2017年3月4日土曜日

草間彌生展  L'exposition de Yaoi KUSAMA à Tokyo


日本にいると、色々な用事や人と会うことに集中して時間を過ごすために、あっという間に日数が経ってしまいます。あくまで「一時滞在」という名目なので、毎日の一日々が貴重です。
パリにいても、こんな風に時を過ごせれば、と思うのですが、パリでの方が日常なので楽しいだけでは済まされません。

ところで先月の、つまり2月の22日に、友だちと六本木にある国立新美術館で初日を迎えた、草間彌生展を見に行って来ました。彼女のことは、実はパリで知りました。確かポンピドゥーで見たと思います。これほど多くの作品を見たのは今回が初めてでしたが、彼女のことはアートの世界では知らない人はいない、という知名度の高さです。
彼女のプロフィールは、ここでは敢えてご紹介しませんが、彼女が幼い頃より家庭の不和と精神病に苦しんでいた事は明記しておくべきでしょう。具体的には幻覚や幻聴に悩まされ、特に彼女のトレードマークとも言える水玉模様には常に付きまとわれていたようです。

上の写真は、「夜に咲く花」という名の作品です。
その水玉模様を全体に配色して、異様な花の中心には「眼」があります。
この作品は、入り口に入ってすぐの大きな会場の手前中心に置かれていました。


会場の様子です。
会場は、広いだけでなく、天井の高さもかなりありました。その壁面にびっしりと作品が展示されていました。

初日ということもあって、沢山の人が訪れていました。ただし、閉館前一時間半ぐらいだったせいか、会場内、広いこともあり、一つ一つの作品をじっくり見て回ることができました。
しかし入場する前、お土産品の部屋の前には長蛇の列。もう少し早く来ていたら、人でごった返していたのでしょう。



こちらは「自殺の儀式」という作品。


上が「神の姿」
下が「命の限り」

下の「命の限り」はわかる気がしますが、上の「神の姿」というのがちょっとわかりません。なぜこういったイメージになるのか..... 


左上から「陽光の中で世界に平和を望む」、「幸福という言葉」、右下「人生を愛してきた私」、そして左下の「無限の心」。

「人生を愛してきた私」は、よく見ると、黒いげじげじの中には、沢山の眼が描かれていました。
彼女が水玉の幻覚以外にも、どんな幻覚や幻聴に悩まされていたのか、想像できそうなこともあれば、想像を絶することもあります。私が察するに、やはり「人の目」というのをかなり恐れていたのではないか、と思います。これだけモチーフに「眼」があるということは、そういうことではないか、と。
そしてそれでも人を愛し、人生を愛そうと努めている。そこに、並々ならぬ苦しみなどの負の感情とのせめぎ合いによって、こうした凄まじい作品が生まれているのではないか、そう感じられるのです。


愛したくても、その思いは醜い幻覚や死にそうになりそうなほど付きまとう幻聴によって、どうしても歪んだものになってしまう。愛し、愛されたい、特に愛されたいのだが、その前に恐怖で思いが素直に出せないばかりか、自己防衛のために逆の行動をとってしまう。

彼女の今現在の顔は、やはり長年の苦しみによってかなりの凄みがありますが、20代で日本を飛び出し、ニューヨークで前衛芸術に身を投じていた頃は、とても美しい容姿をしていました。

音声ガイドによって、今の彼女の声も、生で聴きました。年齢相応の声、そして疲れた、そしてまた取り憑かれたようなとも言える声でした。
絶え間ない創作活動が、彼女の生きるモチベーションとなっていることは確かで、自身も、「自分が死んだ後でも、人々に感動を与えられれば」と言っていました。

自分の生きる意味を作品として残すこと。苦しみが大きいだけに、作品も膨大なのだろうと思わずにいられません。作品を見ていて、これほどまでに心を揺り動かされたことはなかったです。

その他、性器をモチーフとした作品もあり、迫力満点でした。

同調する思いと、忌み嫌う感情のせめぎ合う、とても刺激的な作品展でした。
展覧会は、5月22日までです。
一度、自分の心とじっくり向き合ってみたい方、お奨めです。






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