2017年8月26日土曜日

夏の名残り  Les traces de l'été, déjà en automne ?


朝晩が20度を切り、かなり過ごしやすくなったパリですが、
最高気温が夕方の4時とか5時ぐらいになるという特徴があって、ここのところ27度前後。パリとしては高めです。
そのせいか、ナシオン広場のバラも、まるで一斉に息を吹き返したかのように咲き乱れています。
秋薔薇は、朝晩と日中の温度差によって、春に咲く花より色合いが濃くなるという傾向があるといわれていますが、なんとなくそうかなぁ、という感じです。
私と夫が住んでいるアパルトマンの中庭にも、赤とオレンジ色のバラが咲き誇っています。

赤いバラというと、夫が空港でわたしを出迎えるために持っていた花束を思い出しますが、
淡い桃色のバラが好きなわたしも、結婚前にガーデニングに凝っていて、5年を過ぎた辺りから黒に近いような、シックな赤いバラに惹かれるになったことを覚えています。

ショパンの小品の「バルカロール Barcarolle 」から名前を取った黒バラや、
シェークスピアの作品に登場する肥満の老騎士、フォルスタッフ Falstaff の黒バラは、
育てたいと思いながら叶いませんでした。いずれも濃厚な香りで知られています。


驚いたことに、バラの足元にカボチャが植わっていました。黄色いのがカボチャの花です。
まさか栽培している訳でもないのでしょうが、観賞用だとしても「?」という感じがします。単に彩りでしょうか、それとも害虫駆除などの薬理作用があってのことでしょうか?

秋晴れ、というにはちょっと早いかもしれませんが、
もうそろそろ公園などの花壇では、秋の花に植え替えられる時期となるでしょう。
日本では秋の七草ですね。
この秋の七草、万葉集に詠まれた和歌に、その名を連ねていますが、当時の花が、今でもみな愛でることができると思うと、千年という長さも短く感じますし、時を越えて花々が人々の胸に語りかけているような、そんな気がします。 因みにパリでこの七草のうち、どれが観賞できるかと思い出そうとしているのですが、萩や女郎花(おみなえし)の類、そして撫子があるかなぁと思います。もちろん、尾花の別名のススキもあります。こうしてみると、結構ありますね。



こちらは、ショートステイをした、ケルン郊外のお宅の、二階のベランダとお庭です。

やはり白い壁と木枠にはグリーンと真っ赤な花。その多くは、窓辺を飾るゼラニウム。そして彩りを添える花々。

奥にチラッと見える堆肥は、夏の間咲いてくれた花たちに、お疲れ様と言って与える肥料でしょうか。



次回はケルン編を、できたらお届けいたします。
ローマとは打って変わって涼しかったケルンの思い出は、やはり貴重なものでした。
乞うご期待!


2017年8月21日月曜日

愛しのローマ 第三弾  Rome, mon amour !   3

Colosseo コロッセオ

スペイン広場、トレビの泉と来れば次はこのコロッセオでしょうか。

実は先ほど、ドイツのケルンから、二泊三日の旅を終えてパリに戻ってきたところでして、
涼しかったケルンによって、早くもローマの暑さを忘れかけていたのですが、
でもこの写真を見て、またあの記録的な暑さが蘇ってきました。

Foro Romano フォロ・ロマーノ
コロッセオから続く大通りに沿ってヴェネツィア広場の方角へ歩くと、このフォロ・ロマーノの遺跡が見えてきます。以前ローマに来たときも、夫と暑い中歩いたのを思い出しつつ、「あの時なんかより、ずっと暑いよね」と言いながら、また歩きました。

あまりの日差しに、私は日本から持ってきていた日傘を差しながら歩いていたのですが、
夫に、「周りを見て。誰も日傘なんか差していないよ。」としつこく言われ、ただ差しているだけならまだしも、人通りの多いところで差していたものですからしょうがなく畳みました。「え~い、こうなったらバンバン日に焼けてやる!」と言えれば良かったのでしょうが、その勇気はなく、やはり日本から持参していた日焼け止めをたっぷりと塗って気を静めました。


ヴェネツィア広場には、馬車も通っていました。手前にはヴィットリオ・エマヌエーレの、ショートケーキのような白亜の城がそびえていますが、やはりあんまり趣味がよいとは思えないので、写真は載せません。
写真右奥の方に、繁華街が広がっていて、その奥にトレビの泉があるという位置です。





この花木(多分、夾竹桃だと思います)は、
我々が泊まっていた修道院の入り口に、一列に並んで植わっていたもので、その大好きな花色を懐かしんでここに載せます。
色はこれより薄いピンクと白もあったのですが、
この色が一番好きだし日に映えたので選びました。日本でも、夏は色々なところで目にする花木ですよね。

シスターは、「匂いを嗅いではダメよ、気分が悪くなるから」と言っていましたが。。


このスイカの山をご覧下さい! 以前ブログに載せたものとは比較にならないほど大きいのです。駅前で売っていたスイカ屋さんなのですが、一度、夫と買って美味しかったので、今度はシスターたちに食べさせようと、勇んで買いに行ったのです、40度の日差しの中。 
半分のを買いましたが、大勢のシスターに食べてもらうのに充分な量でした(もちろん、小さく切ったためですが)。それでも重くて、死にそうになりながら道を歩きましたが、その甲斐がありました。皆さん、とても喜んでくれました。



ローマ便りの最後としては、やはりこれにすべきでしょう。
ローマにある、ドミニコ会の総本部のそばに位置する、この丘、夕日が沈むのが絶景と言われる、とてもロマンチックな場所です。


暗くてよく見えませんが、
上が、夕日の沈む瞬間を捉えたものです。


この夕日を眺める丘には、
石の塀があって、そこに人々-その多くは親しい友人たちや恋人たち-が寄り添うようにして立っていたり、塀の上に座ったりして、この夕日を眺めるのです。

そう、時がとてもゆったりと、親密に流れているような、そんな空間でした。



上は、その丘に続く道で、夕日を背にした帰り道です。
このローマの旅で、一番お世話になった、シスター方の後ろ姿を載せます。
周囲の松も、ローマを思い起こさせる、思い出の木です。

ずっと以前、この地を訪れた時に(この場所とは違う松林のある所でしたが)
「この松の種を日本に持ち帰って、芽が出たら幸せになります」 とガイドさんに言われ、
父と持ち帰り、東京の実家で芽が出ました。
私が拾った種だけではなく、父のも出たので、そう、「父も幸せだったのだ」と、今は思うようにしています。最愛の妻である、私の母が死んだ後も、私のためにおよそ30年生きてくれました。
今は感謝の想いしかないです。。

ローマは、結婚前に亡父と訪れた土地の一つでした。
そして鉢植えに育った松の一つは、親しい友人に引き取ってもらい、今も元気にしています。





2017年8月17日木曜日

愛しのローマ 第二弾  Rome, mon amour ! 2

Piazza di Trevi  トレビの泉

ローマといえばここ、トレビの泉ですよね。
この写真は、今回の旅で二度訪れたトレビの泉の、二回目のときのものです。
この時も気温は40度近く、でもこの写真だとその暑さがあまり伝わってきませんね。

 空はこんな感じでした。

どんなに暑くても、
ここにはいつも、大勢の観光客で一杯なのだということを、今回の旅でも思い知りました。

「後ろを向いてコインを投げれば願い事が叶う」

このジンクスは、今は禁止され、出来なくなっていました。保存、保全のためなのでしょうが、いつも警備員が目を光らせていて、コインを投げる振りをするだけでも「ピピピピー」とけたたましく笛を吹くのはどうなんでしょう?と、かなり疑問に思った次第です。



これは泉を目の前にした人々の群れ。面白いので反対側から撮ってみました。
ちょっと遠いですが、鈴なり状態というのが分かると思います。

泉の周辺には数件のジェラート屋がひしめいていますが、初日に入ったジェラート屋は、2種類頼んで、5ユーロ。まずくはなかったけれど、量も少なくてこの値段は、ローマでは高めです。
これを教訓に、二件目に選んだお店は、飛びきり美味しくて量も多く、値段は4ユーロでした。
(今回の旅で、何度ジェラートを食べたことでしょう!)


この街の色合い、「これぞローマだ!」という感じですね。パリとは全く違います。

街の起源としてパリよりもローマの方が古いということもあるんでしょうが、この独特の色合いは、もはや時の遺産として保護されているのだと思います。パリだったらこの色はないにしても、同じ色を使って塗りなおしたりするところでしょうか。






同じ観光地でパリと違うと思ったのは、テロ対策のための警備や機動隊の人が極めて少なかったこと。今パリは、通りを歩けば必ず銃を携えた迷彩服の兵士たち3人組を見かける有様ですが、ここローマではあまりいませんでした。

このように、観光名所に向かう道には観光客であふれていました。


Pantheon パンテオン

Piazza Navona
いや~、ナボナ広場ではひどい目に合いました!
ローマやイタリアを愛する人間として、あまり多くをここで書くことをしたくはないのですが、少し書くと、ここで昼食を食べるために入ったレストランの対応、および価格設定がひどかったのです。後でこのレストランの評判をネットで知ったも後の祭り。大いにぼられてしまいました。
日本語を流暢にしゃべる愛想の良い店員に誘われ、あまりに暑かったこともあり、それに乗ってしまったのが運のツキでした。たかが二人でパスタを一皿ずつとエスプレッソを注文しただけで、パリでもいっぱしのレストランで優雅に食事ができる値段をとられました。14パーセントのサービス料と、パンと水道水が有料だったのです。つまり、メニューから計算した料金よりも、20パーセント高く請求されたのです。
店側からしたら、決して騙したわけではないのでしょうが、この世界では騙される方が悪い、ということだそうですので仕方ありませんね。しかもこのお店は、他店では見られないほど悪質だということでした。

「少し」が、感情のぶり返しで長くなりました、すみません。


夫がFB で、「人のいい日本人」が、世界中で悪用されている時代になったのでは、という記事をシェアしていましたが、それを肌で感じた出来事でした。
でもあのリストランテでは、皆が同じように騙されていることが、ネットに載っていました。騙される人が後を絶たないのも、観光地だから。しかも騙されて、ぼられてもいい、金持ちの中国人たちも、店内には多くいました。。。


第三弾も書きます、お楽しみに!



2017年8月13日日曜日

愛しのローマ   Rome, mon amour !

Piazza di Spagna  スペイン広場

ほぼ二週間のローマ滞在を終えて、一昨日の夜にパリに戻ってきました。
ローマでブログを更新する予定でしたが、出発直前にパソコンを持っていくのを断念したために、パリに戻ってからとなりました。

7月30日にパリを出発してから8月11日のお昼までローマの郊外にいたのですが、
この二週間は連日40度前後の酷暑でした。
それでも明け方や早朝までは割りと過ごしやすい日もありましたが、朝の10時にはもう太陽がじりじりと照りつけて、外出するのはとても勇気のいるような、そんな日々でした。

ところが9日に滞在先のドミニコ会の修道院での総会が終了し、10日は各国のシスター達がめいめいの場所へ移動する日になってから、途端に気温が下がり、(25度前後) 涼しくなりました。
シスター達も、「私達が仕事で大変な間ずっと暑くて、終わった途端に涼しくなるなんて!」と嘆いていました。
とにかく日本と違ってクーラーはないのですから、たまったものではありません。扇風機で凌いだわけですが、救いは、夕方、窓を開けると気持ちの良い風が吹いたので、高台にある修道院には、かなりの風が通り抜けました。

それでも暑い暑いローマでしたが、夫がシスター方と仕事をしている間(日中)に、がんばって一人で観光したので、その時の様子は次回からご紹介します。


こちらも上の写真と同様、
スペイン広場の大階段です。
暑いのによくこんなに沢山!と驚くばかりでしたが、ローマでもここは観光の名所の一つとして大人気なのだ、と改めて思いました。

映画『ローマの休日』で、オードリー・ヘップバーン扮する王女がジェラートを食べるシーンで有名な場所ですが、現在はここでの飲食は法律で禁じられているそうです。

この日は仕事の終わった10日、夫と繰り出した観光でした。上に、10日になってから気温がグッと下がったと書きましたが、日中はやはり30度を越えていました。


私がローマを訪れたのは、結婚前を含めて、もう5回以上になるでしょうか。
大好きな街です。ある意味、パリ以上に思い出深い街になっています。(パリはもう、生活の場になっていますしね。)

次回から、ゆっくりローマ便りを書きたいと思います。
涼しいパリに戻って、まだ暑さ疲れの取れていない体を休めたいと思います。

良い午後をお過ごしください。