2015年12月19日土曜日

もうすぐクリスマス ~苦しみを超えて~


ご無沙汰している間に時はどんどん流れ、早、クリスマスもまじかとなりました。
正直、ようやく、クリスマスを祝う気持ちに添えるようになってきた、という感じがしています。

人間、生きる上での辛さは、いつ何時でも消えてなくなることはないと思います。
人と会えば、その辛さを出さず、表面だけでも明るく楽しく振舞うのが世の常、ということだと。
そんな風に思い、その思いに寄り添うことができれば連帯が生まれるし、真の希望に向かって歩むこともできるようになるのでしょう。

人の世は、死と向かい合わせ。
自分もいつか必ず死ぬし、自分の苦手な人だってそう。
そう思えば、ゆるせないことも、ゆるせるようになるかもしれない。。 甘い考えでしょうか?
そうですね、
死んでもなお、ゆるせない、ということはあるかもしれません。
徹底的に苦しんできた人にとっては、自分を苦しめてきた人が死んでも尚、恨みが残る、ということは、大いにあり得ることです。
では一体、どうすればいいのか?
相手は天国か地獄かに行ってしまって、もうこの世にはいないのに苦しい、憎い、許せない、
この気持ちをどこにもって行けばいいのか?

ここまで読んだ方の中には、
「そんなにしつこい気持ち、持ったことがない」という方もおられるでしょう。
ある意味、すごく幸せな方です。
そういう方は、もう読む必要はありません。
でもそう思いつつも、ふとした時に怒りが顔を出す、ということ、ないでしょうか。
つまり、深層心理、いわば、無意識のレベルで、許せていないんですよ。
口ではもう、関係ない、忘れた、と言っておきながら、
実は許せていない、というのが、大抵の人のパターンのような気がいたします。

ではどうすればいいのか?
色々なやり方、たとえば、同じ苦しみをもつ仲間をつくろう、とか、
その苦しみを分かち合って、もっと苦しんでいる人の役に立とうとか、
自分の打ち込める趣味に、とことんのめりこんでみるとか、あると思います。

でもそれでも、何としてもダメ、という場合。

私はキリスト教徒ですので、やはり、信仰をもつ、ということをお勧めします。
この世の罪をすべて背負って十字架上で死んでいったキリストを信じることです。

決して勧誘をしている訳ではありませんが、
クリスマスに当たり、そんなキリストがこの世に誕生した意味を考える、
キリスト教徒ではない人でも、一年に一度ぐらいは、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

「キリストを信じる」ということは、
とりもなおさず、心からの回心をする、ということです。
決して道徳や倫理ではありません。

「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」という聖書の中の神のみ言葉は、
単なる道徳の標語ではありません。
「隣人」そして「敵」を愛せよ、と説くその言葉には、
血のにじむような努力、つまり回心が必要なのです。
生半可な気持ちでは、到底、到達できることではありません。


クリスマスを前に、こんな気持ちを伝えてみるのも悪くないと思い、
少し重たい内容になってしまいました。
お許しください。

どうぞ楽しいクリスマスをお過ごしください。
何としても、希望の星、キリストの誕生は、おめでたいことなのですから。









2015年12月7日月曜日

ようこそ福島へ! ~心ある人に向けて~


先日、また東京に行ってきました。ここの所野暮用がありまして、ちょくちょく上京しています。

ここは福島駅のホームの一つです。ここから東京行きの新幹線に乗るわけですが、
もちろん、反対に、北、特に仙台や盛岡、そして山形方面の新幹線も発着します。
そこでこんな出迎えに遭遇しました。
「ようこそ福島へ」
目の前には、北へ向かう新幹線が止まっていました。
写真だと分かりづらいですが、
手前の女性は大きな仮装用の白い手袋をしています。そして真ん中には、両手を上げて、巨大な(そう、まるでディズニーのミッキーがしているような)手袋をして歓待しています。

「これは!」と思い、すかさずパチリ。見ると向こうでも白人のおじさんが嬉しそうにやっぱり写真を撮っていました。「ふくしま」と平仮名にしたのは、外国人でも分かるように、かな、と思ったりして。

でもこの光景を見て、つくづく、涙が出ましたね。だって一生懸命ですよ、福島の人は。

以前、パリにいた頃、「風評被害」という言葉を目にして、「風評被害」と言ったってねぇ、と思っていましたが、今では分かります。福島の人たちが、どんなにがんばって、農作物や牛乳などを作っているか。

私が兄のことで福島に住むようになってから3ヵ月半ぐらいが経ちますが(あ、でもまだそれだけなんですね)、毎日のように福島テレビを見ていて、深く考えさせられています。
本当に、福島の人たちは犠牲者、被害者なんだ、と。

朝晩のニュース番組では、天気予報の終わりにその日の放射線量の値が発表されます。
沿岸部はいつも内陸に比べると高い値ですが、
ここ福島市でも、沿岸部と変わらない日も多く、兄もわたしも、完全に被曝していると思われます。
空気はもちろんですが、朝晩浴びるシャワーだってそうだし、福島県産の食べ物を食べている訳ですから、内部被曝ももちろん、その程度は知らずともしていると思います。

そう思うと、不思議と連帯の気持ちが生まれますね。

もちろん、ここ福島でも、ちょっとしたいやな目、というのには逢いますが、頻度は東京より少ないです。以前書いたように、お隣さんからはお夕飯の御すそわけをいただいたりして人情が残っています。そう、東京の実家(下町)のような雰囲気。

「今度から、福島のこと悪く言ったら承知しないからね!」などと息巻いたりして。


東京へ向かう新幹線の中で、駅弁を食べるのが趣味の私ですが、
こちらは宮城県松島のお弁当。牡蠣のお弁当ですね。
三陸沖の生ワカメも、よくスーパーで買って食べていますが、本当に美味しいですよ。


一体自分は誰と連帯するのか?
ここ日本でも常に考えていることです。


アパートの近所で椿が咲いていました。ちょっと前に撮ったものなので、もう散っていると思いますが、冬の花の代表ですよね。うちにも、50年以上毎年咲いていた椿があったなぁ、と思い出します。。


さて、二週間後に夫が羽田に降り立ちます。
彼にとって日本の年末は10年ぶりぐらい。心待ちにしているのがよく分かります。
お正月は二人で、福島で過ごします。年明けのお参りはどこの神社に行けばいいのかしら?
今から調べま~す!



2015年12月1日火曜日

冬晴れ


週末を利用して、また東京に滞在してきました。
土日に上京するのは滅多にないことだったので、人の混雑などに面くらいましたが、それもまた忘れていた東京の一面として楽しみました。

ご覧の写真は日比谷公園です。
東京駅から乗ったタクシーから、皇居周辺の見事に黄葉した銀杏が眺められましたのですが、ここでも美しく黄葉していました。東京では、黄葉は今が見ごろなんですね~。福島の銀杏は、その真っ黄色な葉を全て落としてしまっています。

冬晴れの東京。
週末なので、カップルも多く見かけました。
個人的には、音信不通となってしまった友人のことを思い出していました。


ここ日比谷公園は、まさにビルの谷間にある、都会のオアシスですよね。
平日であれば、官庁街に勤めるサラリーマンが骨休みにベンチに座ったりしていますが、この日は晴れた日曜のお昼。名高い「松本楼」では、ランチに並んでいる人の列が出来ていました。
薔薇の花壇でも知られていますが、もう秋薔薇はさすがに終わっている感じでした。

東京に滞在するときに使うようになった、
いつものホテルで、初めてルームサービスを注文してみました。
ここのホテルは立地としては下町ですが交通の便がよく、
下町のホテルとしては一流といえます。
何しろ働いている人たちのプロ意識が高く、少しでも嫌な思いをしたことがありません。
注文した朝食も、本当に美味しいものでした。 
  
特に、「ミルクたっぷりのコーヒー」と注文したコーヒーもミルクも、絶品でした。

さて、ところ変わって福島ですが、
晴天でも、空気が冷たく、昼間でもしっかりとした上着が必要な寒さです。
もう本格的な冬の到来を感じるような、そんな厳しさが加わってきました。

そんな中、一人の、とても親しかったシスターがお亡くなりになりました。
もう随分長いこと、病院での療養中の方でしたが、実際にお亡くなりになったとの知らせを受けて、意気消沈しています。笑顔のとても可愛らしい、心もとても温かい方でした。
「また一人いなくなってしまった」
夫とのスカイプで、二人して暗くなりました。


年を重ねてくると、人の死に、否応なく遭遇することが多くなってきますね。
年をとるということは、そういうことなのか、身近な人がどんどん亡くなっていくのを見送ることなのかと、実感しているこの頃です。

今はもう、長い苦しみから解放されて、神様の御許で安らかに微笑んでおられることでしょう。
心からの感謝を込めて、祈りたいと思います。

皆様もこれからの季節、寒さには充分気をつけましょう。


 

2015年11月27日金曜日

柿だった!


以前ご紹介して、このブログの背景にも使っているこの木は、なんと、柿でした!
前回のですでに、蜜柑ではなく柿では?とお気づきの方もいたかもしれませんが、どなたからもご指摘がなかったので、今まで訂正してきませんでした。こんな風に、葉っぱが全部散った後に分かるものですね。実も大分落ちたようですが、やはり食べられるのかどうか分かりません。放っておいてあるところを見ると、やはり渋柿なのかもしれません。

ところでご覧の通りの晴天です。
昨日までの冷たい雨や初雪を超えての晴天。朝からまぶしい光が輝いています。
愛猫も、ここぞとばかりにベランダに出ては、朝日を浴びていました。

明日からまた2泊3日で東京に行きます。2週間ぶりです。


話は戻りますが、果樹といえば、
東京の実家で育てていたのは、姫りんごと桃でした。二つともちゃんと実がなりましたが、姫りんごの方は、食べる前に鳥に横取りされることが多かったです。
その他食用のものは、夏に収穫するトマトやきゅうり、ナス、そしてイチゴもよく作りました。まだまだ小さかった甥や姪が来たときに、よく一緒に採ったものです。ハーブもよく種から育てました。
東京の下町の、しかも2階と3階の空きを利用しての空中庭園でしたが、本当に色々なものを父と育てました。懐かしい、でももう、その家もなくなってしまいました。

ここ福島でも、地元のテレビでは、毎日のように被災者の今を放映しているのですが、やはり生まれ育った故郷の家がなくなった喪失感は、経験しないと分からないことだと思います。しかも福島の人たちは、自分の意思でなく、自然災害という理不尽さによって失ったのですから、その悲しみ、怒りの持って行き場がないでしょう。そのことでもまた、二重に苦しんでいると思います。


年末年始を利用して、夫が一時帰国します。
夫は、私の実家がなくなったのを見ていないので、今回一緒に見に行く予定ですが、さぞびっくりするだろうな、と思います。家の解体の様子や、基礎工事の様子など、写真を送って見せてはいるのですが、実際に目の前にするのとでは、雲泥の差があると思うのです。

新しい部屋の内装も、ほぼ決まりました。他の部屋とはちょっと違うものにしたい、という欲があって、まだ本決まりではありませんが、6畳間を畳の部屋にしてもらおうと思っています。今、新築のマンションは、全室洋間が常識のようですが、私はパリで洋式に浸っている分、日本では和風にこだわりたい。畳っていいですよね、ゴロンと横になれるし、布団を片付ければ広く使えるし。洋室なんかより、よっぽど優れていると思いますけど。
それと、パリの友人たちにも、日本に来る時に使ってもらえたら、とも思っています。尚更、和室があると喜ばれると思うのです。

それにしても年々、日本に来る外国人の数が増え続けていますね。人種を問わず増えているそうですが、そうなると、難民の問題も、より身近なこととして捉えられると思うのですが、どうでしょう。今朝のニュースでは、日本では、難民と認定されるまでに審査が3年もかかるということを知って驚きました。そんなに時間がかかるのか~、と。道理で一般的な問題になりづらい訳です。そもそも、通り過ぎて行く旅行者と、滞在して生活をするのとでは、考えられる問題の次元が違いますからね。外国人が日本で生活をする、仕事をする、となるとより、多くの問題が浮上してくるようです。

とにかく、難民の受け入れの問題は、日本にとっては難問と言えるでしょう。


今日は一日晴れの予報です。この晴天を楽しみたいところですが、翻訳の仕事が入りました。
東京に行く前に仕上げるのは無理ですが、出来る所までやってみましょう。

それでは良い一日を!


追伸: 皆さん、小さい頃、柿って食べられましたか?私は全くダメでした。あの、熟すにつれてぬるっとした食感が出てくるのと、なんとも言えない渋みが嫌いでした。でも今じゃ大好物。不思議ですね。そんな、子供の頃苦手でも、大人になってから食べられるようになったもの、数限りなくあります。皆さんはいかがですか?









2015年11月20日金曜日

東京滞在 おもてなしの心


なんやかんやと忙しくしている間に、パリとサン・ドゥニ(パリ郊外の町)でひどい事件が起きてしまいました。パリ市内の連続テロ事件は、パリの家にわりと近かったので、夫から「サイレンの音が聞こえてるよ」といった実景中継をしてもらっていました。
一応、今回に関係した実行犯グループは死亡したり捕らえられているようですが、全員ではないそうですし、同じようなテロを起こす人間の数はそれこそ星の数ほどいると言われている以上、もはや安心できる地は、少なくとも先進国にはないのかもしれません。
犠牲者となった人々のご冥福を祈るばかりです。 



ところで忙しくしている理由の一つに、
定期的に東京に滞在していることがあります。
仕事に復帰している兄の許可をもらって、1泊か、2泊という条件で(猫がいますので)上京を楽しんでいます。

やはり生まれ育った東京に行くと、心からホッとしますね。
地方から来る人にとっては東京のイメージはさまざまでしょうが、
私にとっては正にホームグランド。ふるさとです。

さて、前置きが長くなりましたが、今回は、とても親しくさせていただいている、年上の友人宅に泊めていただいたことを話題にしたいと思います。
彼女の詳細は避けますが、今までにも幾度となくお邪魔しては、手づくりのとても美味しい料理をもてなしていただいています。何回かブログに登場している方のお宅です。
今回もその一つ。上の写真は、朝の風景です。


こちらは前夜、遅くにお邪魔することになったときに、ささっと用意してくださった手料理です。
彼女は、フランスではお惣菜としては定番の、キャロット・ラペ(人参の千切りの酢漬け)を、なんと手で千切りにして作ってくれます。普通はスライサーを使うところなのですが。
こんな風に、ワンプレートにして色々なお惣菜を盛り付けるのは楽しいですね。スープも、かぼちゃを前もって潰して冷凍保存していたのを使ってくれました。


こちらは本格的な夕食。ご覧の通り、純和風のおもてなしに、感謝感激でした。
手料理、というだけでなく、一つ一つの素材の質が、とても良いのです。無農薬の有機野菜とか。
宅配サービスでの注文だそうです。(若い人には少々値が張る食べ物です。)

こころがこもっている、ということでは先日、とても嬉しい体験をしました。

ここ、福島の兄のマンションのお隣さんが、お夕飯時に手作りのシチューを持ってきてくれたのです。「美味しいかどうか分からないけど」と謙遜して渡された入れ物には、出来立てのクリームシチューが湯気を立てていました。私はとても嬉しくて、一人の夕食も、心まで温かくなるような、そんな晩となりました。
翌日にはカボチャの煮っ転がしを持っていきました。

こんな関係を夫に話したら、「小津の映画に出てくるね。『ねぇ、お醤油貸してくれない?』ってさ」と言われました。あの、あっけらかんとした、岡田茉莉子さん、大好きです。あんな、気の置けない関係も良いものですよね。今風に言うと、昭和の香り、というんでしょうか。

兄以外、一人の知人、友人もいない、孤立無援だった私にも、少しずつ温かい縁が結ばれてきました。感謝です。


ところでこちらは一週間前の銀杏です。
真っ黄色に輝く瞬間を写真に収めました。
この日、休暇に来ていた兄を、今仕事で暮らしている先、塙町へと見送りました。

昨日、福島市でちょっとした地震がありました。今朝もちょっと揺れました。
ここ福島では、テロの危険より、自然災害のほうがずっと身近ですね。


2015年11月10日火曜日

夜明け - 自作の詩より



夜明け

 

夜が明けるよ
ほら
山の稜線が
赤く照り始めた

そう
もう夜は明けた
暗く、寒い夜が
ようやく
その重い帳を明け始めた

待った
待って待って
待ち続けた

あんまり待ったんで
何を待ち続けていたのか
わからなくなっていた

そう
私はこの
夜明けを待っていたんだ
この
薄暗い大地の果てで
小さい何かの
生き物のように

やっと明けた
そうだよね
そう思って
いいんだよね
ほら
山の稜線が
赤く照り始めた

2015年11月4日水曜日

秋晴れ そして動物を飼うことについて


確実に気温が下がって、秋の深まりを感じるこの頃ですが、この季節に特有の、素晴らしい青空が続いています。秋晴れ、本当に空の透明感が美しく、空が高く感じます。
福島は、朝の空気はもう、白い息が出るほどの寒さですが、
日が高くなるにつれ、その空気のひんやり感がほんのちょっと緩んでくると、良い匂いが漂います。
やはり周りに山があるせいでしょうか、空気に自然の香りが混じっています。

この蜜柑の木は、7階の窓からも良く見える一本の大木です。
ちょっと葉が枯れかかっていますが、この様な姿になっても実らせておくのは、食べられない蜜柑なのかもしれません。それとも、もっと先になって、自然に落ちるのを待っているのでしょうか。
どっちにしても美味しそうに、たわわに実っています。

蜜柑といえば炬燵!?ですが、
新しく届いた炬燵の生活を楽しんでいます。
やっぱり炬燵っていいですよね~。
猫も最低温度にしておくと、ずっといつまでも中で寝転んでいます。



先日、外でひどい叫び声のようなものが響き渡ったので聞き耳を立てていると、
赤ちゃんの泣き声かと思ったそれは、猫同士の激しい喧嘩の声でした。
もう日がとっぷりと暮れた、寒い夜。
そんな中で猫同士が喧嘩している声を聞いていると、本当に胸が痛みました。
うちのアビはなんて幸せな猫なんだろう、と。
外で叫んでいる猫をもってくる訳にも行かないのだから、せいぜい、うちの猫を可愛がってやろう、という気持ちになりました。

それにしても猫好きですが、
でも前々から思っていたこと。
犬好きの人って、猫のことを嫌いか、蔑んでいないかな、と。まるで犬の方が上等みたいに。

この間テレビで、子供たちが公園の砂場で遊ぶ危険とか、衛生面での問題を取り上げていたときに、「確かに猫の糞がありますからね~」と某アナウンサーがのたまった。
「確かに」、野良猫の糞がある可能性は充分にある。でも、でもですね、犬だって糞するでしょう?
野良犬は、猫に比べて数が少ないし、飼い主が糞を始末しているから、ということも分かりますが、
猫好きの私としては、「犬猫の糞」(この犬が最初、というのも気に食わないが)、と言って欲しかった。
以前、またテレビで、ご自慢の犬を抱いていた主婦が、「猫って臭いでしょ?」とのたまった場面にも出くわした。怒り心頭。「なんで、猫だけが臭いんだ?猫が臭いなら犬も臭いだろ?」と。
それに、少なくともうちの猫は、全く臭くない。かえって良い匂いがするぐらいです。

とにかく、犬を飼っている人は、なんか猫を飼っている人よりプライドが高いと感じるのは、私の僻みでしょうか? 私は別に犬は嫌いではないし、そもそも、あらゆる動物は好きである。でも、犬を飼っている人の様子を見るにつけ、「犬だけは飼わないようにしよう」と思うのです。

長くなって申し訳ないですが、
そもそも犬って、健気すぎませんか?あまりに人間の顔色を見るので、なんか痛々しいというか。
感覚としては、人間とほとんど違わない感情や知能を持っているのではないのでしょうか。
猫もそうですが、一度飼ったら、人間の子供と同様に、本当に大事にしないと、と思います。
いかなる事情があっても、一度買い始めた犬猫は、最後まで面倒を見るべきだ、と思います。
以前やはりテレビで、飼い犬だった犬たちが、捨てられて野生化したのを囚われて吼え続けている姿を見て、本当に胸が痛みました。あんな思いを、いくら訳があったとしてもあんな風にならせてはならない、これは責任と自覚の問題だ、と強く思いました。
動物を飼うなら最後まで看取る、それぐらいの覚悟がなくては、飼う資格はない、と思います。


マンションの階下で咲いていた、見事な黄色の菊。
フランスは今、Toussaints のバカンス中でしょうか。
改めて、この世を旅立った人たちへの思いを強くしました。

 








 

2015年10月25日日曜日

寒くなってきましたね


寒くなってきましたね~。朝晩はもとより、日中も晴れていても寒いと感じるような季節になってきました。ここ福島では、もうお出かけには羽織るものが必須となりました。

我が愛猫も、ご覧の通りの寒がり。人間が寝るように、つまり私を真似して布団に横になって掛け布団をかけて熟睡しています。目がうっすらと開いてますが、いびきをかいて寝ているところです。

ところで先ほど、
新しい赴任地、塙(はなわ)町へと、明日からの仕事に備えて福島市のマンションを後にしました。

出会いと別れ。
結婚してパリに暮らすようになってから、特にこのことを繰り返してきました。
二年前の父との死別もまた、別れの一つでしたが、
一命をとりとめた兄との出会いと別れは、繰り返し経験しています。
さっきも、新幹線で塙町へと向かった兄と別れを経験しました。
でも全然慣れません。
いえ、さすがに慣れてはいるのですが、
別れるときに感じる喪失感というのでしょうか、寂しい気持ちは変わりません。
兄と別れるたびに、身を引き裂かれるような寂しさを味わいます。


今日、久しぶりの兄とのドライブで、行った先で落ち葉の絨毯を楽しみました。
家の中で過ごすことの多い私にとっては、いつの間にかすっかり秋になっている町の様子は、とても新鮮に映りました。

こんな落ち葉を踏みしめていると、子供の頃、母や兄たちと行った山道を思い出します。
あの頃は季節を問わず、山登りを母と楽しんだものですが、
特に落ち葉を踏みしめての山道は思い出深いものです。

一方で、パリにいた頃は、この時期は栗拾いの時期で、ムードンの森に行ったことを思い出します。どちらにしても、枯葉の匂いの立ち込めた山歩き、楽しかったなぁ。

まだ昔のことを思い出すには早いかな、とも思いますが、
兄といるとどうしても子供の頃を思い出さずにはいられません。
もっとも、この福島の兄は、10才離れているので、小さい頃は、2才上の兄とばかり遊んでいたのですけれど。

恩師のお兄様が亡くなられました。
心からのご冥福を祈りながら、このブログの締めとさせていただきます。

出会いと別れ。
これを繰り返していくのが人生と思います。


 




2015年10月22日木曜日

秋晴れ


昨日、気分が良かったので、早朝散歩を楽しみました。
早朝といっても7時を回っていたので、ご覧の通りの明るい空。
日本の冬は素晴らしいと海外では評判ですが、深まり行く秋も良いですよね。
こんなに天高く澄み切った青空を、パリで拝めることは滅多にありません。しかもこの朝の時間帯に。日本で売られている本に、よく、「日の出と共に起きるのがよろしい」というのがありますが、パリではそんなこと出来ません。日本だからこそ、なのです。やはり日本の四季の方が過ごしやすいことは明らかですね。

あ~い~気持ち!と、ぶらぶら散歩をしていると、近くにある小学校に登校する小学生たちに出くわしました。あぁ、そんな時間か、と思いましたが、心なし、子供たちに元気がないように感じました。東京の実家の下町だと、もっと子供たちは元気なのに、と。

そしてまるで下町散策をしているように、いくつものお寺がありました。写真もその一つです。
マンションの7階からも見えるお寺には、大きなお墓があります。そしていくつもの桜の木々。紅葉はまだ少しずつですが、今年の春、夢のように満開だった姿を思い浮かべました。
季節は確実に移り変わって行きますね。そして人は確実に年を重ねて行く。

まだ自分の年を意識することはあまりないですが、
前回に書いたように、食事療法によって、足の痛みが消えたのには未だ驚いています。
そして、痛んだ足と同じ側(左側)の肩の痛みも、食事を気をつけるようにしてから、きれいになくなりました。これは本当に驚きです。
そして寝る前の、お風呂上りのストレッチ。これは効きます。よく、痛気持ちよい程度、といいますが、それが本当に気持ち良い。足を中心にした下半身を、ちょっと痛い、と思うぐらいゆっくりと伸ばしていく。向き不向きはありますが、これによって熟睡できていることは間違いありません。


ところで、先週二泊三日で東京に滞在したときのひとコマをお伝えします。
写真は、今年新築オープンした、銀座の伊東屋のカフェです。最上階の12階にあります。
こちらは、一品の食事として充分に満足できるサラダがあると知って、お昼に立ち寄りました。
確かに、ボール一杯に入ったサラダは、パリのカフェで出るサラダと同じぐらいのボリュームがあり(パリでは必ずサービスでパンがつきますが)、一皿だけでお腹一杯になりました。
雰囲気も、女性が多いので、一人で入っても全然OK。シンプルでも温かみのあるインテリアに心和みました。

そういえば昨日、福島のマンションに、注文していた炬燵が届きました。炬燵用のカーペットの上に置いたら、部屋があっという間に冬支度となりました。炬燵って良いですよね。日本の冬は炬燵じゃなくちゃ、と勝手に思っています。猫も喜んでいます。炬燵用の掛け布団がまだ届かないので、昔のちゃぶ台のような雰囲気。これも良いものです。

実家のマンションの基礎工事が終了しました。日本では今、その基礎工事の不良が大きな話題になっています。「うちは大丈夫かな?」と内心心配ですが、、、まぁ大丈夫でしょう。

パリは寒そうですね。夫が、「暖房が入ったよ」と嬉しそうに報告をしていました。
なんということのない日常。でも、一日のうちに、自分のやっている事って、そう少なくないことに気づきます。でも、今与えられている時間を大切に過ごしています。
そうそう、10日以上引いていた風邪、今朝になって大分良くなりました。
皆様もどうぞ気をつけてお過ごしください。

そういえば昨日、割と大きな地震が、福島沖で起きました。マグニチュード5,5とか。
ここマンションの7階も、結構揺れました。 
パリにいる夫の提案で、すぐにネットで防災リュックを購入しました。少々値がつきましたが、ここでは必須のもの、と実感しました。
さて、もっと大きな揺れが来たときのため、愛猫のリードを手元に置きなおしました。必ず、一緒に逃げるつもりです。
実家では、秋祭りのこの頃、秋の交通安全週間などというものがありましたが、ここ福島では命と隣り合わせ。悠長なことは言ってられないのです。

でも今の日本では、どこで何が起きても不思議ではないですね。どこにいても、危険が付きまとう世の中になったと思います。もう防ぎようがない、と腹をくくる必要もありそうです。
 









2015年10月12日月曜日

秋祭り

 


日本で秋祭りといえば、もちろん、太鼓・お囃子・お神輿を思い浮かべることでしょう。
写真は、福島駅の構内に展示されていた、ハロウィーン向けの飾りです。
「さて、重さは何キロでしょう?正解された方には○○を差し上げます」などという件がついていました。
日本でもすっかりお馴染みになったハロウィーンですが、
福島では今、まさに日本古来のお祭りが盛んです。

二本松や郡山、そして会津など、それぞれの土地でお祭りが行われているのが、
地元のテレビでも放映されています。

祭りには、その年の豊作に感謝する意味と、
一年がんばったご褒美としての意味があって、中々見ていて面白いものです。
普段は人の目を気にして大人しくしている人も、この時とばかりに羽目を外します。
祭りには、民衆の日ごろの憂さを晴らす役割が、今でもしっかりあることに気が付きます。

私もお祭りは大好きです。
お祭りとして思い出すのは、
やはり母の死後の、辛い経験ですね。
母も、文京区本郷の生まれながら祭り好きで、あのお囃子が聞こえ始めるといても立ってもいられないほどでした。そのため、母が死んだ後はあの祭囃子を聞くのは本当に辛かった。
母を思い出すだけでなく、あの音階、メロディーには、郷愁を強く誘うものがあるからです。

そんな私も、いつの間にか辛さが消えて、楽しめるようになりました。
今も、7階から、地上で山車が通るのを、愛猫を抱っこしながら楽しんで見下ろしました。


さて、郷愁にばかり浸ってはいられません。
この、目の覚めるような夕日をご覧ください。
こちらはよく晴れた日曜の夕暮れの景色です。
偶然、外に用事があると出ようとした兄に呼ばれて、「一見の価値があるよ」という言葉につられて見たのがこの風景。とても神秘的でした。大きな空に広々と広がる茜色の雲。
慌てて写真を撮って見とれていたら、ものの5分も経たずに消えてしまいました。まさに天のマジック。やっぱり高台に住むってメリット大きいですね。


そんな美しい夕闇も、ここ福島では一層現実味を帯びて見えるのは、
朝晩、地元のテレビが放射線の量を、県内の区域別に発表されているのを聞いているからでしょうか。そうなんです。
この美しい空にも放射線は混じっている、と思うと、怖いような、当たり前のような不思議な気持ちがします。

昨日も、「3・11」から4年と7ヶ月、とカウントしていました。
福島県は、縦方向に3つに分類して、「会津」「中通り」「浜通り」と言われ、
原発のある「浜通り」の地区の情報は、逐次詳しい情報が流されています。
この間も、非難解除された町を紹介していました。
そして被爆した子供たちの甲状腺癌の増加が、来年以降顕著になると報告しています。

こんなリアルな世界に生きているということに、改めて気づかされているこの頃です。
東京の人たちなんかは、こんなこと忘れて生きていますよね、きっと。
 

でも、ずっと聞こえているこの祭囃子、本当に楽しいですね。




2015年10月8日木曜日

食事療法 実施中


ご無沙汰している間に、ここ福島も、すっかり秋めいてきました。
朝晩の気温は低く、日中も20度を切るような陽気が続いています。
7階のマンションから見える山々はまだ色づいていませんが、街路樹などは、少しずつ色を変えて、秋の装いになっています。

さて、写真のランチセットは、今年の夏、京都・奈良を訪れた際に立ち寄った名店、
「進進堂」のカレーセットです。京大前の店舗の、いわば本店です。
ここは、今年85周年を迎える伝統あるお店ですが、特にこのカレーセットは定番のものとなっているようです。
私の好きな銅版画家、山本容子さんが、その著書で紹介していたお店の一つで、興味を惹かれて夫と来店しました。

その日もご他聞に漏れず猛暑日。カレーを食べるには持ってこいのお昼でした。
でも実際にいただいてみると。。。確かにカレーのルゥの味はコクがあって美味しかったのですが、
具がほとんど見当たらず、量が少ないと感じました。
ここは場所柄、京大生が、図書館代わりに使うような、店内には本も置いてあり、落ち着いた雰囲気なのですが、学生たちがこれを食べて満足が行っているのか、はなはだ疑問でした。
まだまだ若い学生が、こんな少量でお腹一杯になるはずもなく、お値段もお金のない学生のためのものではありません。


そしてふと周りを見回すと、店内にいるのはご年配の方ばかり。
なぁ~んだ、お年寄りの憩いの場だったのね、と合点が行きました。
ご年配の方ならこの量で充分です。コーヒーだけを飲んで寛いでいるのもお年寄り。
本を読んでいる姿を見ていると、大学の先生かもしれません。

私たちは、(特に夫は)「これじゃ全然足りない」と、(そう若くもありませんが)
上のミックスサンドイッチを注文し、あっという間に平らげました。こちらも美味しかったです。
この進進堂は、隣がパン屋で、厨房でパンを焼いていることもあり、このサンドイッチは懐かしい味のする美味しさでした。


ところで何故今回、わざわざ夏の写真を引っ張り出して批評しているかというと、
(写真を取り込むソフトの故障、ということもありますが)、こうした料理は、今ではもう、私は口にしていないからなのです。
そう、兄の食事療法をしている内に、「糖質制限」というダイエット法に出会いました。
以前だったらとても信じられない内容のものですが、
実際に行ってみて3週間強。少しずつ体重が減っていることと、体調が劇的に良くなってきています。

 

一番は、去年から痛みのあった足の指の付け根や、肩が治ったのです。
いかに今まで、塩分と糖分を取りすぎていたのか、実感しています。
今は、上の写真のような、地中海風サラダは、体に最適だと分かります。体に悪いものが一切入っていません。(もっとも、ドレッシングに少量のマヨネーズが入っている点はマイナスですが)

この頃はよく、「あなたは、あなたが食べたものから出来ている」という表現を見かけますが、
正に言い得て妙ですね。

とにかく今、食べ物に気をつけるということを通して、体調の変化を楽しんでいます。
糖質であるお米、麺類、パンを、いつもより量を控えてみませんか? すぐに体が喜ぶのを感じますよ。その際、それに代わるたんぱく質(肉、魚、豆類)を多く取ることをお忘れなく。


来週には東京に行きます!






2015年9月28日月曜日

秋の薔薇 (自作の詩より)




秋薔薇

秋に咲く薔薇
初夏よりも
ひっそりと
いつの間にか
咲いている
その
深く
こくのある色は
何に例えたらいいんだろう           

華々しさはないけれど
落ち着いて
しっとりと咲いている

わたしも
秋に咲く薔薇のように
もうひと花咲かせたい
華やかさはなくても
ひそやかに
でも
確かな輝きをもって







秋の薔薇


昨日、兄と二人でドライブを楽しみました。
行った先は、あづま総合運動公園という、福島市にある市民の憩いの場。
憩いの場とはいえ、南北に長い敷地は広大で、一日ではとても回りきれないほどでした。

ここには、秋のバラを見に行ってきました。
写真は、帰り際、ちょうど昼ぐらいから晴れ間が見え始めた、そんな空です。
到着した時は晴れ間はなく、雲で覆われていました。


秋バラを紹介する前に、
公園内の一部を紹介します。

日々、朝晩の冷え込みが強くなってきている福島ですが、
銀杏も、こうして葉の色を明るく染め始めました。
あと一週間もすれば、真っ黄色に色づくことでしょう。

銀杏といえば、亡母の実家が文京区の本郷だったので、
東大構内にある銀杏並木に、銀杏を採りに行った覚えがあります。バケツ一杯、拾うのは鉄の長い鋏で(直接手で採ると痒くなります)採ったものです。
でも私自身は、やはり神宮外苑の銀杏並木でしょうか。
信濃町にある慶応病院に、長く通院していた経験があるので、病院のすぐ裏手にある銀杏並木は、最適な散歩コースでした。
ベンチには、地元の人がブランケットをかけて本を読んでいたり、犬を散歩させたりしていました。そんな季節がまた、到来しましたね。

 


さて、「香りのバラ」というコーナーに植えられていたバラを
ご紹介します。

左上の、花弁の先が濃いピンクのバラは「ニコール」。
実家で育てていたことのあるバラで、その可憐な色合いと、
強く甘い香りが大好きでした。
右上は「ザ・マッカートニーローズ」。
こちらも、ビートルズ好きの兄のために育てたことがあるのですが
強健で育てやすく、花色と同じように、ハッキリとした香りが魅力でした。確か香りの世界大賞をいくつもとっているバラです。

真ん中は、大好きなオールドローズ仕様のバラ、「バイランド」です。
初めて聞いた名前ですが、調べて見ると、スペイン語の「踊り」という意味の言葉で、
フリオ・イグレシアスの息子、エンリケ・イグレシアスのグループバンドの大ヒット曲の名前だそうです。曲を聞いた事がないのでなんとも言えませんが、この可憐な姿に強く惹かれます。でも香りはあまりしませんでした。

最後、目の覚めるような黄色のバラは、「マルコポーロ」。初めて極東の地を発見した彼は、この地に黄金が満ちていると信じたことから、この輝く黄色いバラをつくった作者は、彼の名前としたのでしょう。香りは、強く、フルーティーでした。
バラの名前は、調べると色々な事がわかって面白いほかに、名前だけで、どんな色のバラか、大体想像がつくようになっています。


久しぶりに、質の良いバラたちを前にして、写真を撮ったり、香りを嗅いだりして過ごしました。
その近くの広場では子供たちが野球をしたり、上の写真のイベント広場では、お年寄りがゲートボールにいそしんでいました。
バラが植えられたボーダーを両側にもつ、少し傾斜のある道では、その大きな横幅を利用して、ローラースケートの講習も行われていました。それを見て、「そうだ、パリでローラースケートをしたいと思っていたんだっけ。」と思い出しました。でも先生の指導の下でやった方が安全だし、上達も早そうだ、と見ていて思いました。

こんな風にして、福島市民は休日を過ごしているんだなぁと感心しました。
周囲を山に囲まれて、大きな空の下スポーツをする楽しみを満喫していました。

都会に生まれ育った身としては、
大自然に囲まれているだけで幸せでした。
久しぶりに、さまざまなバラの香りを嗅いで、五感も研ぎ澄まされたようです。

皆様は、深まり行く秋、どう過ごされていますか?