2018年4月22日日曜日

スカートをはく日  La journée de la jupe

パリのメトロの中にて
続けて更新します。

先日、面白い映画を見たのです。ひょんなことから、Isabelle Adjani イザベル・アジャーニ主演の映画「La journée de la jupe スカートをはく日」を夫と Arte(フランスとドイツの共同出資のテレビ局)のサイト上で自宅で見ました。
簡単にストーリーをお話すると、「難しい地区」とされるパリ郊外の中学校で国語の教師をしているアジャーニ演じるソニアは、ある日突然出て行った夫のことで神経過敏になっている状態で学校に行きます。そこで、生徒たちのいつもの傍若無人ぶりについに切れ、教室に錠を下ろして生徒たちを(結果的に)閉じ込め、籠城してしまいます。生徒の一人が拳銃を持っていたことで生徒の一人が負傷を負うところから事態は先鋭化し、教室の外では警察やその特殊部隊、マスコミ、そして教育省の女性の文部大臣まで張り込む事態に発展していきます。テレビには泣きわめく生徒たちの親たちが映し出されます。人質として生徒たちを監禁している形になってしまったソニアですが、そこで様々な問題提起をしていきます。そんな中、最後、生徒たちを解放する条件としてソニアが出した、女生徒に年に一度スカートをはかせる日というのを国の法律で定めるという要求に答える形で幕が降りるはずだったのが、拳銃をソニアから取り上げた別の生徒が、生徒の一人を銃で撃って殺してしまいます。そのことに衝撃を受けたソニアが、入って来た機動隊員に錯乱状態に陥ったと判断され、撃ち殺されてしまうのです。

なぜ彼女が女生徒にスカートをはかせることを願ったかというと、皆さんもパリに観光に来て、女性たちがまるで制服のようにデニムを履いているのに気付く方もいらっしゃるかもしれません。事実、本当にパリでは女性はスカートをはきませんし、それは年齢に関係ありません。なぜか? それはずばり男性に襲われないためなのです。ズボンをはいている女性を襲うのは大変ですが、スカートだと簡単だから、という理屈です。
もちろん、パリの女性たちもスカートやワンピース、特にこのように気温が上がるとはきます。しかし、この映画の舞台になった、パリ郊外の、いわゆる Banlieue と呼ばれる地区の一部、貧しい人々の住む地区では、強盗、窃盗、殺人、そして強姦が頻発しているため、女性はスカートなどはけないのです。映画の中でも、一人の女生徒が、同級生たちに輪姦される動画が携帯上で発見され、ますますソニアの絶望と怒りは頂点に達します。
またこの Banlieue では、人種問題、そこには必ず宗教の違いが顕現してくるわけですが、それが先鋭化しています。映画の中での生徒たちは、そのほとんどがイスラム教徒かユダヤ教徒です。何か教育的なことをソニアが言うたびに、ソニアを生粋のフランス人と決めつけている生徒たちの罵詈雑言が飛び交うため、結局はピストルで脅しながらの授業となっていきます。その一つに、ソニアがユダヤ教徒の生徒の一人に言わせた、「En France, l'injure raciste est punie par la loi !! 」(フランスでは、人種差別的発言は、法律で罰せられる)と何度も言わせるくだりは、超ど迫力で、彼の国との違いに鳥肌がたったほどです。そうなんです。少なくとも公の場で、人種差別的な言動は、フランスでは法的に厳しく罰せられます。
またこの映画の悲劇性として、実はソニアは生粋のフランス人ではなく、アラブ人の両親をもったイスラム教徒であったということです。そしてなぜそれを隠していたかというと、フランス語の教師であるから、ということでした。ここにも問題提起の根がありますね。また、彼らと同じ人種として、彼女が心底彼らを救いたいと願ったこともわかります。

今 日本ではセクハラ問題で沸いていますが、その観点からも、この映画は非常に示唆に富んだものと言えます。世界中を席巻した Me too で、遅ればせながら声を上げ始めた日本女性たちですが、フランスを例にとっても、その国の文化的背景を無視してはできないことだとも思います。先進国でも、恋愛を謳歌しているフランスでは、カトリーヌ・ドヌーブの発言を待たずとも、男性のいわゆるセクハラを大目に見る文化があります。しかしことこの映画のように、プリミティブな現場では、スカートをはくということが、イコール男性にレイプされてもOKと取られるという、フェミニストが聞いたら怒り心頭のことが常識となっていることもあるのです。
セクハラ問題は、いじめ問題と似ていると私なんかは思うわけですが、その理由の一つに、今でこそタブーとされていますが、セクハラを受ける側にも責任があるということ。申し訳ないですが、私はそれを全面的には否定しません。なぜなら、フランスの Banlieue 問題のように、先鋭化された現場では、人間は非常に野蛮であるからなのです。つまり、人間も動物と一緒で、それを理性で制御するのが社会性をもった人間というわけですが、無法化された世界では人間は野性的にならざるを得ません。だから対策として、犯されたくなかったらズボンをはけ、となるわけです。(それだって状況次第では防ぎ切れませんが、少なくとも容易くはないですよね。)

一方で、映画に出て来る女性の大臣が、ソニアの要求を聞いて、女性が昔、ズボンをはける権利を獲得するのにどれほど闘ったかを言うくだりがあって面白いと思ったのですが、時代は一巡して、今度は女性はスカートをはく権利で闘わなくてはならなくなったのですね。彼女はつまり、女生徒がスカートをはいても安全であるという世界を構築したかったのです。
結果的にソニアが命をかけて要求したその権利が認められ、今でもフランスの学校では一年に一度、スカートをはく日があるそうです。(実際には、この映画は2009年の上映でしたが、2006年、しかも Banlieue  ではなく地方都市の Rennes での高校生たちによる運動でした。)
しかしつい最近も、フランスの国会で、エコロジストの女性議員が、普段はパンツスーツだったのにその日はスカートをはいてきたということで、男性議員からのヤジや口笛が飛んだぐらいですから、いやはや、男って、どうしようもなく単純な生き物ですよね。
もちろん、そんなことで、セクハラ問題を軽く考えるつもりは毛頭ありませんが、もっと人間の性という原点にもどって考える必要性もあるのではないでしょうか。



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