2015年8月25日火曜日

またしても日本


オペラ座、好きですね~、なんて声が聞こえてきそうですが。
はい、オペラ街、通称日本人街などと呼ばれますが、ここに来る機会がやはり多いです。
日本料理が食べられるだけでなく、色々な日本の食料品が手に入るからです。それとショッピングにも、とても便利なところです。この裏手にはユニクロ、そして大型デパートのギャラリーラファイエットやプランタンもあります。実際にはこれらの店に足を運ぶことは少ないのですが。

さて、大賑わいのオペラ座の広場前。
実は写真だと分かりづらいですが、オペラ座の前庭で、結婚式が行われていました。黒塗りのハイヤーが横付けになっているのが見えるでしょうか。
オペラ座の目の前で結婚式なんて、どんな目立ちたがり屋だ、と、掻き分けてみると、髪の毛の黒いカップル。もちろん、日本人じゃありません。東洋的な顔立ちじゃなかったです。というところをみると、、、やはりユダヤ人カップルでしょうか。

そばには大道芸人が、二人のために愛の歌を熱唱。階段には大勢の観光客。
人生に一回きりの大ステージ、といったところでしょうか。


さて、件名を見て、不審に思われている方も多いと思うので急ぎます。

実は、ただ今またしても日本に滞在しています。
先週の水曜日に大変なことが起こりました。
二人いるうちの上の兄が、心筋梗塞で突然倒れたのです。 
独身を通している兄のために、急遽、パリを後にしました。

幸い、一命をとりとめ、今現在は、最悪の事態も免れて、かなり落ち着いた容態です。
ブログに書くのはどうか、とかなり迷いましたが、更新していく手前、書かなくてはなりませんでした。
お読みくださっている方の中には、近況報告も兼ねているので書きました。

日本に到着してから毎日のように病院に通う日々ですが、今日は一休み。
主治医の先生からも、「落ち着いてるから大丈夫だよ」と言われ、思い切ってお見舞いを休みました。

兄は、キリスト教徒で、信仰が篤い人です。妹の私からみても驚くばかり。
今回の奇跡は、この信仰のお蔭だろうと思います。
兄は、七転八倒した苦しみのさなかで、こう思ったそうです。
「このまま死んでもしょうがないか。人生、悔いは無い。」と。そして発作がおさまった後は逆に、
「死ぬ気がしなかった」、「聖霊様がついているから」。

私はこれを聞いて、自分がこんな状態に置かれたときに、果たして同じように思えるだろうか?と大いに疑問に思いました。「人生に悔いは無い。」すごい言葉だと思いませんか?常日頃から、そんな風に過ごしているつもりとはいえ、人生これで最期か?という時に、こんな風に思って死ねるだろうか?この頃、毎日のように考えています。。。

長くなりました。
取り急ぎの報告でした。

皆様も、どうぞお大事になさってください。


 

2015年8月19日水曜日

秋の気配 2


今日は、久しぶりに家でのんびり過ごす時間ができたので、ブログを更新することにしました。

前回、パリの秋の気配をご紹介しましたが、
アパルトマンの中庭を囲む生垣も、いつの間にか真っ赤な小さい実を一杯つけています。
この生垣、何の変哲も無いものですが、目隠しや風除けのほかに、四季折々の顔を見せてくれます。

写真は、ナシオン広場の、RERの入り口付近です。RERというのは、郊外へ伸びている列車の路線です。ナシオン広場は、大きな駅の一つなので、こうした郊外列車の乗り入れもできるのです。
ここのマロニエは、特に枯れ初めが早いので写真に収めました。
写真左手にあるキオスクには、シャーリー・エブドの看板が目立つように置かれており、
相変わらずどぎつい表紙で飾られています。日本では、もうほとんど報道されていないし、人々の頭から忘れ去られているようですが、こちらは現実のものとして生きています。あのテロ事件以来、パリの主要な箇所には、機関銃を持った迷彩服の人たちが、2~3人で警備しているのを良く見かけるようになりました。


ところで秋といえばこれ。ブドウですね。
もうスーパーの陳列棚には、様々な種類のブドウが並べられています。
これは raisin italian といって、イタリアのブドウ。
この色合いからすると、日本ではマスカットとして売られているものでしょう。一房、1キロ以上。持つとどっしりとしています。
キロ当たり大体3ユーロ。これだと3,5ユーロでした。
右にあるレトロな紙袋に入れて買い求めます。


そしてまた秋の味覚として欠かせないのがチョコレート。
フランスの場合、日本のような酷暑はほとんどないので、通年食されているものですが、
秋は特に、美味しく感じられます。
この粒の大きい、アーモンドチョコレートは、夫が仕事でスペインに行った際のお土産。空港で買ったものらしいですが、意外な美味しさです。パッケージもやはり愛らしい。


下は、気温が下がってからのバスティーユ広場です。
これでも明度調整をして明るくしたので、実際はもっと暗く、こうした天候が、来年の春まで続きます。でも、まだまだ日中の日差しには、夏の名残が感じられて、楽しい気分になれます。


でもこの涼しさ。
「編み物の季節になったかな?」と思うこの頃です。
またフラワーアレンジメントも復活させたいと思っています。




2015年8月16日日曜日

秋の気配


一昨日の金曜日に、朝から冷たい雨と風が吹いたせいか、それから一気に気温が下がりました。
今朝の気温は14度。いくら外の気温だとはいえ、家の中でも少し肌寒く感じます。
日中も、最高気温が20度をちょっと超える程度だと、予報ではなっています。
昨日もそんな感じで、こちらの人たちはお構いなくTシャツ1枚の人も多くいましたが、私としては羽織り物が必要に感じました。
家を出た後に、よく人々の服装をチェックするのですが、
昨日は、朝のうちは特に、男性の場合、下は半ズボンでも、上にしっかりジャンパーなどの上着を着込んでいました。冷ややかな風に、秋の訪れを感じました。

写真は、6区にあるサン・シュルピス教会です。
ここは、長いこと工事をしていて、美しい全容を中々見られなかったのですが、いつの間にか綺麗に修復されていました。


この教会のすぐそばに、同窓の先輩がアパルトマンをもっていて、そこのお宅にお邪魔しました。
そのお宅に伺う前に、時間がかなりあったので、この教会の中で、しばし静寂の時を一人で過ごしました。

教会を見学する人々も、時節柄観光客がほとんどですが、たまに、頭を垂れて、熱心に祈っている人の姿を見ることは、やはりいつの時も珍しい姿ではありません。
先日も、日本から来た人と、教会巡りをしましたが、信者じゃなくても、教会に入って席に座り、ひと時を沈黙のうちに過ごすということがありました。教会には、そうした力というか、そうさせる何かがあるのだ、と思います。


先輩の家で、楽しい時間を過ごした後に、
日本でも有名になっているラデュレへと繰り出しました。

ここはパリのあちこちにある支店の中でも、特に素敵な場所、ボナパルト通りにある店で、
前を通る度に入りたいと思っていた店でした。
私が注文したのは、バラの花弁とフランボワーズの入った、relisieuse というお菓子。
先輩は、フランボワーズのミルフィーユを注文しました。
お菓子の色合いはもとより、お皿やティーカップの配色の美しさにため息が出ました。



店内はこんな感じで、
アフリカや中近東のような、エキゾチックな装飾です。

たまたま人がいない時に写しましたが、
店内にはおしゃれに着飾った人々で賑わっていました。


 

壁のいたる所にペイントされた、
これまたエキゾチックな、南洋の植物や果物が、
このお店のユニークさを際立たせています。
自分だったら、とても西洋的なケーキやお菓子に合わせて、店内も完全に西洋風にアレンジしてしまうところでしょう。


お店を後にする前に、通りに面した花束を発見しました。
淡いピンクの薔薇とそれより濃いピンクのアリストロメリアの花束は、とても美しく、
お店の中のインテリアとしても、とても調和のとれたものでした。




最後に、この日、先輩宅を訪れる前に行った、
オペラ街にいた猫たちを紹介します。

場所はオペラ座が目の前にある、側面の道。
何度か見かけていたので、今日こそは写真を撮ろうと構えたら、
案の定、写真を撮るなら金払え、ということで、チャリンと籠に入れてから撮りました。
このおじさんが、マニュベルを回しながら音楽を奏でている間、
この大人しい猫たちを可愛がる人々で一杯でした。
日本の兄に預けている、実家の猫に、ちょっと似ていることもあって、写真を撮りつつも、その場を離れがたく感じました。

猫や犬は、どんな人に飼われるかで、運命が決まってしまいますが、
飼う以上は、思いっきり可愛がってやって欲しい、といつも思います。。

昨日は日本は終戦記念日、フランスは、マリアの被昇天の日ということで、センターで日本語ミサが行われました。想像以上に人が参加して、とても親密な温かいミサだったと思います。
やはり心を一つにして祈るということの大切さを感じました。

では良い週末をお過ごしください。









2015年8月12日水曜日

久しぶりのパリ


「久しぶりの」とはいえ、正確にはひと月ぶりですが、
午前中の、まだ店が開店したばかりぐらいの時間、この写真では大体朝の10時半ぐらいでしょうか、この時間帯のパリ、しかも中心地に来たのは本当に久しぶりでした。
ここはサン・ジェルマン大通り、ご覧のカフェ、Café de Flore は、隣の Les Deux Magots と並んで有名なお店。でもこの夏の間は、店内改装などで休業中でした。

朝とはいえ、もうこの時間になると、燦々と日光が照りつけて、まぶしいほどでした。
もちろん、日本の夏の朝は、もっとずっと早くからそういう状態になりますが、パリはこの時間帯にならないと、朝日は充分に感じられません。

この日は、日本から来る恩師の、そのまた恩師がやってくるというので、
アテンドの当日より先に、下見を兼ねての朝の散歩でした。


 少し光が入りすぎていますが。。

ここサン・ジェルマン大通りは、パリの中でも観光のメッカとして世界中から愛されている並木道です。とはいえ、観光地としてはまだ朝の早い時間でしたので、人もまばらでした。


この通りには、様々な有名ブランドの店が軒を連ねていて、写真のように、ウィンドーショッピングするだけでも楽しいところです。もうお店で売られている商品は、未だ夏のセールをしている例外的な店を除けば、すっかり秋の装いです。


通りをつらつらと、カメラ片手に歩いていると、
ふと、足元には黄色い葉っぱが落ちているのに気づきました。
上ばかり向いて歩いていたので気が付きませんでしたが、
通りには、枯れた落ち葉が一杯。

ところがこれ、秋の訪れではなく、
害虫によって枯れた葉の堆積だそうで。
それを知らない日本の人が、「パリの秋は早い」と、
それこそ早合点をしてしまうそうです。
そんなこと、知識として知らなければ、誰だって早い秋の訪れのサインだと思いますよね。


ここが rue du Bac 、バック通りです。
左右に流れているのが rue de Grenelle 、グルネル通りで、その交差点を写してみました。
写真の奥に、(分かりづらいですが) メトロの rue de Bac があります。
ここを特に写したのは、写真左手のカフェが、この通りを歩くときにいつも気になっているからです。
不思議なもので、何気なく歩いていても、惹きつけられるカフェと、そうでないカフェとに分かれるみたいです。大抵は気にならないものですが、このカフェは、そばを通る度に気になるカフェなのです。


最後は、パリ・ミッションと行きましょうか。
ここは、rue du Bac の終わりの方、188番地の、パリ外国宣教会の入り口です。
この一角に、私たち日本人のためのカトリックセンターがありました。
私もここには、7年ほど通ったので、とても懐かしいカルチエです。

この通りを写真左手にちょっと行くと不思議なメダイ教会もあります。
そのすぐ横は、パリ一番の老舗のデパート、Bon Marché です。このデパート、高級品が置いてあるので有名です。「Bon Marché n'est pas bon marhé 」と言われるほど、安いものは置いてありません。(このフランス語の文の意味は、ボンマルシェ(デパートの名前)は、ボンマルシェではない、つまり、安くない、という皮肉を込めた文章です。)
とはいえ、こうした商業的な建物と、宗教的な建物が混在しているのが、いかにもパリらしいと言えばパリらしい。ここは、パリでも最高級のカルチエである7区です。
このパリ・ミッションの入り口、通りをはさんだ手前には、やはり有名なインテリアの大型店が品良くそびえています。

いかがでしたでしょうか。
朝のパリの中心地の散歩も悪くない、と思えましたでしょうか。

日本にいたひと月に、ブログを更新しなかったせいか、何となく筆が鈍っているのを感じます。
読みづらい箇所もあったと思います、
あしからず、でした!





2015年8月7日金曜日

1日遅れですが


「1日遅れた」と記すのさえ大変申し訳なく思っています、
そう、昨日は広島に原子爆弾が落とされた日、しかも70年目の大きな節目の日でした。

今回、親しい友を訪ねながら、その友の案内で、じっくりと広島を見学した矢先です。
昨日、ブログを更新する際に、この日のことが頭からすっかり飛んでいたことに、
深い反省の気持ちで一杯です。
言い訳をするなら、まだ広島の思い出は、自分の中で、しっかりと消化していないということでしょうか。昨日、「今日は原爆の日だね」と夫と話していたのにも関わらず、今回の日本の旅の紹介でそれが出てこなかった、つまり、日本で最後に見た蓮の花の写真を頼りに振り返ったのが精一杯で、まだ、自分の中でこのひと月の経験が定まっていない、という証だったと思います。
とはいえ、気が付いた以上、この日の思い出を書かなくて済むはずもありません。そこで、とりもなおさず、時差ぼけでパリはまだ真夜中ですが、こうしてパソコンに向かうことにしました。
これは単なる旅の思い出ではなく、同行してくれた友人への友情に応えることにもなると思います。


とはいえ、そんな大見得を切ったところで、
教科書にあるような歴史的な事柄をここで紹介する気にはなりません。
(何度も書きますが、そういった事柄は、
 いくらでもネットで検索すれば良いのです。)

上からの写真は、ご紹介するまでもなく、
どれも原爆ドームの様子です。
私の場合、父と見たのが最初ですが、ここまで
近づいて見たのは初めてでした。夫は、広島自体、来るのが初めてでした。

こうした建物が、ここまで現存されていることに驚くばかりですが、その内部の様子から、いかに原爆の破壊力がすごかったか、想像するに難くありませんでした。


彼女の立つ右側の建物には、未だ発見されていない遺族の名前が連ねてありました。


 
 平和の鐘。
 ここにも、一つ一つ丹精込めて折られた千羽鶴が
 捧げられていました。

 この地に眠る、何百万の人々の魂の鎮魂のために、
 思い切り鐘を叩きました。




 この地には、
 もちろん、日本人だけが眠っているのではありません。
 被爆の苦しみに耐え、あるいは一瞬にして命を奪われた
 韓国の人々もいます。右はその記念碑です。
 私の実家は、戦争では東京大空襲、
 その前の関東大震災においても被災しましたが、
 その際における、韓国の人々の受けた仕打ちにも
 思いを巡らしました。


 

  上は、学徒動員された若者たちのための碑です。
  家屋疎開のために勤労動員された、数多くの中学生たちが
  亡くなりました。
  戦争がなかったら、そして戦争などのために命を落とさなかったら、
  どんな未来が開けていたのだろうと思うと、
  涙が止まりませんでした。

  左は爆心地の記念碑です。
  まさにこの碑の真上で、
  エノラゲイによる原爆が投下されたのでした。

この記念の地を、一通り見学した後に、開放感溢れるレストランのテラス席に陣取りました。 
案内してくれた若い友人は、「胃が痛い」からと、あの暑い盛り、温かいスープを注文していたのが印象的でした。このことは、今も少し気掛かりになっていることです。



閑話休題。
あまりの激しい思いに打ちのめされるようにして見学し終わった後は、
(もちろん、最初に原爆記念館を見学しています、そこでまず、打ちのめされました。)
一旦ホテルに戻り、気を取り直してから、
友人が、以前働いていた居酒屋に繰り出しました。



単に、「居酒屋」とご紹介するにはとっても惜しいお店で、
お店の雰囲気としてはざっくばらんな居酒屋さんそのものですが、
出される品が、半端なく美味しい、文句無く美味しい、そんな、意外性のあるお店でした。

 そんな料理の数々を丹精込めてつくってくれたのが、
もちろん、そこの店主である「大将」。
彼は、自分で育てた、無農薬の食材や、厳選された食材で、
フレンチの粋を超えた、無国籍な手料理を披露してくれました。

三年勤めた友人との、気心の知れたやり取りも、
楽しい酒の肴となった晩でした。
 料理やその食材に関しての詳しい記述は避けますが、
 色とりどりの野菜を使った前菜、
 (適度な塩加減が最高でした!減塩が嫌いな私にとっては
 最高の味付けでした。)米ナスの一品、特別な豚肉のヒレカツ、
 ズッキーニの一品、そして下にある、
 しめのニンニク炒飯。どれも絶品でした。 

その他、ここでは書ききれない程のおもてなしがあり、心から寛ぎ、楽しめる晩でした。
 

もちろん、広島での経験は、この原爆の地だけではありませんでした。
またいずれ、機会を見てご紹介いたします。
今回は、少し長くなりましたのでこの辺で失礼します。

最後に、もう二度と戦争は起こしたくない、起こさせない、との決意にも似た思いで、
この回を終わりにしたいと思います。
あの恐ろしい原爆のために、一生を無にした、数多くの御霊のために、
そして未だ後遺症に苦しんでいる方々、その方々を支える人々のために、
改めて、心を込めて祈ります。




   












2015年8月6日木曜日

ひと夏の滞在を終えて


8月2日の日曜の夕方に、ひと月の日本での滞在を終えて帰仏しました。

成田の搭乗口で、久しぶりに親しい友人の家族とバッタリ出くわして、嬉しい思いをした上に、
搭乗者が少ないことで、私たち夫婦は、プレミアムエコノミーとなり、機上においても楽しい思いをしました。ですが、、、飛行機嫌いは、そんなことでは解消されるはずもなく、着陸直前には、お決まりの苦しい思いをしました。

とはいえ、久しぶりのパリ。
日本の夏の暑さに苦しんだ身には、パリの風が気持ちよく感じられました。

写真は、上野公園の不忍池の蓮です。
帰仏直前に撮ったものですが、今が盛りと咲き誇っていました。
蓮の花が開くのは早朝なのですが、この時は10時頃だったでしょうか。既に気温が30度を超えている中でした。この時間だと、開いている花はわずかでした。


今回の日本滞在でのハイライトは、
なんと言っても奈良・京都と、広島へ旅行したことでしょう。
この蓮の花を見ていると、いくつもの仏像を見学したことを思い出します。
その一連の関西方面への旅行のことは、また機会をみてご紹介します。

とにかく日本の夏は暑い。
年々、暑さを増しているのではないでしょうか? しかも体温より高い猛暑日というのが、夏の間に何日も続くという異常事態です。

それでも東京にいる間、結構一人、あるいは友人と銀ぶらを楽しみました。
夏のクリアランスセール、冷たいかき氷、
そして一週間泊まった友人の家では、鬱蒼と茂った緑の中でさかんに鳴いていた蝉。
どれも日本の夏を存分に味わわせてくれました。

懐かしい恩師や友たちとの出会いと別れ。

電話だけで友情を確認した友達もいます。

またいつか会えるよね。
きっと、きっと、会えるよね。

そんな気持ちで遠く、パリに戻ってきました。

そうそう、時差ぼけもあって、ぶっ通しで10時間以上眠った後に、少し起き出して、
そして更に寝た時に見た夢。その夢が、これまでの人生で見た夢で最高のものでした。
これもいつか、ご紹介できれば。。。あ、でも個人的に過ぎますね、ご紹介するには。


この蓮の花のように、可憐で、でも凛とした美しさをたたえた女性になりたいと、強く思います。

日本の皆様、まだまだ暑い夏だと思います、
どうぞくれぐれもお体ご自愛ください。