2016年4月13日水曜日

帰ってきました!


ついに戻ってきました、あぁ、花の都パリへ!
というと、ちょっと大げさでしょうか?
でもお許しください、何と言っても8ヶ月ぶりなのです。

2003年に、結婚するためにやってきて住み始めたパリ。
考えてみれば、その10年後の2013年の11月に、父は他界したのでした。
父は、10年間、私たちの結婚生活を見守ってくれたのです。もう、充分でしたね。

その2013年からこっち、パリにいるより日本にいる方が長くなっていました。
今回も、久しぶりにパリに戻ったとはいえ、7月には東京に帰ります。
実家がどうなっているのかの最終確認です。

さて、パリといえば、昨年末の同時多発テロの記憶がまだ新しいのですが、
実際のパリも、その痛手を受けているように感じました。
写真のカフェは、バスティーユ広場に面しているところで、そのテロの起きた場所からさほど離れていません。驚いたことに、写真でも分かるように、人が少ないのです。
平日とはいえ、真昼間のバスティーユのカフェがこんな状態であるのを見たのは初めてのことでした。


私自身は、10日(日)の夕方にドゴール空港に無事降り立ち、夫の出迎えを受けてパリのアパルトマンに帰ってきたわけですが、飛行機(ANA の直行便)の中は、空席もあり、日本人よりフランス人の方が多いのでは?という感じでした。ドゴール空港も、心なしが人出が少なく、閑散とはまでは行きませんが、何となくひっそりとしていました。何しろ、トランクを引き取る場所にですら、人が少なく、自分の荷物をあっという間に探し出せたのですから。

今、このメールを、時差ぼけを利用して書いています。
パリに無事着いた旨、個人的なご報告の前に、お知らせとしたいと思います。


ずっとパリに住んでいる人からは、復活祭を過ぎてから、めっきり春らしい陽気になったと知らされていましたが、気温で言えば、東京のちょっと暖かい冬ぐらいの温度で、私は出かけるときに、福島で普段着に愛用していた、暖かいキルティングのコート(裏はボア)を着用しましたが、それが丁度良いぐらいでした。

とにかく、観光地の一つであるバスティーユ広場に、人が少ないんでびっくりでした。
あのベルギーの空港でのテロも、当初はパリが標的だったらしいですね。
一番上の写真のカフェでも、私たちが屈託なくテラスに座って寛いでいたら、数人の人たちも誘われるようにして座ってきました。「アジア人が座ってるんだから安全だ、と思ったのかな?」などと私はちゃかしましたが、でも、イスラム国(IS) テロリストたちの、フランスへの恨みの恐さを思い知らないとなりません。

でもここはバスティーユ。フランス革命の発祥の地、市民が自由を勝ち取ってきた歴史的な場所でもあります。
そして何と言っても同性愛者の街。私たちが歩いているうちでも、格好いい男性二人が仲良く手をつないで歩いているのを見て、「パリに帰ってきたな~」と、わたしは嬉しくてたまりません。
上のカフェに写っている二人も、女性同士。後から生クリームを山盛りにしたカフェを仲良く二人で注文しては、顔を突き合わせるようにして話し込んでいました。


まだやっと春の息吹を感じ始めたばかりのパリです。
「 Ne quitte pas un fil 」(一糸をまとうのを忘れるな、とでも訳しましょうか)、とは良く言ったもので、
まだまだ薄着はできないパリです。でもそこは伊達者のパリジャン・パリジェンヌ。何とか春を表現したくて伊達の薄着をする時期でもあります。格好をつけるのも一苦労(?!)のパリですね。


この場を借りて、
日本でお世話になった全ての方々に、
深く御礼を申し上げますとともに、無事、パリに戻ったことをご報告申し上げます。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
また別途、個別にご連絡いたします。。



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