2016年2月27日土曜日

春の兆し


今朝も良く晴れて晴天となりました。
上は昨日の朝撮ったものですが、
今朝もほぼ同じように晴れています。

愛猫も、この頃は日が昇り始めると同時にそわそわとして、「外に出して」コールを始めます。
下町の通りを駆け回っていたのを思えば可哀想で仕方ないですが、
ベランダや渡り廊下でがまん、がまん、です。
でも昨日、地元の獣医さんに診てもらって異常なしだったので、
満15才とはいえ、元気、元気、です。

何の木か分かりませんが(すみません、分かる方、教えてください)、
まだまだ裸木とはいえ、澄み切った青空に、くっきりと映えています。


足元には、小さな梅の花木が
ちらほらと花をほころばせていました。
そうだ、香りを嗅ぐのを忘れていました。

隣には紅梅がありましたが、
そちらの方はまだ、蕾のままでした。



年始にも、夫と歩いた道を、兄と歩いてみました。
背の高い(ゆうに2メートルはあるでしょう)ススキが生えている様子は、
あまり変わり映えがないように見えますが、空の様子が春を告げています。

去年の夏、年上の友人と一緒に湯島天神の占い師さんに見てもらったとき、
わたしは「冬から春にかけてが鬼門だね」と言われたのを思い出します。
確かに、ずっと以前から、ちょうどこの時期、木の芽時と言われる季節に、
決まって体調を崩していました。

でも今年は何か大丈夫、元気に乗り越えられそうです。


ちょっと抽象的な話になりますが、
何か一つのことをやり遂げようとするときは、
やはり他に懸案事項がない方が取り掛かりやすいですね。(私の場合)
若いときは、同時にいくつものことをやっていくことが上手にできたし、相乗効果でかえって良かったのですが、このところ、そう行かなくなってきました。
もちろん、些細なことは常に同時進行です。
ですが、「ここ一番」とか、多少でも命を掛けるほどのことになってくると、そうは行きません。
そのことのみに全力で集中しないと、成し遂げられなくなりました。
年をとることのデメリットなのかもしれませんが、
逆に言うと、命を掛けるほど大事なものが、本当に見えてくる年になった、と言えるのかもしれません。


まだまだ三寒四温の福島ですが、
確実に春の足音が聞こえています。

24節気では「雨水」。七十二候では「霞(かすみ)初めてたなびく」だそうです。
月末は「草木芽生えいずる」。草木の芽生えがいっせいに始まり、生命の息吹を感じる頃だそうです。
キリスト教の暦では四旬節も半ばとなり、来月末の復活祭をひかえた清めの時期です。
パリと東京でそれぞれ、洗礼を受ける友人たちがいます。
イエスが40日間の間、悪の誘惑を受け、退けたように、誘惑の多い季節でもあります。
どうか、一人ひとりが、無事、神の慈しみを受け取りながら、洗礼までの道を歩めますように。
一緒に祈りましょう。

 

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