家から歩いて行ける距離にある、慰霊堂です。1923年に起きた、関東大震災で多くの犠牲を出した地として、この公園が造られました。因みに亡き父が生まれたのもこの年で、震災の1週間後に生まれたので、「震災っ子」と呼ばれたそうです。祖母は、大きなお腹で地震の中を逃げ回ったのだと思うと、その生命力の強さに感心します。何はともあれ、母強し、ですね。
でも忘れてはならないのは、この地震で、罪なき人々が汚名を着せられて殺されたこと。こうした影の歴史も、しっかり伝えて行かなくてはならないと思います。
本当に見事な銀杏並木ですが、近所のお母さんが、小さな子供たちを遊ばせている時間でもありました。思い思いに自転車を置きっぱなしにして、左奥にある砂場で子供たちは歓声を挙げて遊び回り、お母さんたちは日向ぼっこをしていました。
この裏手にある学校を挟んで、隅田川沿いにある同愛記念病院は、私や兄たちが生まれた病院です。すっかり綺麗に改築されて、昔の面影はありません。
銀杏(ぎんなん)を拾っているのでしょうか、女の子が、お父さんの監視のもと、地面にかがんでいるのを撮ってみました。中々絵になるなぁと思いながら。
とにかく、パリも黄葉の季節だと思いますが、これほど銀杏を並木として植えている個所はないだろうと思います。銀杏はフランス語では Ginko 、銀行みたいで面白いなと、覚えたとき思いました。
生まれて初めて味わっている1人暮らし、でも生まれ育った家なので、やはり思い出が多く、自由とはいえ寂しさを味わっています。自由と引き換えに得た心境なのでしょう。やはり自由を得るには大きな犠牲か、喪失を経験するのかもしれません。
深まりゆく日本の秋を味わえることに感謝しながら。
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