2014年6月28日土曜日

アジサイ園   Arboretum - dans la vallée-aux-Loups


先日、俳句の会のメンバーで、フランス人の友人宅の近所へ吟行に行きました。「吟行」というのは、短歌や俳句をつくるために郊外・名所などに出かけることです。私たちは、アルボレタムという、パリ南西の郊外にある大きな庭園に行きました。

駐車場からしばらく歩くと、アジサイ園が広がっていて、その真ん中を通る曲がりくねった小道の両側に、あふれるようにして咲いていました。そして種類も豊富。「アジサイって、こんなに種類があったの?」と、皆で驚き、見とれながらの吟行となりました。
写真はその1つで、品種はわかりませんが、大好きな花色なので、トップに載せました。

他にも、

 
もっと沢山ありましたが、あれ、今気づきましたが、日本のアジサイのように、青い色はありませんでした。面白いですね。そういえば、土が違うと、アジサイは青になったりピンクになったりすると聞いたことがあります。そのためなんでしょう、青がなかったのは。確か、酸性が強いと青になるのではなかったでしょうか。
白やクリーム色は、ハイドロンジアという品種で、これは日本にも輸入されていて人気があります。白いアジサイも素敵ですよね。

そういえば、大学時代の友だちに、好きな花がアジサイ、という子がいます。最初聞いた時は、素直に「変わってる」と思いましたが、彼女の大人びた雰囲気とアジサイがピッタリで、今ではうらやましいぐらいです。大抵、女の子は、「好きな花は?」と聞かれて、バラとか、チューリップとか百合とか言いますが、紫陽花、と答えるのって、素敵だな、と思います。アジサイも、紫陽花、と書く方がより素敵ですよね。

それから紫陽花というと、皆さん、和菓子のアジサイ、思い浮かびませんか?涼しげな、ブルーか薄紫色のゼリーで四角く型どられた中に、餡子が入っているもの。私はどうしても、それを思い出します。


今回は、気分を明るくしたいために、紫陽花だけにとどめます。
本当に青色がなかったこと、みんな、その場で気づかなかったことが不思議です。それだけ、ピンク色の紫陽花に圧倒されていたんですね。とにかく、紫陽花を堪能した吟行でした。

日本の紫陽花はどんな様子でしょうか。
紫陽花で有名な長谷寺、子供の頃母と行った思い出があります。

偶然にも、パリは今日は雨でした。久しぶりの雨だったので、良いお湿りとなりました。
日本の梅雨が明けるのは、もうすぐでしょうか。

 

2014年6月27日金曜日

一連の騒動に関して


一連の騒動、つまり塩村都議会員のセクハラやじ事件について、コメントさせていただきます。

まず、何かを批判する場合、集められるだけの情報を手に入れて、吟味を重ねた上での意見というのが、客観性および整合性のある批判、ということになると思います。

それについて、偉そうなことは言えませんが、有力な情報として、彼女が先日、外国人記者クラブで、1時間余りにわたって会見を行ったビデオを、最初から最後まで熱心に見て聴きました。その上で、批判させていただきます。

まず、その会見では、塩村議員による、問題となったやじがどのような状況のもとで行われたかを、彼女の口から説明されました。それが十分と思えるほどの長さと内容であったと思います。その上で、出席者からの質問が設けられました。その中で私が一番注目した発言は、神保哲生記者による提言です。
それは、あぁした場面(野次が飛び交った場面)では、議長が議員たちの静粛を求めるべきだった訳で、それを規定している法律113条を適用して、まずは議長の責任を問うために罰するべきだ、というものでした。
これが一番、法治国家としてあるべき姿だと私も思います。

その質問者の中に、フランス人男性の記者がいて発言したのですが、これは小保方さんの事件に酷似している、と。つまり当事者が女性であるために起こった事件だ、と言いました。これも当たっていると思いました。

それを受けてフランスはどうか、と見てみますと、同じようなことは起きてるんですね。
先日辞任してしまったのですが、前地域間平等・住宅大臣(エコロジストの党派です)だった、セシル・デュフロ Cécile Duflot さんは、いつもパンタロン(ズボンのこと)をはいているので有名でした。ところが何が起きたのか、国会の会議場に花柄のワンピースを着てきた。 それをいち早く発見した男性議員たちが、口笛を吹いたり、野次を飛ばしたりした訳です。
(男ってまったく!と思いますが。でも可愛いですよね。笑)
ところがここからが日本と違うところで、議長が黙っていなかった訳です。すぐに「静粛に!( Allez ! Écoutez bien !)」と、議員たちを黙らせた。日本は違いましたね。議長も、議員たちと一緒になって笑っていたと言うじゃありませんか。
なので、やはり神保哲生記者が提唱した罰則が適用されるべきなのです。議長が一緒になってレベルを下げたら、一体誰がその場の責任をとるんでしょうか。


正直、私も、塩村議員という人を、この会見の中でじっくりと見ていたわけですが、申し訳ないですが、女性一般を守る、味方となるには器が小さいと思います。まぁ35才とかなり若いので仕方ない面もありますが、どうも、頼もしくない。ですが、そのことと、今回の事件は切り離して議論すべきです。

私は随分前に、フェイスブック、ツィッターをやめているので知りませんでしたが、夫から見せてもらって、ひどいことになっているのを今朝知りました。塩村議員の過去が、もう全部暴露されてしまっているような感じで、悪意むき出しのコメントが噴出しています。

あの会見で、最初に質問に立った、初老の女性記者、まさに「マダム」と呼ぶにふさわしい貫録のある方の発言で、塩村議員に、「急に有名におなりになったのだから、今後の貴方の一挙手一頭足は、世の中全体の注目のまとになりますから、ご注意ください」というのが、今や現実となってしまっています。

果たして、都議会議員になるのに、過去のことは問題になるのか?あるいはこの事件に関して、彼女の過去の経験や経歴が問題とすべきなのか?議論は分かれると思います。

でも過去のプライベートを問題にするとしたら、フランスの国会議員に限らず、公的な職業についている人たちはひとたまりもないと思いますね。国を代表する国家元首である大統領にでさえ、公認の愛人がいるような世界ですから。

そしてキリスト教徒として一言。
これは福音書の記述にあるエピソードですが、
過去に悪行を重ねてきた、ふしだらな女が、人々から罵声を浴びて、石まで投げられそうになっていた。(実際に、ユダヤ教では、姦通を働いた女性は石打の刑で殺されました。)そこにキリストが居合わせて何と言ったか。
「自分に全く罪がないと思う者だけが、この女に石を投げよ。」
そう言われた聴衆は、1人、また1人とその場を立ち去って行き、最後にはキリストとその女だけが残された、と書かれています。
ことほど左様に、「自分のことを棚に上げないと人のことは非難できない」ということだと思います。
もちろん、塩村議員が過去に何をしたかなんて、知りたくもありません。知ったところで、どうということもないですし。

最後に私としては、「女の敵は女」ですが、「女の見方もまた、女」である、という立場に立ちたいです。しかし、女性の側に立つ、ということは、これもまた、こうした辛いことも引き受けないとならないのだ、ということを肝に銘じないとならないのだ、と思いました。


今回使った写真は、昨日、俳句の仲間と行った、パリ郊外の庭園です。詳細は次回の投稿でしたいと思います。

長文お読みくださって、誠にありがとうございました。


2014年6月24日火曜日

初夏らしさ


こんな写真を載せると、まるで郊外の庭みたいですが、れっきとしたパリのアパルトマンの庭の様子です。花はタチアオイ。英語ではホリホックといいます。この花も、初夏を彩る花として大好きな花の1つです。

以前知人が、この花の、下から順々に咲いていく様子を詩にうたっていました。またこの花の特徴として、花色も、この写真にあるように微妙な色合いが多く、それもまた味わい深く見えます。

この花が街路樹の下で咲き始めると、「あ、夏が来たな」と思います。
今思ったのですが、香りはどうなんでしょうね。嗅いだことないので分かりません。



この間、クッキーを焼きました。
このクッキー、フランス的には小さいサブレ( Les petits sablés )と呼びます。直径5センチのサブレ型の型ぬきを使うので、そんなに小さいとは思いませんが。むしろ、ちょうど良い大きさです。
このサブレ、私にとっては手作りをするお菓子の中で定番となっています。
作り方はいたって簡単。

バターに砂糖を加えてよく混ぜ、卵黄と塩少々、そして最後に
小麦粉をしっかり混ぜてこねるだけ。
私なりのコツは、塩一つまみをわりとしっかり入れること。
そうすると味がぼけません。

後は冷蔵庫で冷やしておいてから、その間に温めたオーブンで焼くだけ。簡単でしょう?

ただ、ご存じのように、フランスはバターが美味しい。
北フランス地方のノルマンディーや西のブルターニュ産のバターは、とにかくどれも絶品の美味しさです。そのせいか、これらの地方の人たちは脂肪肝にかかりやいそうです。。
でも私なりの思うのは、火を加えていない、このフレッシュなバターは、量さえ気を付ければ、体に悪いことはない気がします。

とにかく、フランスに最初に来てみんな驚くのが、パンとこのバターの美味しさです。
そして最高のバターを使ったクロワッサンも、本当にやめられない美味しさ。
兄が、はるか昔に、大学の卒業記念に友達とヨーロッパを回った際、パリで食べたクロワッサンが忘れられないと、未だに話題にします。一度に5つも食べた、とか、一緒に飲んだカフェオレも最高だったとか。


 最後に、我が家の子供たち、植木の数々(?)をまた、ご紹介します。

友人からもらったベゴニアが、今が花盛り。
方々に枝をひろげて、ピンクの愛らしい花をたくさん付けています。
それと注目のアボカド。
こんなに大きくなりました!
葉っぱがあまりに大きいので「大丈夫かな?」と心配しています。
そして誕生祝いにもらった白いカランコエ。
それとシャコバですね。

まだ鉢はあるのですがこの辺で。

室内といっても、朝起きて、風通しのために窓を全開にするので、それが良いのかもしれません。
ベランダのようにして育てられるわけです。やはり植物も、日当たりだけじゃなく、風通しも重要だと思っています。そして表面が乾いたら、たっぷりの水やり。このところの気温の上昇で、水をあげる頻度が多くなりました。それもまた、楽しみの1つとなっています。


今朝も14度。ひんやりとした、気持ちの良い朝です。

今日もまた、皆様にとって素晴らしい一日となりますように。






 

2014年6月22日日曜日

植物園  Jardin des Plantes


先日、5区にある植物園に行って来ました。

場所はオーステルリッツ駅( Gare d'Austerlitz ) のすぐそばで、うちからは57番のバスで行きます。ここには子供向けに、小規模の動物園もあって、そこには一度行きましたが、大迫力のダチョウや、1つこぶのラクダがいたりして、大人でも結構楽しめます。
写真は、多分、スモークツリーだと思います。確かめていないので、間違っていたらごめんなさい。
でもスモークツリーだとして、これは真夏に開花する大型の花木ですね。花も葉も、鬱蒼と茂っている感じがなんとも幻想的です。



上の写真は、かなり望遠で撮ったのですが、望遠をちょっと弱くしてみたのがご覧の通り。偶然人と一緒に撮りましたが、でも遠目でもこの花木がかなり大きいことが分かります。

この植物園には、以前ご紹介した、日本の桜の巨木があって、満開時には、大勢の人が集まります。あえて剪定をしていないせいか、大きく前にかぶさるようにして、地面すれすれにまで咲いている様子は圧巻です。そんな立派な桜を見ると、とても誇らしく感じます。桜=日本ですものね。


これから、日曜の朝なので、ミサに参加します。
今日は友人と一緒なので楽しみです。しっかりと心を清めてこようと思っています。

皆様、良い日曜日を!

2014年6月20日金曜日

Saint Julien Le Pauvre 教会


先日、知人による、毎年恒例のクラブサンを中心としたコンサートが、ここ、St Julien Le Pauvre 教会で行われました。この教会は、以前にもチラとご紹介したのですが、パリで最古の教会と言われ、紀元は中世にまで遡ります。歴史は複雑で、僧院であったり、病院であったりを繰り返すのですが、ちょうど125年前からは東方典礼カトリック教会へと受け渡されています。そのちょうど節目に今年が当たるそうです。

コンサートは夜の8時からだったので、写真もその時間の直前だった訳ですが、この通り、紺碧の空が広がっていました。明日は夏至。1年でもっとも日が長く、太陽の位置が高い日となります。


肝心のコンサートですが、例年に違わず、美しいコンサートとなりました。
パリには、無数といっても良いほどの数の教会がありますが、そんな中でもここは、とてもこじんまりとした規模の教会で、コンサートをするのにも、音と人とが一体となれるような感覚があります。
写真は、回廊にある柱頭の1つです。
その柱頭に彫られている Harpie 、日本語ではハルピュイアというギリシャ神話に出てくる女面鳥身で冥府の使者を務めるものですが、転じて貪欲な人、底意地の悪い女という意味にも使われます。きっと、この教会に足を踏み入れる人々に憑かれた、魔物や悪霊を追い払ってくれているのでしょう。

このコンサートのお蔭で、クラヴサンという楽器を初めて知りました。何という無知、と思われるかもしれませんが、ピアノの前身として、素晴らしい活躍をしたことも知りませんでした。この楽器を愛用した Jean-Philippe RAMEAU という作曲家、そして良く知られている Jean-Sébastian BACH や Maurice RAVEL が曲目としてクラヴサンとピアノで演奏されました。
特に圧巻だと思ったのは、その2つの楽器の連弾でした。クラヴサンの強い響きと、ピアノの自在な響きとが溶け合って、独特の音の世界を作り上げていました。
ピアノの音は、聴き慣れていますが、クラヴサンの音色は珍しく耳に響きます。単独で聴いていると、不思議な、音が輝いているような、しかも古の物語の世界が繰り広げられるような感覚に陥ります。


入口、つまり西側の正門の上にあるステンドグラスです。 一番上の写真を、聖堂内から撮ったものです。コンサートの終了後に撮ったので、夜の10時半ごろ。聖堂内の暗さと、外の淡い光を受けてしんみりと輝いていました。こうした神秘を感じて、昔の人々はそこに神を見出したのでしょう。



さて、昨日まで続いていた重苦しい気持ちが、今朝になって一転したので、早々にブログを更新してみました。
たかがブログ、されどブログ、こんな文章を書くのでさえ、日頃の精神状態にかなり影響を受けるのだと実感した日々でした。


今朝も14度と低め。涼しい朝を迎えています。鳥のさえずりが清々しい。
皆様もどうぞ、日常においても神秘を感じられるような、そんな瞬間のある日々をお過ごしくださいますように。
読んでいただきまして、ありがとうございました。








2014年6月19日木曜日

1人で散歩  


この間、ある用事があって、凱旋門付近に行きました。
実はこれはちょうど1週間前の写真なのですが、6月は晴れるとこんな感じに、雲1つない青空となります。平日でもここは観光地のメッカ、いつ行っても人で大混雑です。写真だとあまりそれが伝わってきませんが、広場の道路脇には数台のマイクロバスが縦列駐車をしていますし、写真手前には、下から上ってくる人たちであふれています。

この青空のように、気持ちがスッキリと晴れないかな、と思うこの頃です。




こちらは、そのシャンゼリゼを、コンコルド広場に向けて下がっている中で出会った場面です。
日本ではゲランと言いますが、正式な発音は、ゲルランだと思います。そのフランスの化粧品のトップメーカーの1つの、多分本社ビルと思いますが、その店舗が、こんな風にロマンチックに淡いピンクの薔薇で飾られていました。
写真右手の方へ行こうとしているカップルが、このお店の中央に立って、写真を撮られていました。
男性のピンクのシャツと、女性の水色のスカート、そして金髪がこの背景に良く似合って、また2人の本当に幸せそうな笑顔が素敵でした。この写真だとわかりづらいですが、女性はこちらに向かって微笑みかけています。これまた、幸せを感じる瞬間でした。

シャンゼリゼを歩くたびに思うのですが、歩いている人たちは、大抵は観光客か、シャンゼリゼに居を構える会社の社員です。その観光客の服装が、これまた大抵はすごくラフ。「あ、おしゃれ!」と思って振り返るような人は、あまり歩いていません。これがシャンゼリゼの特徴でもあると思います。意外に思われるかもしれませんが、むしろ、カルチエ・ラタンや住宅街の方に、おしゃれを楽しんでいる人が多いです。


これはシャンゼリゼの下を一直線に走るメトロの駅の1つです。日本語の表示があったので、思わず撮りました。
この頃は、メトロの場内アナウンスで日本語が流れることが珍しくなくなりましたが、日本語の表示があるところはまだかなり珍しいです。それだけ、日本人がこの場に多いということでしょう。
この駅には、最近完全自動化された(つまり、運転手のいない)1番線のメトロと、9番線が走っています。共に家に帰るのに便利な路線です。

今朝のパリは曇り空。
気温は13度と低めです。
今日も午後から晴れますように。

皆様、良い週末をお過ごしください。




2014年6月16日月曜日

私の猫  Ma chatte


5年ほど前に撮った、実家の猫です。以前もご紹介しましたが、空いた時間を利用してまたご紹介します。
この時は真夏の8月。東京で最も暑い日々の中での猫です。


完全にリラックスしていますね(^_^)/
今年で13才となるこの猫、アビを、今後どうするか、真剣に考えています。

2014年6月15日日曜日

パーク・フローラル  Parc floral


今日も晴れて、せっかくの日曜なので、夫の試験の合間でしたが、ヴァンセンヌの森を散歩することにしました。最初は森の中の散歩を考えていたのですが、森の入り口に着いてみると、何やら楽しげな音楽が聞こえてきました。今日は、ジャズ・フェスティバルの一環で、森の中にある植物園でコンサートが開かれていたのです。その音色が、近くを散歩している間中響いてきましたので、「行ってみようか」ということになりました。
入場料は大人1人5,5ユーロ。楽しみにしていたコンサートも、ちょうど5時に終了となり、生バンドの姿は、もう消えていました。その代わり、沢山の人々が、芝生で寝転んでいる姿に出会いました。

写真の睡蓮は、植物園の一角にあるのですが、大抵の睡蓮が、夕方のため(でももちろん、空は真昼のように明るいままでした)花を閉じていたのですが、これは見事に咲いていたので撮りました。 黄色い睡蓮も美しいですね。


これはピンクの睡蓮のコーナーですが、ご覧の通り、ほとんどが花を閉じていました。同じ池には、名前が分からないけれど、日本でも見たことのある水性植物がいろいろ植わっていて、沢山のガマの穂もありました。

昨日、変則的に午後、カトリックセンターでミサがあったのですが、その折に、本を借りてきました。
河合隼雄先生の、「閉ざされた心との対話」上下巻です。昨日の夜から、一気に読みました。今、まさに自分が求めている内容の本でした。

昨日のブログは長く書いたので、今日は短く終わりにしたいと思いますので、感想などは、またの機会に譲りたいと思います。

しかし1つ書くとすると、河合先生の本を読みながら、私と夫だけでなく、双方の身内全体に渡る変化が、少しずつ起こるだろうという予感です。カウンセリングの場面でのように、人と人が、真正面から、同じ土俵で向き合っていく。そこで起こる出来事というのが、家族を変える、時には劇的に変える要因になったりする。やはり、衝突は避けられない、大切なことだと思います。それにふたをし続けて、うまく成り立つ訳がない、と思うようになりました。

どうやら、私の方の身内でも、兄との衝突は、避けられないことのようです。
怖いことですが、その先の和解を目指して、頑張りたいと思います。


植物園の様子です。本当に大勢の人たちが、仲間や恋人たちと、楽しそうに、あるいは全く脱力して、芝生の上で寛いでいました。普段は、仕事に熱中している人も、こうして肩の力をすっかり抜いてリラックスする人生。この緩急の差が、明日への活力となるように思います。

「どうせ同じ人生だ。笑って生きよう!」と心から思いました。

2014年6月14日土曜日

信仰、その他の事柄についての考察


このたびあることがあって、ものすごい衝撃を受けていました。
その衝撃を自分の中に収めるのに、ものすごく苦しみました。
でも時間が経ってみると、「起こるべくして起こった」ということが、よく分かります。

まず私が書いておきたいと思ったのは、
私が子供(厳密にいうと小学校に上がった時から)の教育というのが、全く、実際の世の中では当てはまらない、ということです。結婚して、パリに住むようになる前までは、つまり日本にいる間はそれが当てはまっていたのですが、というか、私の身近な周辺には、少なくともそれを覆すようなことはなかった、ということですが、ここ、パリという世界中から様々な人種が集まってきている大都市では全く当てはまらない。
どういうことかというと、「年配の人を敬いなさい」という教育方針の1つです。儒教の教えでもありますね。ところが、それに当てはまらないと言いますか、少なくとも私自身が尊敬できない、と思う人が少なからずいます。(そういう人たちは、そもそも私のブログを見ないので書ける訳ですが)
「年長の人を敬いなさい」というのは、年齢を重ねていくうちに、人は仏に近くなるのだから、という意味だと思うのですが、だてに年しかとっていない人が多すぎる。そういう人たちを見るにつけ、「あぁ、人は年をとるから賢くなるのではないのだな」ということを悟る訳です。年若でも、尊敬に値する人というのはいくらでもいる訳ですから。むしろ、年をとることによって自我がむき出しになって、余計醜い、ということだと思います。

ところで思い出したというのは、母が死んだ直後のことです。
母が死んだことで、それまで免れていた父との対面をせざるを得なかった。つまり、父の言動が私を苦しめ始めた訳です。
それで私はどうしたか。フェミニズムに走ったのです。
はい、当然の成り行きですね。
父親を代表とする、世の男どもの横暴に耐えている女性として、自分を位置づけたわけです。


そもそも、この世の中を動かしているのは、何と言っても女ではなく男です。歴史を見ても明らかですし、現代の女性の同等の権利、社会的進出をもってしても、事態は何も変わっていない。この世界は、男の暴力によって成り立っていると言っても過言ではありません。

ここで今更ながらに女性を弁護することは書きませんが、ジェンダー的に見ても、女性の方が不利だし、弱い存在なんです。

最も性質が悪い男というのは、自分がこれまでにしてきたひどい事柄を全く自覚していない男でしょう。1人身を通したのならまだ許せる。でも家族をもった以上、男はその家族の全責任を負っています。女ももちろん責任がありますが、相手の男によって、人生がひどいことになるというのは、女性1人では到底、解決できません。男の方が、社会的にも肉体的にも強い立場にいる訳ですから。
それを自覚していない男は本当に性質が悪い。
たとえその人が何らかの回心をして、信仰の道に入ったとしても、根本のところで、「家族を苦しめた」という自覚、さらには(私はこれを一番望んでいるのですが)、一番苦しめた対象である子供たちに対し、「謝らない」というのが許せない。そんな人の信仰なんか、信じられません。

私が思うに、回心、というのは、神に目を向けることだと理解していますが、でも、実生活において、身近にいる人に対し、この深い気持ち、謝罪の気持ちがないのは、それは嘘の回心だと思います。回心というのは、周りの人を含めて幸せにすることでしょう。現に、私は夫の回心によって救われたと思っています。しかし、相手が自分の子供だろうが、1個の人格として扱わない、心からの後悔、はっきりと「すまなかった」という言葉を言えない親は、ものすごい業が深いと思います。

男はもっと、女性を大切にするべきです。それはもちろん、自分の娘(血のつながっている)に対しても例外ではありません。娘にはっきりと、「口頭で」(心の中ではなく)謝るべきです。


念のため書きますが、私の夫は、本当に人として心の優しい人です。それまでの私の人生で出会ってきた男ども(もちろん、まともな人も沢山いましたが)をすべて清算してくれるほどの人です。そういう意味では、夫のご両親に感謝しなくてはならないでしょう。何といっても生みの親ですから。
でも、「そうならざるを得なかった」、つまり、ああいう親をもったから人格者にならざるを得なかった、というのが一方であるので、そのことを思うと、可哀そうでなりません。
もちろん、社会的な圧力もあります。そうでなくては生き残れない、フランス社会というものに対してもものすごく批判の気持ちがあります。つまりものすごい欺瞞がある訳ですから。
夫には、もっと肩の力を抜いた生き方をさせてあげたいです。


ところで話を戻しますが、私の実の父は、生涯に一度だけでしたが、手紙で謝ってくれました。
私はその時の感動を胸に今、生きています。
実は、そんなたった一度の謝りの言葉で、それまでの憎しみや恨みが消えてなくなる、なんてことはあり得ませんが、少なくとも「謝ってくれた」ということは、(昔の男親として)すごいことだと思う訳です。

本当に、人間の罪、という時に、聖書は特に女性の罪を書いている場面が多いですが、とんでもないと思っています。男の罪の方がよっぽど重い。女の堕落は、男の存在によってなされるのですし、男によって、女は自分の人生が完全に左右されるのですから。

言葉によらなくても生き様から判断して欲しいというのは到底甘い。
言葉にしてこそ、気持ちというのは実在している、と言えるのです。
そもそも、謝っていないということが、そもそもその人の生き様になっていると判断できます。
何度も書きますが、そういう人が信仰の道に入ったとしても、私は信じません。頭のおかしい人の信仰は、それは「盲信」とか「狂信」といいます。

そもそも、現代社会にあって、「まとも」な人が、信仰を必要とするでしょうか。
以前、パリでこういう話になった時に、(フランスの教会離れ、宗教離れは著しいものがあります)あるフランス人がこういったのが印象的です。

「今の世の中、信仰は果たして必要だろうか?倫理、あるいは道徳があれば充分じゃないのか?」

まさに言いえて妙です。
さらに言えば、この倫理、道徳、つまりもっと砕いて言えば、人を人として尊重するということですが、教会内において、これに全く反する言動をする人たちというのを、私は目のあたりにしてきました。このことは、フランスの教会においてのみならず、日本の教会でもごく日常に見られることです。

もっと言えば、この現代にあって、信仰を必要とせざるを得なかった、ということ自体が悲惨を意味していると思います。もちろん、この世は悲惨です。ですから信仰というのは、全ての人に、本来は必要なものだと思います。しかし実際は、その信仰の中身を問いただしたくなる、という人がほとんどです。

最後に、「貴方はなぜ、信仰の道を選んだのですか?」という問いを投げかけたいと思います。










 

2014年6月11日水曜日

私の兄


私には兄が2人います。上の兄とは9才、下の兄とは2才違いです。なので、小さい頃は、下の兄とはしょっちゅう遊んでいましたが、上の兄とは年が離れすぎていたため、記憶がありません。学年でいうと10学年違うので、私がまだ8才の時にはもう、上の兄は大学生1年生だった訳です。

小さい頃の、下の兄とのじゃれ合いから一変して、大人になってからは上の兄との関係の方が近しくなりました。というのも、母が他界した後は、私と上の兄は、同じように苦しんだからです。

色々ないきさつがあって、今日を迎えていますが、同じように苦しんだ経験をもつ者同士として、兄と妹の関係を超えて、より一層の親密な関係だったと思います。それだけに影響しあう力も大きかった。
父も他界した今となっては、もう過去のことになりつつありますが、兄への特別な、つまり親しい気持ちは、変わらずにあります。昔と違って、兄も今は立派な人、社会的に、なりましたし。

ですが、今、その兄と妹の関係を、根本から見直す時期が来たようです。


そんなことで、思い悩んでいることがあって、今日は1人でパリの街中を歩きまわっていました。
夫を大学に送り届けて別れた後、あてどなく歩きまわりました、どこにもぶつけようのない気持ちを抱えて。
そんな私の気持ちとは裏腹に、太陽は輝くばかりに照り渡り、普通ならその陽気が楽しいはずなんですが、かえってしんどい気持ちで歩いていました。
ですが、しばらく歩いているうちに、やはり、こうした緑の自然に段々癒されていくのを感じました。

写真は、夫の大学の近くにある、リュクサンブール公園です。この炎天下、子供たちがテニスをしていました。大人たちは、例によってベンチで仲間と寛ぎ、若い男性で、上半身裸にして日光浴を楽しんでいる人たちも結構いました。写真、撮りたかったけど、さすがにカメラを向ける勇気はありませんでした。残念(*^_^*)

そんなこんなで、気分を持ち直しました。

でも、大人になってから、今までの関係を見直す作業というのは、家族の中でも重要なことだと、改めて思い知った時でした。皆様にも、そんな経験、ありませんか?






2014年6月10日火曜日

雷雨と雹  L'orage et la grêle


ペンテコステのあった夜から、好天気が一転、雷雨となりました。その日の夜中1時過ぎには、バケツをひっくり返したような大雨が降り続き、なんと雹(ひょう)まで降りました。熟睡していたのですが、ただならぬ外の物音に起き出して、窓の外を見たら、裸眼でもハッキリ見えるほどの大粒の雹が降っていたのでびっくりしました。夫に「あれは雹だよ」と言われるまで、見ても分かりませんでしたが、目を凝らしてみると、大きな白い塊がガンガン落ちていました。後で新聞記事によると、「鳩の卵大の大きさ」だったとか。夫は、「さっちゃんに拾ってきてあげれば良かったね」と笑っていましたが。一夜明けた後の道路は、まだ緑の葉や小枝が、そのまま無残にも落ち広がっていて、道路は緑の絨毯になっていました。

その日以降、連日、パリは雷雨、土砂降りの有様です。まるで日本の梅雨が、こちらにもやってきたかのようです。面白いですね。まぁこのところの晴天続きで雨が欲しいと思っていた矢先なので、木々にとっては良いお湿りなんでしょう。


ところでそんな中、スイカを買いました。
そう、スイカ、パリでも売っているんですよ~。どこの国のか調べていませんが、中国人の経営する食料品店で購入しました。これは四分の一の大きさですが、スイカ半分の大きさで、3,5ユーロぐらい。アラブ人などの中近東の人たちが多く住むカルチエなので、スイカもそういった国からのものなのでしょう。肝心のお味は、、、まぁまぁでした(*^_^*) やはり日本のスイカにはかないませんね。

でもスイカというと、日本の夏を思い出します。しかも小さい頃。学校から帰ってきた私や兄たちに、母が「今日はスイカがあるよ!手を洗ってからお風呂場で食べなさい!」と言った言葉を思い出します。うちは日本家屋でも縁側がなかったので、お風呂場で食べさせられたのです。懐かしいなぁ。そうした夏の思い出。


雷雨の合間の晴れ間に散歩した時のものです。
今までの雨で芝は濡れているはずなのですがこの通り。こっちの人は全く意に介せずに楽しんでいます。日本人的には、「濡れる」、「泥がつくから嫌」となりがちですが、ホント大らかですよね。
でもこの後しばらくして大粒の雨が降り出しました。私たちも帰宅途中で雨に降られ、傘を持っていても濡れてしまうほどの雨でした。


さて私信ですが、私の大切な友人の1人が、今日乳がんの手術を受けました。術後の知らせはまだ届いていませんが、手術が無事成功したことを心から祈っています。
その他、読んでくださっている方々のご健康と幸せも、合わせてお祈り申し上げます。






2014年6月8日日曜日

聖霊降臨祭 La Pentecôte   


今日はペンテコステの祝日でした。
同じ20区の来た、メニルモンタン( Ménilmontant) にある、ノートル・ダム・ド・ラ・クロワ ( Notre-Dame de la Croix 教会)で、インターナショナルミサ( Messe des Naitions ) が行われました。メニルモンタンという土地柄、白人系のフランス人は少なく、海外県やアフリカの旧植民地や、アジア諸国、東ヨーロッパといった移民が多く住んでいます。なので、インターナショナルミサとなる訳ですが、今日も沢山の信者が集いました。

写真は、ミサ後の、教会の前庭の様子です。
朝はそうでもなかったのが、時間が経つにつれて日差しが強まり、この時、大体午後の1時過ぎだったのですが、立っているだけで湯気が出そうに暑く、日射病になりそうでした。

そんな中、日本チームは、着物を着た友人たちが腕を振るって(朝から着物を着つけるだけでも大変なのに)、フランスでも大人気の巻き寿司をたくさん作って持ってきました。
この前庭で、各国の人々が、その国の名産料理を作って皆にふるまうことになっています。


こちらはアフリカのとてもカラフルな衣装を着た女性たち。ここぞとばかりにおしゃれを競っていましたが、ミサでの奉納のときは感動的でした。大きな体を揺らして、体全体で喜びを表現している様子に、涙が止まらなくなりました。こんなに無邪気に神様をほめたたえることのできる人々。そのお恵みに、心から感動し、またうらやましく思いました。

写真は、「マキ、マキ!」(こちらでは巻き寿司のことを、「マキ」と省略します。多分、マキズシ、と発音できないからでしょう)と、我も我もと勇んで取り合っている様子です。衣装がとてもおしゃれでしょう?


こちらはメキシコの人たち。民族衣装もそうですが、ポーズが決まってますよね。ここまでやるか?と驚きましたが、本当に楽しそう。半裸のおじさんは、気候にバッチリと合って本当に気持ちよさそうでした。

楽しくて、しかも心の洗われるような、そんなミサでした。


またしても悲しい訃報です。
私たちの共同体で、ミサを司式してくださっていた、チョウ神父様(韓国人)がお亡くなりになりました。まだ40代の若さだったと思います。死因はまだ定かではありませんが、急死されたそうです。
 心からご冥福をお祈り申し上げます。


私は2005年の復活祭で、このチョウ神父様から、洗礼を授かりました。難しい日本語を私たち日本人のために一生懸命学んで、たどたどしい日本語で、精一杯ミサをしてくださいました。そのお心の温かさ、一生忘れません。チョウ神父様、本当にありがとうございました。今はもう、神様の隣で、あの朗らかな笑顔で安らかにいらっしゃることでしょう。
この聖霊降臨にあたって、神様とのより深い結びつきの中でおられることを、心から賛美申し上げます。





 

2014年6月5日木曜日

訃報に寄せて


尊崇する神父様のお一人、奥村一郎神父様がお亡くなりになりました。心からのご冥福を祈ります。
優秀な学生時代、徹底した無神論者で、徹底的に神を否定することから始まった訳ですが、ある日突然の天啓を受けてから、ひたすら信徒としての道を歩まれることになった奥村神父様。その徹底して神を信じない、という態度から一転して篤いキリスト教徒となった聖人の例は、いくらでもあります。その「徹底さ」が、肝心なのだ、と思いました。
でもこの「徹底さ」、しかも宗教に関してとなると、普通に幸せに生活をしている人々にとっては、縁のないことなのかもしれません。私自身に関して言えば、「普通に幸せに」生きたことが、母親が他界してから全く経験しなかったことでしたが、その分、宗教の方へ走ったかというと、これも全く違ったので、どちらにも当てはまらない部類です。母に死なれて、父と折り合いがつかず苦しい年月を送ってきたのは確かですが、だからといって、宗教には走らなかった。
亡き父は、浄土真宗、そしてキリスト教、神道、お地蔵様と、色々大切にする人でしたが、それらを私に強制することはしませんでした。ただ、仏様(先祖)を大切に、ということだけでした。
それが、結婚してからキリスト教徒となった訳ですが、自分が未だに信じ切れていないと自覚しています。


奥村神父様の本は、パリの家に数冊あります。
その中で、「断想 足元を深く掘れ」というのがあります。これは神父様が、日々、出会ったり思いを巡らしたりしたことを綴ったエッセイといえるものですが、その序章に、こんなことを書かれています。

神父様が、いつだったか、京都の万福寺を訪れた際に、お寺の太い柱に掛かっていた1枚の古びた色紙に気付いたそうです。 そこには、「一本の鍬(くわ)と、その先に、掘り返された少しの土、それだけが、色あせた墨で描かれていた。その絵に添えて、『一鍬足りないために水の出ない人がいる。それは誰か。』とあった。天雷の響きに、頭が割られる思いがした。」とあります。

この「足元を深く掘れ」というのは、英語の格言で、明治の文豪である高山樗牛(ちょぎゅう)が訳した翻訳の名句ですが、その先があります。「足元を深く掘れ。さらば泉を見出さん。」で完結します。

そして神父は続けて、「『足元を深く掘れ』、ただ掘るだけでは、だめ。『深く』そして、『今、立っているところを』と、いつも自分に言い聞かせては、ままならぬもどかしさのうちに過ぎ去っていく日々である。とどめえぬ、その生の流れの奥深くにも秘められているにちがいない命の泉を掘りあててみたいと思う。」と書かれています。


もう少し掘れば、泉にぶち当たるかもしれない、分かっているけれどもそれができない、ということも考えました。そもそも私なぞは少しどころか、深く深く掘らなければいけないのでしょうが、それが中々できずにいます。なぜでしょうか?

自分が苦しい時なんかは、ただ苦しむだけ、それに耐えて必死な状態なだけとなってしまいますが、それが抜けると、苦しみが消えたことにただただ感謝で、それ以上は考えたくもない。
実際、振り返っても、苦しみの経験だけが生き生きとしていて、つまりどれだけ苦しんだかだけが記憶に残っていて、そこから色々な教訓を得る訳ですけれども、それをどう深めるかが分からない。

「足元を深く掘れ」って、どういうことなんだろう?、一体どうすれば深く掘ることができるんだろう?と考えるこの頃です。

そして最後に付け加えますと、奥村神父様は、「友とは?」という命題にも、深く追及された方でもあります。「自分の本当の友とは誰だろう?」そんなことも考えます。。




久しぶりの快晴


今日は朝からの晴天で、今夕方の6時過ぎですが20度近くあるので気持ちが良いです。
アパルトマンの目の前にある小さな公園でも、学校が終わった子供たちが、親の監視の元、大声を出しながら遊びに興じています。
写真は、正面がルーブルという名のついた一流ホテル、その左横がルーブル宮殿です。良く晴れています。このルーブル宮の目の前、リボリ通りを挟んだこちら側の広場は(写真だと小さく写っていますが実際は大きいです)、いつも何かしらの催し物や展示をしています。今日は、若者たちがローラースケートの技を競い合っていました。


リボリ通りに並行してこちら側を走っているのがサントノレ通り。そこを素敵な格好をしたマダム達が闊歩している訳ですが、これも思わずパチリ。こういう格好を見ると、「あぁ、また夏がやってきた!」と思います。こちらの女性は露出度満点になりますから、女の私でも目のやり場に困る場合が多々あります。でも不思議なのは、全然いやらしくないこと。むしろ、日本の女子中学生や女子高校生のミニスカート姿の方がエロチックな感じがします。この違いはどこから来るんだろう?とつらつら考えると、肌の質感と醸し出す雰囲気の違いなのかな、と思いました。
というのは、日本の女子中学生や高校生は、大抵の場合、ミニスカートから出ている肌は真っ白いですよね。そして大抵は無邪気さが装われている。これだけ足を見せているんだから、見られて当然なんだけど、見ないでよ!というふりをしたりする。清楚な感じなのに、パンティーが見えそうなミニスカートをはいている。そのギャップですね。そのギャップに、ある種の男性たちは興奮したりするんでしょうけれど。漫画が普及している現代世界では、分からなくもないですが。
一方こちらの女性たちは、まず大胆に見せる以上、態度が堂々としています。「どうぞ、見てください」というぐらいの勢いがあります。そして肌を焼いている。だからいやらしくないんですね。生っ白い肌は見せない。そして体格が良いだけじゃなく、醸し出す雰囲気が大人です。 
私が思うに、西洋の女性たちに対抗するには、着物姿が一番だと思います。西洋人がどう転んでも着物は似合いませんからね。少なくとも、日本女性で着物が似合う人にはかなわない。
今度、帰国するときは、また着物、パリに持ってこようと思っています。



分かりづらい写真ですみません。
家の近所のカフェで、鈴なり状態になっている様子です。これからの課題は、こうした鈴なり状態を、うまくカメラに収めることですね。人を大勢撮るので、どうしても遠慮してしまうので。これも望遠で撮れば良かったと思っています。

日本女性の白い肌は、露出度を控えめにする方が似合っていると思うのですが、皆様はいかが思われるでしょうか。


2014年6月2日月曜日

愛の陽だまり - 自作の詩より


 「愛の陽だまり」

                        あなたは
                        窓から差し込む
                        陽だまりの中で
                        あどけなく
                        笑っている

                        自分と同じ大きさの
                        真っ白いクマの
                        ぬいぐるみを抱えて
                        笑っている

愛されていましたね
                        そう
                        愛の
                        陽だまりの中で

                        何の疑問も
                        苦しみもなく
                        大人しく
                        小さな椅子に座って
                        笑っていた

                        それは
                        わたしの
                        幼いころ

                        こんなに
                        愛されていたなんて
                        知らなかった
                        そして

                        愛されているのが
                        当たり前だった

                        今は
                        そんな時代があったことに
                        感謝して
                        毎日を生きよう

                        そう
                        そんなことが
                        あったことに
                        しっかりと
                        気づけたのだから