2019年5月16日木曜日

実家のバラとデコルテについて  Des rosiers en fleurs et le décolleté

隣家のバラ Rose des voisins

日本(東京)はバラの季節ですね。
実家のマンションのお隣さんには、園芸に熱心なご主人がいて、うちがまだ古い一軒家だった頃育てていたバラをいくつか引き取って育てて下さっています。
上の写真はご主人が購入されたものですが、私自身もこうした色合いのバラが大好きなのでトップに載せました。こんな色合いのバラで思い出すのが、「ニンフの腿 cuisse des nymphe 」という名のバラです。美しい少女の腿、なんて、若々しさにも艶やかなこの色合いにぴったりのネーミングだと思いませんか ?





右の2枚は多分、うちにあった、
「ピエール・ド・ロンサール Pierre de Ronsard」と
黄色は「グラハム・トーマス Graham Thomas」だと思います。
(咲いてからまだご主人に確かめていないので)

こんな風に、お隣さんに限らず、ご近所との交流が残っているここ、下町に暮らせることは、今となっては幸せなことだと
つくづく思います。

ところで、こうした下町の人情の他に
このブログに書きたくなったこと。
それは件名にあるように、「デコルテ」についてです。

日本ではローブ・デコルテ robe décolletée という言い方で知られていますが、今月から令和となり、その式典で皇后はじめ、皇族の女性たちが着ていましたが、皆様ご覧になったでしょうか。

本来、フランスでローブ・デコルテといえば、その意味のなす通り、襟元を開けたドレスを意味します。
しかし日本の皇族が着用していたのは、ごくごく控えめなローブ・デコルテであって、本来のものと比べると胸元の開き方が小さいですよね。
これは日本文化を象徴しているものの一つと私などは見ているのですが、西洋の女性のように、胸の谷間までぐっと見せることは日本には馴染まないようです。

その視点で見ると、話は大分飛びますが、あの Me too で一躍時の人となった伊藤詩織さんへのバッシングの一つに、着ている服の胸の開きが大きい、というのがありました。海外暮らしが長い私の目からすれば、あの程度の胸の開き、つまりデコルテは何でもないことなのですが、日本の文化にどっぷり浸かっている人たちからすれば非難の対象になるのだ、と妙に感心したことを覚えています。

私自身の経験を書きますと、
先日総武線に乗っていたところ、遠目でも目立つほどの色の白い若い女性がある駅から乗ってきました。

「きれいだな(色が白くて眩しいな)」と思って何気なく目をやったら、すぐ隣に立ったのです。そしてすぐに目のやり場に困りました。
小柄な女性だったので、長身の私は彼女の胸元を見下ろす形になったのですが、日本女性としてはハッとするぐらい空いていたのです。谷間が見えるほどに。
女性ながらドキドキしましたね。
本当に目のやり場に困りました。


この体験から思うんですが、胸元を見せるなら、健康的でなくてはならない、ということ。普段から人に見せ慣れていて、夏のバカンスには避暑地の海でたっぷり日焼けして、という西洋女性のような、あっけらかんとした美しさというのが必要なんではないか ?

まだまだ奥ゆかしさが残っている(そう、残っていると思うんです)、あるいは隠す美学という背景のある日本において、大きなデコルテは下手をすると悪目立ち、もっと言うといやらしくなってしまう危険性がある、ということですね。

伊藤詩織さんに関して言えば、容姿端麗、流暢な英語、これだけで世の女性たちの反感、つまりはコンプレックスと嫉妬なわけですが、それが加味されていると私は思います。

でも結論としては、日本ではデコルテはほどほどが良いんじゃないでしょうか、ということでした。

良い週末をお送りください。
Bon week-end !!