2014年10月7日火曜日

再会


少し前に取り上げた、震災記念堂の園内、北口からの眺めです。
夏の間、青々と茂っていた銀杏並木もご覧の通り。うっすらと黄葉し始めています。

黄葉と紅葉、パリに住むようになってよく区別するようになったのですが、というのも、フランスで葉が赤く染まるのをあまり見かけないからなんです。日本は、この銀杏を除いて、どちらかというと赤くなりますよね。ちょっと足をのばして山間などに行くと、山が赤々と染まっている様子が普通に見られます。もちろん、黄葉している木々もありますが。
でもよくよく思い出してみると、日本の山々は、色とりどり、と言った方が正確かもしれません。
赤や黄だけでなく、徐々に染まっていくオレンジや、常緑樹の緑もありますものね。
日本の美しい自然、今年もこの季節にいられる幸せに感謝しながら、親しい友と、紅葉を見に行きたいものです。


こちらは某ファミレスの前菜です。
緑の野菜を中心に、さまざまな野菜がギュッと詰まったテリーヌで、一口食べるごとに野菜の旨味を味わえる、秀逸な一品です。とてもファミレスとは思えないレベルの美味しさに、友人と舌鼓を打ちました。


先日、新横浜で恩師と再会しました。
御年81才になられるご高齢の中、横浜での講習会出席のため、お住まいのある奈良から、はるばる上京されました。前日の講習会でのお疲れも見せず、終始笑顔での再会でした。

写真は、ご出発前の、駅のホームでのご様子。紫色のパーカがとても良くお似合いでした。頭にかぶっていらしたニットの帽子も、色白のお肌に良く似合って素敵でした。

駅のホームで人を見送りするのは、正直苦手です。別れの場面というのが辛すぎるのです。
そういう意味では、成田空港では、今までは自分が出発する側で、亡き父がいつも見送る側でした。さぞかし、寂しかっただろうと思います。
人生は、出会いと別れの連続です。そのたびに心を痛めていては身が持ちませんが、
これは持って生まれた性分、仕方がないです。
先生の美しい笑顔と裏腹に、悲しみをこらえた苦しい笑顔となってしまいました。。


さて、出会いはいつも、素晴らしい感動から始まります。
今回は、娘さんもご一緒でした。
お会いできて、光栄でした。

先生の、「これからは私たち2人のデート。貴方は気を付けて帰ってね。」と、
それからは2人きりで過ごしました。

お茶には千疋屋、ランチには、同じ高島屋の階にあった「今半」ですき焼き丼をいただきました。
なんでも、先生はこの「今半」の奥さまとご友人だそうで、しきりに、縁のあるところでのランチを嬉しがっていました。
この「今半」、言うまでもなく長い歴史のある、由緒あるすき焼き屋さんで有名ですが、浅草が本店だとばかり思っていました。人形町だそうです。(それほど遠くないですね)
明治時代の牛鍋といえば、この「今半」、「文明開化の音がする」と、学校で教わりましたね。
それまでは日本人は肉を食べなかったのですから、すごい革命です。

お味は、下町らしからぬ、上品な甘辛しょうゆ味で、お肉もやわらかくて食べやすかったです。
先生は、「ご飯は全部は無理かな」とおっしゃっていましたが、私は最後の米粒1つまで残らずいただきました。とても美味しかったです。すき焼き、久しぶりに食べました。

肉を食べるのに、お箸でいただく、日本なら当たり前のことも、フランスではナイフとフォークです。
でも薄切りで柔らかい日本の肉は、食べやすくて良いですね。

日本滞在も、随分と長くなってきました。

年末まではいることが確定しましたので、
どうぞ皆様、お付き合いくださいますように。

 最後に、先生との思い出の記念に、下のキーフォルダーを買いました。
横浜といえば、まずは焼売ですが、それはさておき、「赤い靴を履いた女の子」、真っ赤な色合いが可愛くてつい購入を決めました。


お会いした時は、台風接近中の最中でしたが、
今ではそれも良い思い出。「寒いでしょう」と、先生がくださったカーディガン、とても暖かくて、お蔭様で風邪を引かずに済みました。先生のあたたかさが身に染みた一日でした。

またの再会を、心から祈っています。





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