2018年4月28日土曜日

満開のマロニエ  Les marronniers en fleur


パリは、先週からの好天気で、数日前からマロニエの木々が満開を迎えています。
例年より数週間早い感じがします。マロニエの木といえば、ポプラや菩提樹などと並んでパリの代表的な街路樹の一つですが、やはりこうして花が満開になった時が一番華やかで存在感を持ちますね。マロニエには白とピンク色があるのですが、ピンク色の方が木として若い場合が多いです。圧倒的に白色が多いのですが、白色が老木化したり病気に弱いということから、新しく植えられるのがピンク色なのだそうです。ピンク色のマロニエの木の方が、丈夫なのだとか。

ピンク色のマロニエは、このように後から植えられたものが多いため、このように白色に比べると木も小さいです。

写真だと遠近法で分かりづらくなっていますが、この手前のピンク色の背後にある白色の木は、表紙の写真と同じ木で、背の高さはピンク色の倍以上はあります。
でも正直、私は白色の方が好みですね。


このマロニエの花が満開になると、一年で最も気候の良い、素晴らしい季節が来た、と思うわけですが、パリの初夏はパリジャンと同じ一筋縄ではいかず、必ず肌寒い時期があります。現に、一昨日あたりから最高気温が15度前後となり、薄着ではちょっと肌寒い気候です。ともあれ、明るく日差しがあれば、多少の肌寒さはなんのその、思い切り外で日光浴をします。

日本も今日からゴールデンウィーク。今年はかなり長期ということで、海外への脱出組が多いとか。でも行き先は近場が人気みたいですね。
とはいえ、私たち夫婦にとってはとても大切な方々が日本の京都から見えられるので、お出迎えするのがとても楽しみです。どうかこの好天が続きますように....

皆様はどんな休暇を過ごしますか?
Bonne vacance et bon week-kend !!







2018年4月22日日曜日

スカートをはく日  La journée de la jupe

パリのメトロの中にて
続けて更新します。

先日、面白い映画を見たのです。ひょんなことから、Isabelle Adjani イザベル・アジャーニ主演の映画「La journée de la jupe スカートをはく日」を夫と Arte(フランスとドイツの共同出資のテレビ局)のサイト上で自宅で見ました。
簡単にストーリーをお話すると、「難しい地区」とされるパリ郊外の中学校で国語の教師をしているアジャーニ演じるソニアは、ある日突然出て行った夫のことで神経過敏になっている状態で学校に行きます。そこで、生徒たちのいつもの傍若無人ぶりについに切れ、教室に錠を下ろして生徒たちを(結果的に)閉じ込め、籠城してしまいます。生徒の一人が拳銃を持っていたことで生徒の一人が負傷を負うところから事態は先鋭化し、教室の外では警察やその特殊部隊、マスコミ、そして教育省の女性の文部大臣まで張り込む事態に発展していきます。テレビには泣きわめく生徒たちの親たちが映し出されます。人質として生徒たちを監禁している形になってしまったソニアですが、そこで様々な問題提起をしていきます。そんな中、最後、生徒たちを解放する条件としてソニアが出した、女生徒に年に一度スカートをはかせる日というのを国の法律で定めるという要求に答える形で幕が降りるはずだったのが、拳銃をソニアから取り上げた別の生徒が、生徒の一人を銃で撃って殺してしまいます。そのことに衝撃を受けたソニアが、入って来た機動隊員に錯乱状態に陥ったと判断され、撃ち殺されてしまうのです。

なぜ彼女が女生徒にスカートをはかせることを願ったかというと、皆さんもパリに観光に来て、女性たちがまるで制服のようにデニムを履いているのに気付く方もいらっしゃるかもしれません。事実、本当にパリでは女性はスカートをはきませんし、それは年齢に関係ありません。なぜか? それはずばり男性に襲われないためなのです。ズボンをはいている女性を襲うのは大変ですが、スカートだと簡単だから、という理屈です。
もちろん、パリの女性たちもスカートやワンピース、特にこのように気温が上がるとはきます。しかし、この映画の舞台になった、パリ郊外の、いわゆる Banlieue と呼ばれる地区の一部、貧しい人々の住む地区では、強盗、窃盗、殺人、そして強姦が頻発しているため、女性はスカートなどはけないのです。映画の中でも、一人の女生徒が、同級生たちに輪姦される動画が携帯上で発見され、ますますソニアの絶望と怒りは頂点に達します。
またこの Banlieue では、人種問題、そこには必ず宗教の違いが顕現してくるわけですが、それが先鋭化しています。映画の中での生徒たちは、そのほとんどがイスラム教徒かユダヤ教徒です。何か教育的なことをソニアが言うたびに、ソニアを生粋のフランス人と決めつけている生徒たちの罵詈雑言が飛び交うため、結局はピストルで脅しながらの授業となっていきます。その一つに、ソニアがユダヤ教徒の生徒の一人に言わせた、「En France, l'injure raciste est punie par la loi !! 」(フランスでは、人種差別的発言は、法律で罰せられる)と何度も言わせるくだりは、超ど迫力で、彼の国との違いに鳥肌がたったほどです。そうなんです。少なくとも公の場で、人種差別的な言動は、フランスでは法的に厳しく罰せられます。
またこの映画の悲劇性として、実はソニアは生粋のフランス人ではなく、アラブ人の両親をもったイスラム教徒であったということです。そしてなぜそれを隠していたかというと、フランス語の教師であるから、ということでした。ここにも問題提起の根がありますね。また、彼らと同じ人種として、彼女が心底彼らを救いたいと願ったこともわかります。

今 日本ではセクハラ問題で沸いていますが、その観点からも、この映画は非常に示唆に富んだものと言えます。世界中を席巻した Me too で、遅ればせながら声を上げ始めた日本女性たちですが、フランスを例にとっても、その国の文化的背景を無視してはできないことだとも思います。先進国でも、恋愛を謳歌しているフランスでは、カトリーヌ・ドヌーブの発言を待たずとも、男性のいわゆるセクハラを大目に見る文化があります。しかしことこの映画のように、プリミティブな現場では、スカートをはくということが、イコール男性にレイプされてもOKと取られるという、フェミニストが聞いたら怒り心頭のことが常識となっていることもあるのです。
セクハラ問題は、いじめ問題と似ていると私なんかは思うわけですが、その理由の一つに、今でこそタブーとされていますが、セクハラを受ける側にも責任があるということ。申し訳ないですが、私はそれを全面的には否定しません。なぜなら、フランスの Banlieue 問題のように、先鋭化された現場では、人間は非常に野蛮であるからなのです。つまり、人間も動物と一緒で、それを理性で制御するのが社会性をもった人間というわけですが、無法化された世界では人間は野性的にならざるを得ません。だから対策として、犯されたくなかったらズボンをはけ、となるわけです。(それだって状況次第では防ぎ切れませんが、少なくとも容易くはないですよね。)

一方で、映画に出て来る女性の大臣が、ソニアの要求を聞いて、女性が昔、ズボンをはける権利を獲得するのにどれほど闘ったかを言うくだりがあって面白いと思ったのですが、時代は一巡して、今度は女性はスカートをはく権利で闘わなくてはならなくなったのですね。彼女はつまり、女生徒がスカートをはいても安全であるという世界を構築したかったのです。
結果的にソニアが命をかけて要求したその権利が認められ、今でもフランスの学校では一年に一度、スカートをはく日があるそうです。(実際には、この映画は2009年の上映でしたが、2006年、しかも Banlieue  ではなく地方都市の Rennes での高校生たちによる運動でした。)
しかしつい最近も、フランスの国会で、エコロジストの女性議員が、普段はパンツスーツだったのにその日はスカートをはいてきたということで、男性議員からのヤジや口笛が飛んだぐらいですから、いやはや、男って、どうしようもなく単純な生き物ですよね。
もちろん、そんなことで、セクハラ問題を軽く考えるつもりは毛頭ありませんが、もっと人間の性という原点にもどって考える必要性もあるのではないでしょうか。



パリも夏日  Les jours estivaux à Paris

Parc Montsouris モンスーリ公園
先週の半ばごろから、パリは本格的な暑さとなっています。
今朝の日本のニュースで、この時期としては異例の、真夏日を関東で観測されたそうですが、パリでも異例の暑さ、日中は30度近くとなっています。
寝室の内装工事を終え、まだまだ部屋の中はごった返しているものの、こんなお天気で家の中にいるのはもったいないと、昨日の日曜日は日差しがさんさんと照り返す屋外に繰り出しました。このブログでも再三書いているように、フランス人は日光浴が大好き。少しでも日が差そうものなら、薄着になって外で過ごします。昨日は午後からカトリックセンターに行くこともあって、近所の森ではなく、Cité Universitaire の目の前の Parc Montsouris へ出かけました。ここへは、我が家からは tramway (なぜか英語が使われるのですが、路面電車です、エコロジーの観点からパリでは路線拡張が進んでいます。)でパリの périphérique (外周環状道路)の南回りで行くことになります。うちからは起点となる Porte de Vincennes から乗るわけですが、14区の Cité Universitaire まで、大体20分ほどの旅程です。ですがその20分の間には、13区の通称チャイナタウンも通りますし、郊外にも近くなるので、乗客の顔ぶれが変わっていくのが面白いのです。


今や、はっきりとした住み分けが定かではなくなりつつあるとはいえ、地区による特徴は厳としてありますね。でも私は14区のアカデミックな雰囲気も好きですが、チャイナタウンの人種のるつぼ的な状況も嫌いではありません。アジア人はもとより、アラブ系、ユダヤ系と、電車の中に乗っているとフランス語以外の言語が飛び交っていて、それはそれで楽しいものです。

写真はすべて、モンスーリ公園内です。この公園も、パリ市内にある他の多くの公園のようにアップダウンのある作りになっていて、もとは石灰岩を掘るための採石場だったそうです。

ところで話は変わりますが、先日、とある教会付けのパーティで、日本びいきのフランス人女性に出会いました。そのパーティは、日仏カップルが主催したものなので、そもそも日本びいき、あるいは日本に一度は社用か何かで行ったことのあるフランス人たちの集まりだったのですが(思い返してみると、黒人の人がいなかったと思い至りました。)、その japonisante (いわゆる日本びいきの人)の女性は、とにかく陽気で、日本語を少しずつ話しては我々と爆笑するということを繰り返していました。日本に二度旅行で行っており、すごく楽しかったこと、仕事はインターネットゲームのソフトの音響を担当していて、日本のアニメ、とくに宮崎駿が大好き、そしてパリ郊外に本拠地のある仏教系の新興宗教の信徒だということでした。
なぜカトリックの教会に仏教系の新興宗教の信者が来ているのかは、そこらへんは日本的なアバウトさに免じて受け入れるとして、とにかく彼女の日本への情熱、passionに圧倒されましたし、ほとんど感動すらしました。この情熱、愛は、一体どこから来るんだろうと考えますが、「好き」という気持ちに理屈はいりませんよね。


翻って自分はといえば、お恥ずかしい限り、まだ擦れている自覚はないですが、「フランス大好き!」と叫んでいた自分はどこに行ってしまったんだろう? と反省しきりでした。批判精神ばかりが発達してしまって、あの、純粋な気持ちはどこに行ってしまったのだろう?
もちろん、一時的な旅行者と違って、生活者ですから、日々受ける事柄にすっかり毒されてしまう面があるのも致し方ないですが、やはりキリスト者として愛に生きる以上、批判精神だけではふさわしいと言えませんね。最大のテーマである「 ゆるし合い」が必要だと実感しました。

しかし長くパリ、海外生活をしている日本人は、個性豊かですが、それぞれの日本という祖国への思い入れも強弱があって、びっくりするぐらい、日本人であるという事への誇りを持っている人々もいます。長く日本を離れて、外から日本を見ること、世界の中の日本という視点から見ることに慣れてくると、どうしても批判することになる訳ですが、その批判する原点をどこに置くのかによって、その中身も大きく変わってきますよね。私の場合はやはり、キリスト教徒としての判断基準となりますので、何も西欧諸国におもねった批判ではないということをお伝えしたいと思います。ちなみに、よく言われるように、キリスト教は、西洋の宗教だから日本人には合わないとの意見がありますが、とんでもないことです。言うまでもなくキリストはユダヤ人であり、祖国のベツレヘムはイスラエルという中近東の国だ、ということを忘れてはなりません。旧約の地であり、世界最古の文明の地とされるチグリス・ユーフラテス川にはさまれたメソポタミアも、日本から遠いとはいえ、アジア大陸なのですから。

Denfert-Rochereau の café の fraise melba ストロベリーメルバ
閑話休題。
パリに住んでいると、日々様々なドラマに出くわし、そんなことには一つも驚かないわ、というクールな態度を身につけがちですが、幸いなことに、と言いますか、性分なので開き直るしかないのですが、非常に強い好奇心のおかげで、日々、倦むことなく暮らしています。退屈は人生の一番の敵、という見方からすれば、決して飽きることない世界に暮らしている私は、その一番の敵とは合わずに済むとはいえ、それはそれで疲れるものです。開き直るのに、かなりの年月を必要としました。やはり知的好奇心と共に、肉体的な体力発散も、それには不可欠ですね。

先週の火曜日、17日に52才の誕生日を迎えました。実母が他界した年齢になってしまいました。昔の女性は、本当に老成していたものだと、つくづく感じます。母が死んだ時、私は19才、大学一年の冬でした。もう30年以上も昔になりますが、母が生きている間、十分に愛してくれたことが、今を生きる原動力になっています。

季節外れの暑さ厳しきおり、どうぞご自愛ください。







2018年4月7日土曜日

春たけなわ  C'est le printemps !

Jardin des plantes (パリ5区にある植物園)
昨日、買い物がてら、夫と植物園の花見に行ってきました。その前日にここを訪れた友人が、「もう半分以上咲いてるわよ」と言われたためです。しかもこの日は更に気温が上がって20度近くになっていたため、満開になっている可能性もあると見込んだのです。
その思わくが的中し、園内に植えられている桜はほとんどが満開状態でした。

上の写真はご覧の通りの桃色ですが、これはほぼ満開。


この白い枝垂れ桜は日本から持ってきたもので、この植物園でも春の花木としてとても人気があります。

遠目の写真でもわかるように、かなりの横幅があり、下の枝は、地面につくほど枝垂れています。一部トンネルのようになっていて、内部に入れるのですが、白い花のトンネルの中にいるようで、上品な香り満喫できます。
日本にこんな白い桜の品種があるのかしらと思いつつも、その壮大な美しさは、人種を超えて一見の価値があると思われます。


さて、復活祭も終わり、カトリックの暦の上では復活節となりました。「さぁ〜肉を食べるぞ〜」と意気込むのはカトリック教徒だけではありません。キリストの受難を終えて、大斎・小斎も終えて主がご復活された今、禁じられた肉食の解禁となった訳ですが、ユダヤ教徒たちも過越の祭りを終えて、普通の食事が楽しめる時期となりました。

下の写真は、家の近所のトルコ料理店で、ご復活直後にとったランチです。肉の骨付きの塊は羊の足、じゃがいもとの煮込みで、付け合わせはお米ではなく小麦粉の穀物。パンはピタパンです。
羊肉は癖があるから、と敬遠する人もいますが私は大丈夫、と、ナイフとフォークで格闘して食べましたが、後で顔に赤い吹き出物ができました。やはり羊肉の脂って、刺激が強いようです。
調味料の赤唐辛子でできたアリサも、吹き出物にひと役買ったかもしれません。


昨日から一気に気温が上がったパリですが、朝晩はまだ10度を下回っているので、早朝に外出する学生や、夜遅くに帰宅するサラリーマンは、まだしっかりとした厚手のコートやジャケット、襟元にはウールのマフラーを巻いています。

明日は、今年受洗した人たちを祝う、白衣の式がサン・ルイ島を拠点として、ノートルダム大聖堂で行われます。新しく洗礼を受けた人は、今後一年間をネオフィタ Néophyte と呼ばれ、勉強を続けます。明日は、洗礼を受けた時に着た、真っ白い衣をまとって、ノートルダムへの道を歩きます。
毎年私はその白い衣を見るたびに、キリストが、復活の前表として3人の弟子の前に現れた時(主の変容)の白く輝く衣を思います。白い衣は、復活の喜びを表現しているのですね。洗礼を受けた後も、キリスト者としての自覚を忘れず、日々歩んで行きたいと思います。私の代母は、「しっかりとぶどうの木であるキリストに掴まっていましょうね」と言ってくれました。この世の荒れ狂う風雪に、吹き飛ばされないように‥

Mimoza dans le jardin des plantes 園内のミモザ、盛りを過ぎる













2018年4月2日月曜日

主のご復活おめでとうございます ! Joyeuses Pâques !

Boulevard du Montparnasse モンパルナス大通り

久し振りに更新します。
前回の投稿が1月22日で、日本への一時帰国の直前で終わっているので、2ヶ月以上ぶりの更新となります。皆様の記憶から、すっかり遠のいていることと思いますが、忙しさのためにとても余裕がなかったので致し方ありません。
Il y a longtemps que je n'ai pas renouvelé mon blog : je suis rentrée au Japon à la fin du mois du janvier et y restais  jusqu'au début du mois de mars. J'étais très prise, mais j'ai vu mes amies et mon séjour à mon pays était très heureux.

今回の一時帰国では、2月のひと月を日本の福島市と東京に滞在しました。
2月といえば冬の真っただ中でしたが、北陸地方の記録的な豪雪があったとはいえ、福島も東京もおおむね晴れの、明るい日本の冬を満喫してきました。日本は真冬でも朝日が輝き、その朝日で目を覚ますことができます。これはパリではまず考えられないことです。あとはお風呂ですね。いつでも好きな時にお湯をはって湯船につかれるというのは、パリで普段生活している者にとってはものすごく贅沢なことなのです。
Cette fois-ci, j'ai séjourné à Fukushima où mon frère aîné demeure et à Tokyo tout au long du mois de février. Même si c'était au milieu de l'hiver, il faisait beau temps presque tous les jours et je pouvais me réveiller le matin grâce du rayon du solei matinal. C'était magnifique ! D'ailleurs, il y avait le bain qu'on puisse prendre au temps favori à la maison, ça c'était aussi le paradis !

この間に、色々なことがありました。
3月の初めにパリに戻ってから、キリスト教徒としては、昨日のご復活の主日まで四旬節でしたから、たくさんの典礼を経験してきました。特に今年は二人の日本人男性が、パリの日本人共同体において洗礼を受けたので、その一人の代母としての役割もありました。そのお二人が無事洗礼を受けて、多くの人から祝福されたことは、誠にお目出度いことでした。洗礼は、大きな目標としての通過点ですが、キリスト者として歩む第一歩でもあります。彼らと共に、私たちもまた、気持ちを新たにして、光の子として歩んで行きたいと思います。
Retour à Paris, comme une chrétienne, j'ai vécu beaucoup de liturgies jusqu'au hier, dimanche de Pâques. Particulièrement, deux japonais ont reçu le baptême à l'aumônerie japonaise et comme j'étais marraine de l'un des japonais, j'avais beaucoup de rôles. Le baptême c'est le point de passage vers un grand objectif, mais aussi un premier pas d'un chrétien. Avec les nouveaux baptisés, nous aussi, renouvelant les voeux du baptême, marchons comme un enfant de la lumière !

Avenue des Champs Elysées シャンゼリゼ大通り
Esplanade des Invalidesアンヴァリッド前広場
Lapin de Pâques 復活祭のうさぎ