2016年12月29日木曜日

年の暮れに   à la fin de l'année 2016


今朝もパリは良く晴れています。そのため気温はかなり低め、外は2度です。
いつも書くことですが、空に雲ひとつないような、良く晴れた日はかえって寒いというのが不思議なのですが、ちゃんと調べてみたら、答えはありました。夜間に起こる放射冷却によるのだそうです。地面から放出されるエネルギーが、雲のない空には、そのエネルギーが雲による吸収や跳ね返りがないために、放出され続けて地表付近の温度が下がるのだとか。私は子供の頃は完全な文系人間でしたので、こうした物理現象には興味がなかったのですが、大人になってみると面白いですね。理屈が分かる、という意味でも。


さて、また飽きもせずノートルダムを訪れました。
何度も行けるところが現地に住む人間の醍醐味ですが、本当に飽きません。
これは私がカトリック教徒であるからという事とは関係なく(無関係ではもちろんありませんが)、こうした歴史建造物の見事さには、見ている人を飽きさせる事はないんじゃないか、と思います。そうしたことは、京都・奈良の神社仏閣にも当てはまることでしょう。十代のころの修学旅行で、京都のお寺巡りをした時は、メニューに従って、一日にいくつもお寺を見たために、一つ一つの印象が薄れてしまい、どこも一緒、の様な感想を持ちましたが、そうした見学方法自体が問題なのであって、それぞれのお寺の魅力には、換え難いものがあります。


面白い角度で撮ってみました。というのも、こちらの空に、かもめの群れが飛び交っていたからですが、不思議に写っていませんね。シャッターを下ろした時には、もういなくなっていたのかもしれません。

面白いといえば、この大聖堂の前庭に、中国人の団体さんがいた事です。それ自体は珍しくもなんともないのですが、皆女性で、ピンク色の全く同じコスチュームを着て、旗の下、記念撮影をしていたのです。皆さん、にこやかで楽しげでした。その様子を撮る観光客も大勢いました。今や観光地にアジア人がいる事は、本当に当たり前のことになりましたね。


今年のノートルダム前のクリスマスツリーを、ようやく見ることができました。
今年はさすがにテロの影響で、設置する時期も遅かったし、こうして飾りつけも質素なものとなっています。例年だと、この前庭に、見上げるような高くて大きい1本のツリーが置かれ、装飾もキラキラ、華やかなのです。
それにしても、イヴや当日に、何事もなくて良かったです(少なくともパリにおいては)。
ただ、25日のミサの時にびっくりしたのは、ミサの後、教会を出る時に、入り口に迷彩服を着て自動小銃を持っていた兵隊さんたちが警護していたことです。やはりテロを警戒してのことでした。

またテロの話?と日本人の傾向として、こうした負のイメージをいつまでも書き続けることに、抵抗を示す人がいますが、これは紛れもない事実。こうした現実を、ただボーっと何も考えずに適応する危険を自覚して欲しいと思います。


私個人としては、「常に目を覚ましていなさい」という聖書の箇所を思い出しますが、これは教会の花婿であるキリストが、いつ現れるか分からないのだから、という下りなので、テロと結びつけるのは無理がありますし、間違いなのでしょう。ですが、負のイメージ、人の感情を逆なでしたり、気持ちを重たくしたり、あるいは怒りすら起こさせるような事には目をつむる、というのは現実的ではありません。自分に都合の良い事だけを現実として、その他の事は受け入れない、というのはこの国では通用しません。

なぜこうした事を書くのかと言いますと、「ボーっと何も考えずに適応すること」が、権力者側の人間にとって都合が良い、という事実を見逃してはならない、と思うからです。歴史認識が甘いと言われる日本人が、海外でどの様な目に合うか、そろそろ目を覚ます必要がありそうです。

もちろん、先進国である西欧諸国が牛耳っている世界観がすべて正しい訳ではありません。その事は、過去の歴史を見れば明らかです。西欧諸国が植民地で行った事は、はっきりと間違いであったし、その負の遺産に適応しなくてはならなかった現地人の苦悩は、未だに続いています。

そこで問題なのは、日本人として、「どちら側に立つのか?」という事です。
そうした「どちら側の人間なのか?」が、今、非常に問われているということを、知って欲しいと思います。
ただし、西欧人でも日本人でも、過去の歴史を反省し、被害者側の人たちを連帯している人も大勢いるという事実も忘れてはなりません。そこには何が真実で何が正しいことなのかが、明確になっているからです。日本の国内では通用するような相対主義が、こちらでは通用しないどころか、何物も解決しないことを知って欲しいと思います。

少々辛口で、偉そうなことを書きました。
2016年という年も、こんな想いを乗せて暮れて行きます。
皆様におかれましても、佳い年越しとなりますように。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。








2016年12月24日土曜日

イヴに   à la veille de Noël


念願のシャンゼリゼの写真を載せます。
ですがこれは今月の初旬に撮ったもので、まだベルリンのテロが起きる前です。
あのテロ以来、パリは更に厳重体制となり、警戒を強めています。
改めて行こうと思っていたシャンゼリゼですが、今日、明日は差し控えようということになりました。
ついにドイツでもテロが発生し、犠牲者が出てしまいました。黙祷を捧げます。
また、無事にクリスマスが過ぎますようにと祈るばかりです。


という訳で、イヴも当日も、家で静かに過ごすことになりそうです。
でも昨夜は、親しい友人たちを招いて夜半過ぎまで楽しく過ごしました。
パリの家で人を招くのは久しぶりだったので、かなり段取りに手間取りましたが、友人たちの温かい参加に、心が癒されました。



こちらは、パリに駐在していたご夫妻から、結婚記念に戴いたものです。4つのロウソクの火の熱によって、くるくるとクレーシュ(中央の馬小屋)が回る仕組みになっています。
あまりに早く回るので、見ていると目が回ります。




ところで日本人留学生が、フランスの東部にあるブルゴーニュ地方の一都市、ブザンソンで行方不明という事件が起きましたね。未だ彼女の行方がわかっていないということですが、こちらのメディアでは、はっきりと殺人事件と位置づけています。もちろん、それなりの確証を得てのことなのでしょうが、日本のメディアとの違いを見せ付けられています。何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるみたいです。
悲惨ですね。日本女性がまた標的になった、という感が否めません。日本にいると、海外での生活に、どんな危険が待ち構えているか、分かったつもりでも、本当には分かっていない、認識がどうしても甘くなってしまう、という典型例だと思います。彼女がとった行動への詳細な批判は避けますが、この事を教訓としてこちらに来る人は学んで欲しいと思います。せめてものそれが、彼女へのオマージュとなることでしょう。

イヴとはいえ、世界は悲惨な出来事に溢れているように感じますが、そんな中でもいかにして希望を失わずに生きて行くのかが問われているように思います。

「人は人。自分は自分。生きている以上、死ぬ時まで精一杯生きるしかない。」と、亡き父はよく言っていました。確かに、他人事としてやり過ごすことで、自分の日常を保っていく事に専念できるのですが、でもそこに、悲惨を想像し、自分のものとして考えてみるというステップも人間としては必要なのではないか、と思います。想像し、そうした人々と気持ちを分かち合ったり、時には連帯して何かの行動を起こすこと。そうしたことが、生きがいになるのではないでしょうか。

世界の貧困や病、欺瞞、そして悲惨のためにこの世に生まれてきたキリストのことに、少しでも想いを馳せることができたら、と思います。

そんな願いを反映するかのように、街はひっそりと静まり返っています。

もうそろそろ、聖夜のミサが始まります。。




2016年12月16日金曜日

佳境 


クリスマスに向けての雰囲気も佳境となってきましたが、
街の様子をお伝えする前に、シリアのアレッポでのことに触れたいと思います。

この度のロシアによる反政府の市民たちへの爆撃により、多くの方々が亡くなった事に関し、心から哀悼の意を表したいと思います。この一件も、複雑で一筋縄では行かない問題となっています。フランス側の報道として目立つのは、アレッポの一般市民が多数虐殺されたことで、「我々にはもう、人権を語る資格はない」というものです。ロシア側としては、ヨーロッパのためにやったんだ、というもので、ヨーロッパとしては沈黙せざるを得ない面もあります。
日本は全くの対岸の火事という感じですが、ロシアという国の恐ろしさを知っているという意味では、ヨーロッパの国々と一緒なのではないでしょうか。第二次大戦時に、ロシア軍の捕虜になった日本兵が、シベリアでどんな目にあったかは、忘れてはならない事でしょう。強大な国、ロシア。いみじくも現在日本を訪れているプーチンさんですが、一体ロシア相手に日本が何を要求できると言うのでしょうか。。

 昨日、14区に住む友人宅へ招かれた際に撮った一連の街の様子を載せてみたいと思います。

まず14区ですが、左岸のカルチエ・ラタンからちょっと南に位置する地区で、こちらもパリらしい、おしゃれで文化的な地区です。もし引越しをするならここら辺に住みたいものです。
あまり言いたくないですが、私の住んでいる地区とは、明らかに違う人種が街中を歩いていますし、おしゃれな服装をした美男美女が多い。パリは地区によって住み分けがハッキリしていますね。

上の写真は、14区最大の駅と言ってもいい Denfert-Rochereau の近くのパン屋です。こちらのパン、美味しいのですが、私が買いに行くといつも英語で話されるのが気に食わなくて、最近買ったためしがありません。夫からは「小さい声で話すからだよ」と言われますが、他店ではそんな扱いはされたことはないのです。よくよく考えてみるとこのお店、場所柄日本人の観光客が多く訪れるところだそうで、日本の人、特に観光客はフランス語ではなく、英語を話しますからそれで、ということに思い至りました。それにしても、きちんとしたフランス語をこっちが話しているのですから、英語で返すのは失礼です。

犬を連れたパリジェンヌが前にしているのはチーズ屋さん。主にヨーロッパのチーズを売っていますが、大抵のものはここで手に入ります。
右は見ての通りワイン屋さん。もちろんワインだけでなく、シャンパンも各種売られています。そういえば、先月のボジョレーヌーボーですが、こちらではほとんど報道されませんでした。

紹介が遅くなりましたが、ここは14区で一番メジャーな商店街、Rue Daguerre です。カトリックセンターからは一駅分の距離なので、夫とよくセンターから歩いて買い物に行きます。

上は果物屋さん、ここではスペイン産のミカンをよく買います。キロ当たり3ユーロちょっと。日本のミカンに似て、こぶりでむき易く、そして甘いのです。
左は日本人の間では特に知られている魚屋さん。客も日本人が多いため、お店の人も日本語で話しかけてくれるなどとても親切です。
右はクリスマスにかかせない七面鳥や鴨を売っている肉屋さんです。
店内では丸焼きをしているグリルの機械が回っています。

こうして見てみると、何屋さん、何屋さん、と売っているものによってお店が違って、立派に商いが成立しているフランスは、日本より豊かなのではないか、と思います。日本はこういう文化、商店街が消えつつあって、何もかも売っている大型店舗に様変わりしていますし、お店の人とのやり取りを通じて買い物をするという風習もなくなりつつあるのではないでしょうか。ここパリでは、人とのコミュニケーションなくしては、買い物一つできない、という文化です。

とはいえ、鴨もさることながら、恒例のフォア・グラも可哀想ですね。私はもともと内臓系が苦手なのでフォア・グラも滅多に食べないのですが、以前リヨンのあるお店で、カリッと焼いたバゲットの上に、フォア・グラの一切れとアプリコットジャムが乗った一皿を食べたことがあって、それは絶品でした。こうした食べ方をすれば食べられる、と発見でしたね。
それにしてもフランスのテレビでフォア・グラを作る様子を見て、とても直視できませんでした。あぁ、人間は何て残酷なのだろう、と。
そんな事をつらつら思い出しながら歩いていたら、「動物を殺すな!食べるな!」というビラを配っているベジタリアンの人々がいました。
やはりここはフランスだな、と再確認でした。

花屋さんもこの通り、クリスマス向けの商品を所狭しと売っていました。
ポインセチアやヒース、そして年中花を咲かせているサフィニアの類。もちろん、もみの木サパンは、店の前、写真の手前側に並んでしました。(最後の写真がそれです)

それにしてもつい先日、光化学スモッグで、空にもやがかかったようになった日が続いた時はびっくりしました。12月に入ってから、日中も零下と冷え込んだせいで、暖房や車の排気がスモッグとなって漂い、高層の建物の上部が白く霞んで見えませんでした。そのため車の通行規制が実施され、その代わりバスやメトロが終日無料という措置がとられました。
中華街の高層マンションが白い煙で見えなかった光景、写真に撮りたかったですね。エッフェル塔も、霞んでみえたそうです。とても中国のこと、笑えませんね。


次の日曜には、待降節における黙想会を兼ねた日本語ミサがカトリックセンターにて行われます。それが終わるとひと段落、親しい友人を招いてのクリスマスとなります。今から何をつくってもてなそうか、わくわくしながら考えています。でも狭い我が家、果たして多くの人を呼んで大丈夫でしょうか?皆様も何はともあれ楽しいクリスマスをお過ごしください。当日に、世界のどこにもテロが起きませんように。。


2016年12月12日月曜日

ノートルダム大聖堂、再び  Cathédrale de Notre-Dame à nouveau  


「次回はシャンゼリゼ」と予告しましたが、十分な写真がないので、再びクリスマス前のノートルダムを載せます。申し訳ありません。
この時点(11月末)では、恒例の大型ツリーの設置はなく、いつも通り、前庭では観光客で賑わっていました。でも待降節自体は、11月の第三日曜日から始まっている訳で、その時点から普通はクリスマス向けの飾りつけやイリュミネーション等がなされるので、この写真の時にまだツリーが置いてなかったということは、テロを懸念してのことかもしれません。その可能性を示唆するように、聖堂内部ではしっかりと飾りつけが施されていました。もちろん、テロとなれば、建物の内部の可能性が大きい訳ですが...


ところでアメリカ大統領選が終わり、トランプ氏に関する様々な物議が続いていますが、こちらフランスでも、来春の大統領選に向けての立候補者による宣伝活動が活発になっています。現大統領であるオランド氏が立候補を取りやめたことで、メディアによるからかいや、逆に賞賛の声まで上がるなど、こちらも賑やかです。
そもそもフランスの大統領は、前大統領のサルコジさん以前までは、それ相応の風格のある人物が歴代修まっていて、二期務めるのが当然でしたが、サルコジさん、オランドさんと、揶揄の対象となりやすい人物がなるようになり、フランスも地に落ちたな、という感じでした。が、今度の社会党からは、エマニュエル・バルス、保守からはフランソワ・フィヨンということで、久しぶりに全うな選挙戦となりそうです。
カトリックの多くはフィヨンを支持、どうも次期大統領はフィヨン氏が有力候補ですね。


我々夫婦は、カトリックとはいえ日本人ですし、当然保守などではありませんが、テロで痛めつけられているフランスとしては、保守や極右が台頭してくるのも無理はないところでしょう。
しかし極右の票が伸びることに関しては、さすが共和国、警鐘を鳴らすということが一方で必ず沸き起こりますから、日本人としては割合楽観視していられると思います。他方で、極右の有力者の一人の奥さんは日本人であるということは割りと知られていますし、日本の右翼とも繋がっているというまことしやかな噂もあったりします。

何はともあれ、極端な排外主義思想を撲滅しなくては、世界の平和は保てません。




以前、不具合でご紹介できなかった、聖堂内の大型のクレーシュ(馬小屋)を載せます。
やはり分かりづらいですね。混んでいたのと時間がなかったのとで、見易い角度からの撮影は難しかったのです。
これはイエス・キリストが誕生したベツレヘムの村の様子で、風車小屋や、井戸、村人たちの生活が描かれています。ここには写っていませんが、誕生したばかりの救い主を求めて、東方からやってくる三人の博士のフィギュアもありました。文字の読めない人々が多くいた時代、ステンドグラスと同様、こうした手作りの人形によっても、聖書を学ぶ機会となっていたのでしょう。


平和への祈り、日本でも年越しの除夜の鐘を鳴らしながら祈りますが、本当に、心からの平安を一人ひとりが強く願うこと。そして願うだけじゃなくて、行動を起こすことが重要だと、パリにいるとつくづく感じます。自分の言動が、誰か何かを差別しているのではないか、偏見に基づいていなか、常に、(そう、常に、なのです!)意識することが、ここ、パリでは求められています。何が真実で何が正義なのか、この国では明確なのです。

キリスト教徒としてはキリストこそ真実なのですが、多宗教も受け入れることは、特に日本人としては大切なことですね。

昨日はカトリックの日本人共同体として、クリスマスバザーを開きました。教会の目の前の通りで骨董市が開かれたお蔭もあり、たくさんの人の来場となって、大盛況となりました。
バザーの直前に、骨董市の売り場に宣伝に行った夫は、日本人のカトリックだと言ったら、「珍しい!」と握手を求められたそうです。しかしこちらとしては内心複雑です。全くのフランス人のカトリックの立場とは、違う立場(もちろん日本人として)をとっている訳で、いつもジレンマです。
でもそんなジレンマを抱えつつ生きることも、また一つの楽しみかな、と最近は思うようになりました。「自分が日本人である」というアイデンティティを忘れてはならない、自分は決してフランス人ではない、という、強い意志も必要ですね。

パリの街はテロの警戒態勢中とはいえ、クリスマス気分に染まっています。
こちらはクリスマスのための休暇というのがありますから(その代わり正月休みというものはありません)、子供たちも休み前、勉強なんか手に付きません。
何はともあれクリスマス、
楽しいクリスマスをお迎えください。









2016年12月4日日曜日

ルーブル、再び   Musée du Louvre à nouveau


再びルーブルへ行きました。
この日も私たち夫婦二人だけ。ちょっと寂しい気がしましたが、皆さんの予定とかみ合わなかったようです。

この絵は、有名なアヴィニョンのピエタです。
フランス絵画の部門に行くと、入り口から入ってすぐの所に設置されています。
待降節のこの時期にこの絵を最初にもってくるのはどうかと思いましたが、
キリストの誕生から、この十字架による死を迎える時というのは神のみ旨として定まっていたのですから、あながち季節外れとも言えないかな、と思い載せてみました。
二人のマリアの嘆きとヨハネが実に情感豊かに描かれています。
でもあれ、左端の人は誰だろう?と思うのですが、これはこの絵の寄贈者だそうです。この時代、寄贈者を絵の中に描くことはよくあったそうです。


ちょっと美術館の中の様子を載せてみます。

この日は日曜日で、人が多くいたのですが、館内に入るとこの通り、ひっそりとしています。
建物が大きいからと言えばそれまでですが、入り口の混雑ぶりからは想像できないほど、館内は森閑としているのがいつも不思議です。

上は磔刑図ですが、
普通の磔刑図と違うのは、背景に、当時のパリの様子が描かれていることで貴重なものとなっています。例えば左背景にはセーヌが流れ、その沿岸に、ルーブル宮とブルボン宮が見えますし、キリストの向かって右にはパリの守護聖人であるサン・ドゥニが描かれています。


このフランス絵画は、リシュリュー翼にあり、地上3階(日本式には4階)に位置しており、絵画展の階の窓から下を覗いたところを撮りました。ずっと以前、亡父がパリを来訪した折にじっくりと見て回った、ローマ時代の彫刻が置かれている箇所です。ちょっと懐かしいので載せてみます。
地上3階とはいえ、人の小ささから、かなり高い位置にあるのが分かります。


こちらも3階から撮りました。中庭です。向かって右の方角に、ピラミッドの入り口があります。
やはり普通の建物の3階よりはるかに高い位置にあることが分かりますね。


最後に、わりと好きな絵を載せます。
日本の人にも人気がある、17世紀前半に描かれた、のジョルジュ・ラトゥールの「いかさま師」です。ラトゥールは、人物の身振りや視線に細心の注意を払って描いたとされ、ダイヤのエースを隠し持っている若いいかさま師の傲慢さがよく表現されています。正面の女性の、疑いそうな目つきも面白いし、全員が動物に喩えられるという点も面白いと思います。
私は実はトランプゲームが好きで、若い頃結構楽しんだことを思い出しました。あぁ、また友人たちとやりたいものです。


所変わって、また家の近所のナシオン広場です。
今度はもみの木を、販売用に仕上げるための作業をしていたのでまた載せます。

 左のように、筒状の機会にもみの木を通すことによって、
網をかけ、すぼまった形にします。
今どこでも、店の前で売られているのは、
こうして網をくぐらせた状態にして立ててあります。
さすがもみの木の本場、工夫が凝らしてありますよね。
この手前では、若いお母さんが、小さい女の子につき従ってしゃがんでこの機械の説明をしていました。


先日、友人のコーラスの発表会があり、シャンゼリゼに行ってきました。
その時は夜の10時を回っていたので、当然イリュミネーションが点灯していて、
「今年のデザインは、このLEDになってから一番趣味がいいね!」と友人たちと語り合いました。

次回にご紹介します。






2016年11月26日土曜日

パリ散策  Promenade à Paris


久しぶりに友人と会うついでに、パリの中心地を一人で散歩しました。
一週間ほど前に、左側の腰を痛めてしまい、何をするのも大変でしたが、むしろ歩いている方が体が楽だと分かってからは、また外出をする気になりました。仕事の翻訳は、長時間パソコンを前にして座りっぱなしなので、立ち上がるたびに激痛が走ります。これはどうしようもないことのようです。

写真は、セーヌをはさんで対岸がシテ島です。
右に少し見えている橋はポン・ヌフ。この日もどんよりとした、パリらしい天候となりました。


お馴染み、セーヌ河岸のブキニスト、古本市です。
この日の気温は10度をちょっと切るぐらいだったので、それほどの寒さではありませんでした。
むしろ晴天になると気温が冷え込むようです。週明けの予報は晴天、気温は5度を切る見込みです。


セーヌの水も、どんよりしてますね。

このところの曇天、雨模様で、上流からの土砂が流れ込んでいるのでしょう。でもこの色こそが、セーヌ独自と言えるでしょう。



こちらは Préfécture de Police、パリの警視庁です。
ここで、外国人は滞在許可証を取ったりします。私の10年の許可証も、来年の誕生日(4月)に切れますので、そろそろ切り替える準備を考えないとなりません。
写真では分かりづらいですが、ここにある街頭は、柄の部分に彫りがしてあって、とても素敵なんですよ。


ここまで来たら、やはりここでしょう、ということで、待ち合わせの場所でもあった、ノートルダムに辿り着きました。
ここはいつでも観光客で賑わっていますが、天気のせいか、心なしか人が少なかったようです。
広場前の巨大なツリーを当てにして来たのですが、まだ置かれていませんでした。残念です。
でもカテドラルの中は、しっかりクリスマスらしい飾り付けになっていました。


左は入ってすぐの所に、天井からぶら下がっているオーナメントです。
下は、通常の、ろうそく立て。クリスマスが近いだけあって、灯されたろうそくの数が多かったように感じました。
側廊の奥には、大きくて入念なクレーシュ(馬小屋)が飾られていました。人が多くてうまく写真が撮れなかったのが残念です。

最後に、家の近くの通りを載せてみます。
落ち葉が綺麗に掃き集められていました。


こちらは、ナシオン広場に設けられた、クリスマスツリー(サパン)の売り場です。
このもみの木がこうして展示され、売られるようになると、いよいよ今年もクリスマス(ノエル)が来たな、と思います。
とはいえ、パリでクリスマスを迎えるのは、私にとってはかなり久しぶりのことなので、懐かしいという気持ちと、ワクワク感が混じっているような、子供のような気分でいます。

これはモルヴァンという森から伐採した木で、
一口にもみの木といっても様々な品種があるようです。
右の方に、木の種類と値段が張り出してあるのですが、その木の品種と、その大きさによって値段が異なります。
一つチェックしたのは、épicéa といって、マツ科の針葉高木がありました。大体下は15ユーロから、上は80ユーロぐらいまで。
本物の木を使いたい家族向けのサパンですね。


この日会った友人と、上に載せた、パリ警視庁前にある、クリスマス向けオーナメントを売っているお店で、色々な、でも小さいものを買いました。大切なあの方に送ろう、あの人にも、などと考えながら選んでいたら、すっかり遅くなってしまいました。
クリスマスって、子供だけでなく、大人にとっても胸躍るような、楽しい時期ですよね。
ついつい、可愛いものに目がいってしまう自分をいさめながら、でも楽しいひと時でした。
皆さんはもう、クリスマスの飾りつけ、済みましたか?




2016年11月22日火曜日

夜長にて  Dans la nuit longue


秋の夜長。
俳句では、「夜長」は秋の季語なので、「秋の」とつけなくても良いのですが。
その夜長に、今一人でことこととポトフを煮込んでいます。
夫は週一回の夜の授業で未だ大学にいるので、一人の時間を楽しんでいます。

この間、カトリックセンターで、上の階に住んでいる黒人の赤ちゃんと遊びました。
一緒にいた日本女性が、「あら可愛い」と、思わず抱きしめて抱っこしているのを見て、
「私にも抱かせて」と、代わりばんこに抱っこしました。
多分その子(女の子)も、日本人が珍しいのでしょう、きゃっきゃと大喜び。本当に可愛かった。
私にとって、黒人の赤ちゃんに触れるのも抱っこするのも初体験、私も大喜びでした。
そう、そばにいた体の大きいお母さんもすごく嬉しそうで、何度もお礼を言われました。


さてポトフですが、わりと本格的につくっています。
ネットで日本のレシピで簡単な作り方が多く紹介されていますが、
こちらは肉も本場、ポトフも本場の料理なので、ポール・ボキューズさんのレシピを参考にしています。
何が違うかというと、肉が違うんですね。こちらのポトフ用の牛肉には、さまざまな部位を使うのです。具体的には、大人の去勢牛 boeuf と子牛 veau のそれぞれのすね肉 jarret、その去勢牛の胸肉 poitrine de boeuf としっぽqueue de boeuf の骨も使います。それらの肉は、2時間煮込まないと食べられないのです。つまり、2時間煮込んでようやく柔らかくなるわけですね。しかも安い。キロ当たり12ユーロ程度です。1キロ使うとしても、2人で2~3回に分けて食べられることを思えば、やはり安いです。
ポイントは、肉を真水からゆでて、煮立ったら弱火にしつつ、灰汁を丁寧に取っていきます。
この「灰汁を丁寧に取る」というのがポイント。そしてしっかり透明な煮汁になったら2握りのあら塩を入れ、2時間、ふたをして煮込むのです。
あとは適当な、ぶつ切りにした野菜(カブ、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ等)とブーケガルニを入れて柔らかくなるまで煮込むだけ。
手間がほとんどかからないのに、本格的なフランス料理が出来上がります。



こちらは今朝、夫がつくってくれたポテトサラダです。
乱切りにしたゆで卵と、缶詰のツナを入れたのがポイントでしょうか。

パンはくるみ入りのパンで、マックス・ポワラーヌのもの。スーパーで手に入るんですよ。
奥に、バターの横にあるのが、先日ディジョンに行ったときにマイユの本店で購入したマスタード。
色とりどりのマスタードの中から、ハーブ入りの緑色と、木の実の入った黄色、そして芥子の入った、パッションフルーツ入りのオレンジ色と、3色買いました。どれも美味しいです。


あ、2時間、煮込み終わりました!
後は夫の帰りを待つばかりです。。


因みに落ち葉ですが、
区の職員が、高圧空気噴射器で落ち葉を飛ばして集めていました。
こちらでも放置はしないのですね。何だかとっても楽しそうでした。








2016年11月16日水曜日

晩秋-ミニマリストへの考察  Fin de l'automne - réflexion sur le minimaliste


11月も半ばを過ぎ、秋も終わりに近づいてきました。
気温はさほど変わりがありませんが、このところの雨で気温が緩んでいます。
今朝も10度を越す気温、空を覆いつくしている雲でうす暗く、部屋の中では明かりが必要です。

街はクリスマスの飾りつけが始まりました。
日本ほど派手でも豪華でもありませんが(今のところ)、物を売るお店ではちらほら見られます。
まだシャンゼリゼのイリュミネーションは始まっていないようです。

早くも年末年始に向けて気持ちがはやりますが、それもそのはず、年末に行う大掃除を今、やっているからなのです。もちろん、フランスには大掃除なる概念は存在しませんが、日本人としてはしっかりやりたいところです。
東京の実家が片付いたせいでしょうか、パリでも身軽になりたいと思っています。


つい先日、翻訳のわりと大きな仕事が終わったので、開放感があります。
カトリックセンターに行く以外、仕事としてはこの翻訳のみなので、家での仕事、家にいる時間が長いこともあって、片付けに気が向くのだと思います。

決してミニマリストになりたい訳ではありませんが(夫がいるので無理です)、
家具はあっても、すっきりとした空間はなるべく確保したいところです。

親日派のドミニク・ローホーさんの本と出合い、刺激を受けていますが、本場フランスでどれだけ受けているのか、今度書店をのぞいた時に確かめてみようと思います。
私の感じからすると、もともとフランス人はミニマリスト的な生活を送っているので(どんなに大きな家に住んでいようと)、彼女の超ミニマルな態度は、一部の人にはすんなり行くかもしれません。ただし、パリに住む人々は、自分の生活形態によって、わりと自由に住居を変えるので、家族が増えればそれなりに大きな所に住みます。ドミニクさんは、独身だからできる、そして同居を拒否している、という要素が大きいので、そこらへんがフランス人にどう受け止められているのか。。。


先ほどフランス人は、もともとミニマリスト的に暮らしていると書きましたが、
それは決して物を最小限にしか持たない、という意味ではありません。
どういうことかというと、一つの部屋、例えばリビングとして、様々な家具やソファーなどがあるものの、表面にはほとんど物を置かない、つまり物を出しっぱなしにしていないのです。

つい日本の家だと、テーブルの上や引き出しの上、箪笥の上などに物を置いてしまいますが、
私の見たところ、装飾品として飾るもの以外、物は出ていません。その点で、ミニマリスト的、と書きました。家具は色々あっても、物が出ていないと見た目すっきり、なのです。


私たちは、子供のいない気楽さで、かなり自由な二人暮らしをしています。感謝です。

でもここに二人で住み始めて丸12年、少々気分を変えたいと思っています。
持ち家なため、気軽に引越しができない以上、内装を変えるしかありませんね。

生まれてから結婚するまでと、した後でのその2回しか住む場所を変えていないので
(福島にいる兄のところを含めないで)
気軽に引越しをしている人を見ると、うらやましいと思ってしまいます。
あぁ、身軽になりたい。。。

ところで秋の夜長、皆さんは何をして過ごしていますか?

俳句を一句 : コトコトと煮込む小豆の夜長かな