2014年2月24日月曜日

今更ですが、、、「1Q84」 へのオマージュ


久しぶりにパリでの写真を載せます。もちろん、まだ日本にいますが、ちょうど1年前のパリで撮った、メトロの写真です。村上春樹の翻訳本がパリに発売されたころです。
以前にも書いたように、私は彼の大ファン。ファンとしては興奮するポスターでした。彼へのオマージュ(敬意、賛美)として載せます。 モデルとして、このような、まさに日本的と言える顔の女性を起用したところがまた良かったし(まさにこういう顔は東洋の美の典型です)、このように大々的に、しかもメトロの通路のあちらこちらに見かけたのは、大ファンの私としては自分のことのように得意に思いました。
村上春樹の人気は、パリでもすさまじく、メトロの中で熱心に読んでいる人を何人か見かけました。
彼のペーパーブックを熱心に読んでいる金髪の美女とか。まさに、世界の村上です。(ちょっとほめ過ぎ?いえいえ、これぐらい言わないと気が済みません。)

まぁミーハー的な表現はさておき、彼の実力は、日本でも誰もが否定できないでしょう。好き嫌いはあるにしても。でも批判する人って、きちんとしっかり読んでいるんでしょうかね。作家同様、文芸批評なるものは、私は好きではないので(それだったら原文を読みます。)、どんな批評がされているか、実際には知らないわけですが。彼の天才的な文章力、物語の構成力、そして文体の独自性と適確性は、誰も否定できないのでは?と思います。

彼の著作をほとんど読破しているし、繰り返し読んでもいますが、そこから見えてくる作家自身の独自の世界は、読む人を引きつけるだけでなく、自分の人生の共通のモチーフを発見することになります。特に私が感じるのは、彼が、若いころに経験した、とても近しい人の死、あるいは取り返しのつかない出来事。それがとても痛いほど伝わってきます。そこから、人は何を学ぶのか、追体験するのか。西欧文化に多大な影響を受けつつも、最後に必ずしも救いがやってくるわけではないところに、日本的なものも感じます。

ここ数年、ノーベル文学賞候補の筆頭となりながら取れないでいる。これは一種のいじめではないのか??と思ってしまいます。(海外にも、もちろん、嫉妬やいじめは横行しています。人種差別だけではありません。)


上と同じ場所での撮影ですが、ポスターの大きさが分かるように、人が写っているものも載せます。
(何しろオマージュですからお許しください。)
村上春樹のすごいところは、毎日走ることを何十年も継続していることもあります。健全が絶対良いとは言いませんが、それまでの作家のイメージを払しょくした、ということではかなり画期的ですよね。昔の、夏目漱石や芥川龍之介、川端康成、阿部公房、太宰治、 どれをとっても不健康というか、体を壊す方向で生きていたし、早死にもしている。村上春樹は、彼らともちろん、肩を並べるほどの、現代の大作家である。
そして最後に1つ。彼はなにかつけ、自分は、ものを書いているとき以外は、まったく普通の人間だ、と言っているのだが、それこそが、彼が天才だということの証だ、と私なんかは思うのである。

彼の書き紡いでいる世界観に癒されている、あるいは高揚している1ファンの独り言でした。

2014年2月16日日曜日

追悼ミサ


また更新速度早いですが、今日は大事な記念日だったので書くことにしました。
母校のキャンパス内にあるチャペルで、父の追悼ミサを挙げていただきました。本来は、時永神父様の追悼なので、父の名前はミサ中に読み上げていただきました。久しぶりの母校、そして父がまさに神父から洗礼を授けていただいたチャペルに参列することができて、とても感慨深かったです。しかも第二朗読を務めさせていただきましたので、とても良い記念になりました。泣かないようにするのが大変でしたが。

写真は、そのチャペルとは別の、駅近くにある聖堂前広場にあった雪だるまです。ひょろなが~いのが面白くて撮りました。前庭は、全くと言っていいほど雪かきが行われていなかったので、このように地面一面も雪でした。この聖堂では、時間帯を変えて外国語のミサが行われるので、私たちが通った時もそのうちの1つが終わって、聖堂と堀端に挟まれた道路上に、東南アジアの人たちが屋台を出していました。東南アジアの人は、熱心ですよね~。びっくりするぐらい信仰熱心です。

ミサ後、「偲ぶ会」として、場所を移動して中華レストランで会食をしました。とても楽しい、充実した時間でした。


前後しますが、ここがチャペルの中の様子です。前から2列目に座ったのでこのように撮れました。真ん中にある典礼台で、第二朗読を読み上げました。父の追悼のミサで、朗読を担当できたのは、本当に良い記念になりました。窓からは、庭にそのまま残っている雪が太陽光に反射して、それが燦々と入っていました。昨日までの大雪がウソのように晴れ上がって、まるで神の祝福を受けているように輝いていました。

今日で1つのことが終わった、強くそう思いました。
次は2週間後の納骨です。今度は先祖代々のお墓のある浄土真宗のお寺さんです。
葬儀はキリスト教式、納骨は仏教。日本人としては普通のことですが、ここまでもってくるのにちょっと苦労しました。納骨も無事終わるようにがんばります。

すみません、またまた個人的な内容になってしまいました。
父の記念として書かせていただきました。




2014年2月13日木曜日

考えたこと - 村上春樹の「独立器官」を読んで


気が付けばもう、2月も半ばになろうとしている。
この間の豪雪の影響は、もう東京の街にはそれほど残ってはいないが、また今週末にかけて雪がちらつくとか。まだまだ寒い冬である。

今日、何年かぶりで年上の友人たちと会ってランチをし、おしゃべりを楽しんできた。年配の人らしく、話題は病気のことや、親兄弟が痴呆になった経験などが多く勉強になった。しかし帰宅してからドッと疲れが出て、いつもいる1階の居間で横になることにした。
そうすると、嫌でも目に入るのが、障子の桟にかけてある、父と母の遺影だった。「あぁ、本当に二人とも死んじゃったんだなぁ」としみじみ思った。母が他界したのは、かれこれ30年近く経つので遠い昔だが、父のことも何だか遠いことのように思える。2人共が元気だった、自分の子供の頃のことが、まるで嘘か幻想のようにも思えてくる。

思えば、2人共が生きていた子供の頃は、本当に幸せだったなぁと思う。思春期には、それなりに友達との関係で悩んだ時期もあったが、とにかく母が愛してくれていたので大事にはならなかった。本当にわたしは愛されて育ったし、幸せな子供時代だったとつくづく思う。「校内暴力」とか、「家庭内暴力」という言葉が使われ始めていた時代ではあったが、あの70年代から80年代にかけての日本は、高度経済成長ということもあって、何か、前向きな、楽しい雰囲気があったように思う。昨今のように、家族崩壊が普通に見られるような時代ではなかった。

話は変わるが、「文芸春秋」の最新号を買った。もちろん目当ては、150回目の芥川賞受賞作ではなく、村上春樹の短編、第四弾を読むためだ。
告白すると(というほど大げさなものではないが)、私は村上春樹の大ファンである。日本で好きな作家をあげろと言われたら、彼がダントツ筆頭だ。誰が何と言おうが、彼は文章家として天才だし、彼が日本の文壇とやらに衝撃を与え、大変革を迫ったことに間違いはない。

内容を言うと面白くなくなるので触れないが、題名は「独立器官」という。これを題名にもってきたところがまたすごいのだが、それはともかく。読み終わって、わたしは深く考えた。大体、小説を読み終えた後は、その世界から受けたもろもろの感情を、つらつらと頭の中で反芻する。特に彼の小説には、そうさせる魅力があるのだ。
少し書くと、主人公が、「一体自分は何者なのか?」と、人生で初めて、正真正銘の愛を知った後に問い続ける。わたしは、この疑問は、常日頃から持ち続けている自分にとっての命題の1だ。「自分は一体何者なのか?」あるいはもっと言えば、「何のために生きているのか?」ということ。

あまり長くなると読者に負担を与えるのでもう切り上げるが、それらのことと同時に、大切な人を失った悲しみというのを、どう癒していけばいいのか、ということがある。それは、まさに来月であの痛ましい災害から3年が経とうとしている、福島を始めとする、あの津波や地震で近しい人を亡くした人たちとの結びつきを感じさせる。
この間テレビで、そうした人たちの悲しんでいる様子が、改めて特集されていたが、そうした深い悲しみを表現すること、他の人と外で分かち合うことが、何かすごい圧力でできなくなっているという言葉があった。そんなことを口にすると、復興の妨げになるから、と。わたしはそれを聞いて、強い憤りを感じた。大切な人を失った悲しみでさえ、充分に表現されることが許されないのか、と。

深い共感からくる人との繋がり。それこそが、人を立ち直らせる原動力になるのではないだろか?


長いのに、読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

2014年2月8日土曜日

東京 13年ぶりの大雪


ブログ、更新したばかりですが、東京が13年ぶりの大雪ということでアップすることにしました。
今朝は寝坊して9時ごろ起きたのですが、窓の外は完全な雪景色。今、テレビでさかんに各地の大雪警報を出しているが、東京の積雪量4センチと言っているが、写真にあるように、ヴァージンスノーの状態から見ると、すでに10センチは積もっている。
我が家の猫も、さすがに家から出ずにホットカーペットの上で丸まっている。


2階にあるベランダの様子。ガーデンチェアの奥にあるのは大きく茂ったローズマリーなのだが、まるでホワイトクリスマスといった趣。
テレビでは横浜の中華街や浅草の様子、そしてディズニーランドを映しているが、閑散としている様子。ただ、「雪だから人が少ないだろう」と思って来た、と笑う若いカップルもいる。
世は多くの大学の受験日。地方から受験に来ている子供たちは、「雪だとわかっていたので昨日から都内のホテルに泊まっている」という強者もいた。大学側は、受験開始時間を遅らせて調整をしているようだが、ある意味人生を決するこの日に、こんな大雪とは気の毒だ。テレビで映った男子は、「これだけの悪条件で、出せる力を出し切れたら自信になる」と言ってた。自分の大昔を思い出して、寒さで指がかじかまないように、手をしっかり温めていたのを覚えている。

とにかく、混じりけのない雪が、こんなにひっきりなしに降り続いている様子を見ていると、やはり東京では珍しいことだなぁと思う。
パリは珍しい暖冬とか。所変われば天気も大幅に変わるものだ。やはり異常気象。でも、雪を見るとワクワクするのは、東京育ち所以だろう。

これから明日の未明まで降り続くと予報されているこの大雪。停電の恐れもあるとか。
家から出ないで、ゆっくり過ごしましょう。
 

2014年2月6日木曜日

浅草寺参り 2


また晴天を利用して、浅草寺参りをした。
とにかく墨田区の区役所や税務署通いをしているついでに、用事が終わると橋を渡って浅草寺をお参りしている。役所関係の用事は神経を使うので、それをほぐすのに丁度よい。
最近は、人力車のお兄さんたちの強引さが緩和されたみたいだし(実際、以前は強引過ぎるとクレームが多くあったらしい)、仲見世を歩いていると、いろんな国の言葉が聞こえて楽しいものだ。
今、日中韓の関係の悪化がまことしやかに報道されるが、少なくとも浅草では、みんな仲良く観光を楽しんでいる。意識して見ていると、「外人」とは言っても、白人系ではなく、中国人、韓国人がやっぱり多いみたいだ。

今日も無事、用事が済んだ、とお参りしてから、前回とは逆に、浅草寺の西側にある影向堂、薬師堂の方へと足を向けた。そこで見つけたのが写真の紅梅。「あ、咲いてる!」と思わずパチリ。
背後には、第二次大戦の終戦まじか、3月10日の東京大空襲で、ここら一帯も焼け野原になり、多くの人命が失われたことから、「浅草大平和塔」というものが建っている。二度とあの過ちをおかすまい、という、人々の強い願いが込められた塔となっている。


塔の手前には流水があり、流れ落ちたところの池には、たくさんの錦鯉が泳いでいた。お腹がすいているのか、じっと見ているだけでこの通り、寄ってきた。でもなぜ、池の底に人はコインを投げるのかなぁと不思議に思った。ふと、夫と行ったローマのトレビの泉を思い出した。後ろを向いて願掛けをしながらコインを投げる、あの風習。この風習って、世界共通のものなのか、とちょっと思った。それはともかく、あのトレビの泉の願掛けは効きますね。今までに2回、願掛けしたのですが、2回とも叶いました。夫とは、お礼参りとしてコインを投げたものです。

日本列島は、例年にない寒さで震え上がっている感じですね。東京も、また土曜日には雪が降るとか。でも冬は寒いのが当たり前。この寒さと、晴れた時の日本の青空。存分に堪能しています。