2017年12月23日土曜日

クリスマス(ノエル)の前に  Juste avant le Noël

Notre-Dame de Paris パリのノートルダム大聖堂
昨日、シテ島にある警視庁(Préfecture de Police)に行って、10年の滞在許可証をもらってきました。この10年カードは2回目となります。
フランスの役所の人たちの対応の悪さというものが今回は全くなく、無事、円満に済みました。必要な書類を完璧に揃えて提出すれば、(そしてにこやかにしていれば)本来は問題はないのですが、この滞在許可証の取得の場では、感情の吐露が起こりやすく、行くたびに(そうそう私の場合は行く場所ではないですが)ドラマを見ることになります。書類が全部揃っていないのに列に並んで時間を無駄にする人、書類の不備を指摘されて泣き叫ぶ人、そもそも通達された日にちを間違えて来る人等々。日本の役所では滅多に起こりえないことが普通に起こります。人間の、あるいは人種の多様性ーそこから忍耐力や人としての権利を学びます。

フランスは移民を受け入れるようになってから久しい国ですが、実際に自分も外国人としてこの国に生きるようになってみると、その懐の深さに感心しますし、人は一人ひとり違うということを、心底身に染みて毎日を生きることは大変でもありますが、逆に楽でもあります。
Crèche de la Cathédrale  聖堂内に展示されていた馬小屋の一部
滞在許可証の取得後、同じシテ島内にあるノートルダム大聖堂へお礼参りをしました。
この日は朝から暗く、小雨の降りしきる天気ということもあり、訪れる人の数もまばらでしたが、観光地のメッカとして、テロ対策に迷彩服を着て銃を携えた軍人たちがしっかりと周囲を警戒していました。

毎年、聖堂内で飾られる馬小屋は、とても大きく、また写真にあるように精巧にできているため、その周囲はいつも人だかりとなっています。当時のベツレヘムの村の様子、人々の暮らしや仕事ぶりもよく分かり、見ていて飽きない作りになっています。
お祝いに、そばに置いてあった献金箱に3ユーロを入れて、ロウソクを一つ、灯してきました。

大聖堂の横を流れるセーヌです。

降り続く雨のせいか、セーヌ川の水かさも増しているようでした。
流れる水も、こんな風に濁り、冬のパリの陰鬱さに一役買っていました。こんな天気では、バトー・ムーシュに乗っている人も少なく。


なんとなく気分まで鬱々としてしまうので、話題を変えます。
先日の教会での忘年会で、簡単なちらし寿司を作りました。ちらしと言えば春ですが、一足早くの迎春も兼ねて作ってみました。

こちらはハンバーグ。
ハンバーグといえば日本では「洋食」の代表選手の一つですが、フランスではマイナーな食べ物です。そもそもひき肉の料理が一般的ではないので、スーパーでも、牛のひき肉しか置いてません。なので写真のハンバーグは牛100パーセントのひき肉で作ったのですが、合いびき肉と違ってジューシーさに欠けますね。因みに鶏のひき肉もないので、もし鍋に入れる鶏団子やつくねを作ろうと思ったら、骨付きの鶏肉を買って、それをさばいて肉を骨からはがして自分で肉を叩いて作るしかありません。なのでそこまでパリで作る人は、、、おそらくかなりの趣味人でしょう。


ナシオン広場に恒例の、生のサパン、もみの木を売るコーナーです。
クリスマスの直前まではもちろん、当日まで売り続けます。
 

今年のクリスマスも、皆様にとりまして佳きものとなりますように。
この世に救い主としてお生まれになったイエス・キリストに、思いを馳せつつ。。

Joyeuse Fête !!


2017年12月11日月曜日

映画「沈黙」について   Le film " Silence "


先日、パリの日本人カトリックセンターにおいて上映された、遠藤周作の「沈黙」という映画について、感想などを述べたいと思います。但し、私自身がキリスト教徒であること、そして長年にわたり(たかだか10年ちょっとだとしても)フランスという、今やカッコつきとなっているとはいえ、典礼暦で社会が動いているカトリック国の一つに住んでいることを、まず前提としてお伝えしておきます。そしてこの作品は、非常に重要な多くの問題提起を抱えていますので、ちょっとやそっとでは論じられない、一つか二つのテーマに絞らないことには収拾がつかないと思われますし、一つか二つにテーマを絞ること、それとて容易ではないし、すべての問題提起が底では一つに繋がっている訳ですから非常に奥深いものとならなくてはなりません。そんな事が自分にできるのか?いやできない、しかし自分の生きている土台としてのキリスト教に関わることで、何一つとっても自分で納得できないのは辛い、という思いで、ほんの一部でも感想を述べてみたいと思います。

一緒に観た友人の一人も言っていたのですが、原作に劣らず、遠藤周作が小説として表現したものが実によく映像化されていたと思います。私は小説を先に読んでいましたので、その表現のリアルさに、かなり読みきるのに苦労したのを覚えています。そのずっと後で映画を観たわけですが、文章では想像の域を超えなかったものが映像化されたことでまた違った衝撃を受けました。
しかしそれよりも私が自分自身で驚いたのが、自分が既に宣教師の側の人間だという発見でした。もちろん、17世紀の日本が舞台とはいえ、同じ日本人が演じているということで、しかも日本の名優ぞろい、立派に演じきっているところは誇らしくも思いました。しかしその中でも自分はどっち側の人間なのか?ということはとても重要で、堂々と、ある意味小気味良いとも言える代官側の人間ではない、という自覚は必要だと思いました。もちろん、キリスト教徒なのですから、迫害されたキリシタンたちと同じ立場なのですが、ともすると、むしろ残虐に迫害する側、つまり権力者側の気持ちも日本人として分かってしまうため、そこら辺の識別に苦労するのです。
しかし一歩引いて考えると、なぜ、自分は権力者でもないのに、当時生きていたならむしろヒエラルキーとしては従属する階級に属しているはずなのに、この隷属する百姓を一個の人間として扱わない側の代官の言動に、何か共感してしまうのは何故なのか? 映画の上では百姓の命は、本当にむしけら同然です。このことは、決して例外的な扱いではなかっただろう、ということは、他の史実を見ても明らかです。過去の大戦でも、数え切れないほどの命がむしけら同然に、しかも無駄死に追いやられたことで証明されています。
権力者は、国を守るため、という大義名分がありますが、実際には国民の命を非常に軽く見ているという事実は、これはもういかんともし難いものがあります。それなのにその国民の多くは権力者におもねる言動をとるし、それに賛同しない者に対しては圧力を加える。この構造は、あの戦争をあそこまで長引かせた一要因として外せないことですし、そんな人間性をもつ日本人は、過去と同様、今もって何一つ変わっていないと思います。

少し話題がそれました。
そんな、国民(当時その多くはお百姓さんでした)の命をいとも軽く扱っていた権力者たちにとって、キリスト教が脅威になるのは当然でした。今でいう「人権」というものを、当時では人間の尊厳という概念があったからです。そして絶対的な真理があった。もちろん今でもあります。映画の中で、ロドリゴ神父の「どこの国にあっても、真実は真実である。日本においてそれが真実ではないなら、それ自身、真実とは言えない。」というセリフがありますが、日本に住む多くの日本人にとって、この言葉はピンと来ないかもしれません。なぜなら日本人は、絶対的な真理などは存在しないし、そんなものは求めていないからです。求めなくても、少なくとも表面上は平和に生きていかれるからなのです。それは、昔からよく言われているように、日本が島国で単一性の高い民族だからなのです。だからその同一性から外れる者をのけ者にするのは当たり前であって、いじめ問題の根はそこにあります。言ってみれば「何が悪いの?」、つまりキリシタンを迫害して「何が悪いの?」ということです。

よく仏教でもキリスト教でも、突き詰めれば同じところに行き着く、という見方がありますが、もちろん私もそれには同意します。しかしならば何故迫害しなくてはならなかったのか?それはもはや宗教的な問題ではなく、政治と結びついていたというのは周知のことでしょう。日本という国を超えて、もっと大きな存在があるという、日本にはないイデオロギーを危険視したのです。そんな宗教を放っておいたら国の統一が図れなくなります。事実、キリスト教に改宗した者たちによって、当時、お寺や神社が破壊された、という歴史があります。
しかし転んだフェレイラがロドリゴ と再会した場面で言った、「日本人が信じている神と我々の信じている神は違う神なのだ。お前の前で殉教していった日本人は、お前のために死んだのだ。」というセリフがあります。この発言は、非常に大きな問題でして、軽く言い逃れることはできません。遠藤周作氏に限らず、現代においても日本人としてキリスト教をどう信じるのか?否、信じることができるのか?という根本的な問いがあります。氏と同様、この問いを一生のテーマとしている日本人の神父たちも少なからずいます。

日本人は、果たしてすべてを超越した神なる存在を、信じることができるのでしょうか?

非常に大きなテーマですので、多くの賛否両論を超えて、私なりの答えを簡略化して書きたいと思います。
私の場合は、キリスト教を信じる夫に出会った、というのが最も大きくて素直な答えだと思います。19才で最愛の母に死なれてから、父や兄二人がいたとはいえ、大きな苦しみの中でもがき続けていた私は、後年、夫を紹介されて出会ってから、心の平安を得ることができました。
ですから「超越した神なる存在を信じることができるのか?」その問いに対する私なりの答えは、「超越した神と出会い、信じている人々ー神父やシスターに限らず一般信徒でもーと、誠の出会いをしたならば信じられる。」ということでしょうか。

映画の中のお百姓さんたちのように、キリスト教との出会いによる貧しさや苦しみからの救いだけでなく、そうした超越した神を信じている人との出会い、ロドリゴ神父とガルペ神父との「真の出会い」によって、殉教として身を投じるまで至った、と思いました。

私は本当に苦しんでいる人々、真面目に、真摯に自分の苦しみに向き合っている人々、そして真の救いを求めている人々に共感します。そして真の救いというのは、日本的な相対主義では「絶対に」救われない、という救いであることを、強く主張したいと思います。


2017年12月4日月曜日

待降節  L'Avent

La Place d'Edgar Quinet et la rue d'Odessa エドガー・キネ広場とオデッサ通り

待降節が始まりました。
正確には先週の日曜の、11月26日に「王であるキリスト」を迎え、典礼暦がマタイからマルコとなり、昨日の日曜日で待降節第一主日となりました。
でも街はとっくにクリスマス(ノエル)の装いとなっています。

上の写真は、エドガーキネの広場にあるカフェの一つで、カトリックセンターが近いこともあり、時々利用しています。このカフェの売りの一つは、店先でクレープを販売していることで、目の前で生地から焼いてつくってくれるクレープは絶品です。この間は一人でしたが行列に並んで買いました。甘いのだけでなく、食事系のクレープ(crêpe salée)も豊富で、わたしは大好物の Jambon & Fromage (ハムとチーズ入りクレープ)を注文することが多いのですが、熱々になったハムととろけるチーズを、はふはふさせながら食べます。パリでは、Casse croûteといって、小腹が空くと、こうして買い食いすることが多いのです。おしゃれなパリジャン・パリジェンヌが、食べながら歩いているのを良く見ますし、メトロの中でも見られます。

On vend des huîtres de Normandie devant le café

寒さも本格的となってくると、フランス名産の生牡蠣が売られるようになります。
日本にいた頃は、生牡蠣を食べるなんてことは滅多にありませんでしたが、パリに住むようになってからはレストランででよりも家で買ったものを食べるようになりました。
生牡蠣は、専用のナイフで閉じた貝殻を開けて身をはがして食べるので、フランスでは一家に一つ以上はそのナイフを所有しています。この貝殻をこじ開けるというのがなかなかやっかいでコツがいります。下手をすると指を切ってしまいます。
日本映画の、伊丹十三作品の「たんぽぽ」に、男が貝殻を口につけて唇を切ってしまい、血が出てしまう場面があります。そこで海女が牡蠣の身を自分の手のひらに移して男に食べさせるのですが、とてもエロチックでしたね。昔から、貝は女性を象徴するものだったんですね。そのことを私は夫から初めて教わったのですが(本当です)、「ぶりっ子にも程がある」と呆れられました。
パリは海のない地域なので、生牡蠣を開けるときに広がる海というか潮の香りに懐かしさを覚えます。実家は東京の墨田区なので、隅田川に近く、東京湾からも遠くありませんでしたし、海の香りを嗅ぐと、子供の頃千葉の九十九里浜で潮干狩りをしたことを思い出します。
亡父は同じ牡蠣でも、牡蠣フライが大好物でしたっけ。

Le grand magasin de Galerie Lafayette


今年のギャラリー・ラファイエットのクリスマス用イリュミネーションはこんな感じです。数年前は、広場に面した側面が、まるで光り輝くビザンチン洋式のモスクのようでしたが、近年は今ひとつですね。恒例の子供用ショーウィンドーも、今年はなぜか「鳥」がテーマでしたが、パッとしませんでした。通行人の一人が、「チープだな」と言っていたのにもうなずけました。

昨日はカトリックセンターでクリスマスバザーを開催しました。朝のうちは氷点下という寒さで空は暗く、「今年は内輪で終わるかな」と話していたのですが、それにしては人が沢山来たので、盛況となりました。

昨日が無事終わってホッとひと息。今日は家でのんびり疲れを癒そうと思います。
人生、悲喜こもごもですが、どうにかこうにか暮らしていけていること、そして何より夫と仲が良いことに心からの感謝です。

今年も残すところ後わずか。
まだまだクリスマスにむけてイベントが目白押しですが、今年一年を振り返りつつ、悔いのないように過ごしたいものです。
皆様も忙しい師走とは思いますが、お身体大切に、そして思いっきり楽しみましょう!

Rue des Francs Bourgeois


2017年11月24日金曜日

晩秋と四方山話  La fin d'automne et l'anecdote

Jardin des Tuilleries チュイルリー公園
いよいよ秋も終わり、本格的な寒さを迎えているパリですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。先日、珍しく雲のない晴天がありましたが一日限り、その後も日は差しても弱々しい光で、曇天となっています。

夕方になると、大きく傾いた太陽の光がアパルトマンの窓から差してきて、ちょうどその角度が普段座っている位置に直撃するのでカーテンを引いています。弱々しい秋の光とはいえ、直撃するとさすがに眩しいですね。やはり太陽の威力ってすごいと思います。

公園の木々も街路樹も、黄色くなった葉をほとんど落とし、地面はそうした落ち葉で埋まっています。家の近所の通りにも、まだ掃き清められていない黄色の落ち葉が絨毯のようになっています。落ち葉をごみとしてさっさと掃いてしまわないで、落ちたままにしておくのも風情があっていいものですね。


こちらもチュイルリー公園ですが、晴れ間の見えた瞬間に撮ったものです。この後友人たちとルーブル美術館を見学する予定になっていたのですが、私たち夫婦は約束の時間よりも大幅に早く着いたために、時間つぶしで公園を散歩したのでした。

手前にあるカルーゼル門からこの写真にむかう通路には、黒人たちが絨毯を広げたくさんの物を並べて(今の時期は毛糸やフエルトの帽子)売っていて、思わずそれに見入っていると、危ない、危ない、背後から隙を狙ってスリの集団が近づいて来ました。日本人と見ると、未だにお金を持った観光客として狙われるのですから油断大敵ですね。もっとも狙われたのは私ではなく、私たちの側にいた本当の日本人の観光客(態度と服装で分かります)の方でしたけれど。

Cour Napoléon du Musée du Louvre ルーブル美術館のナポレオン広場

普段、パリの街中を歩いていて、危ない目に遭うことはほとんどないのですが、一ついつも気になるのが、前から人が歩いてくる時ですね。何が気になるかというと、避けないんですよ、すれ違う時に。すれ違うのだから避ける必要がある訳ですが、私の場合、100パーセント、私が避けています。フランス人て、避けないんですよ、絶対。

これには面白い話があって、フランス滞在40年以上の年配の友人なのですが、この事で実験したそうなのです。どういう事かというと、前から歩いて来ても、その友人は、「絶対に」避けなかったそうです。そうするとどうなるか?ぎりぎりまで来てぶつかりそうになった時、しぶしぶ避けるそうです。これってどういう事なんでしょうか?但し、フランス人同士の場合は分かりません。今度誰かに聞いてみようと思っています。

私にはこの友人のような度胸がないので、最初からもう、何も考えずに避けてしまいますが。。 このような態度が、一事が万事、とまでは行かなくても、フランス人の押しの強さという点では他の事にも通じますね。


未だに、自分がフランスでフランス人の間に混じって暮らしている不思議を感じます。
子供の頃からフランスという国、特に言語には慣れ親しんできた訳ですが、なぜか馴染んでいない、よく言えば常に旅行者のような新鮮な感慨をもって暮らしています。

常にブログに使えるような風景かどうかを観察し、常にカメラを持ち歩いているせいか、滞在14年目でも、観光客のような目を持ち続けています。自分の好奇心の強さのせいもありますね。


年明け、1月の末に一時帰国することになりました。一年で最も寒い時期に、「耐えやすいように」と夫が勧めてくれました。日本の冬といえば炬燵にみかん!(古いですかね)
でも自分の国とはいえ、日本を逃れ場にする発想を、もうそろそろ卒業したいですね。
ひと月ほどでパリに戻るので春はパリですが、夫はといえば、日本の桜をもう20年以上も見ていません。それを思うと、申し訳なく思いますね。。

日本も寒い時期ですが、恩師や友人たちと会えることを思うと楽しみです。

Au marché de St Germain サンジェルマン市場の花屋にて










2017年11月16日木曜日

晩秋、そして和食について



目の前の、眼下に見える公園の木々も、黄葉真っ盛りとなりました。
なんやかんやと時は過ぎて、秋も終盤、街では早くもクリスマスの装いとなっています。
今年はデパートのショーウィンドーで、どんな飾り付けや仕掛けが見られるでしょうか。近いうちに見に行こうと思います。
今日は、久しぶりに日の光が差す、明るい空となっています。


最近、日本の通信講座で、海外在住の日本人にむけたものを一つ、「家庭料理」を受講しています。
特に、和食についての基本的な知識を学びなおしたい、というのが最大の理由ですが、実際につくろうとすると、かなりの障害があることに気づかされました。

それはどういう事かというと、まず、和食に使う食材が、パリでは簡単には手に入らない、という事です。もちろん、通称日本人街と言われるオペラ街に行けば、ある程度のものは手に入るのですが、そこに行くまでの手間や時間を考えると、やはりもったいない感じがします。
例えば、その通信講座でつくらなくてはならない課題料理に筑前煮があるのですが、具として普通のスーパーで手に入るのはニンジンと鶏肉ぐらいです。その他の、干ししいたけやレンコン、ごぼう、竹の子、こんにゃく、絹さやなどは、売っていません。しかも鶏肉は、ささ身以外は全部骨付きですから、骨から肉をそぎ落とすという、肉をさばく必要があります。これが結構厄介なのです。


写真は、友人との昼食につくった、これも課題料理の一つ、五目炊き込みご飯と味噌汁、そして友人が持ってきてくれたヒヨコマメのサラダです。
友人の手料理は、もちろん、パリの普通のスーパーで手に入るものばかりで作られていましたが、五目炊き込みご飯は、やはり、簡単には手に入らない食材を多く使いました。

重ねては書きませんが、ご飯の上に彩りとして乗せた香菜は、実は三つ葉の代用品。同じアジアでも、中国系の食料品店は、街のあちこちにありますから、そこでは東南アジアのものも売っているのです。


こちらは ほうれん草のおひたし。
日本でもこの時期はほうれん草、手に入りづらいか、高いかもしれませんが、小松菜とか他の葉物があると思います。パリではこれも、上記した日本か韓国の食料品店に行かないと手に入りません。削り鰹もしかり。

パリで和食をつくるのが如何に困難か、ごく一部の例をとって説明しました。
驚いたことに、和食では「ほとんど肉を使わない」ということも発見しました。教材の料理本を見ても、使っている料理はまず肉じゃが、そして筑前煮ですが、あと代表的なのが豚の角煮(これはとても作りやすいです、和食用の調味料がそろっていれば)、しゃぶしゃぶ、すき焼き、鍋の水炊き、ぐらいでしょうか。あとは動物性の蛋白源としては全部、魚です。このこともまた、パリでは美味しい魚が手に入りにくいということで、ハードルが高くなっています。

なので、フランスに住む日本人は、やはりどうしても、フランス料理を普段には食べざるを得ない、ということになります。特に、和食、主食のご飯ですが、それが苦手なフランス人男性と結婚している日本女性は、ほとんどの食事をフランス料理にしていると思われます。こんなに手の込んだ、しかもお金もかかる和食をフランスで普段の食事につくるのは、そう、フランス語で言えば、raisonable なことではないのです。



上の写真は、なんとか、和食っぽい食事、もどきをつくったものです。
お味噌汁の油揚げも、手に入りづらい食材ですが、冷凍庫にまとめて常備してあるものを使いました。ワカメもしかり。韓国製の乾燥ワカメです。
メインの魚は缶詰(フランス製、鯖です)、トマト、巨大なさやえんどうもフランス製。お米も南仏、カマルグ産です。

世界各国の食材が、簡単に手に入る日本のスーパーとは大違い。
食事一つとっても、日本人が海外でも暮らしづらいということが、お分かりいただけたでしょうか?

きっと、「私はパンが大好きだから大丈夫」とか、「毎日肉でもへっちゃら」という感想がおありだと思います。でもそれは海外といえでも期間限定で暮らしている人の感想であって、永住を決めている日本人にとっては、ご飯やお味噌汁の味というのが、いかに本来の日本人の味覚、体質に合致しているかを、身を持って知っているのです。

もちろん、慣れもありますから、何十年と暮らしている間に、パンとチーズとワインの生活に、すっかり馴染んでいる日本人たちもいます。でも私自身は、和食をつくる機会というのが一年を通して何回かあるので、習って良かったと思っています。

肉じゃがもどきです
考えてみると、日本にいても、手のかかる和食は、今時の女性はつくらないかもしれませんね。
パリで和食をつくるのは、 単なるノスタルジーのなせる業なのかもしれません。

でも和食は世界に冠たる料理。そして日本人にとってはおふくろの味です。ぜひ、つくり続けて行きたいものです。





2017年11月5日日曜日

りんご茶いかがですか?   Thé aux pommes


パリは、先月の末に冬時間になってから気温がぐっと下がり、朝晩は5度前後、最高気温は10度前後となっています。本格的な寒さになりつつありますが、室内はもちろん、暖房で暖かいので心配はいりません。外も、日中は太陽が輝く時間帯があったりして、寒くても明るいので気持ちも下がりませんね。

個人的には、部屋にある全部の窓(三つあります)を、二重サッシにする工事が早く始まって欲しいと思っています。「11月に入ってから」というのに、何の音沙汰もありません。ですが、他の同じ敷地内のアパルトマンの住民で、この工事を申し込んでいる世帯がほかにもあって、他の部屋の窓の工事をしているのは先月から見かけているので「もうすぐ」、という思いで我慢しています。

上の写真は、先日訪れた、ダゲール通りにある子供洋品店のウィンドーです。
こんな可愛らしいフィギュアが置いてあると、どうしても撮らずにはいられなくなります。




さて、林檎が出回り始めたこれからの季節にぴったりのお茶をご紹介します。
その名もずばり、「りんご茶」です。

作り方をご説明します。とても簡単です。

① 1個のりんご(銘柄はなんでもいいですが、外側の皮の部分が赤い方が、ビジュアル的には
   綺麗に仕上がります。)をよく洗って、皮付きのまま四等分に切ってから細切りにします。
② 次に、切ったりんごをボールなどに入れ、レモン1個分の絞り汁を振りかけて、よく混ぜます。    酸化防止と、鮮やかな色をとどめるためです。
③ そして150グラムのキビ砂糖(なければ精製していない砂糖)をやはり振りかけて、
   よく混ぜます。
④ あとは3~4時間、冷蔵庫で放置するだけ。(途中何回かかき混ぜるといいですね。)

りんごの汁が出る前の状態

りんごの銘柄は、できれば紅玉だそうですが、フランス産のりんご(ハニークランチ)でも充分美味しくできました。

*りんご茶にするには、お湯で割ります。
    りんごから出た汁、大さじ1に対し、熱湯150mlぐらいが適量です。



りんごをただむいて食べるだけでは味わえない、甘酸っぱい味が存分に楽しめます。
生のりんごがちょっと苦手な人にも向いています。

夜長に温かいりんご茶で、ひと息入れてみませんか?





















2017年10月28日土曜日

人類愛、そして自由と隷属について アルベール・カミュより L'amour humain, la liberté et la servitude d'après Albert Camus 

Jardin du Luxembourg リュクサンブール公園

ここは、パリの左岸で最もパリジャン・パリジェンヌに人気のあるリュクサンブール公園です。
この公園は、ここで何回も登場しているのでいつもより少し詳しく説明を加えると、写真に写っている場所は、リュクサンブール公園の中でも最東端に位置し、東門(と言うんだろうか)の出入り口から近くにある景色です。ここを出るとすぐに、RER (郊外線)のB線の乗り場があり、目の前には Place Édmond Rostand (エドモン・ロスタン広場)があります。彼は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した劇作家で、戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の作者として、特に知られています。そのロスタンの名を冠したカフェも広場に面してあり、私も何度か夫や友人たちと利用したことがあります。
写真にある、ちょっと分かりづらいですが、左手にある白い像は、やはり19世紀に活躍した女流作家、ジョルジュ・サンドです。

Société Centrale d'Apiculture  Rucher-école du Jardin du Luxembourg

こちらは季節はずれですが、ちょっとご紹介します。
このリュクサンブール公園の敷地内には、こうして小さな養蜂場があります。6月から7月にかけて、園内にある菩提樹や、温室から外に出されるオレンジの木々の花を餌にして、ミツバチが飛び交い、蜂蜜を作ります。

右の写真の看板は、この養蜂場の入り口に立てられていたもので、
ミツバチがそろそろ活躍する頃に出されて、そのままになっていました。
こうした説明書や、看板を読むのが好きなので読んでみると、
ミツバチが餌にする菩提樹は、蜂蜜にミントの味を付け加えるのだとか。
知りませんでした。菩提樹といえば、シューベルトの『リンデンバウム』で知られているように、ヨーロッパでも広く分布し、その香りが人々に愛されていますが、ミントの味になるとは。今度じっくりそのハーブティーを飲んでみようと思います。
Les tilleuls alimentent les abeilles en juillet. Ils donnent au miel un petit goût de menthe.



さて、話題を変えて、読書の秋、ということもあり、ここでフランス語の文章を載せたいと思います。

突然ですが、アルベール・カミュ Albert Camus の、ある国外追放されたジャーナリストへの賛辞 Hommage à un journaliste exilé 1955年の記事です。

<Je ne puis aimer l'humanité entière, sinon d'amour vaste et un peu abstrait. Mais j'aime quelques hommes vivants ou morts avec tant de force et d'admiration que je suis toujours anxieux de préserver chez les autres ce qui, un jour peut-être, les rendra semblables à ceux que j'aime.
La liberté n'est rien d'autre que la chance d'être meilleur, tandis que la servitude est l'assurance du pire.>

一応、私なりに翻訳してみます。
『私は人類全体を愛することはできない。愛するとしても漠とした、抽象的なものとなるだろう。しかし、私は幾人かの生きた、あるいは死んだ人々を、非常に強く、賞賛をもって愛しているが故に、その他の人々のうちに、その自分が愛している人々に彼らを似たようなものにさせる何かを維持することに、常に心を砕いているのである。
自由とは、より良き者となるチャンス以外の何物でもなく、一方、隷属とは最も悪しきものの保証なのである。』

この文章は、私が周囲のフランス人との関係に悩んでいる時に、夫が提示してくれたもので、確かに、この文を訳すことによって、徐々に救われた思いになりました。

ここで、アルベール・カミュについて、多くを語ることは避けますが(ご興味のある方はネットで調べてください。)、第一次世界大戦の前年(1913年)にフランス領アルジェリアに生まれたことは、彼の生涯に大きな影響を与えたと思われます。第二次大戦中に刊行された初期の作品である『異邦人』や、エッセイの『シーシュポスの神話』は、日本人にも広く馴染みのあるものだと思います。

上記した彼の文章の特徴として、anxieux という単語と、assurance という単語が、それぞれ、本来の意味とは違った意味で使われているということでしょうか。anxieux とは、そもそも、非常に強い不安感をあらわす形容詞なのですが、ここではむしろ、心を配っている、相手への配慮と訳しました。また、assurance は、保証、という意味で、本来は良い意味なのですが、「最も悪しきものの保証」といった、悪いものを強調する単語として使っています。

Champignons 秋の味覚、たくさんの種類のきのこ。真ん中はしいたけ(Shitake)

要約すると、「自分は全ての人間を愛することは出来ないけれど、そうだとしても、心から愛している人々というのがいるから、他の人々のことも、自分が愛せるようなものがないかと、いつも心を砕いている。」ということでしょうか。
次のパラグラフは、話題が一転して、その宛先である国外追放されたジャーナリストに向けての言葉となります。「自由とは、より良き者となる最大のチャンスであり、誰か、あるいは何かに隷属するということは、人間にとって最悪の状態なのだ。」

自由でいること、何者にも囚われず、自分自身であり続けること。これこそ、カミュが、その短い生涯において徹底させた生き様ではなかったでしょうか。

そんな「自由」、「自分自身である」ことは、フランスにおいても、闘いの一つとなりますが、ここでは必ず連帯できる仲間がいる、というのが生きている醍醐味となっています。一緒に闘っているはずが、ふと気づいたら誰もいなかった、なんてことはこの国ではないと信じています。

そんなことに、改めて気づかせてくれた文章でした。

Rue Daguerre ダゲール通りの果物屋

今夜、正確には明日、日曜の午前2時から、冬時間となります。こちらでは1時間得した気分になりますが、日本との時差は8時間となります。
いよいよ秋の夜長。さて、今年はどんな事をして楽しみましょうか。






2017年10月18日水曜日

カナルサンマルタンとビュットショーモン  Canal Saint-Martin et Parc des Buttes-Chaumont


ちょうど2週間前に、大学の同級生がパリに来ていたので、その時の様子をお伝えします。

いわば、久しぶりの再会を楽しみつつ、普段は訪れないパリの観光地を二人で散策しました。
日本から来る友人たちは、皆、せっかくのパリを堪能しようと繰り出すため、普段パリに暮らしていても滅多に寄らない所に行けるのが新鮮です。

ここ、カナルサンマルタンもしかりで、うちから遠くないのに訪れたのは久しぶりでした。
昨今は、ここから西北の方向に難民の溜まり場ができているために、それも疎遠の理由の一つだったでしょうか。偏見は持たないようにしているつもりですが、危険というよりは衛生面の問題が気になります。
そんな事情を友だちに伝えたのですが、「折角来たんだから行きたい」ということで敢行しました。


でも実際は危ないことはなかっただけでなく(しっかりと用心はした)、あちらこちらで日向ぼっこをしている人々に遭遇しただけでした。観光客とみるとひったくりに狙われる可能性も高い地域でもありますが、それも大丈夫でした。

ご覧のとおりの秋晴れ。
2週間前なので、今だともっと黄葉が進んでいることでしょう。

待ち合わせ場所はレピュブリック広場。ここには、一番最近では大統領選に向けて、極右のマリ・ルペンへの抗議デモに参加するために訪れて以来ですね。

レピュブリック広場から、
カナル(運河)に添って北上しました。

船が通り抜けられるように、こうした太鼓橋が
いくつも架けられています。トップの写真同様、この光景を久しぶりに見ました。
懐かしくて感動しました。

これもパリの観光名物の一つですね。

途中、船の運航があり、一部始終をじっくり友だちと見物しました。



カナルサンマルタンといえばここ、「北ホテル(Hôtel du Nord)」がつとに有名ですが、
こちらはすっかり様変わり。映画に出てきた古びた姿が一新、すっかりおしゃれになっていました。
「これじゃ、情緒もへったくれもないね。」と友だちと残念に思いました。衛生面、耐久性の問題でリニューアルしたようです。でもこれじゃ、パリのどこにでもあるカフェと変わりがないですよね。
そして手前のヴェリブ(貸し自転車置き場)が新設されているのも、時代の流れを感じさせます。

余談ですが、最近フランスでは、VAE (vélo à assistance électrique) という電動アシスト自転車が流行っています。今年の2月から、購入の際に国から補助金(購入額の20パーセント、最高200ユーロ)が出るようになったのが人気の理由ですが、その補助金が来年の1月末には打ち切られるということで、益々注文が殺到しているようです。
ヴェリブを進化させたこの VAE が流行るのは、坂道も多いパリではいわば当然ですが、電動で運転が楽というメリットは大きいでしょう。いずれにせよ、双方ともに、地球環境のためには大いに役立つものと思われます。パリから車やバイクが消えて、自転車だけになる日も近い(?!)


Parc des Buttes-Chaumont

さて、所変わって、とはいえ、隣の区、19区の南に位置するビュット・ショーモン公園です。

カナルを充分に堪能し、運河の北部のヴィレットまでは行かず、途中東に進路を変えての到着です。ここに来るまでに、汗びっしょり、上り坂の連続でしたが、ここの公園も、アップダウンが激しいことで有名です。
そもそも名前のビュット、Butte は、小さな丘という意味で、単に La Butte というと、皆様ご存知のモンマルトルの丘のことを指します。パリの最南部にあるモンスーリ公園も高低差のある土地で、こうしてみると、パリという地形が、結構起伏に富んでいることがわかります。

それと、これだけキツイ上り坂でも、パリジャンたちは、黙々と走っています。

それにしても、30年前のパリで、走っている人なんて皆無だったのに、昨今の健康ブームから、ジョガーの姿を街中で見ない日はありません。
先日はパリ10キロマラソンがあり、みんな元気に楽しく走ったようですね。

La vue de la butte la plus haute

どれほど高低さがあるかは、これで一目瞭然でしょう。写真にすると中々ですが、実際はもっと迫力があります。一番高い位置にある物見台に繋がる、吊り橋の途中から撮りました。

この橋を渡りながら、お互い、日本とフランスで、どう生きて行くかを話した事が、思い出となっています。住む場所は違っても同じ年、同じ目線で何でも話し合えるのは楽しいですね。
今度は私が一時帰国の際、東京での再会を約束して別れました。



追悼

先日、年下の友人が亡くなりました。乳がんでした。
心からご冥福をお祈りします。
今は、全ての苦しみから解放されて、
神様のみもとで安らかなることを願っています。
詩子さん、助けてあげられなくてごめんなさい、
そして楽しい思い出を沢山、ありがとう。





2017年10月11日水曜日

お萩 - 母の誕生日に


秋の夜長に小豆を炊いて、お萩をつくってみました。

と書きたいところですが、実際につくったのは先日の何の予定もなかった午前中でした。
早朝ではなかったですが、朝から小豆を煮るのも悪くありません。
午後から友人が来るのでつくったのですが、実はお萩は初挑戦。小豆はよく煮て、これまでも白玉をつくって入れて善哉にしたり、お餅を焼いてそれに乗っけて食べたりしてきましたが、お萩は初めてつくりました。

私は、両親、祖父母ともに東京出身の江戸っ子で、父方は、私の生まれ育った家に、代々暮らしているので、1923年の東京大震災も、1945年3月10日の東京大空襲も経験しています。
墨田区の本所という土地で、「本所・深川」というと、よく時代劇に登場する土地でもあります。
まだ少し先ですが、年末によくテレビで放映される、あだ討ちの地、吉良邸も両国の近くにありますし、葛飾北斎も、そこで生まれました。
そんな土地柄に生まれた私は、小学生になると、JR の両国駅から、ランドセルをしょって、遠くにある学校に通ったものです。そんな遠い昔からすると、両国駅周辺もかなり様変わりしました。あんまり言いたくないですが、もうかれこれ40年は昔ですから、変わるのも当然ですよね。

それから橋向こうになりますが、蔵前、浅草にも近い土地柄です。
浅草は言わずもがな、ですが、蔵前は昨今、清澄白川に次ぐ、下町のおしゃれなエリアとなっています。なぜそうなったのかは地元民としても未だ不思議なのですが、蔵前は浅草橋にも近いので、手づくりの可愛い雑貨店も多く、歩いていても楽しいです。

さて、なぜこんな事をつらつら書いているのかというと、母方は、文京区の本郷出身で、父とは違って山の手、そこから母が下町の父の元へと嫁いできたことが、このお萩に繋がるのです。
母は、山の手出身とはいえ、昭和8年生まれの6人兄弟の次女、長女の伯母が、医者に嫁いだのと違って、全く気取りのない女性でした。父は紙職人です。
鉢植えも、道を挟んだ向かいの八百屋さんからもらってきた発泡スチロールを使うような、大らかなタイプでした。
そんな母のつくるお萩は、いわゆる牡丹餅風でとにかく大きい。そんな母を思い出して今回つくったのが、上の写真にあるような、巨大な(?)お萩なのです。

気取りが全くなく、笑うのが好きで大勢の友人に恵まれた母は、満52歳で亡くなりました。
実は今日が、母の誕生日なのです。
死んだ人は、亡くなった日が記念日となりますが、やはり誕生日も忘れがたいですね。
以前日本は体育の日が10月10日と決まっていましたから、その翌日、ということで覚えやすかったこともあります。

小豆をじっくり時間をかけて煮て、砂糖を入れてからは豆が黒光りしてつやつやするまで煮込んでいる母の姿を、うっすら思い出します。

そして沢山つくったお萩を、近所に配っていました。もう、亡くなってから、32年の月日が流れています。そうした下町のあり方は、まだ今も残っています。 一時帰国のたびに、近所に挨拶して回る楽しみがあります。


まだ書ききれないことが多くありますが、今はこの辺で。


震災祈念堂の菊祭り-数年前の一時帰国の際



2017年10月5日木曜日

秋晴れ、そして「この世界の片隅に」を観て  Le beau temps automnal et le film " Dans un recoin de ce monde "


この2、3日、パリは晴天が続いています。
今朝はうす曇ですが、午後から18度前後になる予報で、パリで18度というと、軽装する人々も多くいます。私も昨日、外出するのにダウンジャケットを羽織ったのですが、夕方からの気温の上昇で汗をかきました。体温調節を上手にする必要をいつも感じます。

さて、ここはご存知ソルボンヌの正面前広場です。
黄葉した木々も、次々と落ち葉を落として、すっかり秋の景色となっています。

しかしこのサン・ミッシェル大通りも、かなり様変わりしています。
カルチエ・ラタンの名にふさわしく、名門校が軒を連ねているとはいえ、以前本屋だったところが、洋服や靴を売るブティックになって驚きます。夫曰く、「今は本はみんなネット注文するようになってしまったんだよね。本屋はアマゾンに勝てなかったんだね。」ということらしいです。

もちろん、Gibert (ジベール)などの老舗の本屋でがんばっているところもありますが、かなり古くから経営している本屋や出版社が店仕舞いしてしまっています。時代の流れとはいえ、カルチエ・ラタンがファッションのお店ばかりになっては悲しいですね。

映画館の入り口のポスター。第一次世界大戦当時のもの。

ここは、そんな様変わりしつつある、サン・ミッシェル大通りから1本入った小道 (rue Cujas) に面した、小さな映画館です。小さいながらも、味のある映画を上映するところで知られていますが、私と夫は日本のアニメ、「この世界の片隅に」を観ました。

上映前、人がポツポツとしかいなかったのが、始まる頃には劇場が満杯になるぐらい人が入りました。アニメということで、子供連れの家族もちらほらいました。

映画のことを書く以上、感想を述べなくてはなりませんが、実は私たちは映画を観るのがかなり久しぶりだったということもあって、パリで映画、しかも日本の映画を観る楽しみ、というのを久しぶりに堪能しました。「こんなところで笑うのか」というのがとても楽しく、自分たち日本人が受けるところで全く受けない、というのも面白いですね。

ストーリーとしては、戦争ものを描いているとはいえ、反戦ではない、というところがミソらしいですが、なるほど、広島の原爆も、呉市から経験するということで、直接ではないですね。最後に被爆したお母さんと女の子が出てきますが、それも、その子を養女にすることで、悲惨よりも希望として描かれています。
私は正直、主人公のほのぼのとした感じに、最初は馴染めず、苛立つものを感じてしまったのですが、一歩引いて考えると、こんな感じで日々を過ごしていた当時の女性たちは多かったのではないか、とも思えます。目の前のことに一生懸命で、でもどこか肝心なところが少し抜けているような。この主人公のすずは、実は過激なことを描くのが目的の中にあって、その緩衝材になっているのかもしれません。


そもそもこのアニメは、過激なものを描くことで知られている監督のものだそうで、なるほど、主人公を通して全体としてはほんわかとした描写とはいえ、繰り返し登場する爆撃の場面は迫力満点、観る者を圧倒します。こういうのを観ていると、「日本人って、表面上は真面目で大人しく振舞っているけれど、実は過激な人種なのでは?」と思ってしまいます。

反戦を描かずとして、では作者は何を訴えたかったのか?
映画の終わりの方で、玉音放送を聴いた主人公は、ついにその仮面(?)をかなぐり捨てて激高するわけですが、そこでは「国家の暴力」についてだけ触れているのであって、決して戦争自体についての批判を唱えるわけではありません。むしろ当時の、「一億総玉砕」を叫び、その思想に完全に染まってしまっています。そもそもの戦争の悲惨を嘆いているわけではありません。それは当時、そうしたところまで思い至ることのできた一般市民はごく僅かだったという意味で、リアルを描いたということで間違いではないでのしょう。

しかし、観ている者としては、今の時代に、わざわざこの映画を上映することの意味を考えざるをえません。作者は一体何を伝えたかったのか?ただ当時のリアルを描きたかっただけなのでしょうか?

やはり私は、この映画は反戦、否、厭戦を訴えたかったのでは、と思います。
主人公のおすずちゃんのような、ほのぼのした生き方をしていては、こんな目に遭いますよ、政治や国の言うなりになると、こういう目に遭いますよ、という警告を発しているのではないかと思います。
今、日本は戦争も辞さない勢いで国が動かされているように見えます。そして戦争は、起こそうとする人間たちには命の保証があるもので、むしけらのように死んでいくのは皆、一般市民です。人間が人間を殺す。そんな戦争を決して美化してはいけない、と、この映画を観て思いを新たにしました。

このところ、イスラムによるテロに限らず、狂気による暴力が世界中で日常化しつつあります。
そのことに、もっと意識を向けるべきです。のほほんと生きているわけには、もう行かない世界なのです。

パリでは、メトロに乗っていても、何となく皆の警戒心のような、ピリピリしたものを感じます。
それに乗じたいたずらも、メトロ構内では頻発していまです。こんな世界に誰がした?と呟いてみたところで、人々は皆、日常生活を営んでいかなくてはなりません。せめて、一体何が問題なのか、どうしたら良い世界になれるのか、常に問題意識をもって日々送りたいものです。自分のことだけ、自分に関わることだけ考えていれば良い世界ではない、ということを肝に銘じたいと思っています。

Parc des Buttes-Chaumont ビュット・ショーモン公園

 







2017年9月25日月曜日

秋ですね   C'est l'automne !


芸術の秋、食欲の秋、ということで今回はリポートしたいと思います。

こちらはパリのメトロの通路にあったポスターです。マイヨール美術館 ( musée Maillol, 61 rue de Grenelle 75007 Paris ) の、先日始まったばかりのポップアート展の宣伝です。アメリカの Whitney Museum of American Art のコレクションだそうで、絵は、リキテンスタインのものです。

ポップアートといえば、1960年代にアメリカで全盛期を迎えた現代美術ですが、上記のリキテンスタインや、アンディ・ウォーホルなどがつとに有名ですね。写真のように、新聞や雑誌などの漫画の1コマを、印刷のインクのドットまで含めて拡大して描いた作品群が代表的なものとなっています。

このポップアートに最初に見たときは、いつだったか覚えていませんが、このインクのドットまでアートに仕立ててしまう感性に、完全にノックアウトされたのを覚えています。今では60年代の高度経済成長の社会背景を映し出すものとしてレトロなもの、という感じですが、当時はかなり先鋭化した、最先端のアートだったに違いありません。



さて、ちょっと珍しく一軒のお店の紹介をしたいと思います。

写真にあるように、
「一風堂」という、日本(福岡)のラーメン店です。
もちろんここはパリ。Odéon (オデオン)から程近い、
Rue Grégoire de Tours という、気をつけていないと通り過ぎてしまうような、細い通りにあります。

あまり個人的には特定のお店を載せることはしたくないのですが、ここはあまりにも美味しかったので載せてみることにしました。(ここのお店を経営する会社とは全く縁がないことを最初にお断りしておきます。)

週末の夜ということで、20分ほど待ちました。
私たちの前には、日本人のサラリーマンたちが並んでいたのですが、待ちくたびれたのか、途中からいなくなりました。
店内も、日本人率高めでしたね。

まず、メニューとして、一品料理の「ひと口餃子」を注文しました。
本当にひと口サイズで食べやすく、焼き具合もしっかりしていて美味しかったです。
たっぷりの醤油に、ゆず胡椒を付けて食べることにも嬉しい驚きでした。
この美味しさは、私たちの行きつけのお店である「ひぐま」や「ちょうてん」にも匹敵すると思います。



上が「横浜ラーメン」、
下が「赤丸ラーメン」です。

プロではないので、調味料のこととか分かりませんが、両方とも、味のしっかりしたスープと、
パリでここまでの麺が食べられるのか、というレベルの麺で、大満足でした。

値段はひと口餃子が6ユーロ、
ラーメンがともに14~16ユーロです。
加える具によって料金が異なりますが、
写真の赤丸はスペシャル(卵もチャーシューも入って)16ユーロだったと思います。
日本円に換算すると、大体一杯2千円近くするわけで、「ラーメンでそんなお金出せるか!」と思う人は、実際に食べた後には言えないと思います。「パリでここまで!」という思いがどうしてもありますから、その並々ならぬ努力と工夫に、その価値はあると思ってしまいます。


さぁ、あまり褒めすぎても何ですが、
日本にいてラーメン屋に行ったことのなかった私ですが(家で手づくり派でした)、結婚してパリに住むようになってから開眼しました。というのも、パリで日本食というと、まず「寿司と焼き鳥」、そしてこの「ラーメン」なのです。
最初は、「え~~、お寿司と一緒に焼き鳥を食べるの??」とすごく驚きましたが、今ではごく当然のことのように受け止めています。

それにしても、ラーメンと一緒に飲む、キンキンに冷えたアサヒスーパードライ 、最高ですね!
(アルコールに弱い私でも、丸々一杯、飲み干してしまいました!もう弱いって言えないかも?)