帰国ならぬ帰仏ですが、いよいよ秒読みとなってきました。
13日の日曜の早朝に成田を発ちます。大韓航空です。ソウルのピンチョン空港を経由してパリのドゴールへと向かいます。飛行機の中で、大好きなキムチを食べようと思います。
ところで、暖かくなってきたので、着物と帯の整理を始めました。
母も着物好きで着道楽、予想以上にもっているのですが、大半は親戚の叔母たちに形見分けしました。私も母の影響で、子供の頃から日本舞踊を習っていたので、お稽古用の着物や浴衣を含めて、結構な数を所有しています。ただ、大半は20歳ごろまでの着物なので、袖丈が合わず、着ることはかないません。なので、1つ1つ袖を通して、着られそうなものを残して、後はリサイクルに回すことにしました。
これなんかは着物のモチーフとしては面白いですよね。これは手放さずに取っておこうと思います。
着物の美しさは、こうした裏地にも凝っていること。この裏地の色、朱色というんでしょうか、歩いている時の足さばきで、チラッと見えたりすると色っぽいですよね。
年のせいか、段々と着物の魅力がわかってきましたし、日常的に着こなしたいと思うようになりました。いかんせん、パリに住むので中々それは叶いませんが、それでもパリでは、お茶やお花、香道を楽しむことができますので、着る機会を見つけたいと思います。日本人には、着物がやはり一番の晴れ着、ドレスなんかより体型的に似合うと思います。
わたしは170センチあるので、もはや着物体型ではありませんが、なで肩の柳腰は、やはり着物が似合うようにできていると思います。
こちらは中学生ぐらいの頃、新年のおさらい会で着たものです。竹の直線的なラインと、葉のモチーフの取り合わせが大胆ですよね。
着物を整理していても、「あぁあの時着たね」とか、母がいたら何やかやと言ってくれたんでしょうが、そばには誰も、そういった事を言い合える人がもういないので、1人寂しい中での着物の整理でした。この畳の部屋は、10畳あり、母がお嫁入りで持ってきた桐の箪笥が3つ、並んでいます。長年にわたる湿気や乾燥で、引き出しを引くのが一苦労。そんな、ちょっとしたことも自分の心の中でつぶやくしかありません。
母の他界後は、この部屋で父が1人で寝ていました。寝るだけの部屋、寝室となっていました。
よく夜中に目が覚めて、父の寝ているこの部屋へ、父がちゃんと生きているか、確かめに行ったものです。恐る恐る、「パッパ~?」と呼ぶと、「なんだ~?」と答えてくれて、心底ホッとしたのを覚えています。
思うんですが、人の寝ている姿って、死んでいるように見えませんか?
わたしは襖を開けてこの部屋で寝ている父の姿を見るたびに、「死んだらこんな風になっちゃうんだ」と、繰り返し感じたのを覚えています。
19才で母を亡くしてからというもの、「死」というのもがものすごく身近になりました。
どんなに親しくなっても、いつかはこの人は死んでしまうんだ、という囚われの気持ち。苦しかったですね~。そうなると、人を真剣に愛することが怖くなってしまうんですね。
眠るように死んでいった、潔い生き様が、そのまま死に様になった父に、改めて誇りと感謝を覚えます。父のように生きたい、そして死にたい、と。(母は、持病もちでしたので、最期まで苦しんで死にましたが。それもまた、死への耐性を考えさせてくれます。)
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