今日は見事に晴れましたね。
自転車で用事をするのにあちこち行ったのですが、風も気持ちよくて気分がサッパリしました。
この写真は、残念ながら今日のではないのですが、今日と同じぐらい、雲一つない晴天でした。
確か、2~3日前のものです。
すっきりと晴れ上がった秋晴れの空と、
この浅草寺、とてもしっくりしている気がします。
浅草寺の本堂の向かって右側には、
神社もあります。
こうしたところが、日本人の宗教観の
寛容性が表れていると思います。
もちろん、仏教と神道が融合しているのが
日本ですものね。
お賽銭箱の横には、「がんばれ、ニッポン!」
の文字が。
まだまだ復興したとはいえない福島。
そこで苦労している方々のこと、忘れたくないですね。
さて、本命の菊祭りの菊です。
皆さんご存知のように、右の写真のように一斉に展示されて
いました。
特にどれが、と言えないぐらい、
どの鉢も見事な大輪です。
でも上の写真にあるように、
同じ黄色でも、
手前の、ほんのりとした、クリームがかった黄色はとても美しくて、
「あぁ、こうした黄色もあるのだなぁ」と、しばし見とれていました。
何とも言えない、上品な色合いと質感でした。
こちらは、黄色ではない色で一番美しいと感じた菊です。
写真だとわかりづらいのですが(大きくしても同じなので)
花芯がほんのりと富士紫色をしています。
これまたとても上品でした。
外国からの観光客の人たちも、しきりに美しい、と言っては
写真に収めていました。
フランスでも、諸聖人の祝いや、死者の日が月の初めにありましたが、
そこでも死者に供える花として菊の鉢がたくさん売りに出されます。
日本の場合はご紋にも使われていて、必ずしも死のイメージとつながっている訳ではありませんね。こうして、一般の菊のイメージをはるかに超えたような美しい菊を見ると、その思いを一層強くします。(でも死者を弔うのに、美しい菊の花は、とてもふさわしいとも思います。)
今日は立冬。
そして明日は父の祥月命日です。一周忌の法要をします。
もう、あれから一年経ったとは、本当に驚きです。
一年経って、ようやく、父の死に慣れ、受け入れている自分を感じます。
でも友人が言っていたように、悲しみは、多分、自分が死ぬまで残るのかなぁ、とも思います。。
自分が死ぬときに、「あぁ、これで父と母の元へ行ける」と思うのでしょうね。
それまでに、もっと沢山の親しい人たちが先に行っているでしょうし。
やはり菊って、こんなことを考えさせる花なんでしょうか。
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