2015年11月27日金曜日

柿だった!


以前ご紹介して、このブログの背景にも使っているこの木は、なんと、柿でした!
前回のですでに、蜜柑ではなく柿では?とお気づきの方もいたかもしれませんが、どなたからもご指摘がなかったので、今まで訂正してきませんでした。こんな風に、葉っぱが全部散った後に分かるものですね。実も大分落ちたようですが、やはり食べられるのかどうか分かりません。放っておいてあるところを見ると、やはり渋柿なのかもしれません。

ところでご覧の通りの晴天です。
昨日までの冷たい雨や初雪を超えての晴天。朝からまぶしい光が輝いています。
愛猫も、ここぞとばかりにベランダに出ては、朝日を浴びていました。

明日からまた2泊3日で東京に行きます。2週間ぶりです。


話は戻りますが、果樹といえば、
東京の実家で育てていたのは、姫りんごと桃でした。二つともちゃんと実がなりましたが、姫りんごの方は、食べる前に鳥に横取りされることが多かったです。
その他食用のものは、夏に収穫するトマトやきゅうり、ナス、そしてイチゴもよく作りました。まだまだ小さかった甥や姪が来たときに、よく一緒に採ったものです。ハーブもよく種から育てました。
東京の下町の、しかも2階と3階の空きを利用しての空中庭園でしたが、本当に色々なものを父と育てました。懐かしい、でももう、その家もなくなってしまいました。

ここ福島でも、地元のテレビでは、毎日のように被災者の今を放映しているのですが、やはり生まれ育った故郷の家がなくなった喪失感は、経験しないと分からないことだと思います。しかも福島の人たちは、自分の意思でなく、自然災害という理不尽さによって失ったのですから、その悲しみ、怒りの持って行き場がないでしょう。そのことでもまた、二重に苦しんでいると思います。


年末年始を利用して、夫が一時帰国します。
夫は、私の実家がなくなったのを見ていないので、今回一緒に見に行く予定ですが、さぞびっくりするだろうな、と思います。家の解体の様子や、基礎工事の様子など、写真を送って見せてはいるのですが、実際に目の前にするのとでは、雲泥の差があると思うのです。

新しい部屋の内装も、ほぼ決まりました。他の部屋とはちょっと違うものにしたい、という欲があって、まだ本決まりではありませんが、6畳間を畳の部屋にしてもらおうと思っています。今、新築のマンションは、全室洋間が常識のようですが、私はパリで洋式に浸っている分、日本では和風にこだわりたい。畳っていいですよね、ゴロンと横になれるし、布団を片付ければ広く使えるし。洋室なんかより、よっぽど優れていると思いますけど。
それと、パリの友人たちにも、日本に来る時に使ってもらえたら、とも思っています。尚更、和室があると喜ばれると思うのです。

それにしても年々、日本に来る外国人の数が増え続けていますね。人種を問わず増えているそうですが、そうなると、難民の問題も、より身近なこととして捉えられると思うのですが、どうでしょう。今朝のニュースでは、日本では、難民と認定されるまでに審査が3年もかかるということを知って驚きました。そんなに時間がかかるのか~、と。道理で一般的な問題になりづらい訳です。そもそも、通り過ぎて行く旅行者と、滞在して生活をするのとでは、考えられる問題の次元が違いますからね。外国人が日本で生活をする、仕事をする、となるとより、多くの問題が浮上してくるようです。

とにかく、難民の受け入れの問題は、日本にとっては難問と言えるでしょう。


今日は一日晴れの予報です。この晴天を楽しみたいところですが、翻訳の仕事が入りました。
東京に行く前に仕上げるのは無理ですが、出来る所までやってみましょう。

それでは良い一日を!


追伸: 皆さん、小さい頃、柿って食べられましたか?私は全くダメでした。あの、熟すにつれてぬるっとした食感が出てくるのと、なんとも言えない渋みが嫌いでした。でも今じゃ大好物。不思議ですね。そんな、子供の頃苦手でも、大人になってから食べられるようになったもの、数限りなくあります。皆さんはいかがですか?









2015年11月20日金曜日

東京滞在 おもてなしの心


なんやかんやと忙しくしている間に、パリとサン・ドゥニ(パリ郊外の町)でひどい事件が起きてしまいました。パリ市内の連続テロ事件は、パリの家にわりと近かったので、夫から「サイレンの音が聞こえてるよ」といった実景中継をしてもらっていました。
一応、今回に関係した実行犯グループは死亡したり捕らえられているようですが、全員ではないそうですし、同じようなテロを起こす人間の数はそれこそ星の数ほどいると言われている以上、もはや安心できる地は、少なくとも先進国にはないのかもしれません。
犠牲者となった人々のご冥福を祈るばかりです。 



ところで忙しくしている理由の一つに、
定期的に東京に滞在していることがあります。
仕事に復帰している兄の許可をもらって、1泊か、2泊という条件で(猫がいますので)上京を楽しんでいます。

やはり生まれ育った東京に行くと、心からホッとしますね。
地方から来る人にとっては東京のイメージはさまざまでしょうが、
私にとっては正にホームグランド。ふるさとです。

さて、前置きが長くなりましたが、今回は、とても親しくさせていただいている、年上の友人宅に泊めていただいたことを話題にしたいと思います。
彼女の詳細は避けますが、今までにも幾度となくお邪魔しては、手づくりのとても美味しい料理をもてなしていただいています。何回かブログに登場している方のお宅です。
今回もその一つ。上の写真は、朝の風景です。


こちらは前夜、遅くにお邪魔することになったときに、ささっと用意してくださった手料理です。
彼女は、フランスではお惣菜としては定番の、キャロット・ラペ(人参の千切りの酢漬け)を、なんと手で千切りにして作ってくれます。普通はスライサーを使うところなのですが。
こんな風に、ワンプレートにして色々なお惣菜を盛り付けるのは楽しいですね。スープも、かぼちゃを前もって潰して冷凍保存していたのを使ってくれました。


こちらは本格的な夕食。ご覧の通り、純和風のおもてなしに、感謝感激でした。
手料理、というだけでなく、一つ一つの素材の質が、とても良いのです。無農薬の有機野菜とか。
宅配サービスでの注文だそうです。(若い人には少々値が張る食べ物です。)

こころがこもっている、ということでは先日、とても嬉しい体験をしました。

ここ、福島の兄のマンションのお隣さんが、お夕飯時に手作りのシチューを持ってきてくれたのです。「美味しいかどうか分からないけど」と謙遜して渡された入れ物には、出来立てのクリームシチューが湯気を立てていました。私はとても嬉しくて、一人の夕食も、心まで温かくなるような、そんな晩となりました。
翌日にはカボチャの煮っ転がしを持っていきました。

こんな関係を夫に話したら、「小津の映画に出てくるね。『ねぇ、お醤油貸してくれない?』ってさ」と言われました。あの、あっけらかんとした、岡田茉莉子さん、大好きです。あんな、気の置けない関係も良いものですよね。今風に言うと、昭和の香り、というんでしょうか。

兄以外、一人の知人、友人もいない、孤立無援だった私にも、少しずつ温かい縁が結ばれてきました。感謝です。


ところでこちらは一週間前の銀杏です。
真っ黄色に輝く瞬間を写真に収めました。
この日、休暇に来ていた兄を、今仕事で暮らしている先、塙町へと見送りました。

昨日、福島市でちょっとした地震がありました。今朝もちょっと揺れました。
ここ福島では、テロの危険より、自然災害のほうがずっと身近ですね。


2015年11月10日火曜日

夜明け - 自作の詩より



夜明け

 

夜が明けるよ
ほら
山の稜線が
赤く照り始めた

そう
もう夜は明けた
暗く、寒い夜が
ようやく
その重い帳を明け始めた

待った
待って待って
待ち続けた

あんまり待ったんで
何を待ち続けていたのか
わからなくなっていた

そう
私はこの
夜明けを待っていたんだ
この
薄暗い大地の果てで
小さい何かの
生き物のように

やっと明けた
そうだよね
そう思って
いいんだよね
ほら
山の稜線が
赤く照り始めた

2015年11月4日水曜日

秋晴れ そして動物を飼うことについて


確実に気温が下がって、秋の深まりを感じるこの頃ですが、この季節に特有の、素晴らしい青空が続いています。秋晴れ、本当に空の透明感が美しく、空が高く感じます。
福島は、朝の空気はもう、白い息が出るほどの寒さですが、
日が高くなるにつれ、その空気のひんやり感がほんのちょっと緩んでくると、良い匂いが漂います。
やはり周りに山があるせいでしょうか、空気に自然の香りが混じっています。

この蜜柑の木は、7階の窓からも良く見える一本の大木です。
ちょっと葉が枯れかかっていますが、この様な姿になっても実らせておくのは、食べられない蜜柑なのかもしれません。それとも、もっと先になって、自然に落ちるのを待っているのでしょうか。
どっちにしても美味しそうに、たわわに実っています。

蜜柑といえば炬燵!?ですが、
新しく届いた炬燵の生活を楽しんでいます。
やっぱり炬燵っていいですよね~。
猫も最低温度にしておくと、ずっといつまでも中で寝転んでいます。



先日、外でひどい叫び声のようなものが響き渡ったので聞き耳を立てていると、
赤ちゃんの泣き声かと思ったそれは、猫同士の激しい喧嘩の声でした。
もう日がとっぷりと暮れた、寒い夜。
そんな中で猫同士が喧嘩している声を聞いていると、本当に胸が痛みました。
うちのアビはなんて幸せな猫なんだろう、と。
外で叫んでいる猫をもってくる訳にも行かないのだから、せいぜい、うちの猫を可愛がってやろう、という気持ちになりました。

それにしても猫好きですが、
でも前々から思っていたこと。
犬好きの人って、猫のことを嫌いか、蔑んでいないかな、と。まるで犬の方が上等みたいに。

この間テレビで、子供たちが公園の砂場で遊ぶ危険とか、衛生面での問題を取り上げていたときに、「確かに猫の糞がありますからね~」と某アナウンサーがのたまった。
「確かに」、野良猫の糞がある可能性は充分にある。でも、でもですね、犬だって糞するでしょう?
野良犬は、猫に比べて数が少ないし、飼い主が糞を始末しているから、ということも分かりますが、
猫好きの私としては、「犬猫の糞」(この犬が最初、というのも気に食わないが)、と言って欲しかった。
以前、またテレビで、ご自慢の犬を抱いていた主婦が、「猫って臭いでしょ?」とのたまった場面にも出くわした。怒り心頭。「なんで、猫だけが臭いんだ?猫が臭いなら犬も臭いだろ?」と。
それに、少なくともうちの猫は、全く臭くない。かえって良い匂いがするぐらいです。

とにかく、犬を飼っている人は、なんか猫を飼っている人よりプライドが高いと感じるのは、私の僻みでしょうか? 私は別に犬は嫌いではないし、そもそも、あらゆる動物は好きである。でも、犬を飼っている人の様子を見るにつけ、「犬だけは飼わないようにしよう」と思うのです。

長くなって申し訳ないですが、
そもそも犬って、健気すぎませんか?あまりに人間の顔色を見るので、なんか痛々しいというか。
感覚としては、人間とほとんど違わない感情や知能を持っているのではないのでしょうか。
猫もそうですが、一度飼ったら、人間の子供と同様に、本当に大事にしないと、と思います。
いかなる事情があっても、一度買い始めた犬猫は、最後まで面倒を見るべきだ、と思います。
以前やはりテレビで、飼い犬だった犬たちが、捨てられて野生化したのを囚われて吼え続けている姿を見て、本当に胸が痛みました。あんな思いを、いくら訳があったとしてもあんな風にならせてはならない、これは責任と自覚の問題だ、と強く思いました。
動物を飼うなら最後まで看取る、それぐらいの覚悟がなくては、飼う資格はない、と思います。


マンションの階下で咲いていた、見事な黄色の菊。
フランスは今、Toussaints のバカンス中でしょうか。
改めて、この世を旅立った人たちへの思いを強くしました。