2015年1月8日木曜日

初詣 浅草寺へ - それと表現の自由への考察


本日 晴天なり。

ようやく、浅草寺へ初詣に行ってきました。
別にカトリック教徒だからといって敬遠した訳ではないのですが、
三が日の大混雑の中お参りするほどの信心はないので
お天気の良い今日となりました。

相変わらず海外の観光客が多い中、
ちょっと発見だったのが、
仲見世の商店のシャッターが、真昼間なのに結構閉まっていた、ということです。
きっと、年始からの1週間、年中無休で営業したのでしょうね、
1週間明けた今日、初めて正月休みをとっているのかもしれません。
ちょっとした発見でした。

私のブログでもう何度も登場している五重塔。
雲一つない青空に、くっきりと映えている様子は、本当に見事ですよね。
これぞ日本のお正月、という気分になります。


こんな風に、さすがに人もまばら。
何にもない普段の浅草より人が少ない感じがしました。

今日は初詣ということで、
お線香の束(1つ100円)を買って供えました。

家にあるお地蔵様の処分の仕方を、お参りした後、お寺の本堂のお坊さんに伺いました。
最終的には、氏神様に祭ってもらってから処分しては、ということになりましたが、
本当はその土地から撤去するのはお勧めできないと言われてしまいました。
うち1件で新しく家を建てるのなら、そういった融通も効かせられますが、
隣地との共同住宅。そんな融通、効かせてもらう訳にはいかないのです。

どなたか、処分の仕方、最良の方法知ってる方、いませんか?

このお地蔵様、東京大空襲で亡くなった、父の全家族のために建てられたものなんです。
今じゃ、その父も一緒になっていることでしょう。
処分、本当はしたくないですね。。



こちらは浅草寺の隣にある浅草神社。
お寺と神社が同じ敷地内にあるというところが、大らかな日本人的発想ですね。

この龍は、お賽銭箱の上にあったもので、
とても良い雰囲気なので写真に収めました。


冬の代表的な花といえばこれ、
真っ赤な椿ですよね。
今日の午前中のまぶしい光を受けて、こんなに美しく咲き誇っていました。

風も強い今日。
写真に撮るのに大変なぐらい、この瞬間にも強風が吹いていました。

帰り道にある小さな神社。
亡き父が、前を通るたびに律儀に姿勢を正してお辞儀していたのを思い出します。
神道だろうと、仏教だろうと、はたまたキリスト教だろうと、
父の信心だけは本物だった、とこの頃つとに思うのです。
「何も信じない」という人生より、
どんなにか豊かな実りのある人生だったでしょう。
そもそも、人間は、何も信じないでは生きられない動物です。
だからこそ、「何を信じるのか?」、
これが命題になると思うのです。

世界の中の日本、日本人。
そういう立場から、
決して、「無宗教」と言わないでください。
お寺、神社で手を合わせている日本の人たちを見ていて、
決して無宗教じゃないし、無信心じゃない、と強く思います。

さて、パリではものすごいテロが起きましたね。
日本のマスコミでは「新聞社」とありましたが、
真相は、漫画を専門とする出版社、そこにいた全員12人が殺されたのです。
フランスで大人気の漫画家が、何人も含まれていました。

言論の自由、と、一口に言いますが、フランスのそれは日本の比ではありません。
日本は「空気読め!」で、自主規制の国ですが、
フランスは自由と責任の国。
夫が送ってくれたデモの様子を見ても、ただ事ではありません。

あの漫画家たちにも、非があるのでは? ということは、決して、決してここでは問題になりません。
こういったことに、真剣に熱くなるフランスという国に、
日本とは明らかに違う国民性をみることができます。

行き過ぎの表現だとしても(もちろん、フランス国内でも批判をする人たちは大勢います、特にカトリック教会についても、彼らは一網打尽の漫画を描いていますから。)、
この場合、明らかに殺されたことへの抗議に100パーセント賛同する。
それが、フランスという国なのです。

日本人としては、イスラムからも、キリスト教からも自由な立場として、
さぁ、どっち側に立つのか?
試されているようにも思います。。



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