先日、親しい年上の友人のお宅に招かれました。
このお宅には、夫も含め、数えきれないほど招かれてきましたし、その都度、心のこもった手料理をいただいてきました。このお宅に招かれることは、わたしにとって、何にも換えられない経験をすることです。
写真の壁紙は、この友人の素敵なお宅に貼ってある壁の一部です。リビングとキッチンを隔てる壁一面に貼ってあります。デザインに興味のある方ならピンとくるでしょう。この壁紙のデザイナーは、19世紀のイギリスの詩人でもあった、ウイリアム・モリスです。あまりに素敵なので、見とれてしまいます。友人は、この壁紙の余った部分を、段ボール箱に貼って、それをプレゼントしてくれました。その箱は、大切にパリの家に飾っています。
友人は、やはりご夫婦でカトリック教徒です。それもあって、親しくお付き合いをさせていただいています。
もちろん、カトリックでなくても、心の交流のできる友人はたくさんいますし、むしろ信者であるがゆえに理解できない心情の人もいます。要は、「何を旗印にしてこの世の中を生きているのか?」という部分で分かり合える人と、友達関係を結んでいるところがあります。
「話せばわかる」と言って死んでいった昔の権力者の言葉がありますが、それは「甘い」ということも、とくにパリに暮らすようになってから分かってきたところです。「真心をこめて話せば、誰だって友達になれる」、というのは理想論だと思っています。ただ、相手の幸せ、もちろん偽善ではなく、心から相手の幸せを願う態度、気持ちでいれば、いつかは分かり合えるでしょう。そういう意味で、わたしは悲観はしていません。
どうぞこちらのプレートを見てください。すべて、無添加、手作りの野菜たちです。
上から時計回りに、オクラ(手作りの出汁で煮てありました)、ナス、舞茸の天ぷら、キュウリの千切り、種から育てた手作りのトマト2種、長豆の炒め物(これは、私もななめ千切りを手伝いました)、さつま芋の天ぷら、真ん中には茹でた鶏のもも肉に細切りのネギをたっぷり、です。
これだけの食材を、あっという間に用意してくれました。
何より、1つ1つの野菜がとても美味しくて、体に滋養が染み込むようでした。
イタリアの、アンティ・パスト(数種類の一口サイズの料理を並べた前菜)に似て、飽きることなく一杯いただきました。
この1皿の他に、冷たい汁の素麺、締めのご飯と、これまた手作りの瓜の漬物等をいただきました。
デザートがこちらです。
詳細は避けますが、1つ紹介すると、手前のガラスの器に入っているのは、底に冷たい桃のゼリー、そして上には、20世紀という名の、これも冷たくした梨を切って乗せてあります。この斬新なアイデアは、友人が思いつきました。梨の瑞々しさと、ゼリーの舌触りの良いのど越しのハーモニーが不思議にマッチした1品でした。
お宅のインテリアといい、趣味の良い食器類といい、ここに来ると、自分の趣味にピッタリ合った空間にいることになるので、とても心楽しい、ちょっとした昂揚感が味わえます。
年齢がちょっと離れていても、分かり合えるって素晴らしいと、この友人を通しても実感することです。
夏の終わりの、心地よい雰囲気に浸れたひと時でした。