2013年11月30日土曜日
虚しさ
浅草にもっとも近い橋、吾妻橋の真ん中あたりで撮りました。実家からは歩いて10分ちょっとです。夕方4時前後の夕暮れだったと記憶しています。ぶらぶら1人で歩いていて、あまりに空の紅色が美しくて撮りました。何枚か撮って先に進もうとしたら、いつの間にか同じようにして携帯で写真を撮っている人たちがいました。皆、同じように感じるのだな、と嬉しくなりました。
パリでも、美しい風景に出合うと、すぐにデジカメを取り出して写していましたが、こうした夕暮れの風景は、どこの国でも美しいですね。パリだと、セーヌに架かる橋から、よく感嘆して眺めたものです。
父とも、結婚前に、母の代わりとしてよく海外旅行をして、その時に夕暮れの景色を一緒に味わいました。日の出の美しさは言うまでもありませんが、夕暮れのそれは、暮れていく寂しさを伴って一層美しく見えたものです。
父が他界し、あんなに気を遣っていた相手がいなくなると、寂しいものですね。他人が評するところの父親像と、娘の私が感じていた父親像が、必ずしも一致しないところもあって、尚一層、自分の気持ちを察してくれる人が限られています。しょうがないのかもしれません。でもそれでも、「一生懸命、子供たちのために生きてくれた、本当にありがとう!!」という気持ちで一杯です。遺影を見ながらついて出る言葉はもう、それしかありません。
父が死んで3週間が経ちました。
自由が嬉しいと言いながら、今は虚しさをかんじています。何にも興味が持てない。つまらない。
食事をしていても、1人だと義務感でしている感じです。
あまり暗くなっても申し訳ないので。。
でもなるべく1日に1回は外を歩いています。これは、近所の家の昼顔(?)。こういう色をヘブンリーブルーというのでしょうか。やはり美しいので撮りました。
散歩は好きです。日本の朝の明るさに救われています。
2013年11月25日月曜日
震災記念堂
家から歩いて行ける距離にある、慰霊堂です。1923年に起きた、関東大震災で多くの犠牲を出した地として、この公園が造られました。因みに亡き父が生まれたのもこの年で、震災の1週間後に生まれたので、「震災っ子」と呼ばれたそうです。祖母は、大きなお腹で地震の中を逃げ回ったのだと思うと、その生命力の強さに感心します。何はともあれ、母強し、ですね。
でも忘れてはならないのは、この地震で、罪なき人々が汚名を着せられて殺されたこと。こうした影の歴史も、しっかり伝えて行かなくてはならないと思います。
本当に見事な銀杏並木ですが、近所のお母さんが、小さな子供たちを遊ばせている時間でもありました。思い思いに自転車を置きっぱなしにして、左奥にある砂場で子供たちは歓声を挙げて遊び回り、お母さんたちは日向ぼっこをしていました。
この裏手にある学校を挟んで、隅田川沿いにある同愛記念病院は、私や兄たちが生まれた病院です。すっかり綺麗に改築されて、昔の面影はありません。
銀杏(ぎんなん)を拾っているのでしょうか、女の子が、お父さんの監視のもと、地面にかがんでいるのを撮ってみました。中々絵になるなぁと思いながら。
とにかく、パリも黄葉の季節だと思いますが、これほど銀杏を並木として植えている個所はないだろうと思います。銀杏はフランス語では Ginko 、銀行みたいで面白いなと、覚えたとき思いました。
生まれて初めて味わっている1人暮らし、でも生まれ育った家なので、やはり思い出が多く、自由とはいえ寂しさを味わっています。自由と引き換えに得た心境なのでしょう。やはり自由を得るには大きな犠牲か、喪失を経験するのかもしれません。
深まりゆく日本の秋を味わえることに感謝しながら。
2013年11月23日土曜日
浅草寺
家の近所で一番の観光スポットといえば、今はもうスカイツリーとなってしまいましたが、お隣の台東区の浅草寺は、やはり今でも大人気です。実家からは歩いて12~3分。地元とはいえませんが、近場の遊び場としてはかなり重要です。お参りという義務感がなくても、単にぶらぶらと仲見世を歩くだけでレジャーランドに来たような楽しさを味わえます。
宵闇迫る仲見世の様子はこんな感じです。
ここに来ると色々な国籍の人がいるので、パリを思い出し、ホッとします。 ここは日本だけど、世界は日本人だけではないんだ、ということを思い出させてくれます。とても良いことだと思います。
でも正直、日本に帰るたびに、周囲で話されていることが100パーセント理解できる世界というのは、本当に楽だなぁと思うのですが。
去年、夫と旅した京都・奈良を思い出します。こういった文化遺産は、後々の後世までずっと、残されていって欲しいと思います。そんなことを思うようになったのも、年のせいでしょうか。
父の家族や母のお寺も、ここから歩いて行ける距離にあります。
父の納骨は、都合により年明け以降になります。
毎日、父の遺骨に祈り、見守って暮らしています。
不思議なのですが、父の死の悲しみは散々味わった後で、今はとても静かな気持ちでいます。
この生まれ育った家で、たった1人で暮らしている不思議と、初めての1人暮らしに、とても平安で自由な気持ちです。父には、「ありがとう、本当にごめんね!」と祈っています。
夫には申し訳ないですが、初めてぐらいに味わう自由。しばらくの間、この家で猫と暮らそうと思います。
2013年11月17日日曜日
帰国
すっかりご無沙汰しました。
前回の更新日、8日の日に、急きょ帰国が決まり、今までの忙しさにかまけて、ブログの更新ができませんでした。父の急死でした。死因は強度の狭心症。カテーテルの手術の最中に死にました。
満90歳。大往生でした。
こんな日がいつかは来るからと、後悔のないように生きてきたつもりだし、父に対してもいつも仲良くいようと努めていましたが。。実際にいなくなってみると、悔やまれることばかりです。本当に私は、父の愛情に、ちゃんと報いていたんだろうか、と。
でも誤解を恐れずに言えば、もう父と闘わなくて良いんだ(良い意味でも悪い意味でも)、そう思うと、心からの安堵を覚えます。もう実際には会えなくても、いつも一緒にそばにいてくれるんだ、と信じられます。だから多少の寂しさはあっても、悲しくありません。
福島へ帰る兄を上野で見送った後、歩いて自宅へ戻りました。途中、母のお墓へ行き、手を合わせました。まだ遺骨は一緒にはなっていないけど、天国で仲良く一緒に暮らしていると信じ、気を休めてきました。
今日は見事な満月。厩橋の上から撮りました。スカイツリーとの共演が見事。これからしばらくはこうした光景を見ることができます。パリ便りならぬ、下町便りとなりますね。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
2013年11月8日金曜日
アルベール・カミュ生誕100年
昨日は、アルベール・カミュの、生誕100周年でした。ル・モンドなどで一応記事として取り上げられていましたが、あまり、というか全く公的な祝典がありませんでした。なぜか?やはり彼の政治的決断、行動が、未だに尾を引いている、ということのようです。
彼は1913年にアルジェリアに生まれ、つまりPied-noir (ピエ・ノワール、黒い足。アルジェリア生まれのフランス人のことの総称)だったわけですが、アルジェリアの独立に関しては反対の立場だった。そのために、サルトルと有名な論争をした訳ですが、やはり民族独立の気運の中にあって敗れ、叩かれたことはある意味必然でした。そのことを、フランス国民は未だに忘れていない、ということなんだそうです。
余談ですが、当時、サルトルが極右(アルジェリア独立に反対する過激派、OAS)の人々によって、家(当時彼はサン・ジェルマンのアパルトマンに住んでいました。実存主義のたまり場でした。)をプラスチック爆弾によって襲撃されたのは有名な話となっています。
こうした歴史が生きた街で生きる意味を考えます。
故フランス文学者の森有正さんも著書で取り上げていましたが、「日本人として誇りをもつ」ということが、一体どういうことなのか、このパリという街にいると、日々突きつけられているようで、いつも考えてしまいます。何をもって誇りとするのか?難しい問題ですよね。
「そ~んなこと、考えたってしょうがないじゃない」と、開き直っている人たちも、もちろん大勢いる。しかし、自分の根は一体どこにあるのか?ということにぶれないことが、この国で健全に生きる、ということに直結しているようにも思います。
カミュといえば、「異邦人」、「ペスト」など、もう古典と言っても良いぐらいの昔の本ですが、日本人には未だに馴染みのある作家だと思います。少なくともフランス文学を志している学生は(そんな学生の人数も、減ってしまいましたが)彼の本は外せないでしょう。彼の生み出した、「不条理」という言葉、概念は、今でも日本人の心を引きつけるところがあると思います。特に2年前の東日本大震災を経験した日本に住む日本の人たちは、感じることでしょう。「なぜ?」と。
その問いに関して、前教皇もまた、その問いへの答えはない、と言っていました。
自然災害を始め、人的災害にしても、その不条理を嘆くしか、一般市民はできないのでしょうか。
あまりここでは政治的に突き詰めた発言をしようとは思いませんが、やはり「連帯」ということを考えます。自分は一体、どちら側の人間なのか?ということです。決して偉そうなことは言えませんが、パリに住んでいると、それはやはり重要な問題なのでは、と、秋の夜長に考えています。。。
左の写真は、見出しの写真と同じ店で、こちらは店内です。
友人たちと、夕食を共にした時に撮ったものですが、店の人たちの雰囲気といい、店内のインテリア、料理の質、ともに最高でした。もちろん、見ての通りのビストロなので、気楽なフレンチということで、値段はそう高くありませんでした。
気の置けない友人たちと、たまに外食するのは、最高の気晴らしですね!
今日はちょっと、カミュを起点として、真面目な話を書かせていただきました。
お読みいただいてありがとうございます。
2013年11月6日水曜日
秋の味覚 3
昨日はちょっとダウンして、1日家で過ごしました。朝から外の気温は3度で、激しい風と雨でした。もちろん部屋の中は暖房が効いているので暖かいのですが、ここまで気温が低いと、通気口からの風が身に沁みます。その風をシャットダウンするため、普段は開けている分厚いカーテンを引いて過ごしました。日中も最高で11度ぐらい。寒さにやられたのか、疲れが出ました。
ところで写真は柿です。日本の柿で、「KAKI」として売られています。このKAKI という文字を見ると、いつもカーキ色のカーキを想像してしまいますが、こちらではKAKI といえば、この柿を指します。もちろん、買う時も「KAKI ください。」と言います。近所のスーパーでは1個0,5ユーロ、いつもの果物屋さんでは3個で2ユーロでした。日本の柿そのままに、とっても美味しいです。
ところが実は私、小さいころはこの柿が苦手で食べられませんでした。特に熟れたものは、食感が苦手でしたし、熟れてなくても味が好みではありませんでした。でも成人するにつれ、美味しく食べられるようになって、今では干し柿も含め、大好きです。和風の夕食後にむいて夫と食べてると、日本の秋みたいでほっこりします。
でも小さいころ苦手、というか、絶対食べられなかったものでも、大人になってから食べられるようになるというのも、面白い現象ですよね。大人になると、味覚が変わるのでしょうか?食べ物で好き嫌いがなくなるというのは、一般的には良いこととされていますが、別の見方をすると、味覚が鈍感になったとも言えるのかも。。でも多分、人間関係と同じく、許容範囲が広がった、と好意的にみるべきなのでしょう。
先日、Denfert Rochereau に用事があって、それからカトリックセンターへ行ったのですが、その際歩いた、Bld Raspail (ラスパイユ大通り)の様子です。やはり黄葉はまだ少ないですね。この並木、あるいは車の駐車の列と言ってもいいのですが、それに挟まれている石畳は、自転車通路となっています。落ち葉がたくさん落ちているのが見えるでしょうか。パリにはこうした自転車専用の道が完備されていて、歩行者の安全が守られています。左の車の列の背後、建物に沿った道(わかりづらいですが)が、歩行者専用の道です。
この通りには、密かに気になる建物があって、それがこちらです。
パリには珍しい、戸建てで、格子付きの窓からは、壁一面、天井まで本がぎっしりと並んでいます。とてもしゃれた雰囲気、しかもアカデミックな感じがして、前を通るとき、いつも見てしまいます。偶然ですが、面前に留まっている赤いベスパも、写真の彩りに一役買ってくれました。
さて恒例の食卓の風景ですが、こちらは朝食というより、朝昼兼用の食事です。夫が午前中、大学がない時にはよくこのパターンとなります。大体、10時から11時ごろに食べます。
そしてこの頃は、この1日の最初の食事を、野菜たっぷりのサラダから始めることにしています。夫が減量中で、毎朝走っていますし、どうせなら食事の内容ももっと良いものにしようということで、サラダを食べ始めました。こちらでは、サラダに使う葉っぱ類(日本のレタスのようなものは、ありますが、買いません。もっと1つが巨大な葉でできた野菜です。多くはBatavia とか、Frisé と言います。)
その丸々1個が、1ユーロか、それ以下の値段で買えるのです。格安でしょう?日本で生野菜でお腹一杯にするのは至難の業ですが、こちらでは安いゆえに可能です。トマトもとても安いです。ただ気になるのは残留農薬で、食べる直前に、充分流水で洗いますが、どこまで取れてるか不安です。それなら一層無農薬野菜に切り替えては?と思いますが、中々高いのと、店が遠いのとで続きません。もう子供も諦めたことだし、美味しいんだし、良いか、と開き直ってます。
付け加えると、フランスに来て、大抵の人が驚くのが、バターの美味しさではないでしょうか。宿泊するホテルのものはもちろん、スーパーで売られているバターは、マーガリンも含めると、一体何種類あるのか分からないぐらい豊富です。
写真のバターは、私の一押しのバターです。去年、フランスの生産業者のバター部門で、銀賞をとったものです。産地はブルターニュ。種類は Demi-sel (塩入)ではなく、無塩の Doux です。この方が、料理での塩加減が自在にできるし、ただパンにつけて食べるだけでも、私個人としては塩なしの方が好みです。(辛いもの好きなんですが) そしてこのバターの優れているところは、単に味わい深くて美味、というだけではなくて、良く普通のバターにありがちな、表面は黄色で、中が白い、という変色が、全くないことです。そういう変色は、よく品質には変わりはありませんとの能書きがつくものですが、私はちょっと違うんじゃないか、と思っています。本当に質の良いバターは、表面が薄黄色、というかクリーム色で、中身も、最後の最後までその色なのです。それに驚きました。
そういう訳で、このバターを紹介させていただきました。
長々とすみません。秋の夜長につい、筆が進んでしまいました。
読んでいただいてありがとうございます。
2013年11月3日日曜日
朝の風景 Le paysage matinal
ブログの更新頻度が高くてもしょうがない、だって毎日何かしら写真を撮っているから、と腹を決めさせていただきます。この写真は、今朝の8時半ごろ。気温は7度でした。自分の家(アパルトマン)4階の窓からの眺めです。西側に面しています。公園前のアパルトマンが白く見えにくくなっているのは、朝日のせいです。それよりも、11月に入ったというのに、まだ公園の落葉樹がほとんど黄葉していない、というのが驚きです。(それで撮りました。)例年でいくと、すっかり黄葉していてもおかしくないのですが。。 写真左手が小学校、手前に広がっているのが敷地内の中庭です。通りから続いている生垣に、真っ赤な実が一杯ついています。鳥が好んでこの実を食べに来ます。
手前の芝生は、1年中青々としています。西洋芝という品種は、冬でも枯れないそうです。それを初めて知った時の衝撃。芝生といえば、ゴルフ場でよく見てきましたが、日本の冬のグリーンは枯れていましたので、真冬でも青々としてる芝を見たときは本当にびっくりしました。所変われば何でも驚きになりますね。
恒例となりました、食事の風景です。今日は日曜なので、ミサの帰りで朝昼兼用の食事です。
以前から紹介している、Cours de Vincennes という大通りに面した、お気に入りのパン屋のパンです。皿の向こう側が、Baguette de Tradition (田舎風のバゲット)、手前はもちろんクロワッサン、そして今日初めて買った、Chausson Napolitain という名のアーモンドクリームにクルミが入ったものが中に詰まっています。みんなどれもため息がつくほど美味しい。もうここのパンを食べ慣れたら、他のパン屋のパンは、相当美味しくないと、美味しいと評価できないですね。それぐらいの美味しさです。 ジャムは、BIO のものを使っています。1つは Pêche Abricot (桃とアプリコット)と、もう1つは Fraise Rhubarbe (苺とルバーブ)です。これもとっても美味です。
さてお待たせしました。先月の16日から、友人からもらったアボカドで水栽培をしているのですが、昨日になって、ようやく1つの方に、根っこが出ました。およそ根が出るまで2週間以上。待てど暮らせど、でしたが、ここは1つ辛抱とがんばりました。実際、同じことをしている人たちで、あまりに変化がないために途中で投げ出している人が多いとか。でもここまで来るまでに、種の表面に亀裂が入ったりして、私としては面白かったですね。植物の成長を眺めるのが好きなので。
右は3年前に購入したシャコバサボテン。今年大きな鉢に植え替えたのが大成功して、大きく伸び伸び育っています。昨日あたりから、先端に花芽が付き始めたのでこれも撮りました。眺めているだけで、幸せな気分になるのって、楽でいいですね(笑)。
2013年11月2日土曜日
死者の日 Fête des défunts
このところ、ブログの更新頻度が高くてすみません。実は、、、暇してます。。というのは冗談ですが、最近は夜は9時には寝てしまうので、早朝、というか、3時とか4時とかに起きてしまうのです。当然外は真っ暗。どうせ、朝の9時近くにならないと明るくならないので、エイやっと起きてしまいます。でもこの時間が至福の時なのです。し~んと静まり返った中で、1人ハーブティーを飲みながらパソコンで遊ぶ。時々本や雑誌も読みます。
写真は、晴れた日の午後3時ぐらいです。場所は家の近所のナシオン広場。写真右手が広場の中央で、円形の緑地帯、真ん中に大きな女神像が立っています。その周辺を車がぐるぐる走っているわけです。十字路を、このように円形にしてその周囲を巡ってから放射線状に伸びている道のどれかを選んで右折していくわけですが、このシステム、日本にはないので、最初見たときはびっくりしましたね~。どこに入るか前もって知っていないと、ぐるぐる々、何周もしてしまいます。そして入る道を間違えたらもっと大変。後戻りするのに、ものすごい距離を迂回しなくてはなりません。このRond Point (ロータリー)でパリで一番大きいのが凱旋門。これは昔、車で流したことがあるのですが、「ここはサーキットレース場か?!」と思うぐらい、車の数もすごいし、運転マナーもなっていないしで、叫び声を上げながらの運転でした。運転していてあんな怖い思いをしたのは 初めてだったので、それ以来、パリでは運転しないことにしています。(もっとも、自家用車持ってませんが。)
昨日は Toussaints と言って、日本語訳では「諸聖人の祝い」。カトリックの暦では祝日にあたります。今日2日は「死者の日」。菊の鉢植えを買って、墓地にお参りに行きます。日本のお盆に良く似ていますね。菊という花はあまり好きではないですが、この時期、花屋の店頭に並んでいる色とりどりで満開の菊の鉢植えを見ると、やはり美しいなぁと感じます。こちらでも、菊は死者を弔う花なのですね。
ところで写真は、昨日、友人宅に昼食に招かれていただいた1品です。これはメインのビーフカレー。友人曰く、「カレーは慎太郎さんの十八番なの知ってるんだけど、これしかなくて」と出してくれました。日本のルーを使っていても、味はどことなくフランス風。というのも、肉にステーキに使う肉(Entrecôte) を使っているからでしょうか。牛の脂がしみ込んだ、とても味わい深いものでした。上に乗っているのがイタリアンパセリ。ニンジンとの色合いがきれいですね。福神漬けは日本製。「京子」で買ったそうです。はぁ~、今はお金を出せば、何でも手に入る時代ですね~。
この友人は、前回ブログで扱った、ユダヤ人街、つまりマレ地区に住んでいます。「また来たね」と夫と話しながらお邪魔したのですが、とても素敵なお住まい。特に、天井が高くて梁があるところがロマンチックです。でも友人曰く、「見た目は素敵でも、いつもどこかしら故障してるから、お金かかるし住みづらいのよ~。」でした。それを聞いた私。うちは近代建築だから、滅多に故障しないし、かえって快適かも。と思った次第でした。
閑話休題:
パリでは、東京にいるよりも家に人を呼んだり招かれたりする機会が断然多いので、人をもてなすマナーや料理、食器などを、いかに美味しく、美しくするかが手本となります。
この友人宅でも、家自体のインテリアは元より、テーブルのしつらえが楽しいものでした。水を入れるピッチャーも、写真でちょっと写っていますが籐のカバーがしてあって、水滴が気になりません。他の食器類も美しく、このコーヒーカップなども青がテーブルクロスの赤に映えて美しかったです。近いうちに、また人を招きたくなりました。
2013年11月1日金曜日
ユダヤ人街散策 パート2
前回は、ユダヤ人美術館をゆっくり見学した後に、打ち上げをしたお店を紹介しました。この写真は、そこでの食事を終えた後の帰り道で撮ったものです。通りの名はご存じ Rue des Rosiers。たまたま人があまり写っていませんが、通りに人は溢れていました。左手、店の前で携帯をいじっているのでしょうか、立ち止まっているのはユダヤ教徒。彼らの服装で一目瞭然です。 黒いスーツに黒いキッパーと呼ばれる独特の帽子を被っています。この帽子は、とくにシナゴーグに入る時に必須のもので、神への崇敬がこめられているとか。こうした民族衣装(?)に身を包んだ彼らは、ここでは水を得た魚のように生き生きしています。
こちらは行きに撮った写真ですが、 Rue des Rosiers の看板が見えるでしょうか。この店では、1982年、テロリストたちにより、20数名のユダヤ人が銃撃に遭い、死傷したところで、その記念碑が立っています。1982年といえば、そう遠い昔ではありませんが、未だに偏見と迫害によって差別を受けている民族だということに、変わりはありません。
そうしたことを私たちが声に出して話していると、いつの間にか、若いユダヤ教徒たちが背後に。私たちが熱心に読んでいるのを見て、好感をもったのでしょう。にこやかな笑顔をしてくれました。やはり、歴史というのもを知らずしてこの街を歩くことはできないなぁと実感しました。
引き続き、夜のユダヤ人街ですが、彼らの食生活はベジタリアンに近いものがあります。豚を食べないのはもちろんですが、 他の肉類でも、ユダヤ教に則った形で処理されたものしか食べません。パリのスーパーでは Cacher (カシェール)というコーナーがあり、ユダヤ教徒のための食品が並んでいます。軽食としては、Falafel (ファラフェル)といった、マクドナルドのハンバーガーのようなスナックがあります(もちろん、豚肉は使っていません)。青豆をつぶして団子状にまるめ、それをコロッケのように揚げたものを、ピタパンに挟んで食べるわけですが、10種類はある野菜類をそれに自由に付け加えて食します。体に良いものを食べているなぁ、という感じ。とっても美味です。
写真右上は、無意識に撮ったものですが、後で画面で見てびっくり。店名が、「Café des Psaumes」となっているではありませんか。Psaume とは、フランス語で「詩編」の意。さすが旧約聖書を教典としているだけあって、お店にもその名前を付けたりするのですね。感心しました。実際に、店内ではユダヤ人たちが詩編を唱えていたりして(?)。
宗教的に寛容だと言われる日本人からすれば、奇異なことでも、やはりパリに住んでいる以上、こうした宗教への尊敬を欠いた態度は許されません。ただ単に、「おしゃれな街」として楽しむだけではなく、こうした背景を知った上で行動したいですね。
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