2015年5月31日日曜日
愛しのリュクサンブール
昨日、今回パリにもどって初めて、
リュクサンブール公園へと赴きました。
午後からカトリックセンターへと行く用事があったので、
その前の昼休み、晴天を楽しもうと繰り出しました。
お昼は公園の中のカフェで、と当初は考えましたが、
公園の正面入り口近くにあるスタンドで、
夫は名物のホットドッグ、私は甘くないクレープ(ハムとチーズ)にしました。
それをかぶりつきながら公園内を散策。
久しぶりのリュクサンブールに、心踊りました。
奥に見えるお城は、リュクサンブール宮です。
フランスの上院に相当する機関で、元老院、Sénat と言います。
公園内には、オランジュリー ( Orangerie ) という温室があるため、
このように気温が高くなると、その中で育てられている植物や木が、園内に出されます。
レモンとかオレンジの木などです。
写真にあるように、やしの木もあります。
リュクサンブール宮の前には、
ご覧の通りの池 ( bassin ) があって、子供たちがお手製のヨットを浮かべての遊び場になっています。
とにかくこの日は(昨日ですが)雲があるとはいえ、日差しの輝く晴天でした。
でもこんなパリ市民に広く愛されている公園ですが、
ここでのんびり寛ぐには、それなりの年季がいる、といつも感じます。
ただただ、日に当たって寛ぐ、ということ自体、
日本女性としては、日焼けが気になって、どうしてもし難いことですね。仕方ありません。
この後カトリックセンターに行って、
夜の8時までぶっ通しで、本棚の整理を夫としました。
本棚に溢れかえっている本のせいで、扉がしまらないぐらいになっていたので、
随分前から気になっていました。
大体、全体の4割ぐらいを、外に出し、夏の間、欲しい人にゆずる期間を設けようと思います。
でも本に触れて、開いてみるという行為は、
何となく今の季節にふさわしく思えて、疲れも知らず、夢中になってしまいました。
何故なんだろう?と考えてみると、
遠い昔、夏休みの課題で本をたくさん読んだ記憶が蘇ってくるせいかもしれない、と
思い当たりました。
昭和の20年代ぐらいの本もあったりして、
中身よりも、存在自体に価値のある本を見つけると、とても楽しい気分になりました。
読書好きの文学少女だった母と、
印刷・製本の会社を経営していた父の、
両方の影響でしょう。
夏に読書も、乙なものです。(東京の夏では、そんな気分になれないでしょうけれど)
2015年5月26日火曜日
手作り三昧
暇にかこつけて、というより、
暇を見つけて、昨日と今日、手作りにいそしみました。
上のフラワーアレンジメントは、
先ほど活けたばかりです。
以前書いたと思うのですが、
長く日本にいる間に、それこそ暇をもて余していたので、
4つも通信講座を受講してしまいました。
そのうちの一つがこれ、フラワーアレンジメントです。
五つの課題作品が与えられているのですが、今回は「ダイアモンド」という活け方で、
最後の作品です。申し込めば、終了証がもらえます。
いかがでしょうか?
ただ、活けていて思うのは、
なんか、日本の花と、フランスの花と、ちょっと違うな~、ということ。
というか、花屋さんで売られている花が、すでに違うと思います。
どちらも良いのですが、
日本の花の方が上品で、フランスのは粗野というか、大らかの様な気がします。
気のせいでしょうか?
今回花材に選んだ、ストックにしろ、トルコ桔梗にしろ、
こちらで活けるとダイナミックになるというか、
日本でのように、こじんまりと上品にまとまらないのですね。
こちらは昨日手作りしたピンクッション。
某通信講座の刺繍編です。
大好きな刺繍作家、青木和子さんの講座で、
ピンクッションをつくるためのキットが全部揃っていましたが、
クッションに、刺繍した生地を被せるのが難しく、
ご覧の通り、しわが寄ってしまいました。
刺繍をしたいのに、工作までしなくてはならず、苦労しました。
ついでですが、
下に敷いている方眼編みも、私の手作りです。
さてさて
パリにいて手作りするのも悪くないですが、
家にこもり過ぎるのは考えものですね。
やはりこの陽気ですから、外で楽しむことをしないともったいない。
まぁやり始めたことですから、
できたら最後までやり抜きたいとは思いますが。
秋の夜長、冬の寒くて暗い晩に、ちくちくした方が似合っているかもしれません。。
2015年5月24日日曜日
下町散策 そしてマカロニグラタン
誰の肖像かわかりませんが、なかなか渋い絵を載せてみました。
ここは、パリでも東に位置する下町、
わたしが夫と住むところもパリの東なのですが、
ここに比べると下町とは言えない位、ここは下町のメッカ、メニルモンタンです。
20区のちょうど真ん中の西辺りに位置していて、
坂の多いところでもあります。
チャイナタウンと呼ばれる中華街、ベルヴィルは隣の駅、もう少し北にあります。
ベルヴィルといえばエディット・ピアフの生地。
以前はパリに属していなかった、労働者の街です。
「おぉ、渋いなぁ」と感心してカメラを構えていると、
すぐ後ろのユダヤ人が経営する店から、
「元気か?」などと親しげに話しかけられたりして。
明らかに同じ黒髪をした東洋人に対しての親しみの情が感じられました。
下町といえば、
私も東京の下町生まれの下町育ち。
でも都心の下町なんで、高層建築が多いところでもあります。
古きよき日本、という風情は、近所の人たちの間での交流で残っている程度ですね。
さて、東京の実家は、ついに、まっさらな更地になってしまいました。
ついに、跡形もなくなってしまいました。。
親切な解体業者さんが、
壊れていく様子を、丁寧に写真におさめて、逐一メールに添付して送ってくれたので、
あたかもそこに居合わせているかのように様子が分かるのです。
さて話は変わって。
この間、時間があったのでマカロニグラタンをつくってみました。
日本から持ってきた、
「男子が泣いて喜ぶ料理」という中の(なんでそこまで媚なくちゃなんないんだ?と思いつつ)
メニューの一つが、このマカロニグラタンでした。
なんでも、カレーやハンバーグ、カツ丼、ラーメンなどのほかに、
「時々無性に食べたくなる料理」の一つだそう。
本当かな~?
まぁでもそうかもね、と思いながら作りました。
フランスは、鶏肉といえば骨付きしか売っていませんから(ささみ以外)、
自分でさばくところから始まります。
自分でさばいていると、「あぁ、本当にこの鳥は生きていたんだなぁ」というのがリアルに分かりますし、動物を殺傷している、という気になります。
欧米人が、日本人からみると理解に苦しむぐらい、動物愛護、ベジタリアンに走っているのが、本当に理解できますね。
ともかく、、、
さばいた鶏肉とマカロニ、刻んだ玉ねぎにバター、ホワイトソース、そして仕上げには、今が旬のグリーンアスパラガス一束をのせて、
その上にたっぷりととろけるチーズをちらし(これはこちらでも売っている定番です)、じっくりと焦げ目がつくまで焼きました。
夫には、
「うん、とっても美味しいけど。。」
「美味しいけど何?」
「うん、でもさ~、こんな凝った料理をチャカチャカつくるようなタイプじゃないでしょ?」と
はっきり言われてしまった!「時間がもったいない!」とも。
そうか。。やはりね。。
料理をつくるのは仕事の一部だとしても、
時間をかけて凝った料理をつくる必要は全くないんだな、と実感した次第です。
泣いて喜んではくれなくても、
それ以上に含蓄のある言葉(?)を言ってくれる夫でした。
夫の指摘は正しい!!と、
さらに料理をつくる手間をかけないことを決意しました!^^
2015年5月20日水曜日
パレ・ロワイヤル Palais Royal
久しぶりにパリの友人に会いました。
待ち合わせ場所はオペラ座前。
平日ながら、観光地のメッカらしく、多くの人で賑わっていました。
一年ぶりに会った友達の笑顔に励まされて、
実はちょっと落ち込みがちだった気分から解放されました。
写真はパレ・ロワイヤルの中庭。
この日は、晴天ながら日陰に入ると肌寒く、風も強かったので
薄着はできない陽気だったのですが、
こちらの人はご覧の通り、日差しのあるところでは、肌を露出してリラックス。
本当にみんな、太陽が大好きなんですよね。
こちらの写真は、トップの写真の右側です。
大きな噴水の水を止めて、底面の掃除をしていました。
この庭園は、歴史的なことはさておき、
(今は何でもネットで検索できますから)
コの字型になっている回廊に囲まれていて、
こうした、壁のように垂直に刈られた並木が
特徴となっています。
こうした美意識って、ちょっと日本人と異なりますよね。
太陽の照っているところは暖かく、日差しを強烈に感じるのですが、
一歩日陰に入ると上着がないと寒いぐらいに感じます。
この落差が、こちらでの特徴的な気候と呼べるのではないでしょうか。
東京だと、夏日には日陰に入ればもちろんホッとしますが、
寒いとは感じませんよね。風も熱風のように熱い。
この違いは何なんだろう?と時々考えます。
こちらもパレ・ロワイヤルの中庭に咲いていたバラです。
紫色の花色と、波打つようにして開いた花弁が美しいと思いました。
同じ場所に、
私が好む、妖精の肌色のような、淡い桃色のバラが、まだ固い蕾のままでいました。
あと2、3日もすれば花開くでしょうか。
この日を境にして、
とても良いことが起きています。
またその報告ができれば、と思います。。
2015年5月18日月曜日
薔薇真っ盛り!
昨日は、私たちの小教区、Notre-Dame des Champs のミサに、センターの人たちと参加してきました。このバラは、その教会の前庭に咲いていたもので、ミサの終わった、晴れ上がった空の下、見事に咲き誇っていました。
バラのマニアを自称していた過去があるせいか、
こうした何の変哲もない、名前もあるのかどうかわからないようなバラは、
本来興味の対象外だったのですが、
そういうことにこだわりがなくなっている今、
素直に美しいと感じます。
なんといっても、丈夫で育てやすいのが、こういった環境には適しているのでしょう。
昨日でパリにもどってひと月と一週間。
読んでる方には、いちいちカウントしているので鬱陶しいと感じられるかもしれませんが、
本人としては、
この月日の日数が結構重要で、
これぐらい経ったからこそ、ようやく態勢が整ってきた、と実感できるのです。
こちらは、私と夫が住んでいるアパルトマンの中庭の生垣です。
満開にはちょっと過ぎていますが、
この花が咲く季節になった、と
花の開花で移り行く季節を思います。
バラにもどりますが、
今年はバラ園、行く機会、なさそうです。
バガテル、ライバラ園、そしてジェルブロワ。
ジェルブロワは、数年前に、日本のバラ会のメンバーの人たちと訪れました。
街全体がバラに彩られているように美しい、一見の価値のあるところでした。
親しい友人たちと行ったバラ園での思い出は、
永遠にわたしの心に残るでしょう。
2015年5月15日金曜日
シンプルポテトサラダ そしてメロンの季節
気分を変えて、お料理編とします。
「このごろ じゃがいもって食べてないよね?」ということで
じゃがいも1キロを夫が買ってきました。
なぜじゃがいもか、というと、
私がずっと日本にいる間に見ていた、日本の自炊本(私が日本から送ったもの)に、
「にんじん・玉ねぎ・じゃがいもは必需品」というのがあったのと、
ポテトサラダの超かんたんレシピが載っていたからです。
この写真のは、玉ねぎとじゃがいもだけのとてもシンプルなものですが、
これを作ってくれる前は、ツナ(缶詰の)と玉ねぎでした。
それに味をしめて今回つくってくれたのですが、
スライスした薄切りの玉ねぎがからかった。
きちんと塩をふり、しっかりと揉んでからみ成分をしぼらないと、生の玉ねぎってすごくからいんですよね。
その辛味を生かして、たとえばカレーの薬味なんかにすると最高なんですが。
私は結婚前は、生の玉ねぎというのをあまり食べたことがなかったんですが、
夫がそのうまみを教えてくれたのでした。
こちらはミントティー。わたしがいれました。
香菜の代表格、コリアンダーはじめ、色々なハーブは中華の食材店などで豊富に売っています。
今や日本食品は、ほとんどがパリで手に入るといっても過言ではないのですが、
私と夫は、純日本食品店よりも、中国人や韓国人が経営しているお店で買うことが多いです。
理由は単純、そのほうが安いからです。
「どうしてもこのメーカー(日本)のうどんが食べたいんだ!」みたいなのって、ありませんし。
安くても美味しい食材は一杯あります。
話が脱線しましたが、
このミントティーにつかったミントも、そんな中華店で手に入れました。
実家で暮らしていた時代には、庭に生えていたミントでお茶をつくったものです。
バジル同様、ミントの香りをかいでいると、
懐かしい夏の思い出がよみがえります。
何の屈託もなかった(今から思うと、ですが)、十代の夏の思い出。
そのときの詩、いつかご紹介します。
ミントティーは、個人的には、砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きですね。
ストレートで飲んで香りを楽しむのもいいのですが、
その場合はミントがとても新鮮でないとならないと思います。
今日のは、冷蔵庫の中ですこし時間が経ってしまったので、
お砂糖をたっぷりと入れて楽しみました。
こちらはお待ちかねのメロンのサラダです。
Plat de jour (その日のおすすめ)の、
「Melon à l'italienne 」(イタリア流メロン)という一皿です。
なぜイタリア流かというと、
イタリア産の生ハムと、モッツァレラチーズをつかったサラダだからです。
メロンは今、もっとも旬な食材です。
こうした、オレンジ色の小ぶり(片手にのるサイズ)なものが一般的で、
1個1ユーロぐらいで売りに出されています。
これぐらいの価格であれば、メロンもとても身近な食べ物となりますよね。
そして充分美味しいです。とても瑞々しくて甘いのです。
「これ、前菜でしょ?」と言われる方もおられるかと思いますが、
いえいえ、これはれっきとした一品料理なんです。パン(バゲット)がついて14ユーロ。
ちゃんとお腹一杯になりました。
でも最初に生ハムとメロンの組み合わせを考えた人ってすごいですよね。
とても簡単には結びつかない気がします。
生ハムの塩気と、メロンの甘味。絶妙のコンビネーションだと思います。
今回は、気分をかえて、
食べ物・飲み物について書いてみました。
2015年5月14日木曜日
雨に心からの花束を そして錦織圭君!
花屋の店頭にバラが並び始めました。
これはチェーン店の店先にあったバラですが、
見た目は美しくても、もって3日ぐらいでしょうか。
温室で育てられ、季節よりちょっと早めに売り出すまで冷凍しておくそうで、
長く持たないのは仕方ないとか。
でも、花を買って自分の家に飾るという習慣は、パリに来てからです。
部屋の中に花があるだけで、何か元気が出ます。
昼過ぎだったでしょうか、
雲行きがおかしいな、と思って、薄暗い空を窓から見ていたら、
急に日本のにわか雨のような驟雨が降り出しました。
ほんの数分で止みましたが、
久しぶりの雨。しかも、窓をちょっとも開けていられないぐらいの激しい雨は久しぶりでした。
草木たちが喜び、
雨の上がったあとには、鳥たちのさえずりが楽しそうでした。
人の運命って、わからないものですよね。
私がパリに住むようになったのも、
思えば色々な人たちとの縁のつながりがあったからこそなのですが、
その縁が、何かの拍子で切れてしまうことがあるんですね。
わたしは、もう2年前になることに驚くのですが、
父が他界してからずっと、日本にいる間、
長年、あるいは数年にわたる旧友たちと親交を結びなおしていたのですが、
自分の中の歯車がちがう音を立て始めたというんでしょうか。
友情が消えてしまった経験をいくつかしました。
パリにおいてもしかりです。
やはり、親を亡くし、自分の生まれ育った家をなくす、という経験をすると、
経験した方はわかると思いますが、
かなりの喪失感、悲しみを経験します。
そのことが、自分本来のあり方を目覚めさせるのかもしれません。
「友情って、一体なんだろう?」
そんなことを真剣に考えるようになりました。
「死」というものを、
わたしは30年前に母に死なれてからよく考えるようになりました。
この決定的なことが、
いつ自分に降りかかってくるかわからない、という恐怖は、
ある程度の年齢を重ねていれば、誰でも経験することなのだと思います。
早熟な人は、子供の頃、すでにそういう経験をするものですよね。
人は誰でも必ず死ぬのですから、
できれば、可能なかぎり、ゆるしあって生きて行きたいと思います。
私の場合は母の死以来、
近しい人に死なれて、そのことで後悔にさいなまれるような思いだけはすまい、
そう決意して生きてきたつもりです。
ところが。。。
それでも人とうまく行かなくなることは、
避けられないことなんですね。
今回の長い日本滞在において、いわば生まれ変わったように感じている自分の中で、
初めて、友情が消える経験をしました。
さて話は大きく変わって。
メトロの通路にあった電光掲示板に、
なんと錦織圭くんの写真が!
いつも持ち歩いているカメラを思わず構えていると、
通行人の人たちがにこにこと待ってくれている。
杖のついたおじいさんなんか、にっこりとして私を見ているので、
慌てて「どうぞ通ってください」と手招き。
あぁ、この笑顔。
もちろん、ケイ君の最高の笑顔は、精一杯、自分の好きなことをやっている人のものだなぁ、と、
本当に勇気付けられますよね。
「君は、日本人の誇りだよ!」と心の中で叫びながらメトロに乗り込んだのでした。
わたしも猛烈に打ち込める何かが欲しい!! と、
思うこのごろです。
でもパリに仲良しの夫と暮らしているだけでよしとしようとしている自分がいるのも事実。。
昔は、こんな怠慢じゃなかったんですが。。
KANさん作曲の、今井美樹さんの歌「雨にキッスの花束を」をYoutubeで聴きながら
気を紛らわせています^^
2015年5月12日火曜日
また気温が上がってきました そしてシャーリーの現場
昨日は一日家でぼ~っと過ごしていたので実感がありませんでしたが、
昨日同様、今日も気温が20度以上となりました。
日中、最高気温は23度ぐらいでしょうか。
この温度までが限度、と感じますが(日本を考えずに言えば)、
ここまで上がると女性の服装が、ぐっとセクシーになります。
つまり、露出度がふえる。
ご存知のように、こちらの人種は、日本人より基礎体温が高いので、
20度を越すと、もう真夏並みの格好となります。
今やわたしも慣れましたが、
特に女性の露出された肌、白いのも黒いのも、はたまた浅黒いのも、
その圧倒的な存在感に魅了されます。
本当に堂々としているんですね。
圧倒的な肉感力です。
「いや~いい季節になったね~」なんて、
ただのスケベじいさんみたいな感想を思わずもらしてしまうほど。(えっ?私だけ?)
ところで写真は、ヴァンセンヌの森の湖の一つ。
先日の、日曜の散歩で撮りました。
湖の周囲は2キロ弱。その周囲を、皆さん、和気藹々と散歩していました。
もちろん周辺の芝生には思い思いの格好でくつろいでいる人々でてんこ盛り。
湖ではヨットを楽しむ人々。
家から徒歩で30分ぐらいのところに、こんな自然が豊かにあることに感謝です。
ついに、というか、一応というか、
ピンク色のマロニエの木の写真が撮れました。
ピンクのマロニエは、白の代わりに植えられるので
(白いマロニエは病気にかかりやすいのだそうです)
どうしても木の大きさが白に比べて小さいのです。
最近植えられ始めたのでまだ育っていないためです。
そういえば、と言ってはなんですが、
この散歩の途中に、
あのシャーリーの一連の事件の一つ、
ユダヤ人のスーパーで起きたテロの現場に行ってみました。
写真を撮りたかったのですが、さすがにまだ警戒態勢がとられていて
人目があるのでできませんでした。
スーパーの入り口前には低い鉄柵がぐるりと置かれ、
その足元にはたくさんの花束とろうそく、そして亡くなった人たちの顔写真が飾ってありました。
「ここはお墓なんだよ。お墓を写真に撮ったらよくないよ」と夫に言われました。
心の中でしっかりと十字を切り、その場を後にしました。
でもあぁして、
雲ひとつないぐらい晴れ渡った空の下で見ると、
そんなに悲惨なことが起きたなんて信じられませんでした。
ただし、環境としては、パリの周囲を囲んでいる環状道路のすぐ脇にあるので、
郊外としてもちょっと騒がしい場所。犯人にとってはねらい目だったのでしょう。
車の通りが激しいので、死角となりやすかったというのもあったと思います。
ともかく、あんな陰惨な事件が起きた場所とは思えないほど、
空はどこまでも青く澄んでいました。。
改めて、亡くなった人々に対し、ご冥福を祈ります。
2015年5月10日日曜日
気持ちの良い休日
写真では、なんとも微妙な天気に見えますが、
今や空は青く晴れ渡り、心地よい風が吹いています。
フランスもまれに見る大型連休で、街もバカンス気分。
復活祭後の春休みに続いて、
この間の金曜日、5月8日は、第二次大戦における戦勝記念日としての祝日でした。
来週の木曜は、L'ascention (主の昇天)で祝日。
日本のように、間にある平日を休みにしている企業も多く、
ただでさえ休みが多いのに、本格的な夏を前にして、早くもバカンス気分です。
今日はパリに戻ってちょうど1ヶ月。
久しぶりに地元の教会でのミサに与りました。
フランス語によるミサは本当に久しぶりでしたが、
顔馴染みの神父さま方がいて、懐かしく、心休まるときとなりました。
教会の前庭では、
オレンジのバラが咲き誇っていました。
つい先日、
「バラはまだだね」と言っていた矢先でしたが、
ここは日差しが遮られることなく降り注ぐ位置にあるので
一足先に開花したようです。
バラで有名なバガテル庭園や、
ライ・レ・ローズ(ライバラ園)でも、
もう咲いているものもあるでしょう。
今日は母の日でもありますね。
広場にほど近い、日本女性の経営する花やさんで、
花束を買いました。
ここでお花を買うのも久しぶり。
店長さんも、やっとパリに帰ってきた私を見て、
心からホッとしたようです^^
母の日といえば、
私の母が他界して今年で丸30年です。
母の面影さえ、おぼろげになってしまうような、長い年月が流れましたが、
しっかりと私を愛してくれた、
暖かい毛布のような記憶は、
いつまでも消えずにあります。
子供時代に、両親、とくに母親からしっかりと愛情を注がれて育ったという記憶は、
どんなことがあっても立ち上がる勇気、人への信頼を思い出させてくれます。
幼児虐待が、日常化している現代にあって、
つくづく幸せだった、と思い、
今日も感謝の気持ちを新たにした次第です。
2015年5月8日金曜日
夫の手料理
翻訳が終わり、ひと段落です。
読んでくださっている方には申し訳ありませんが、
自分の都合で更新しておりますので、このようにめまぐるしく行う場合もあります。
これは見ての通りのオムレツ。
夫、渾身の作です^^
朝、卵がたくさんあったりすると作ってくれます。
夫はこのオムレツ作りに異常とも思えるほどの情熱をもっています。
Youtube でも、オムレツの達人の動画を見つけては、繰り返し繰り返し見ています。
私も料理番組を見るのが大好きですし、
夫に付き合って飽きずに見ます。
本当に達人の手つきは職人技で、何度見てもその鮮やかさに感嘆してしまいます。
一番好きなのが、
映画「たんぽぽ」で、
元料理人、今はどんな理由でか知りませんが浮浪者になっている人が作るオムレツ。
これはもう、神業としか言いようがありません。
オムレツで有名なレストランの人のものや、
まったく個人の人のものまで、(なぜか達人というと男性なのはどうしてでしょう??)
本当に皆さんお上手ですよね~。
こちらも夫自慢の作、ホットケーキです^^
こちらは、最近買った iPad で、
NHKの「グレーテルのかまど」の中に紹介されていた、
池波正太郎のホットケーキを見ながら作っていました。
ホットケーキも、こだわり出すときりがないですよね。
池波正太郎が、「日本一」とした、果物屋「万惣」のホットケーキのレシピだそうです。
作り方はともかく、
そこには一度、かなり前にご馳走になったことがありました。
池波正太郎らしく、本店は下町、神田にありましたが、
なんと、閉店してしまったそうです。
確かにとても美味しかったのに。。 時代の流れでしょうか。
このレシピだと、ホットケーキが4枚焼けるそうですが、
夫は大きめのフライパンを使ったために、3枚しか焼けず、
写真は、仲良く1枚半ずつ、ということでなんか不思議な形に写っています。
美味しかったですけど。。。あんまり手間がかかるのは御免ですね。
私が前回つくったドーナツの方が、簡単につくれました。
閑話休題。
私たちのいるアパルトマンの眼下に見える小さな公園です。
ここが、こんな風に緑で一杯になるのを見るのは、毎年ながら本当に心地よいです。
お花もいいですけど、緑も目に快いですよね。
(光が一杯のときの写真の撮り方を工夫したいです。どうしたら良いんでしょう?)
吉報
カトリックセンターの近くにある花屋の店先です。
ご主人がフランス人でマダムが日本女性。
通るたびに、そのセンスの良さに心奪われます。
日本でも馴染み深い小手まり、そして自然界ではまだ開花が先の、バラや紫陽花があるのには
驚かされます。
今日、先ほど、日本の恩師が、無事退院されたとの吉報を受けました。
心からお喜び申し上げます。
10日以上にわたる入院生活、お疲れ様でした。
話は変わって、
こちらは吉報と言っていいのかわかりませんが、
東京の実家の家が、ついに壊されました。
解体業者の方が、親切にも解体していく様子を、何枚にもわたって写真に収めてくれたのを
添付して送ってくれたのです。
生まれ育った家が解体していく様子に、
今朝から心を揺り動かされています。。
まだ翻訳が途中でした。
ではまた。
2015年5月5日火曜日
なんということのない一日
パリは今、晴れています。
朝方、日中と、天気が優れない日でも、
夕方の4時とか5時ぐらいから急に日が差して、今現在のような晴天になる日が続いています。
日本では、夏の夕暮れ時に、夕立が降った後なんかにそうなることもありますが、
滅多に見られない光景だと思います。
そもそも、夜の8時、9時でも昼間のように明るいんですから不思議ですよね。
今回は気分を変えて、
パリの街中の様子を載せてみます。
実はこれ、ヴァンセンヌの森の方へ向かう道のりなので、
ちょっと郊外っぽい雰囲気があります。
でもなんとなく、車やバイクが一杯あって、懐かしい、都会のしゃれた雰囲気かな、とも思います。
八百屋さんもこの通り。
夕方の明るい日差しを受けて、
日よけを一杯張り出して、果物や野菜に日が当たらないようにしています。
店の名前は Coccinelle。そう、絵にもあるように、天道虫です。可愛いですよね。
この日の散歩は、夫と二人でしたが、
お互い、色んなことを抱えているので、この日は天気と裏腹に暗い気分でした。。
気分を変えて。。
ここは家の近くのナシオン広場です。
広場が好きなのは、視界が広く、開けているからでしょうか。
今私は翻訳の仕事に追われています。
天気が良くても家にいるのはそのためです。
気分晴らしにブログを書いています。
さっき、早めの夕飯を一人で済ませました。
内容は、
五分付きの玄米ご飯と、
玉ねぎ2個分を入れた味噌汁(味噌は赤と白、両方入れます)に、卵を一個落としたもの、
韓国製の味付けのり、
そして亡父がつくって送ってくれたしょっぱい梅干1個でした。
とてもパリにいる食事内容ではありませんが、
一人で家で食事をする場合は、
ご飯を炊くのが一番楽なのです。
ご飯と味噌汁があれば、それでOKですから。
夫がいると、麺をゆでることも多いですが、
一人ではそれも面倒です。
何せコンビニはないし、スーパーではご飯のおかずやお惣菜は売っていない世界ですからね。
お米と味噌、そしておかずになるような食材、
たとえば卵とかふりかけとか漬物ですね。
こんなつましい食事でも、パリでは最高の贅沢なのですよ。
広場では、天気が悪い日でもご老人たちの憩いの場となっています。
この近辺ではペタンクをやっている人々で賑わいます。
日本だとゲートボールですが。
おや、小さいけれど、ピンクのマロニエの木が写っていますね!
今度はもっとわかりやすい写真を載せますね。
さぁ、翻訳、終わらせちゃおうっと!
2015年5月4日月曜日
「悲しいね 2」 自作の詩より
悲しいね 2
悲しいね生きるって
悲しいね
どうして
こんな
思いまでして
生きなくちゃ
ならないんだろう
つらいね
悲しいね
でも
ほら
そばには
愛がある
悲しいほどに
深い
愛が
だから
生きる
生きられる
愛がなかったら
一瞬たりとも
生きられない
私たちは
誰もが
愛されているのだ
天の父に
でも
日々は
そんな思いとは
裏腹に
残酷に
過ぎてゆく
悲しいね
本当に
悲しいね
愛があっても
この世は
涙の
谷間
悲しみの
里
「悲しいね」 自作の詩より
悲しいね
「あたしね死ぬの
怖くないのよ
だって
向こうで
友子姉さんが
待っているんだもの」
そう言って
空元気を見せた
文子おばさん
「これで
ネクタイでも買って」
と
兄に
五千円渡してくれた
「友子姉さんが
生きてたら
どんなに
喜んだだろうねぇ」
と
涙で
声を
詰まらせた
そんな
文子おばさんも
今は
天国
悲しいね
どうして人は
生きるんだろう?
何を
糧にして
生きているんだろう?
どうせ
死ぬと
分かっているのに
2015年5月2日土曜日
朝のドーナツ
朝からドーナツ作りに励んでみました。
昨日、大好きなおやつ本を参考に初めてつくったのですが、
分量通りにつくったのに生地がやわらかすぎてドーナツにならず、
こちらで言うところの Beignet にして揚げました。
これはフランス流、穴の開いていないドーナツのことで、子供たちに人気の素朴なお菓子です。
さて、今朝はリベンジということで、
粉の分量を多めにしてみました。
結果、それが大正解。
ちゃんとドーナツ型にかたどる事ができました。
ところがところが。
ドーナツ型になったのは良かったんですが、
今度は中までちゃんと揚がっていないのができてしまいました。
つまり、穴が大きくつくれたものは、中まで火が通ったのですが、
穴が小さかったものは、途中、膨らんできますから、生焼けとなってしまいました。
穴をちゃんと大きくする。
ポイントの1つですね。
でも味はよかったです。
熱いうちに、白砂糖、黒砂糖にそれぞれまぶしました。
そのほか、シナモンシュガーや、レモンアイシング、チョコレートなど、
いろいろ楽しめそうです。
夫の、満足そうな様子を載せてみます ^^
お互い、台所に立つのが苦ではない性格なので、
料理やお菓子を作りっこするのですが、
かならず、
「美味しいね!!」と
絶賛することにしています。
もちろん、今回のようなドーナツの中が焼けてない場合ははっきりと言い合いますが、
基本的に、
「すっごく美味しい!」と言うのが慣わしとなっています。
相手の労をきちんとねぎらう。
それが、夫婦円満の秘訣の一つでしょうか ^^
まぁ、こういっちゃなんですけど、
料理って、つくってもらうだけでもう、女性の場合は美味しく感じるものですよね。
自分が何もしなくても料理が目の前によそられて食べるだけ。
これって女性の願望の一つではないでしょうか。
とにかく、
朝からのドーナツ作り。
大成功ではないけれど、十分楽しめました!
皆さんもドーナツ、いかがですか?
お見舞い
奈良にいる恩師が入院されました。
詳細はわからないので、
なんと申し上げていいのかわかりません。
そういえば先生、去年から急に断捨離されていましたが。。
とにかく、先生の一刻も早いご回復、ご健康を祈ります。
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