2014年4月20日日曜日

ご復活おめでとうございます! Joyeuses Pâques !


皆様、ご復活、おめでとうございます!
キリスト教徒ではない方にとっても、そしてキリスト教国にあっては、1年で最も重要な時期でもあります。え、クリスマスがあるじゃない?と思われるでしょうが、もちろん、キリストの誕生日と言われるクリスマスも重要ですが、やはり、復活祭、つまり、キリストが死に打ち勝って復活された、ということが、キリスト教の信仰にあっては一番大切で、喜ばしいことなのです。

復活のことを話出すときりがなくなりますし、あまりにも重要で、しかも難解なので、ここでは触れません。しかしこの復活を信じられなければキリスト教徒とは言えない、肝心要の部分でもあります。でもですね、実際にはこの超高度に科学技術が発達した現代にあって、しかも実際には誰1人キリストが復活したのを見た者はいない現代は、容易に信じることは難しいでしょう。そこには「信仰」というものがなくては信じることはできません。
実際、フランスにあっても、実際に教会に通っている信徒の中でも、「復活を信じるか?」という問いには、数パーセントしか信じていない、という現状もあるそうです。

しかし、私は信じます。信じられるだけの根拠が、そもそも聖書の中にあります。

正直、自分が、世の終わりに、キリストと共に復活することを信じるか、あるいは望むか、と問われれば、かなり迷います。「死んだら無になりたい」とは、わたしの代母の言葉でもあります。
しかし、「死んだらおしまいじゃないんだ」ということ、「死は1つの通過でしかないんだ」という信仰は、死に面した時に、ものすごい支えになるんじゃないだろうか、私はそう強く想像しています。 


また父のことになって申し訳ないですが、父が、最期に1人、手術台に上がった時の心境を思うと、未だに胸をかきむしられるような気持ちがします。父自身としては、これで自分が死ぬとは考えず、むしろ、これこそが生き延びる手段だ、という思い、医者を信じて手術台に上ったとは思いますが、でも、意識がある間には、「これで死ぬかもしれない」と考えなかったはずはないとも思います。そして私や兄たちの顔を思い浮かべたことでしょう。
そんな中、父が果たして復活のことを思ったかどうかは、これはもう、定かではありません。しかし、この潔さには、「いつ死んでも構わないんだ」という思いで生きてきた一生が、反映されていると思います。
「お父さん、ありがとう!今まで一生懸命、私たちのために生きてくれてありがとう!」
今は、これしか言葉がありません。

写真は、2枚とも、またチュイルリーです。
上の写真は、なにかもう夏のような感じの絵ですが、よく見ると人々の服装がまだ、軽装とは言えません。そして、復活の話をするのに、ちょうど良いかな、と思い、数日前のですが載せることにしました。下の写真は、凱旋門、デファンスの新凱旋門へと続く、小さな門です。ほんのりピンク色で、まるで天国への門のようなので、これも載せました。

キリストが魚に例えられる話は、また今度にいたします。
ご興味のある方は、「イクトゥス」で調べてみてください。ギリシャ語から来ています。

これから、主日のミサ、まさに復活の主日のミサに参加します。

では、私たちの復活、そして復活を生きていることを信じて。

ご復活、おめでとうございます!!


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