Café 「 Le Cirque」 にて。熱々のカップル。 |
朝晩は大分涼しくなったパリです。
今、外は朝の9時半で19度、日中、最高でも27度の予報です。
夫がローマに行ってちょうど2週間。私も夫のいないパリに慣れ、羽を伸ばしているところですが、
明日のお昼にはローマに飛んで、夫と合流します。
羽を伸ばしていると書きましたが、実は夫がローマに旅立った後、寂しくて一人で泣きました。
街中を歩いていても、夫がいないパリというのが、自分にとって何とも味気なく、意味のないもののように感じました。
亡父は生前、よく、私が結婚して遠くパリにいることで、
「それでも生きていてくれるんだから良いさ」と言っていたのを思い出します。
そう、生きていれば、再会の機会は必ずあるのだから、と。亡父は、亡き母のことを思って言ったのだ、と今では分かります。
でも死んだら天国で会えるじゃない?キリスト教徒なら、永遠の命を信じている訳ですから。
でもそれで、本当に死への恐怖、自分の心臓が止まり、灰になり、この世から姿を消すことの辛さから、逃れられるものでしょうか?そして離別の悲しみに耐えられるのでしょうか?
先日亡くなったデュノワイエ神父様と、最後に会ってお別れする時に、「次に会うのは神の御元でだね!」と仰っていたのを思い出します。そう、天国で会えるのだから寂しくないよ、その言葉はある種の慰めを含んでいますが、そうおっしゃった時の神父様は、目に涙をためていました。
誰にとっても死は恐いものです。
亡母は、52歳で他界したのですが、その恐怖と闘うために、死ぬ直前の2日間はうわ言のようにしてしゃべり続けていました。
まだ若かったし、まだ生きていたかったでしょう。
この話を年配の友人たちにすると、「でも私にとっては死ぬことは解放なのよ」と言う人もいました。
長く生きてもしょうがない、むしろ、生きる苦しみから早く解放されたい、と思っていらっしゃいました。
夫は、とにかく自分の人生を生ききること、死ぬ直前に後悔しない生き方をすること、と言っています。つまり、「自分に嘘をつかない生き方をしろ」という事だと思います。
大好きな、「すぎやまもと」さんの作品にならって。鍋つかみを編んでいます。 |
刺繍も好きでやっています。 |
なんやかんやと言って、手を動かすのが好きで
手芸を好んでやっています。
編み物は棒針編みとかぎ針編み、そしてレース編みが
主にありますが、全て好きですね。
タティングは、機会がなくてやっていません。
刺繍は、大きく分けてクロスステッチと自由に刺すフランス刺繡とがありますが、自由に刺すほうが好きですね。
9月から、白糸刺繍の教室に通おうと思っています。
白い布に白い糸で刺繍をしていくのですが、
その芸術的な美しさにため息が出るほどです。
夢は、教会のミサで使う、祭壇布を作りたいですね。
いつになることやら、ですが。。
こちらも大好きな、「せばたやすこ」さんの作品。手前のミニマフラー。 |
それにしても、表紙に使った、一番上の写真、良く見てください。
ちょっと分かりづらいですが、中央に座っているカップル、女性が手前で、自分の体を男性に被せるようにしているのが分かるでしょうか? パリでも久々に見た熱々のカップルだったのですが、終始、女性がこのようにして男性に寄り添い、右手で男性の頭をなでていました。
あんまり熱々なんで写真に収めたのですが、
良いですよね~~。良いと思いませんか? 全くひと目を気にしないでいちゃいちゃ出来る。
でも見るとはなしに見ていると、男性は全く動じないで、女性にされるがままになっている。女性が一方的に男性をなでなでしているのです。
それが分かって、「ちょっとな~」と思ったのですが、でも席を立ってカフェを去るときの様子を見ていたら、男性はちゃんとエスコートしていました。感じ良い男性だったのでホッとしました。
でもこんな光景は、パリだからでしょうね。
今度私も真似してみようかしら?
明日の今頃は、ローマに向かう機上にいます。
ローマ、暑いそうです、パリより南に位置しているのですから当然ですが、緯度からすると日本の函館市と同じだそうです。随分、暑さのイメージが違うように感じますが。。海流の影響もあるのでしょう。そしてローマは深刻な水不足とか。日照りという感じですが、存分に楽しみたいと思います!
ローマからも、ローマ便り、発信する予定ですので、乞うご期待!