2014年4月30日水曜日

パリで断捨離 ?


今回は、初めて(多分、この角度からは初めてだと思います)、家のダイニングの一部をお見せします。というのも、パリに戻ってきて2週間が過ぎた訳ですが、家の本格的な片づけを始めたのです。写真は、実際より暗く写っています。壁の色は、バニラアイスの色 (Vanille ) なので、もっと明るい薄黄色です。それはともかく。
このコーナーは、これ以上、片付かないほど片付いている部分で、なので写真に収めました(*^_^*)。 向かって左にある三角コーナーの家具には、下段から、ティーカップのセットと果物を入れる籠(今はバナナを置いています)、中段には、左から、見えづらいですが、コーヒー沸かし器(銀製のパーコレーターです) 3つの大きさが手前に行くにつれ徐々に小さくなっているポットには、奥から小麦粉 (Farine )、砂糖 (Sucre )、そしてコーヒー (Café ) 豆を挽いたものを入れるようになっています。上段には、これは完全に見えないのですが、ポルトガルのファティマで買ったマリア像の手前に、結婚記念日で買った花束のうち、ブルーの小花がドライフラワーになったので飾っています。

向かって右が、レースのカーテンを引いている窓際で、手前にテーブルとイス、そして奥のワゴンには奥から、湯沸かし器、トースター、そしてドリップ式コーヒーメーカーを置いています。


私、何を隠そう、掃除や片付けって大の苦手です。ただ、綺麗になってないと嫌だし、片付いていない部屋も嫌なのです。なので、仕方なく、掃除も片付けもしています。
でも、自分の限界を超えるような物は欲しくないと思います。自分が楽に掃除や片づけのできる範囲内の分量の物持ちにしたいのです。それで、自分勝手に、断捨離、と言っている訳です。

あまりこのことを突き詰めて書きだすと、止まらなくなるのでこの辺で。
でも一言。個人の遺品も含め、必要以上にものに執着しないタイプであることは、断捨離する上では有利かもしれません。例えば父の思い出として、一番大事に思っているのが、父が生前、いくつも言葉を残してくれたのですが、その言葉の数々で、物は1つか2つ、です。思い出の品を、すべて取っておいた父に比べ、娘の私は、すべてに近いほど捨てる人間となっているのが面白いです。ただ、その数少ないものを、ものすごく大事にする、というのが好きですね。


お恥ずかしい写真を1つ。
これは、昨日、久しぶりにオーブンをつかって作った、オニオンキッシュです。ただでさえオーブンをまだ使いこなせていないので、表面に焼き色つけようとして失敗しました。淵の部分が焦げてしまったのです。これを防ぐには、やはり面倒でも淵の部分にだけ、途中からアルミホイルを被せる必要があったのでしょう。

でも夫曰く、「味は最高に美味しいよ!」でした (^_^)/ 




これも結婚記念&誕生祝いの花束の中にあった、桃色の牡丹です。5本のうち、1つだけ花が開きませんでした。でもこれもオブジェとして、こんなリキュール用のグラスに入れて飾ってみました。なんか美味しそうでしょ?

ではまた。皆さまのご健康をお祈りしてます。

 
                                                                                                                  





 

2014年4月27日日曜日

近所の様子   Aux alenteurs de chez nous


家の近所にあるナシオン広場(Place de la Nation) の建物です。こうした広場や目抜き通り沿いの建物は、このようにクラシックな、「これぞパリ!」という造りの建物なのですが、それらは19世紀の終わりに、オスマン計画といって実施された都市計画の1つです。ここにもパリの景観へのこだわりが表現されています。

さて、ところでこの写真を撮った時間帯、一体何時ごろか、お分かりになるでしょうか?
今の季節を考えて正解を出せる人は、長くパリに住んでいる人ぐらいでしょうか。
写真を見る限りでは、朝が明け始めた頃とか、いやいや、この青空は日中、昼間の時間だろうとか思うのではないでしょうか。正解は夜の8時半ごろです。はい、「夜の」、です。
先月に、春分を迎えた後ですから、日ごとにどんどん日が長くなってきている訳ですが、夜の8時半でもこの明るさは、未だに驚きの対象となっています。「夜の空が青い!!」と、住み始めた当初は感動しきりで、よく夜空を飽きずに眺めたものです。
東京の空は暗いですよね。つまり「真っ黒い」空です、日が落ちた後は。こちらでは、日が落ちた後も、こうした青空をしばらく保っています。もちろん、写真はまだ、日が沈み始めている、最後の時間帯です。



こちらも、メトロから降りて家に向かう方向から撮った広場の様子です。塔は、今までにも何度も載せている、二連の塔の1つが写っています。上の写真と、同じ時間帯です。明るいでしょう?
夏に向けて最高に日が長いときは、夜の10時までこんな明るさとなります。それを思うと、北欧の白夜は、もっとすごいんだろうな、といつも想像します。寝る時に、鎧戸(古いですね)や分厚いカーテンを引かないと、明るくて眠れないそうですが。



ところで恒例の料理の写真を載せます。
お分かりになる方もいらっしゃると思いますが、そう、オムレツといえば、夫の得意料理の1つです。
手前味噌ですみませんが、このオムレツのすごいところは、テフロンのフライパンではなく、ステンレス製のフライパンを使っていることです。
テフロンだと簡単に焦げ目なく作れますが、うちにはテフロン加工のものは置いてません。なぜかというと、「持ちが悪い」からなんです。毎日のように使ったりすると、2年待ちませんからね。
その点、ステンレスは半永久の一生ものなので、値が張りますが結局はお得です。

でもこちらも欠点はあります。つまり、「使いこなすのが難しい」という点です。テフロンのように軽くないですし、使い方が正しくないと、たとえば、こんな見事なオムレツではなく、焦げ付くし、そもそもオムレツを作れません。なので、すごい、というのはこのことで、ちゃんと使いこなした、完ぺきな(?)オムレツ、ということなんです。私もいずれ、使いこなせるようにしたいとは思っていますが、夫の十八番を取り上げるのもね、、、な~んてできない言い訳をしています。

そういえば、というか、インゲンはわたしが洗ってヘタをとって塩水でゆで上げたのですが、その鍋もステンレスです。ちょっと重たいですが、こちらは使いこなしています。油を使っていないので。それより、このインゲンを買った時の様子を思い出しました。
安いからと、私がスーパーの売り場でこのインゲンをわし掴みにして袋にいれていたら、横から来たおばさんが、「あんまり鮮度がよくないわね~」と手で触ったものを放り投げて向こうに行ってしまいました。わたしは呆然と、というと大げさですが、ちょっとためらいはしましたが、そのまま袋詰めをして買いました。でもその時は「え?」と思うぐらいでしたが、後から考えたら「大きなお世話」。日本人だったら言いませんよね?人が買ってるもの、そんなこと言いません。ですが、こちらでは、、、。まぁ言葉の国ですし、こういった類は日常茶飯事。よしとしましょうか。

肝心のオムレツは、バターたっぷりで最高に美味しかったです。(身内のことをほめるのも、実は日本人はしないのかもしれませんね。。あしからず。)

 
 

2014年4月25日金曜日

早朝の雨   L'averse matinale


今朝は、ちょっと寝坊して、5時に起きだしました。
そのくらいまで寝ていると、疲れが取れることがわかったので、早く目が覚めても、起きずに布団の中にいようと思います。そうすれば、また眠れると思うので。

ちょうど6時ぐらいから、雨が急に降り始めました。
パリではちょっと珍しいぐらい、激しい降り方で、小1時間も続いたでしょうか。路面もすっかり濡れて、窓から見える屋根々も、その色を濃くして濡れそぼっていました。

パリで雨になると、とくに土砂降りになると、よく窓からその様子を眺めます。
パリは、雨というと、傘をささなくても良いぐらいに降って、いつの間にか止んでしまうパターンが多いのですが(本当にみんな、ちょっとぐらいの雨では傘をさしません。)、たまに土砂降りになるので、私としては日本を思い出して、楽しんで窓から見る訳です。

写真は、そんな土砂降りとは無関係の、よく晴れた、日差しの強い昼下がりです。結婚祝いに、近所を散歩したときに写しました。
実は、この建物の上の方に、以前ご紹介した、巨大なトカゲが張り付いているのです。建物の下の方は、こんな優雅な光景です。初老の紳士が、可愛いプードルを散歩させていますね。こんな、何気ない光景も絵になる、そんなパリが大好きです。

 
 

2014年4月23日水曜日

晴天の散歩  Promenade au ciel blue


パリ市役所前のデパートから、西の方へ散歩していたら、面白い光景を見つけました。
この通り、レ・アール界隈の混雑した狭い通りなのですが、ふと横を見たら、サン・ジャックの塔が見えるではありませんか。しかも足元からてっぺんまで。
手前の建物を工事していたお兄さんから、「危なからどいて、どいて」と言われたのですが、こんな光景を見たらどく訳にはいきません。「写真撮ってからね」と笑顔を見せ、急いでパチリ。そばには、同じ思いをした観光客のおじさん2人も、「良い眺めだな」と熱心に写真を撮っていました。
このサン・ジャックの塔に関しては、もう以前のブログに書いたので敢えて書きませんが、パスカルが、あの塔の高さから気圧の実験をしたのだな、と見るたびに思います。また、ここから始まる巡礼の旅に、夫や仲間たちと出発してみたいものだ、と思います。 
それにしても思うのは、こういった場所で、両側にあるアパルトマンには、一体どういう人たちが暮らしているのかなぁと、いつも好奇心が膨らみます。


パリの街中、とくに中心地に行くと、絵になる建物が多くて、常に写真を撮っているような状態になります。これだけ撮っているんだから、本格的な一眼レフ、欲しいよな、と思いますが、予算の関係で。。でもこのカメラは、デジカメとしても一流のものなので、良しとしています。まぁ買って4年目になりますが。でもどこかのメーカーと違って、4年壊れずにもっているのは優秀だと思います。因みにこれはニコンです。

写真左に写っている女性のように、パリは、人々が常にとどまらずに移動している感があります。パリに住んでいても、いつもあちらこちらを旅しているようにして暮らしている。私たち夫婦はそこまでじゃないにしても、パリと東京を往復している訳ですから似たようなものです。どこかで、「旅しているように暮らせたら」というセリフを残した人がいましたが、どうなんでしょう?1か所にずっととどまることも大切ですよね。その兼ね合い、バランスが、人それぞれで取れていれば問題ないのでしょうね。わたしは、結婚するまでの長い期間を、ずっと東京の生まれ育った家に住んでいたので、引っ越しというものを経験したい、とずっと思って生きてきました。そうしたら、なんと遠くまで来てしまったのでしょう!

パリに戻ると、東京でたるみきった心身が、一気に引き締まります。なぜかというと、歩くから。とにかくどこへ行くにも歩きます。歩いて、歩いて。でもそれが楽しみです。
でも実家に残してきた愛猫、アビを思い出しては身につまされています。。

これからも、どんどん歩いて良い写真をご紹介しようと思います。
お楽しみに!

2014年4月21日月曜日

最初の料理  Un premier plat que j'ai fait à Paris


今日の昼間、パリに帰ってきて初めて、台所に立ちました。
夫と2人で近所のスーパーに買い出しに行き、そのついでに料理をすることに決めました。
疲れていると、台所に立つ気になれないものですが、ようやく、その気になりました。

作ったのは「スモークサーモンのパスタ」。料理研究家の川津幸子さんのレシピです。
「クリームパスタ」ではないのは、生クリームを使っていないからです。

さて作り方ですが、いたって簡単です。
材料は2人分として説明しますと、ペンネ250グラムを塩ひと掴みを入れた熱湯でゆでて、湯だったら湯切りをし、その鍋にバター40グラムとサワークリーム100グラムを入れてかき混ぜます。その後に塩・こしょうで味を調えて、スモークサーモン150グラムをちぎって混ぜるだけ。お皿によそったら、ディルを添えてください。(写真は、ディルがなかったので、エストラゴンを振りかけました。)
どうです?簡単でしょう?1つの鍋でできるのも魅力です。
ただ、熱々という訳にはいかないので、ちょっと冷めた一皿になります。それと、日本では、サワークリームは中々手に入らないか、入っても高いかもしれません。そうなると、手軽とは言えませんが。
生クリームを使う場合は、スモークサーモンをバターで炒めてから生クリームで煮込むので、熱々の1品になります。今度挑戦してみようと思います。


結婚祝い、兼誕生祝いの花束が、こんな風になりました。牡丹が見事に花開きました。
牡丹というと思い出すのが、随分古い小説ですが、瀬戸内(まだその頃は晴美と名乗っていました)さんの「妻と女の間」の出だしです。母と娘が、鎌倉の長谷寺の牡丹園を訪れる場面から始まっています。三千株はあると言われている境内の中で、牡丹から漂うむせ返るような香りに、娘が「牡丹の匂いって、何だかなまぐさくない?」とつぶやくのだ。


ところで今日は Lundi de Pâques (復活祭の(翌日の)月曜日)ということで、振り替え休日です。なので朝から周囲はひっそりと静まり返っています。
そんな中で、マイペースに料理をつくったり、お花の水を取り替えたり、家の片づけをしたりしています。さて、自分は一体、何を主にこのパリでして行こうとしているのか。そろそろ見極めていきたいですね。


 






2014年4月20日日曜日

ご復活おめでとうございます! Joyeuses Pâques !


皆様、ご復活、おめでとうございます!
キリスト教徒ではない方にとっても、そしてキリスト教国にあっては、1年で最も重要な時期でもあります。え、クリスマスがあるじゃない?と思われるでしょうが、もちろん、キリストの誕生日と言われるクリスマスも重要ですが、やはり、復活祭、つまり、キリストが死に打ち勝って復活された、ということが、キリスト教の信仰にあっては一番大切で、喜ばしいことなのです。

復活のことを話出すときりがなくなりますし、あまりにも重要で、しかも難解なので、ここでは触れません。しかしこの復活を信じられなければキリスト教徒とは言えない、肝心要の部分でもあります。でもですね、実際にはこの超高度に科学技術が発達した現代にあって、しかも実際には誰1人キリストが復活したのを見た者はいない現代は、容易に信じることは難しいでしょう。そこには「信仰」というものがなくては信じることはできません。
実際、フランスにあっても、実際に教会に通っている信徒の中でも、「復活を信じるか?」という問いには、数パーセントしか信じていない、という現状もあるそうです。

しかし、私は信じます。信じられるだけの根拠が、そもそも聖書の中にあります。

正直、自分が、世の終わりに、キリストと共に復活することを信じるか、あるいは望むか、と問われれば、かなり迷います。「死んだら無になりたい」とは、わたしの代母の言葉でもあります。
しかし、「死んだらおしまいじゃないんだ」ということ、「死は1つの通過でしかないんだ」という信仰は、死に面した時に、ものすごい支えになるんじゃないだろうか、私はそう強く想像しています。 


また父のことになって申し訳ないですが、父が、最期に1人、手術台に上がった時の心境を思うと、未だに胸をかきむしられるような気持ちがします。父自身としては、これで自分が死ぬとは考えず、むしろ、これこそが生き延びる手段だ、という思い、医者を信じて手術台に上ったとは思いますが、でも、意識がある間には、「これで死ぬかもしれない」と考えなかったはずはないとも思います。そして私や兄たちの顔を思い浮かべたことでしょう。
そんな中、父が果たして復活のことを思ったかどうかは、これはもう、定かではありません。しかし、この潔さには、「いつ死んでも構わないんだ」という思いで生きてきた一生が、反映されていると思います。
「お父さん、ありがとう!今まで一生懸命、私たちのために生きてくれてありがとう!」
今は、これしか言葉がありません。

写真は、2枚とも、またチュイルリーです。
上の写真は、なにかもう夏のような感じの絵ですが、よく見ると人々の服装がまだ、軽装とは言えません。そして、復活の話をするのに、ちょうど良いかな、と思い、数日前のですが載せることにしました。下の写真は、凱旋門、デファンスの新凱旋門へと続く、小さな門です。ほんのりピンク色で、まるで天国への門のようなので、これも載せました。

キリストが魚に例えられる話は、また今度にいたします。
ご興味のある方は、「イクトゥス」で調べてみてください。ギリシャ語から来ています。

これから、主日のミサ、まさに復活の主日のミサに参加します。

では、私たちの復活、そして復活を生きていることを信じて。

ご復活、おめでとうございます!!


2014年4月18日金曜日

誕生日  


誕生祝いの花束です。誕生日の前の日が、区役所で結婚をした日なので、4月16、17日は連日お祝いの日となります。もうこの年で誕生祝いもありませんが、夫と2人きりの生活なので、イベントとして祝っています。

近所の、ナシオン広場にほど近いところにある、日本女性が切り盛りするお花やさんです。
彼女もすでに二親を亡くしているので、私が日本に長く居残っていた気持ちを察してくれています。今回とくに思ったのは、「環境」って、場所だけのことを指しているのではないのだな、ということです。そこに付随している物や、一緒に暮らしている人たちも「環境」に含まれるのだ、と、改めて気づかされました。
同じ実家にいても、今までいた人がいなくなる、それだけで、大きな環境の変化なんですよね。

もちろん、そこから私の場合は、ぐ~んと環境の違う、パリにいる訳ですが。でもパリだと何も変わっていない。しかし、5か月間東京の実家で暮らした後のパリの家は、やはり環境の違いが大きいと感じます。

どこにいても、環境の変化を楽しめるように、そんな強さと健康を手に入れたいと思っています。

夫のいる(美しい)パリ、そして父のいなくなった自分の実家、どちらが自分にとって楽か、、、ご想像にお任せいたします。。。(*^_^*)


前回ご紹介したお菓子屋さんで買ったケーキ、3つです。
フランボワーズと3種のチョコが入ったムース、そしてミルフイユです。甘いものも大好きですが、どちらかというと 自称辛党(お酒の飲めない辛党です。そんな言い方あるかは別にして。)なので、3つを半分ずつにしても一遍には食べられませんでした。でもとても美味しかったです。

そういえば、小さいころの夢が、「友達とケーキやさんを開くこと」でした。小学生ごろの夢でしたが、その頃はとくに、ショートケーキが大好物で、三度の飯より好きだった、と思います。その友達ともまだ友人関係は続いています。私だけ、夢こそ叶えていませんが、パリに暮らしている、という、夢に近い暮らしをおくらせてもらっています。やはり感謝ですね。因みにケーキやさんになりたいという夢は、今は持っていません (*^_^*)

2014年4月17日木曜日

結婚記念日によせて  Le dixième anniversaire de mariage civil


あまり実感はありませんが、結婚10年目を迎えました。
私たちの結婚は、フランスの法律に則ってパリで挙げたので、まずパリの区役所で挙げ、その半年後ぐらいに教会で挙げました。夫は日本人ですがフランス国籍なので、国際結婚ということになっています。区役所で挙げれば、それはすでに正式に結婚したことになるのですが、私たちの場合はキリスト教徒でもあるので、9月に教会でも挙げたわけです。キリスト教徒としては、教会で挙げる結婚が正式な結婚ということになります。神様のまえで宣誓し、祝福を受けるので。

写真は、地元でも1、2位を争うほど美味しいケーキやさんのガラスケースの様子です。私たちには子供がいないので、つい、こうしたものに愛着をもってしまいます。

上の写真は、Pâte d'amande といって、日本語ではマジパン。よくケーキの上の飾りとして使いますよね。作り方は、詳しくないのですが、アーモンドの粉を卵や牛乳をいれてよく練って作るのだと思います。写真の表示には、「手作り Fait (à la) main 」とありますね。                                      左、下、ともに同じショーケースに並んでいたお菓子類です。                                                復活祭がまじかに迫ってきてもいるので、卵や魚の形をしたチョコレートをパリのショーウィンドーのあちこちで見かけます。

                            日本語ではイースターと英語を採用していますが、フランス語ではパーク (Pâques) 、ユダヤ教でも過ぎ越しの祭りと言われるように、過ぎる、通過する、(Passer, Passage)という意味があります。今回は結婚記念日なので、復活祭のことはまたその時にご説明しますが、キリスト教徒としては、まさにこの過ぎ越しの祭り、つまりキリストが十字架の苦しみを経て、復活にいたるその時を待つこの時期こそが、1年で最も重量な時となっています。                                              卵は、なんとなく、「誕生」を意味するものとして理解できると思うのですが、なんで魚なんだと思いますか? それは、聖書の中でも触れているように、魚はキリストの象徴の1つなんです。説明をし出すとながくなるので端折ります(復活祭の時に触れます)が、直接関係ないとはいえ、「2匹の魚と5つのパン」は、キリストが飢えた5千人を前にして行う奇跡のしるしとなっています。


                                        こちらは皆さん、覚えていらっしゃいますか? そう、あのアボカドです。「成長期の記録」として、種から育て始めたもので、最初の段階だけ、写真を載せていました。今回、父のことがあって、急きょ帰国となったので、途中が途絶えていました。わたしが不在の中、夫がここまで育ててくれました。
昨日、この植木鉢に植えた記念として載せます。今後どう育つか、こうご期待!です。


結婚10年を迎えて、ですが。
同級生には、「まだ10年?うちはもう20年だよ。」と言われ、そうだよなぁ、と思います。普通に20代後半ぐらいに結婚していればもう20年にはなるだろうし、子供がいれば、大学生になっていてもおかしくありません。それを思うと、かなり複雑な気分になります。
ですが、人は人、自分たちは自分たちですから(笑)、晩婚だったこと、子供ができなかったことを気に病んではいません。むしろ、子供がいなくても夫婦仲がよくて(子供がいて仲が良いのがもちろん最高なんですが)、お互い2人きりになると童心に帰れることが、何より2人にとっての心の安らぎとなっています。子供がいないと、自分たちが年取ることにも鈍感だし、いつまでも自分たち自身が子供でいられるんですね。いい意味でも悪い意味でも。でもこの海外の厳しい環境の中では、そういうことって、結構大切なように思います。でないと、身も心も一杯々になってしまいますからね。


最後に、昨日、2人で散歩の途中に見つけた「変なもの」です。
これを2人で発見した時はもう、嬉しくて嬉しくてはしゃいでしまいました。写真だと何だかわかりづらいですが、直に見ると「トカゲ?!」とか思いましたが、伝説の龍だそうです。気持ち悪いやらとぼけてて可愛いやら。日本語でもサラマンダーでわかるでしょうか。とにかく雲1つない青空に、壁にへばりついた様子が面白かったです。                                                                                     

                                                                                                                     
                                                           

 

2014年4月15日火曜日

5か月ぶりのパリ   Me voici revune à Paris, après cinq mois d'absence !

 

一昨日の日曜の夕方、無事、パリのドゴール空港に降り立ちました。夫と友人が出迎えてくれ、2人の笑顔に元気を取り戻しました。 
飛行機は大韓航空。中々良かったです。特にソウルからパリへ乗り継いだ飛行機は、エコノミーなのに座席にゆとりがあり、窮屈な思いをあまりしないで済みました。客室乗務員の笑顔の対応も良かったし、食事(ビビンバやプルコギ)は美味しいのは当たり前にしても、コーヒーが抜群に美味しかった。意外ですよね。フライト中に、名の通ったカフェの、出来立てのコーヒーのような味わいで、何杯もおかわりをしたくなりました。これならまた、大韓航空を使っても良いかな、という感じ。

さて、5か月ぶりのパリですが、そんな私をパリはどう迎えてくれるのか - な~んて大げさな気持ちもありました。
一夜明けての月曜と同じぐらいの素晴らしい陽気だった今日、15日の火曜日ですが、更新している今、6時半でも真昼間のような明るさ。写真は、大体午後の1時過ぎぐらいです。場所は知っての通り、チュイルリー公園。パリの最初の用事が、オペラ座界隈での両替だったので、そのついでに寄りました。
晴天とはいえ、気温は14度ぐらい。肌寒いので、人々の服装は、まだ着込んでいる人が多かったです。夏になるとここは、もう海水浴場かというぐらい、皆、露出を楽しむ場でもあります。真ん中向こうに見えるのがコンコルド広場のオベリスクです。

  
ここチュイルリーは、マロニエが多く植わっていることでも有名ですが、今、マロニエの花はこんな感じです。あまりに日差しが強いので、写真がうまく撮れていませんが、感じ、わかるでしょうか。5分咲きぐらいでしょうか。どっしりとした大きな葉の間に、にょきにょきと上に向かって咲き始めています。このどっしり感、ふさふさとしていながら存在感のある葉と、満開になると人の顔よりも大きくなる花の大きさと、何もかもがスケールの大きいこのマロニエ、大好きな木です。

パリって、ちょっとした用事で出かけるだけで、すぐにあっという間に1万歩ぐらい歩いてしまいます。しっかりとした造りの靴を履いていないと、足が痛くなります。


あまりダラダラと書いても、まだ旅の疲れが残っているので早めに切り上げますが、最後にパリらしい街角を紹介します。 かの有名なサントノレ通り。1ブロック先には、サン・ロック教会がある界隈です。もう少しアップが良かったのですが、まだ遠慮があるせいか、遠目に人気のカフェを撮ってみました。
そういえば今、カフェのボーイさんのこと、もうギャルソン(Garçon) と呼んではいけないのだそうな。昔はそうした映画の名前もあったぐらいで、「ギャルソン!」と呼ぶことは普通のことでしたが、今は、軽いイメージがあって失礼ということで、「ムッシュー!」と呼ぶのが当たり前となりました。確か私が初めてフランスの地を踏んだ、1980年代後半では、まだギャルソンと呼んでいましたね。こんな変化も面白いものです。

さっきの言葉に戻りますが ― 5か月ぶりのパリですが、何というか、父がこの世界からいなくなった後のパリなんだ、という思いですね。 以前はパリに戻れば当然、父は日本のあの実家にいた訳ですが、今はもういません。もっと言えば、パリに来れば、父の存在はなくなっていたのですが、遠く離れた日本にはいた訳です。その違いは本当に大きいと思いました。もう、あの実家に電話をしても、誰も受話器を取る人はいないわけです。。

人が死ぬ、あの父が死ぬということは、こういうことなんだ、と改めて思いました。

そんな、この世から父がいなくなった世界、さらにパリに来て思うのは、何と言いますか、今までのこだわりがすっかり消えてなくなっていました。何のこだわりもなく、人々が存在しているのを眺めている感じです。良いのか悪いのか。とにかく、全てのこだわりがなくなっていました。ただ人々は忙しく存在しているのを感じます。

そして思うのは、「さて、自分は何を成し遂げるためにここにいるんだろう?」ということですね。

長くなると疲れるのでこの辺で。
読んでいただいてありがとうございます。

2014年4月11日金曜日

最後の東京便りです  La dernière lettre de la part de Tokyo. Je rentre enfin à Paris !


いよいよこれが、東京からの最後の便りとなりました。明後日、日曜の早朝に成田を出発します。

父が亡くなって、急きょ帰国となってからおよそ5か月。長かったような、短かったような。振り返るとあっという間ですね、何でもそうですが。でも密度の濃い5か月間でした。
今朝、父が通っていた碁会所の人たちがお線香を上げに来てくれました。「全く知りませんでした。」 もちろん、私たちが家族葬にしたために、伝え漏れた人々、でも、父を知る最後の人たちでした。こうしてみると、父も交友関係が広かったな、とつくづく思います。趣味が数多くあったので、色々な方面の方々が、父を慕ってお線香を上げに来てくれました。わかる範囲だけでも、囲碁将棋、詩吟、バードゴルフ、パソコン教室とありました。

写真の木蓮は、近所に咲いていたものです。木蓮が咲いているのを日本で見るのは久しぶりです。木蓮って、よく見ると、しっとりと豊かに大ぶりの花びらを咲かせる花木だとばかり思っていましたが、花の内側が真っ白で(ほんのり紅がさしていますが)、実は花だけ見ているとさわやかな花でもあると発見しました。ちょっと意外です。こう書き連ねてみると、女性も、この紫木蓮のようでなくちゃいけないかな、と思いました。東京便りの最後にこの紫木蓮をもってきたのは、もうすぐ帰るパリで、大好きな俳句の会にまた、参加できる期待からです。俳句の会の名前が、この「紫木蓮」なのです。

ところで、このパリ便りならぬ東京便り、見返してみると、花の写真がダントツで多いですね。次に多いのがスカイツリー、これは地元なので宣伝として当たり前ですが、次に料理でしょうか。
でも、今回は東京便りの最後として、すべて花で終えたいと思います。

こちらは、スカイツリーの4階部分、アリーナのところで咲いていた、「ミツバツツジ」です。
あまりに花色が美しかったので、感嘆の声をあげながら撮影しました。名前も美味しそうですよね。

普通のツツジより早く咲くタイプなのか、日が良く当たるからもう咲いていたのか知りませんが、枝の先に、たっぷりと咲いていました。あくまでも可憐で美しい花でした。                                                                      

こちらは近所といっても隣町。でももちろん、歩いて行ける距離範囲で、わたしの大好きな散歩コースに咲いていました。

本当に下町は、植木鉢を路面に並べて育てている家が多く、この時期は特に、歩いていて目移りしてしまいます。いつもシャッターチャンスを逃さないようにとカメラを持ち歩いているのですが、写してばかりいて散歩にならない、ということもままあります。
知ってる方だと挨拶したり、立ち話を始めたり。
それもまた、外に出る楽しみでしょうか。


こちらのお宅も、それこそ1年中、花が絶えたことがないぐらいの花好きで、通るたびに目を楽しませてくれます。

この通りは区役所へと通じる通りなので、「区役所通り」と名付けられているのですが、両側の家々には道路沿いに色とりどりの花が今、咲き乱れています。

この通りはまた、帰国した際に、父が生前中は、よくお寿司を食べに行く途中の道でもありました。
墨田区は、関東大震災、東京大空襲と、壊滅的な打撃を受けた土地柄か、道路は京都のように碁盤の目のように整備されています。友だちにそのことを言ったら、実際にそうなっているので納得、驚いていもいました。ここは下町といっても都心に近く、東京駅までなら車で10分かからないぐらいで行ってしまいます。

ミッションスクール時代、この下町に住んでいるのを引け目に感じていたものですが、どうしてどうして、大人になって暮らしてみるのに悪くない土地柄です。浅草まで行かなくても、下町の人情に触れることのできる土地です。
逆に言えば、悪いことができない(笑)。み~んな生まれた時から知っているから、「誰々ちゃんはこうだった、あぁだった」、というのが、未だに言い伝えられています。

最近知って笑ったのが、上の兄の小学生のころの話。八百屋のけいちゃんが教えてくれたのですが、わたしの兄は、子供のころとっても可愛かったらしく、あだ名が「ベイビー」だったとか。それ聞いて、「うっそ~!!」とのけぞりましたけどね。今じゃ立派なおっさんですから。


最後に、こちらの家のお花を載せます。
こちらは家から数分のところにあるお宅。こちらのお宅の花を載せるのは、実は初めてなのですが、それも、あまりにご近所なのと、それからあまりにたくさんの花を育てているので、どれを撮ったらいいのか分からなかったからです。
ここの家のシンボルツリーも、我が家と同じく大型のつるバラです。確か、「カクテル」という名のつるバラで、とにかく真っ赤な花をたくさんつけるので、遠目からもよく目立ちます。

本当は、隣家のSさん宅の花々も写したかったのですが、それはまた今度の帰国の時にしましょう。留守の間、うちの植木に水をやってくださる、心優しい人々です。その点は安心して家を留守にできます。


愛猫アビを載せようとも思いましたがやめておきます。

朝の行事として、神棚、仏壇、お地蔵様へと、朝一番に汲んだ水で一杯湯を沸かし、それで日本茶をいれてお供えします。父が生前、よくことわざや言い伝えを口にしたのですが、その1つに、「朝茶は難を逃れる」というのがあって、そのためにこの5か月間、それを実行してきました。


パリで、朝一番に飲むのはコーヒーでしたが、ここ日本では日本茶でした。上記の三か所にお茶を上げてから、届いたばかりの印刷のにおいのする朝刊を読む。もちろん、お茶を飲みながら。1人きりで過ごす、静かな夜明け。静寂なひと時。パリに帰ったらもう、それは叶わなくなるな~、と思いながら、今朝、最後の朝を迎えました。

でも、パリでも先に起きだすのはいつも私だった。真っ暗な中から、いつも1人起きだして、夫が起きるのを居間のテーブルで待っていた。そんな時がまた戻ってくる。悪くない。(村上春樹流につぶやく) 悪くないではないか!

皆さん、いつも読んでくださってありがとう。
次回からは、本当のパリ便りとなります。
今後とも、ご愛読、よろしくお願いいたします!



 

2014年4月8日火曜日

着物と帯 2    Les kimonos et les centures 2


着物と帯の第二弾です。
前回でもう、思い出とか書いてしまったので、あらためて書くことはないのですが、こういう着物と帯を持っていた、という記録にしたいと思います。手元に置いておかないものは、どなたかにあげるか、リサイクルショップに持っていくかしてしまいます。もう、母の着物の大半は、親戚の叔母たちにあげてしまいました。
                      
上の写真の着物のアップがこの左側の写真です。こうしてみてみると、青みがかって見えますね、光の反射の具合だと思います。 繰り返しますが、こうした淡いピンク色、桃色が昔から大好きです。ただ、この色は色白じゃないと似合わないので、普段すっぴんで通しているわたしも、この着物を着る時はきちんと化粧しないとダメでしょうね。





別の帯を組み合わせてみました。帯は正絹だと思います。
この着物、訪問着ですが、この色と、上の写真の帯の地の色は、ちょうど補色関係にあるので、ともすると地味になりがちなこの着物を、アクセントカラーを入れることで配色を引き締めています。派手な印象にもなりますね。こうした、着物と帯のコーディネートは、時間を忘れるぐらい、楽しいものです。下の写真の帯は、モチーフに2羽のピンク系の鶴がいるので、色調としては着物と同じで統一感がありますが、地色が白なので、さわやかさや格調が加わっているように思います。


濃いピンクの地色に、芍薬や藤、椿や梅といった、冬から春にかけての花々が共演しています。パッと見も派手な着物ですね。20歳ぐらいに、母が私用に残しておいてくれた生地を、父が仕立てに出してくれたものです。思い出の着物です。

その他にも、普段使いに着ていたものを紹介します。                                              左は、あまり着た覚えがないのですが、細かい文様と色使いが、今見ると改めて気に入りました。こういう色合いの方が、本当は実年齢にふさわしいのかな、とも思います。ただ、この着物に合う帯が見つからないので、パリに持っていくことはできそうもありません。
右は、2枚とも紬です。袖を通すと、暖かさが伝わってきます。  向かって左側の着物は、アップでみると、地にピンク色が入っています。なので、全体としては明るい紫がかった青に見えますね。 その青に、オレンジの名古屋帯を合わせてみました。       向かって右側は地色に白の混じったピンク色。こういう色味を鴇色(ときいろ)と言うんでしょうか。一応、若い女性向きの色となっていますが、案外、年を重ねた年配の女性にも似合いそうですよね。この帯も名古屋帯です。

さて、どの着物と帯を持って帰りましょうか。
パリの友だちからは、郵送はやめておいた方が良い、ということでした。お金が別にかかるそうです。夫は、船便にでもしたら途中で絶対捕られる、と豪語しています。お金になるから、と。全くどんな国なんだ、と思いますけどね。地元の郵便局でそれを話題にしたら、「え~~、そんなことがあるんですか~?」なんて、若い事務員がすっとんきょうな声を上げていました。もはや日本も文明国。郵便途中で荷物がなくなるなんて野蛮な国ではなくなっている訳です。まぁこれは、お国柄といいますか、国民性の違いでしょうね。イタリアなんて(な~んて書くとイタリア在住の人に怒られるけど)、カトリックが強いローマにあっても、ものすごい泥棒の数ですからね。


以前、夫の仕事の都合でローマの修道院に泊まっていたのですが、どうしてもタクシーに乗る状況になりました。乗って修道院で下してもらおうとしたとき、その運転手、大きなカトリックの修道院の正門入った前庭でですね、お金をちょろまかそうとしたんですよ。信じられます??
今となっては笑い話ですが、その人が実際に教会に行っているかは別にして、カトリックの総本山、お足下であるローマでこれをやるんですから。そもそも、キリスト教とは無縁の日本で、タクシーの運転手をしている人たちが、お金をちょろまかしたりしますか?ありえませんよね?そんなところからも、信仰の意味を考えてしまいます。
夫から、「人間は不完全なの。だからこそ信仰が必要なんでしょ?」という声が聞こえてきそうですが、あれは確信犯ですよ。日常的にやっている行為です。

今回は、着物と帯から、とんでもない話題となってしまいました。
でも、こんなことを自由に話題にできないようじゃ、とても万人に開かれている宗教とは思えません。夫からの批判覚悟で書きました。(パリに戻るのが近くなったせいで、ちょっと攻撃性が加わったのかもしれません。あしからず。) 旅の恥はかき捨て、というのと、平気で観光客からお金をぶんどるのと、どっちがどっち、とも言えませんかね。
(でも最近の日本人観光客は、すごく旅慣れているから、ほとんど問題を起こしませんよね。スマートで礼儀正しい。むしろ、大人しすぎて、何か不正があったら強い態度に出る、というのができないみたいです。)

皆さん、パリに来たら、うちに絶対寄ってくださいね~。













                          



2014年4月6日日曜日

着物と帯 1  Les Kimonos et les centures 1


帰国ならぬ帰仏ですが、いよいよ秒読みとなってきました。
13日の日曜の早朝に成田を発ちます。大韓航空です。ソウルのピンチョン空港を経由してパリのドゴールへと向かいます。飛行機の中で、大好きなキムチを食べようと思います。

ところで、暖かくなってきたので、着物と帯の整理を始めました。
母も着物好きで着道楽、予想以上にもっているのですが、大半は親戚の叔母たちに形見分けしました。私も母の影響で、子供の頃から日本舞踊を習っていたので、お稽古用の着物や浴衣を含めて、結構な数を所有しています。ただ、大半は20歳ごろまでの着物なので、袖丈が合わず、着ることはかないません。なので、1つ1つ袖を通して、着られそうなものを残して、後はリサイクルに回すことにしました。


これなんかは着物のモチーフとしては面白いですよね。これは手放さずに取っておこうと思います。
着物の美しさは、こうした裏地にも凝っていること。この裏地の色、朱色というんでしょうか、歩いている時の足さばきで、チラッと見えたりすると色っぽいですよね。

年のせいか、段々と着物の魅力がわかってきましたし、日常的に着こなしたいと思うようになりました。いかんせん、パリに住むので中々それは叶いませんが、それでもパリでは、お茶やお花、香道を楽しむことができますので、着る機会を見つけたいと思います。日本人には、着物がやはり一番の晴れ着、ドレスなんかより体型的に似合うと思います。
わたしは170センチあるので、もはや着物体型ではありませんが、なで肩の柳腰は、やはり着物が似合うようにできていると思います。


こちらは中学生ぐらいの頃、新年のおさらい会で着たものです。竹の直線的なラインと、葉のモチーフの取り合わせが大胆ですよね。
着物を整理していても、「あぁあの時着たね」とか、母がいたら何やかやと言ってくれたんでしょうが、そばには誰も、そういった事を言い合える人がもういないので、1人寂しい中での着物の整理でした。この畳の部屋は、10畳あり、母がお嫁入りで持ってきた桐の箪笥が3つ、並んでいます。長年にわたる湿気や乾燥で、引き出しを引くのが一苦労。そんな、ちょっとしたことも自分の心の中でつぶやくしかありません。

母の他界後は、この部屋で父が1人で寝ていました。寝るだけの部屋、寝室となっていました。
よく夜中に目が覚めて、父の寝ているこの部屋へ、父がちゃんと生きているか、確かめに行ったものです。恐る恐る、「パッパ~?」と呼ぶと、「なんだ~?」と答えてくれて、心底ホッとしたのを覚えています。
思うんですが、人の寝ている姿って、死んでいるように見えませんか?
わたしは襖を開けてこの部屋で寝ている父の姿を見るたびに、「死んだらこんな風になっちゃうんだ」と、繰り返し感じたのを覚えています。

19才で母を亡くしてからというもの、「死」というのもがものすごく身近になりました。
どんなに親しくなっても、いつかはこの人は死んでしまうんだ、という囚われの気持ち。苦しかったですね~。そうなると、人を真剣に愛することが怖くなってしまうんですね。

眠るように死んでいった、潔い生き様が、そのまま死に様になった父に、改めて誇りと感謝を覚えます。父のように生きたい、そして死にたい、と。(母は、持病もちでしたので、最期まで苦しんで死にましたが。それもまた、死への耐性を考えさせてくれます。)






好評に応えて(?)


親ばかならぬ、猫ばかでして。
なにか皆様のご好評をいただいたようですので、再度この子(猫)を載せてみます。
この表情、「なんなのよ?また写真?なめないで!」みたいな感じで好みです(笑)。この媚がない感じがたまりませんね。まぁうちの猫、生まれた直後から買っているので、普通よりはかなり人懐っこいのですが、甘えたい時にだけ甘えて、後はしらんぷり。甘えたいときだって、大体はエサが欲しい時なんですけど。

でも猫を見ていると、学ぶところが沢山あります。
しょっちゅう人間の顔色を窺って、機嫌を取ろうとする犬よりも、猫の方が健全なんじゃないか、という気がします(犬好きの人、怒らないでね。) そもそも、犬は人間に近すぎる。自分を犬と思ってないぐらいでしょう。だから痛々しくもある。むしろ私は、自分を分析するに、犬的な性格なんですよね。だから真逆の猫に惹かれる。「似てるから好き」というのでは、多分ないと思います。

だから猫のように自由奔放に生きてみたい、とか、好きな人にだって媚を売らないとか、そういうのに憧れるのかもしれません。
猫好きの方、どう思われますか?
 
今日のところは猫談義で終わりにいたします。あしからず。



2014年4月4日金曜日

あびちゃん


あびちゃん

可愛いあび
 目に入れても痛くないよ
 だって
 拾われてきてからずっと
 一緒に暮らしてきたからね

 最初は本当に生まれたばかり
 裏の空き地で生まれて
 近所のおばさんに拾われた

 猫が好きと知っていて
 我が家に届けられたあび
 本当に小さくて 小さくて
 体一杯震えてた

 すぐに私の部屋へ連れて行き
 温かくくるんで可愛がった

 今じゃ立派な雌猫だ
 長いしっぽを振り振りして
 「あび!」という呼び声に答える様は
 本当に愛らしい

 真正面から見つめ合い
 にっこりすると
 答えるように目を細めるの

 本当なの
 あびと私は
 気持ちが通じ合っているのよ

 あびちゃん
 あびちゃん
 可愛いあびちゃん

 いつまでも
 いつまでも
 長生きしてね
 そして
 この家を守ってね


2014年4月2日水曜日

桜 さらに満開!  Les cerisiers sont encore plus en fleur !


 こちらの桜は、市ヶ谷の土手のものです。飯田橋から四ツ谷まで続くお堀端の桜並木は、それは見事なものです。川面に並ぶ木々は、遠目には幻想的にすら見えます。少し離れたところにある、千鳥ヶ淵が有名ですが、わたしにはこちらの方が馴染みがあります。
手前には外堀通り、向こう側には様々な高層ビル、学校や大学、出版社などが立ち並んでいます。





 こうした美しさには、取り立てて言葉はいらないですね。
 明日からちょっと天気が崩れるそうで、晴天の元での満開の桜は今日まで、でしょうか。


こちらは我が家の2階に育つ椿です。以前にも紹介しましたが、白い方が咲きそろったのでご紹介します。赤色が先に咲き始め、桜の咲くこの時期に、白が咲くんだな、と、今回の滞在で初めて知りました。もうこの椿、40年以上、ここで咲いています。



こちらも、紅白混色の、これは梅でしょうか。友人と近所を散歩している時に見つけました。これも長年育てている内に、赤と白が混じりあって咲くようになったのかな、と思います。見事な青空に、よく映えています。



前回、海鮮丼を載せた時も思ったのですが、美しい花の下にこれって、美的にはどうなんだろう??と思いつつ、花より団子、ではなく、花も団子も、で載せることにしました。

近所のスーパーで、ご当地名産の弁当祭り(花見に寄せて)をしていまして、そこにあったのが、この、元祖、峠の釜めしです。お値段千円弱で、ちょっと高め?でもこのしっかりした器のことを考えたら仕方ないですね。味もほのぼの、懐かしく、添えられていたひょうたん型の漬物も美味でした。
味噌汁は、友達に、「作ることないわよ」と、市販のしじみ汁をお湯で溶いたものです。味噌が濃くてこれも中々でした。

この釜めしやさん、同じ群馬にある富岡製糸場が世界遺産になる運動に参加しています。富岡製糸場といえば、すぐに悲惨な労働下で働かされた若い女工さんたちを思い浮かべます。戦争って、本当にさまざまな場で、過酷なことを強いるものだなぁと改めて思います。
わたしも世界遺産になるよう応援します!!