2014年7月7日月曜日

思うこと 反省


写真中央がぼけててすみません。
これは今開催中のワールド・カップで、フランスがベスト8入りする前の、どこかの国と試合をしている日に撮ったものです。以前にも書いたように、それほど関心がないというのと、フランスを応援している訳ではないので、どこの国だったか思い出せず、すみません。とにかく日本がこれからコロンビア戦を控えているような時だったと思います。

先週の木曜日の夜中に帰国して以来、東京の実家にいます。写真は、まだ撮っていないので、パリで撮ったものを使っています。

今回は、以前、ブログに書いたことの反省をしたいと思います。
具体的には、母が他界して、厳しい父と2人で暮らすようになってから、フェミニズムに傾倒したということについてです。
このことについて反省しようと思ったのは、夫がつい最近、「女子校と共学の女子の違い」という面白い漫画を見せてくれたからです。女子校というと、「お嬢様」というイメージがありますが、実態は、男子の目がないということで、色気もへったくれもない、という、まぁ漫画ですから少々過激に表現してあるのですが、でもそれが結構当たってるので大いに笑える、というものでした。

振り返ってみると、私の女子校生活は、小学校1年生から始まって、高校までの12年間ですし、大学でもフランス文学科というところを出たので、男子はごく少数、女子校のノリでした。そう考えてみると、いくら兄弟に兄が2人いたとはいえ、男性というものに免疫が全くない状態だったことは否めません。こうして時が経ってみると、どっぷりとそれに浸かっていた自分が幸せだったとも、異常だったともいえる気がしています。
亡き母のあこがれに沿って入った学校だったから、悪く言いたくない、というのが本音ですが、

でも、私が一時的にもフェミニズムに傾倒したのは、こういった背景も無視できない要因だったと思うのです。「男性の実態を全く知らなかった」ということ。頭の中だけで、批判をたくましくしていた訳です。そもそも、フェミニストになりやすい人って、女子校育ちが多いかもしれません。
もちろん、実態を知っているからこそ、フェミニストになったという人の方が多いのでしょうが、さてどんなものでしょうか。


私は夫を深く愛しているので、男性というものに対して、変な思い込みやそれによる攻撃性などはなくなったと思っていますし、むしろ、男女に関係なく、「人間として」ということを考えるようになりました。 ただ、女性である以上、男性に興味があるし、逆もしかりで、それが正常な状態だと思っています。


以上が今回、反省というか、思うこととして書きたかったことでした。

写真は、左手にエッフェル塔があるという橋の上から撮りました。肝心のエッフェル塔を載せていないのは、天気が悪くて写りが悪かったからです。でもこの日は、翌日に東京へ向けてパリを発つという日で、夫と2人で、久しぶりに観光地を堪能したのでした。



ちょっと暗いながら載せてみます。
写真だと、本当に人が少なく写っていますが、たまたまで、周囲には、わんさと観光客がいました。
パリを離れる直前に、大好きなエッフェル塔を見れて良かったです。

東京は梅雨で涼しい毎日ですね。
こちらに来てから一回も暑い思いをしていないので有難く思っています。
まぁ今のうちだけでしょうが。。

この間に何とか時差ボケ、解消したいです。

では。

3 件のコメント:

  1. Shintaro Yuzawa 私はパリの神学校で、非常にすぐれた女性の神学の先生方に学びました。学生でも優秀な一般信徒の女性は多いです。一人ひとりの能力だけが問題になるので、「男性だから、女性だから」という風には考える人はいません。
    しかし、私の感じることは、神学の面でも、男性と女性はあきらかに違う。歴史的上、さまざまな偏見、差別の暴力を被ってきた弱者の視点を、女性の方が自然に理解できるように感じます。男性でも女性でも、それを理解するために想像力を働かせなくてはならないのは同じですが。
    Sr 古屋敷のおっしゃる通り、どちらがすぐれているかではないのです。男性と女性は、生物学的にではなく、存在論的に違う。「神は人を男と女に創造された」(創世記1,27)ということは、素晴らしいことだと思います。

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  2. 私はパリの神学校で、非常にすぐれた女性の神学の先生方に学びました。学生でも優秀な一般信徒の女性は多いです。一人ひとりの能力だけが問題になるので、「男性だから、女性だから」という風には考える人はいません。
    しかし、私の感じることは、神学の面でも、男性と女性はあきらかに違う。歴史的上、さまざまな偏見、差別の暴力を被ってきた弱者の視点を、女性の方が自然に理解できるように感じます。男性でも女性でも、それを理解するために想像力を働かせなくてはならないのは同じですが。
    Sr 古屋敷のおっしゃる通り、どちらがすぐれているかではないのです。男性と女性は、生物学的にではなく、存在論的に違う。「神は人を男と女に創造された」(創世記1,27)ということは、素晴らしいことだと思います。

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  3. 私はパリの神学校で、非常にすぐれた女性の神学の先生方に学びました。学生でも優秀な一般信徒の女性は多いです。一人ひとりの能力だけが問題になるので、「男性だから、女性だから」という風には考える人はいません。
    しかし、私の感じることは、神学の面でも、男性と女性はあきらかに違う。歴史上、さまざまな偏見、差別の暴力を被ってきた弱者の視点を、女性の方が自然に理解できるように感じます。男性でも女性でも、それを理解するために想像力を働かせなくてはならないのは同じですが。
    Sr 古屋敷のおっしゃる通り、どちらがすぐれているかではないのです。男性と女性は、生物学的にではなく、存在論的に違う。「神は人を男と女に創造された」(創世記1,27)ということは、素晴らしいことだと思います。

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