2013年11月8日金曜日

アルベール・カミュ生誕100年


昨日は、アルベール・カミュの、生誕100周年でした。ル・モンドなどで一応記事として取り上げられていましたが、あまり、というか全く公的な祝典がありませんでした。なぜか?やはり彼の政治的決断、行動が、未だに尾を引いている、ということのようです。
彼は1913年にアルジェリアに生まれ、つまりPied-noir (ピエ・ノワール、黒い足。アルジェリア生まれのフランス人のことの総称)だったわけですが、アルジェリアの独立に関しては反対の立場だった。そのために、サルトルと有名な論争をした訳ですが、やはり民族独立の気運の中にあって敗れ、叩かれたことはある意味必然でした。そのことを、フランス国民は未だに忘れていない、ということなんだそうです。

余談ですが、当時、サルトルが極右(アルジェリア独立に反対する過激派、OAS)の人々によって、家(当時彼はサン・ジェルマンのアパルトマンに住んでいました。実存主義のたまり場でした。)をプラスチック爆弾によって襲撃されたのは有名な話となっています。
こうした歴史が生きた街で生きる意味を考えます。

故フランス文学者の森有正さんも著書で取り上げていましたが、「日本人として誇りをもつ」ということが、一体どういうことなのか、このパリという街にいると、日々突きつけられているようで、いつも考えてしまいます。何をもって誇りとするのか?難しい問題ですよね。
「そ~んなこと、考えたってしょうがないじゃない」と、開き直っている人たちも、もちろん大勢いる。しかし、自分の根は一体どこにあるのか?ということにぶれないことが、この国で健全に生きる、ということに直結しているようにも思います。

 centenaire albert camus

 カミュといえば、「異邦人」、「ペスト」など、もう古典と言っても良いぐらいの昔の本ですが、日本人には未だに馴染みのある作家だと思います。少なくともフランス文学を志している学生は(そんな学生の人数も、減ってしまいましたが)彼の本は外せないでしょう。彼の生み出した、「不条理」という言葉、概念は、今でも日本人の心を引きつけるところがあると思います。特に2年前の東日本大震災を経験した日本に住む日本の人たちは、感じることでしょう。「なぜ?」と。
その問いに関して、前教皇もまた、その問いへの答えはない、と言っていました。
自然災害を始め、人的災害にしても、その不条理を嘆くしか、一般市民はできないのでしょうか。

あまりここでは政治的に突き詰めた発言をしようとは思いませんが、やはり「連帯」ということを考えます。自分は一体、どちら側の人間なのか?ということです。決して偉そうなことは言えませんが、パリに住んでいると、それはやはり重要な問題なのでは、と、秋の夜長に考えています。。。


左の写真は、見出しの写真と同じ店で、こちらは店内です。
友人たちと、夕食を共にした時に撮ったものですが、店の人たちの雰囲気といい、店内のインテリア、料理の質、ともに最高でした。もちろん、見ての通りのビストロなので、気楽なフレンチということで、値段はそう高くありませんでした。

気の置けない友人たちと、たまに外食するのは、最高の気晴らしですね!


今日はちょっと、カミュを起点として、真面目な話を書かせていただきました。
お読みいただいてありがとうございます。

1 件のコメント:

  1. Pendant la guerre d'indépendance algérienne, un étudiant arabe a reproché à Camus son silence. Il répondit : «En ce moment, on lance des bombes dans les tramways d’Alger. Ma mère peut se trouver dans un de ces tramways. Si c’est cela la justice, je préfère ma mère. »
    アルジェリア独立戦争の最中に、あるアラブ人の学生がカミュに彼の沈黙を非難した。カミュは次のように答えた。「現在、人々はしばしば路面電車に爆弾を仕掛けている。私の母がそれらの電車の一つに乗っているかもしれない。もしこれを正義と呼ぶなら、私は母を選ぶ。」
    これは彼の戯曲、「Les Justes 正義の人々」に全く同じ問題が扱われています。ロシアのアナーキストたちが、爆弾テロを行おうとして、子供が巻き添えになることが分かったので一度は中止する。その時、仲間の間で「正義のために子供たちを犠牲にすることは出来るのか?」という議論がされます。
    フランス人も、このように真摯に「何が正義なのか」について苦しんだカミュを愛しています。しかし冷徹な政治の世界では、彼を正当に評価することは難しいのです。

    カミュはアルジェリア独立戦争の当時、「J'ai mal à l'Algérie - 私はアルジェリアが痛む」と言っていたそうです、まるで結核で胸が痛むと訴えているかのように。

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