2014年11月3日月曜日

六義園


前々回のブログでご紹介した、旧古河庭園と同じ日に訪れた六義園です。
風景の素晴らしさをお伝えしたいと思い、写真を特大にしてみました。

私のブログでは、あまり、というか、ほとんど説明的な文章を載せません。
多少載せますが、本当に知りたいと思う人は、ネットで調べれば良いことだと思っているので、ここではあくまでも「私的な印象」を書きたいと思います。要は、自分が書いていて楽しいと思うことを書きたい訳です。

とはいえ、ここ六義園は、旧古河庭園と同じく、東京都が文化財と指定している、9つある庭園の1つです。 東京は、歴史から見ても、大震災や大空襲、そしてかなり早いピッチでの都市化という経験をしてきており、その中で生き残ってきた庭園ということで、価値があるとされています。

このトップに使った景色は、中央にある、少し高くなった築山のある、中の島という島です。
六義園中央に広がる大きな池に浮かんでいて、そこへ渡る橋もありますが、一般の人は通行できません。
なぜこの島をトップに持ってきたかというと、この築山は、男女の間柄を表現しているからです。
古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼び、そのことを表現しているというのです。
イザナギ、イザナミの故事にちなむ、「せきれい石」という名の石も置いてあります。


こちらはその妹山(いもやま)と背山(せやま)の反対側、園に入って向かって左側の風景です。写真だとよくわかりませんが、写真中央に石を組んだだけの小さい島があるのですが、それは「蓬莱島」と名付けられています。


こちらは、その蓬莱島を見る手前にあった茶屋です。心泉亭といいます。
このほか、園内にはいくつか見どころを眺めるための茶屋があります。

なにか、眺めが良いので載せてみました。 


園内、唯一といって良いかと思いますが、紅葉していた木です。種類がわからずすみません。

この木の足元には渓流が流れていて、それに沿って「蛛道(ささがにのみち)」がありました。
古くはクモを、「蛛(ささがに)」と呼び、この小道がクモの糸のように細いことから名づけられたそうです。

こんな風に、昔の美しい日本語を学べるのも、歴史ある庭園だからなのでしょう。楽しいです。

六義園という名前も、中国の詩の分類法(詩の六義)にならったものだそうです。
築園した、柳沢吉保(五代将軍・徳川綱吉の側用人)が撰した「六義園記」では、日本風に「むくさのその」と呼んでいましたが、現在では音読みをしています。


その蛛道の先に見えるのが、「つつじ茶屋」です。
明治年間、つつじの古い木材を使って建てられたもので、戦災をまぬがれ、その希少な姿を現代に残しています。

こうして見ると、まだ夏の名残のような風景ですね。

と、最初に記したのとは逆に、説明の多い文章になってしまいました。
私って実は天邪鬼だったりして?
主に、園入り口にある、サービスセンターでもらってきたパンフレットに因んでいます。

この後は、友人の紹介してくれた、隠れ家的なフレンチへ、ランチをしに行きました。
こじんまりとした、良い店の雰囲気で、料理も美味しかったのですが、
いかんせん、サービスを提供するはずの女給さん(この言い方、それこそ古いですよね)の態度がよそよそしくていただけませんでした。

そこで、パリの友人の言葉を痛切に思い出したものです。
「サービスも、仕事のうち、料金のうちに入っているんだから」という言葉です。
というのも、これがわからない、パリでの店員の態度が、結構目につくから。

おっと、これ以上書くと、「中身はフランス人」の夫にしかられてしまいます。

今日はこの辺で。

また金曜日あたり、大型台風が来るとか。
皆様、用心しましょうね。


 

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