2019年7月24日水曜日

友の死  Le décès de M.Tetsuhiko ESAKI

早生(わせ)のぶどう raisins précoces

   また一人、親しかった友が亡くなりました。享年76歳、多くの病を抱えての闘病生活の末に、急激の体調悪化により亡くなったそうです。

 彼は、長年パリ日本人カトリックセンターの一員として、様々な形で関わりを保ってくださっていました。途中、紆余曲折がありましたが、10年以上の長きにわたり、ご奉仕くださいました。
 初めて彼がカトリックセンターにいらした時、まだセンターは rue de Babylon のパリ外国宣教会の敷地内にありました。友人と連れ立って颯爽と現れた彼は、その独特の魅力ある声と話し方で、私は思わず振り返ったのを覚えています。

 とても魅力のある方でした。生涯を通して、何事にも寄らず、紳士な方でした。

 
 今はただ、病気による苦しみの多かった晩年からやっと解放されて、神様の御許で安らかに憩いでいることでしょう。

 私は情けないことに未だ日本にいてリハビリ、療養中のため、葬儀と埋葬式に参加できず、残念でなりません。その日時には、自分の診察を受ける日に当たっていますが、心を合わせて祈りたいと思います。

 江崎さん !  お疲れ様でした ! そして本当にありがとうございました !



 
 

2019年7月15日月曜日

海の日に La journée de la mer

家の近所の白い百合 Le lys blanc près de chez moi

梅雨真っ盛りの海の日。なかなか梅雨は明けませんね。久しぶりに日本の梅雨を満喫しています。

そんな中、一人で近所の浅草に出かけました。
今や、浅草は世界の浅草になりつつあると言っても過言ではないぐらい、海外からの観光客で賑わっています。土地柄、気取りというものとは程遠い、気楽で雑多な雰囲気も加味されて、東京でも人気のスポットですね。地元人でなくても、人が多いことが苦にならなければ、いたって居心地の良いところです。

そんな中をぶらぶら歩いていて思うのは、浅草は、日本人が、東京で最も日本人らしくいられる土地なのではないかな、ということです。下町の人情や江戸文化で発展した「粋」などは、日本人に本来そなわっているもので、その名残のある浅草に来ると、皆、解放されたように感じるのでは ? と。

ブルーが美しい桔梗 la belle blue, campanule

肩の力を抜いて、お気楽に歩ける町、それが浅草の魅力ですね。

翻って自分を振り返ると、そんな街並みから一転してパリに住み始めた当時の自分は、かなり肩に力が入っていたなぁ、と思うのです。
どこの国に行っても短パンにTシャツにビーサンのようなアメリカ人を真似てみようか、とは思いませんが、浅草を歩いているようにパリの街中を歩けたら... どんなに楽だろう... と、一人感慨に耽っていました。

赤い百合の花言葉は、「虚栄心」だそうです... language des fleurs du lys rouge; la vanité

どんな国、どんな土地柄でも自分らしく生きられる道はあるのではないか、とも思います。

最近、浅草寺の裏の、昔「山谷」と言われた地区のことを考えています。キリスト教徒としても「蟻の町のマリア」で有名な土地ですが、自分に何かできないか、と。

一方で、そんな力みもどこ吹く風、海外からの観光客のための安宿が増えたために、ディパックをかついだ外国人たちが多く闊歩しているとか。
そんな人々の風情を、フランス語では nonchalant(e) とか、sans-souci などと言いますが、そういったのんきさや拘りのなさも、浅草には似つかわしいですね。

梅雨明けの待ち遠しい、浅草散歩でした。




2019年7月3日水曜日

地元に住むということ Vivre en terre natale

近所の花 プルンパゴ
リハビリのために、一時帰国のはずがいつの間にか半年を過ぎてしまいました。
 今回の更新では、
 生まれ育った土地と全く同じ土地に住むということのメリットとデメリットを考えてみました。

 メリットは、ここでも散々書いてきているように、下町の人情が至るところで味わえる、ということでしょうか。都心の下町ということで、町の風情は大きく変わってきており、表通りに面した建物は高層になりつつありますが、代々その土地に住み続けている人同士の交流は生きています。町内会も、活発とはいえないまでもきちんと機能しています。

 外を歩いていて、近所の人と挨拶ができるのは、本当に嬉しいものです。そこには子供の頃の思い出を思い起こさせてくれる懐かしさがあります。

昔、実家でも育てていたアガパンサス
さて、デメリットですが、こちらの方が皆様の関心が高いのでは ? と想像しますが、書き出すと止まらなくなりそうなので、ごく控えめに書きたいと思います。

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の通り、過去の自分を知っている人たちに囲まれているというのは、安心でもあり、窮屈でもあります。特に私の場合は、聖書にある「放蕩息子」ならぬ放蕩娘だったので、後ろめたさは常につきまといます。
夫からは、「普通に幸せそうに暮らしていれば、皆、過去のことなんか忘れるもんだよ。でも同じ過ちを犯したら、過去の過ちのこともすぐに思い出してしまうだろうね」、と言われています。
  確かにそうだろうな、と思いますし、そうした手応えを感じることがあります。

珍しいブルーローズ
翻って、過去の私は、否、現在も、気軽に引っ越しをしている人が羨ましくてなりません。どんな理由でも良いのです、数年住んだら別の土地へ移動する。
 私の場合は、東京に家があるということで引っ越しをしなくて済んだ、といえば聞こえは良いのですが、19才で母親が他界してからは、本当に別の土地に暮らしたかった。母の思い出に、窒息しそうになるぐらい、苦しんだからです。
 37才で結婚してパリに住むようになるまで、それこそ一所懸命、そう、どんなに辛くても同じ地に住み続けました。そういう意味では、石の上にも三年といったものに通じる信念というか執念 ? といったものが鍛えられたと思っています。

 そういう意味では、過去の私に何も引けを取ることはないのかもしれません。
 フランス語で、culpabilité (これはフランス人ぽい概念ですので訳すのが難しいですが、直訳は「罪意識」、意訳としては「気まずさ」よりも強い意味があります。キリスト教国らしい概念です)このキュルパビリテ、人間としては厄介なものですが、これがない人というのは、むしろ面白みのない、平板な人と言えるのではないでしょうか ?

梅ジュース
  昨日、父を思い出して梅ジュースを作りました。梅酒ではないので、1か月したら飲めるそうですが、作った後にさて、どこに置いておこうか、悩みました。冷暗所がこのマンションの部屋には見当たらない ? !

 とにかくデメリット、恥ずかしい思いを抱えながらそれを手懐け、そんなこともあったよね、と笑い飛ばせる、あるいは否定せずに肥やしにして行くのが真の大人と言えるのでしょう。しかし、それを支えてくれるような、人的な環境が必要なことは言うまでもありませんし、昨今の諸々の事件を見ると、そうした環境作りが急務であると言えるでしょう。全てが「自己責任」とする考えには、正直馴染めません。。

 先に挙げた、「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」の続き、ご存知でしょうか。
 「そして悲しくうたふもの」です。
 今や、故郷は私にとって、パリになりつつあるのかもしれません。

  良い午後をお過ごしください。
  Bonne soirée ! !