2014年9月29日月曜日

芸術の秋


六本木の国立新美術館に行って来ました。
実はわたしはこの美術館に行くのは初めてでしたが、義兄の作品が出品されているということで、友人と見に行くことにしたのです。

 
 
意図的に作品の一部しか撮っていませんので、誰のなんという名の作品かは
あえて書かないでおきます。
素材もテーマも人それぞれ。見ている者を楽しませてくれました。

右が義兄の彫刻作品です。
題は「ヒコーキ雲」。
確かに地面からたくさんの煙を吐きながら
天空へと向けて飛んで行く飛行機の様子がつくられています。
「ヒコーキ雲」という題名からもわかるように、
雲の部分を強調したかったのでしょう。
夫に見せたら、「雲の部分が人体のようだね」と言っていました。

私は友人に、「この飛行機、フランスのパリに向けて飛び立っているのかなぁ」と感想を言ったらその通りだと楽しく同意してくれました。

芸術の好きな友人と美術館をめぐるのは楽しいひと時でした。

この義兄の作品が出品されている展覧会の他に、「オルセー美術館展」、「チューリッヒ美術館展」も同時開催していました。夕方からの鑑賞は、人がわりとすくなくて、ラッキーでした。


その2つの美術館展は、あいにく写真撮影が禁止されていたので写真はありません。
ですが、どちらかというと、現代美術を取り揃えていたチューリッヒの方が、見ごたえがあったように感じました。
とはいえ、お土産に、マネの笛吹少年のポスターを買いました。




ブログの締めといいますか、最後に食べ物の写真を載せないと気が済まないのは、やはり食欲の秋だからでしょうか。
美術をたっぷり鑑賞した後は、和食を楽しみました。友人は、ご主人に連絡して、許可を受けた上での夕食でしたが、わたしは独り身の気楽さ(?!)、誰にも気兼ねなく夜を楽しめる自分に、まだ何か馴染めない感じでしたが、それも時期慣れるでしょう。もちろん、愛猫は家で首を長くして待っていましたが(*^_^*)。

ここのお店、新鮮な魚の粕漬けで有名なんですが、何か、1品1品が、少し物足りない味付けでした。友人の手前、言うのを控えていましたが、デザートのところてん用のしょう油酢をかけてみたら、あまりに味が薄いんで、2人で口に出して言い合いました。友人も同じように感じていたことにホッとしましたが、そうしてみると、売りの魚の味付けにしても薄すぎるし、逆に赤だしの味噌汁はなんか変にしょっぱかった感じがします。煮物も味がぼけていました。。唯一、文句なく美味しいと感じたのが漬物の1品。一体どうしたんでしょう?名店の名がこれでは泣く感じがしました。
それでも何も残さず平らげましたが。

その後も場所を変えてカフェでおしゃべりを楽しみました。
そろそろ日が暮れるのも早くなり、秋の夜長、という風情になってきました。
とっぷりと日が暮れた中に、光輝いていた国立新美術館の写真を最後に載せます。



どうやったら美しく撮れるかと悪戦苦闘をした写真でしたが、
ふと美術館の反対側の空には美しい三日月が。
これはどうやっても綺麗に撮れませんでした。残念です。

背後には盛んに泣いている虫の声。
六本木という東京のど真ん中で秋を感じた夕べでした。







 

2014年9月23日火曜日

行楽弁当


秋の行楽シーズンとなりました。
写真は前回の向島百花園のものですが、もうススキがこんな風に見ごろとなっていました。


 


ピンクというか、薄紫の花虎の尾も、よく咲いていました。
前回の投稿で書きましたように、
こんな風に、木の札に、墨汁で、しかも平仮名で花の名が書かれています。

花に誘われて、色々な虫も飛び交っていました。
ここには確か、ハチがぶんぶん飛んだり、花の蜜を吸ったりしていました。


やはり前回ご紹介できなかった、小さな池も載せてみます。

この写真だとわかりづらいですが、
池の縁に沿って、上の写真のようなススキが植わっています。
ススキを見ると、秋の深まりを感じますね。




その池の縁には、こんな風に道が続いていました。
「私の道も、こんな風に続いているといいなぁ」なんて、密かに思ってしまいました。。

な~んて洒落たことを言っておきながら、
お待たせいたしました。

とはいえ、日本の方には珍しくもなんともないんですが、
海外に長く済む日本人には懐かしい、この行楽弁当です。
なんということはない、デパ地下で買った広告の品なんですが、先日友人宅にお邪魔する際に、持って行ったら大喜びされました。なんだ、日本でもあんまり頻繁なものでもないのか、と驚きましたが、弁当を買うこと自体が、あまりないのかもしれません。

弁当といえば、今、フランスでも大流行だそうですね。
今年の春、日本のテレビで見たんですが、フランス人の昼食が、アメリカ並みに短くなってきたことで、この短時間で素早く食べられて、しかも栄養バランスの良い弁当が大人気とか。そこで取り上げられていた十字屋さんのお弁当、シャネルなどのトップブランド店の店員が宅配で弁当を届けさせて食べていると知った時は、「おしゃれ~」と思ってしまいました。
若者たちが、手作り弁当を作っている姿にも感動。見た目の美しさ、楽しさもポイントで、日本人の感覚からは生まれてこないような食材のものもありました。


こちらは生粋の日本の行楽弁当。
美味しそうでしょ?

税込で1,350円。安くはないけど、このボリュームと色とりどりの食材、美味しさを考えると、決して高くはないと感じました。

手前の紅葉したもみじ、
向うの松茸飯と銀杏が贅沢な弁当でした。

食後は、しっかり、甘いもの。
柴又の寅さんの団子やさんのおはぎ。
母が毎年嬉々として作っていたのを思い出しながら、おはぎをいただきました。

日本は今日はお彼岸ですね。
なんやかんやで、墓参りをしそびれていますが、翻訳の仕事がひと段落したら行こうと思います。
明日になるかなぁ?

人間、自由の身になると、義務を忘れて自分のしたいことを優先させるのだろうか、と反省しています。でも、、、それが幸せの道の1つかもしれません。本当に自分のしたいこと。それを極めていくことが、幸せなのでは?と思うこの頃です。。 (いえ、決して墓参りより翻訳の方が好き、と言っている訳ではないのですが、、、家の仏壇の世話は毎日数回しています。)

日が暮れるのが早くなってきました。
明るいうちに、外での用事、済ませたいと思っています。。


2014年9月19日金曜日

秋の庭によせて



この写真を見て、とくに「萩のトンネル」を見て、どこの庭園かわかった人は、庭園の通と言えましょう。
ここは、実家から、車で10分ぐらいのところにある、向島百花園です。
今の季節、こうして数十メートルに及ぶ萩のトンネルが、待ちに待った見ごろを迎えます。
うちから行くと、北に位置している向島ですが、隣の東向島といえば、昔は粋な芸者のいる街として栄えたものです。今でも街並みに、その雰囲気が残っています。

 





この庭園は、江戸時代、1805年頃、さる粋人が、当時の文人墨客の協力を得て梅をたくさん植えたことから始まったとされています。それ以降、万葉集や詩経に出てくるような植物を次々と植え、四季花の絶えることのない花園として、江戸市民の嗜好に合って、江戸から明治にかけて栄えました。明治以後、度々の洪水で園は荒廃しましたが、昭和14年東京市営の名勝として公開されました。昭和53年には、名勝および史跡に指定されています。



ブルーの花虎の尾でしょうか。この庭園では、花の名前は、洋花でも、日本名を付けています。そして、木の札に墨で美しく書かれています。

毎年8月下旬には、まつむし、すずむし、きりぎりす等を園内に放って、自然を楽しむ会(虫開きの会)を行っているそうです。 


今年は中秋の名月が8日でしたが、それを中心とした3日間、月見の会が開かれたそうです。

園の面積はおよそ1万1千平米。それほど広くはない庭園ですが、1人で散策して楽しむには十分な広さがあります。わりと大きな池もあり、そばに建てられた東屋で、1人物思いにふけることも楽しみの1つですね。

読書の秋、食欲の秋、運動の秋、と色々な楽しみのできる季節となりました。
今年は本当に残暑がなく、秋に突入しましたね。
もっとも、この季節に日本にいるのはやはり10年ぶり。貴重なこの時を、存分に楽しみたいと思います。




2014年9月14日日曜日

秋晴れによせて


このところの朝晩は、めっきり涼しくなって、残暑予報もどこへやら、
日中もさわやかな秋晴れが続いています。
日の光が、真夏と違って和らいで感じるのは、気温が下がったせいでしょうか。

写真は、最寄りの駅前の街路樹、銀杏並木です。
まだ全くと言っていいほど、色づいていない様子で、秋らしい日差しを受けて輝いていました。

考えてみたら、この時期の日本にいるのは、10年ぶりです。
結婚して10年、年に一度は帰国して、ある時は真夏から9月の初旬まで滞在することもありましたが、9月も半ばごろまではさすがにいませんでした。フランスは、9月が新学期、新年度になりますから、それに合わせて帰国していました。

昨日は秋祭り。
数日前から電線に吊られている提灯が、夜になると色とりどりの光を放っていましたが、
昨日がちょうど氏神様の鎮守の日で、日が暮れるころまでお神輿が出ていました。
子供たちは昼間、お母さんやお父さんと一緒に山車を引っ張って、町内を巡り歩きました。


あいにくお祭りの写真は撮れませんでした。というのも、お祭り、ダメなんです。
ダメ、というのは好きじゃない、という意味ではなくて、むしろ、好きすぎてダメ。
母が他界した後は、あの祭り囃子を耳にしているだけで号泣していました。亡母は、お祭りが大好きだったんです。生まれも本郷・湯島なので、小さいころからお祭りに馴染んできた人でした。

あの祭り囃子。
お化けのQちゃんとか、新しくも懐かしい曲もありますし、昨日なんかAKBのフォーチュンクッキーが流れていて思わず笑いましたが、本来の囃子の音色は、郷愁を誘いますね。
生まれも育ちもこの東京・下町で、故郷といえばここだけなのですが、何か、はるか遠いふるさとを懐かしむような気持ちになります。(もちろん、それはパリではありません。日本国内の、山や森林に囲まれたような、美しいふるさとです。)

写真は、旧震災記念堂公園です。「旧」というのは、以前その名称だったんですが、今は、横網公園と変わっています。震災記念堂で良かったのに、その方が歴史的にも貴重だったと思うのですが。
ここは、毎年9月1日の関東大震災の日に、夜通し縁日のでる公園で、この土地の下には、震災で焼け死んだ数万ともいえる数の方の遺骨が埋まっています。私が子供の頃は、公園中央にあるお堂が、この日だけ開けられて、入ることが許されていました。そこには、天井近くに、大きな絵が、お堂をぐるりと囲むようにして飾られており、その絵には、幾種類もの阿鼻叫喚、死体の山が描かれていました。子供ながらに、ものすごく怖くて、上の兄となんかと思わず手を握ってしまったものです。
今は、東京大空襲の記念館も、園内に併設されてしまい、それもあって、横網(ここは横網町という町名です)になったのでしょう。
ここを以前訪れた夫曰く、「地震という自然災害で亡くなった人と、空襲という戦争で亡くなった人とを一緒にするのはどうなのかな?」と言ってましたが、そうですね~。なんともコメントに困りますが。とにかくここは、何度も痛めつけられた土地なので、今じゃ、とても綺麗に整備されています。京都の碁盤の目のように、とまでは行かなくても、それに近いほど、道路が分かりやすくなっています。

この大震災、その1週間後に私の父は生まれたので、「震災っ子」と呼ばれたそうですが、大きくなったお腹を抱えて逃げ惑った祖母を思うと、その気性の強さに思わず頭が下がります。祖母が無事だったからこそ、父が生まれ、私が生まれた訳ですから。。
その父も、去年亡くなりましたが、今年生きていれば91才。その間、大地震が起きなかったことになります。この近所では、よく「70年に一度は大地震が起こるぞ」と言われていたんですが、大外れでしたね。でもその代わりといっては何ですが、東日本で起こってしまったのかもしれません。


この池では、子供の頃よく遊びました。兄や近所の子たちとアメンボをを眺めたり、オタマジャクシを捕まえたり。都会っ子とはいえ、子供らしい遊びを、兄たちと沢山した覚えがあります。

ところでこの震災記念堂をこのブログでご紹介するのは実は二度目なのですが、一度目に夫から注意されて、書くべきことを書かなかった、ということだったので、ここで触れたいと思います。それは、この関東大震災のあった時、近隣の在日の人たちが、あらぬ疑いをかけられて、ものすごい仕打ちを受けた、ということなのです。当時は、今よりもひどい偏見がありましたから、その仕打ちも拷問に等しかったそうです。具体的に聞いたのですが、あまりにひどかったせいか、失念してしまいました。申し訳ありません。あまりに酷いことが起きると、人間、忘れるようにできているのかもしれません、生きぬいていくための方便として。

よく、「日本だけじゃない」、「日本だけが悪いんじゃない」、「日本だけがやったことではない」という、いわば開き直りの言葉が、最近も良く聞かれますが、これは果たして言い訳になるのでしょうか? 逆に言えば、「みんながやってたんだから」ということでやったことになってしまいませんか?「みんながやったんだからしょうがなかったんだ」では、それで亡くなった方々は浮かばれません。
そんな理由で、尊い命が棄てられていいのでしょうか?
やはり、「みんながやろうがどうしようが」、自分たちが犯した罪を、誤魔化してはいけないと思います。やはり、真摯に反省し、謝罪を求め、ゆるしを求めるべきです。
卑近な例を出せばわかりやすいですよね。もちろん、いじめ問題です。「みんながやったから私も」とか、もしかしたら「自分もやらなかったら、自分がやられていた」ということももちろん、あります。人間、弱いですものね。
でもやはり、それでも、被害者の立場に立たないと、と強く思います。「加害者にも救済を」という理屈もあります、もちろん。でも、被害者にしてみれば、どんな理屈も通らない、悲惨な出来事なんです。
一体、自分はどちら側の人間なのか、どちら側の人間でいたいのか、海外に住む日本人として、いつも考えて生きています。



夜のスカイツリーです。
こんな姿を見たら、昔の人はどれだけ驚くでしょうか。90年生きた父も、隔世の感を込めて眺めていたことでしょう。このツリー、なんか昔のソーダ水の瓶のようで、懐かしく、楽しく思われるので載せてみました。

今回は、思わず長文になってしまいました。
最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうございます。
よい週末、連休をお楽しみください。







 

2014年9月9日火曜日

桐たんすの整理をしました。


今日は、日中晴れ間が見えたので、桐たんすの中身を干すのに丁度よいと、重い腰を上げました。

 今回は、亡母が持っていたもの、主にバッグをご紹介します。

バッグといってもご覧の通り、
今流行のクラッチバッグ、あるいはパーティバッグといわれる類のものです。
これらを見ると、「流行ってやっぱりめぐって来るんだなぁ」と思わざるを得ません。

この2つは、今でも十分通用するパーティバッグではないかと思います。



こちらはビーズのモチーフが素敵なのですが、
残念なことにあちこち変色していて、とても使えません。
ビーズが変色しているのか、地の生地が変色しているのか。。。どなたか修理の仕方、ご存じないですか?


今回は、以前の着物と同様、記録的な意味を込めて、写真を大きめにたくさん載せます。
すべてをパリに持っていくことが叶わないこともあります。

これは明らかに着物用のハンドバックですね。
色合いが美しいです。
真ん中のえんじ色と同じ色の道行きがパリにあるので、これはパリに持って行こうかな。


こうして見ていくと、母も結構おしゃれだったことが分かります。
昭和8年生まれの母は、3人の子育てに生きがいを感じていた普通の主婦でしたが、
とくにバッグにこだわりがあったようです。
ブランドのものこそありませんが、趣味が良かったなぁと思います。
このクラッチ、洋服にも合いそうじゃありませんか?

それとこの時代に流行ったのがこちら。


そう、コサージュです。
今では誰もやっていないタイプの、元祖(こんな言い方していいのか知りませんが)コサージュ。コサージュの大堂です。

今でも、結婚式や、子供の入学式・卒業式、謝恩会などで、
皆さんしているんでしょうか?
このところ、ハレの場にとんと縁がないのでわかりません。
どなたか事情通の方、お教えください。

でもコサージュといえば、シャネルのカメリアを思い出しますね。
その偽物を、黒いフエルト帽につけて、真冬のパリをついこの間まで歩いていましたが。。
そもそも、パリでは、誰もクラシックな帽子ってかぶりませんね。昔の貴族の名残で、階級を意識させるからでしょうか? あまりにもエレガントな格好って、パリじゃもう、受けませんものね。

今回は大好きなおしゃれ談義でした。

2014年9月7日日曜日

巨大蛙出現!


まさか自分が、猫以外の生き物をブログに載せることになろうとは思いませんでした。
かなり躊躇しましたが(*^_^*)、思い切って載せます!

今朝、いつものように朝の行事と称して神棚、仏壇、お地蔵様に、お茶とお線香をあげて回っていたのですが、お地蔵様の前に来て体が固まりました。「何これ!!」 最初は写真にあるようなポーズではなく、ペタッと座った姿勢でしたので、「もしかして誰かが置いて行った置物かな~」と考えたのですが、次の瞬間にぴくっと動いたので、思わず叫び声となりました。

さっそく福島にいる兄に電話すると、
「オタマジャクシから育ったんだね。隅田公園に持って行ってあげてよ」と言われました。
とんでもない!! 誰がこんな大きな蛙、手で持てますか?!!


写真だとよく分からないのですが、実物はとても大きいのです。

どなたか、この蛙の種類、お分かりになりますか? 
(これ以上、大きく載せる勇気はありません(*^_^*))。
 
でも、季節外れの大雨の朝に、こんな風に現れてくれた蛙君。
これからも元気でいてね、と願いました。

 

2014年9月4日木曜日

晩夏  Fin d'été


このところすっかり秋めいて、とくに朝晩は涼しくなりましたね。
夏の間は、階下の居間で寝ていたのですが、今は自分の部屋の布団の上で寝ています。
掛け布団も、タオルケットに加えて、軽いのを足して寝ています。でも長年のパリ生活で、どちらかというと寒さに強くなっている身にとっては、この思いがけない涼しさに、体が喜んでいるのを感じます。まぁ日本にいる方にとっても、それは同じだと思いますが。

写真は、ご近所の玄関先です。このお宅は、近所でも有名なお花好きのお家として通っています。
この家の周囲はいつもお花で一杯。どんなに暑くても、どんなに寒くても、何かしらの花が咲いているように育てています。通りがかるたびに、ため息が出ます。

今年は、夏の花として、このダリアをあちこちで見かけました。育てる花にも流行があるのでしょうか。わたしがガーデニングに凝っていた頃は、自分がバラを中心としたイングリッシュガーデンをつくることに夢中になっていたので、花の流行などには興味がありませんでした。
でもその季節々に、定番というのはありますね。
夏ならひまわり、朝顔、とか。ペチュニアやサフィニアといった、育種会社の改良、開発によって、こぼれるように大量に咲く花も大人気ですね。
とにかく花好きにとっては、季節ごとに違った花を育てる醍醐味を味わいたいものです。


こちらは別のお宅のダリア。もう花も終わりを告げています。
久しぶりに朝日が輝いた早朝、散歩した時に撮りました。
大量の日の光に照らされた花を撮る難しさを改めて感じました。
でも、何となく、トップの写真と違うのがお分かりになるでしょうか。

日本は、朝が早くていいですよね!
どの季節も、晴れていれば、早い時間から朝日が輝くのですから。。
「日出る国」とは、本当に良く言ったものです。

よく日本で売られている本には、「朝日と共に目覚めると体に良い」という類のことが書かれていますが、これはもう、日本だからこその表現だな~、と思います。パリに住んでいると、そんな贅沢なことは、少なくとも1年を通してかなり限定されるからです。
特に真冬のパリで、いつ明けるとも知れない朝を待つのは、慣れたとはいえ、結構辛いものです。ひどい時は、朝の9時でも真っ暗、という事態ですから。。
これをもってしても、日本で暮らすことの豊かさ、幸せを思います。
そんなことに思いを巡らしながらの、朝の気持ちの良い散歩でした。

このまま、秋に突入して欲しいなぁ、と思いますが、甘い考えでしょうか?