を焼こうものなら匂いですぐ苦情がくる、とは実際に住んでいたことのあるマダムです。

こんな話を聞いて、溜飲を下げるしかないんでしょうね。それに16区とひとくくりに言っても、大きいですから庶民的な地区もあるということですし。

美術館紹介のつもりが、とんだ話に展開してしまいました。すみません。。






 









2016年10月2日日曜日

不思議な天候  Temps mystérieux


パリは、涼しかったり暑かったりを、一日の中で繰り返すような、不思議な天候が続いていますが、さすがに10月に入り、朝晩の冷え込みは秋本番となっています。

今回パリに戻ってから、週末に森に出かけるようになって、森の入り口にあるカフェで朝食をとることが多くなりました。こちらは昨日注文したもの。夫とそれぞれ、クロワッサン1つとカフェオレ(フランス語では Café crème という場合が多いですね)を注文して12,50ユーロ。クロワッサンはパン屋で買うより高く、1つ2ユーロ、カフェオレは1杯4ユーロぐらい。
早朝とはいえない時間帯。でも店内は常連客で賑わっていました。


今回は、ちょっと趣向を変えて(と言っても今まで何度もしていますが)
料理特集にします。

こちらは自宅での様子ですが、
肉は豚の肩ロース。骨付きのせいもありますが、たっぷり150グラムはあります。
日本のロース肉より、やや厚めだと思います。
これを鉄のフライパンを熱々にして、一気に焼き上げます。これは夫の役割。私はまだ、鉄のフライパンが恐くて使いこなせていません。
でも、使いこなせると、これほど美味しく焼ける道具はありません。テフロンはもちろん、ステンレスでさえ、この、外側はこんがりと香ばしく、そして内側は柔らかくてジューシーなまま、という訳には行きません。そして味付けは、ゲランドのあら塩と粒こしょうで充分。
因みにこの肉は安売りで、1切れおよそ1ユーロ。安い肉も、鉄で焼けば、極上の味になります。
付け合せのサラダ、ワカメは、乾燥したものを戻したもので、パリでもアジアの食品店で手に入ります。

こちらも自宅の食卓です。この日はジンジャーパスタ。生姜たっぷりのパスタです。たっぷりのオリーブオイル(大さじ3杯ぐらい)に、生姜を100グラムすり下ろし、そしてニンニク3かけを包丁で潰してフライパンに入れ、弱火で炒めます。香りが出たら1分ほどで唐辛子の酢漬けを千切りにしたのを2本さっと入れ、塩コショウして火を止めます。そこに茹で立てのパスタを一気に入れますが、その時カップ3分の1強の茹で汁も加えます。因みに私たち夫婦がパスタを1皿の料理として食べる場合( Plat unique)、2人で300グラム使います。

生姜をたっぷり使うのがコツですが、あまり濃い味付けや、辛いのがお好みでない場合は適宜、調節してみてください。これから寒い冬を迎えますから、生姜パスタで体を温めましょう!


恩師に、マロニエの実をはじめて見た、と言われたので、再度、新たに拾ったものを含めて撮ってみました。確かに、日本ではあまり見ないと思われます。北海道辺りでは良く見られるのかもしれません。
面白いのは、時間が経つと、小さくしぼんでしまうこと。水分が飛んでしまうのでしょうが、ちょっと悲しいですね。新しいのは、大きくつやつやとしています。
松ぼっくりも拾いました。これを見ると、どうしてもクリスマスを思います。

秋晴れの空の下、
目の前の公園では、学校が引けた後に遊んでいる子供たちの歓声で一杯になります。
部屋の中で,、そうした本当に無邪気な声、楽しげな笑い声を聞いていると、こちらまで気分が高揚してきます。
時々、エレベーターで、子供連れの親子に出くわしますが、その幼児たちの愛らしいこと。
大抵は、私や夫を興味深く、熱心に見ますし、親御さんは、そんな子供を見て「ほら、きちんと挨拶しなさい!」と叱ったり、諭したりします。小さい頃からきちんと挨拶をするように育てる重要性を思います。


森で見つけた動物、第二弾。                                                             前回はワニでしたが、今回はフクロウを見つけました!良く見ると、逆さに立った両足の、つま先の部分、塔になっています。動く塔ですね。その胴体の下、木でいうと株もとの近くにフクロウが!近くを通りがかったカップルが、「Oh ! Chouette ! 」と叫びました。これ、実はフランス流だじゃれ。Chouette というのは、フクロウという意味のほかに、「素敵」とか「かっこいい」などの意味もあるのです。こう言われて笑えるのが、フランス通か否かの分かれ目。もちろん私は笑いましたよ~。な~んてね。


東京の下町で育った私は、
自然といえば隅田川流域。
だから水を見るのが大好きだし、あまり縁のなかった緑も大好きです。
大自然を感じることのできる森は、本当に大好きです。