2019年10月20日日曜日

台風一過  Après le passage d'un typhon

駅前の花屋 Boutique de fleuriste

先週の土曜日を前後して、大型台風が関東一帯を直撃しました。東京を含むこの地域への台風直撃は、数十年に一度と言われたほど大きな爪痕を残しました。亡くなられた方々はもちろん、被害に遭われた方々、そして避難生活を送っている方々へ、心からのお見舞いを申し上げます。

パリにいた頃は、「日本は自然災害の多い国」として端から見ていましたが、こうして落ち着いて日本に暮らすようになると、受け入れざるを得ませんし、ちょっとした麻痺状態になってしまう面もあります。それでも、このところ毎年のように「想定外」と言われるような被害が起きている状況は、やはり尋常じゃないと感じます。一日も早い復旧作業が 叫ばれています。


上の写真は、台風一過の後の夜明け、東京のマンションの7階から撮った眺めです。
台風は、前日となる12日の夜の9時ごろに東京上空を通過しました。
新築のマンションなのでさすがに停電も断水も起こりませんでしたが、墨田区の北の方では3時間ほど停電となったそうです。

隅田川ー厩橋からの眺め
右は、上の写真から2時間ほど経過した、
朝の7時ごろの隅田川の様子です。
厩橋(うまやばし)の袂(たもと)から撮りました。
隅田川は、都心を流れる川としては
一番整備されている、という事が今回の台風により
確認されました。それというのも、過去の歴史の教訓からもたらされた恩恵とも言うべきもので、昔はすぐに氾濫していたのです。
現在は、上流から東京湾に注ぐ下流に至るまで、
しっかりとした高い堤防が建てられています。
ただ、川の真横を走る遊歩道は、一部浸水したようですが。

今回の台風では、合計77の大小の川が氾濫をしたという事ですから、その被害も甚大となりました。


閑話休題

ちょっと不謹慎かもしれませんが...

前回の投稿から、じゃがいもが余っていたので今回は肉じゃがを作りました。
肉じゃが、パリでは作れないんです。
いえ、作れないことはないのですが、唯一の懸案は、薄切り肉が手に入りにくいということ。どうしてもフランスだと塊肉か、切ってあってもぶつ切り。こういう話題をすると、夫はすかさず、「肉を冷凍にして、半解凍にした後そぎ切りすれば良いんだよ」と言いますが... はっきり言って、それは肉じゃがとは言えません。もどきであって、元祖の味にはならないのです。食感も違います。更に言えば、「しゃぶしゃぶ」とか「すき焼き」を知っている、日本人が懇意にしている肉屋さんに行けば、薄切り肉は確かに手に入ります。でも高いんですよね。具体的にいくらぐらいか知りませんが、肉じゃがって、あくまで庶民的な食べ物じゃないですか。それに高いお金払えます?

という訳で、日本で日本元祖の肉じゃが、作ってみました。一人なのに大量に作ってしまい、3日3晩、食べ続けました...そういえば、9階のご近所さんに、おすそ分けすれば良かったと思った時は時すでに遅し...

もう一つ。
夏に作った梅ジュース、ちょうど3ヶ月が経ったので味見をしました。梅の量に対して、黒酢と氷砂糖の割合が適当だったので、素直に「美味しい !」とは言えませんが、まぁ良しとしましょう。オンザロックにしてごまかしました。

最後に余談ですが、私のパーキンソン病ですが、薬の量が増えたために、特徴的な症状ー足のびっこや腕の震えーは大分改善されてきました。気持ち的にも、ようやく落ち込みから脱出しつつあります。
お祈り、応援、誠にありがとうございます。当分は日本で療養しようと思います。

今日は久しぶりの秋晴れ。短い間でしたが日も射しました。
愛猫との暮らしに癒されています。

そして何と言っても今夜はラグビーの対南アフリカ戦ですね ! 皆で応援しましょう !!





2019年9月18日水曜日

愛しのポテサラ  La salade de pomme de terre que j'aime !


久しぶりにポテトサラダを作りました。
久しぶりと言えば、手作り料理をしたのも久しぶりで。というと怒られそうですが、東京での気楽な(?)一人暮らし。がんばって手料理など作る必要もないのです。
とは言え、ポテトサラダが自慢できるほどの一品か ?  というと心もとないですが、いえいえ、切ったり茹でたり和えたりは、やはり料理と言っていいですよね。

ポテトサラダのコツは、何と言ってもジャガイモが茹でた直後の熱いうちに、レモン汁と塩少々をふって、味を染み込ませることでしょうか。ジャガイモは、冷めると味が染み込みにくくなるとか。お酢でもいいですが、私は生のレモンを絞った汁を回しかけます。

ただ、今迷っているのは、ジャガイモと人参を茹でる時に、あらかじめ皮をむいて切ったものを茹で始めるのか、それとも皮のまま茹でて茹で上がってから皮をむくのがいいか。皮のまま茹でると時間がかかりますが、ジャガイモのホクホク感が出るような気がします。もちろん、ジャガイモは新鮮なものに限りますが。

料理って奥が深いですよね。夫は独身時代が長かったせいか料理好きですが、手料理は気晴らしになると言っています。今はパリで毎晩、手料理作っているみたいです。えらい !

手抜き主婦より

早朝の東京の空 Le ciel à Tokyo de bonne heure
 追伸 :  今日の東京は秋晴れだそうです。愛猫と近所の散歩をしましょうか。
    今度の週末に髪をバッサリ切る予定です(更に ! )





2019年9月8日日曜日

玉谷直美先生へのオマージュ2 Hommage II pour Madame Naomi TAMATANI

ピンク色の百日紅 Lagerstroemia rose

残暑が厳しいですね。南の方から台風15号が迫っているせいか、東京は晴れ間が見えるも風が強く、不安定な陽気となっています。如何お過ごしでしょうか。

前回のメールからおよそ3週間が経ちますが、その間、他の病院でセカンドオピニオンをもらい、薬の処方が変わって、副作用などに苦しんでいました。
それも今は安定し、また来週の診察では確定診断をもらう予定です。

それはともかく、早く第二弾を、と思いながら、ようやく心静かにパソコンに向かえる時が来ました。今日は奇しくも夫の誕生日。52才になりました。教会での結婚記念日も近いということで、何となくおめでたい気分で書いています。

千日紅
さて、予告通り、玉谷先生著作の「女性の心の成熟」(昭和60年刊 創元社)をご紹介します。
その前に、前回の投稿を読み返して反省しています。読みづらい文章でしたね。もう少し寝かして考えるべきでした。

ところでその前回の文の中に、大きく分けて二つのタイプの女性を書きました。一人はいわゆる職業婦人、(この言い方は古いので、今では当たり前になった、家庭を持ちながら仕事をしている女性、という言い方が一般的ですね)もう一方は仕事をしないで専業主婦になっている女性。こちらも今では赤ちゃんや小さい子供がいる場合以外は何かしら仕事をしている人が大部分なので、中高年以上の女性以外は少数派と言えるでしょう。
1980年代は、まだこの二つのタイプの住み分けが割とはっきりしていた時代でもありました。 そういう意味で、この本が書かれた時代と現在は、大きく異なっていると言えるかもしれません。
しかし、選択肢が増え、何かしらの仕事、あるいはやるべき事、やりたい事を持っている現代の女性でも、何かしらの苦労をもっていることは確かです。

前回の投稿に、「人形の家」の主人公、ノラのことを書きましたが、現在では、『ノラのその後』といったタイトルで、様々な続編が作られているようです。ノラを一個の人間として扱わず、まるで着せ替え人形のようにしていた夫の家を出たノラは、その後どうなったのか ?  当時の時代背景からして、3つ考えられるとなっています。
1つは、経済能力の全くない彼女は、娼婦になった、という可能性。2つ目は仕方なく夫の元に帰った、という可能性。そして3つ目は自殺でした。
事ほど左様に、当時(19世紀末〜20世紀初頭)の女性の置かれた立場は弱かったのです。

愛猫アビ 
前回は、本の序文を紹介するにとどめましたが、今回もそれに倣いつつ、自分なりの感想を少し述べたいと思います。

『日本は何かにつけて欧米先進国の模倣をしておればよかったのだが、最近はそうとばかりは言えなくなってきた。原理としての女性という言い方をすれば、日本人は欧米人よりもその点についてはよく知っていたとさえ言える。しかし、このことは社会的に日本では女性が生きやすかったことを意味するものではない。ー略ー 結局、女性の生き方 ー つまりは男性の生き方ということにもなるのだが ー について真剣に考えようとする人は、既成のモデルには頼り難いことになり、各人が自分の個性に頼って道を切り拓かねばならないことになるであろう。そのような困難な道を拓いてゆくために、本書が役に立てば真に嬉しいことであると思っている。』河合隼雄氏の「序」より

『女性の生き方に関する本は無数に出ていますが、その内面的方向を示したものはごく少数のように思えます。女性の心の成熟ということを考える場合、私がつねに念頭においている人がいます。それは長年、不治の病いに苦しみ一歩も外へ出られない女性です。ー略ー そのようなとき、私たちが頼りにするのは、決して外的活動ではなく、私たちの魂がいかに自分の自我というしがらみから自由に飛翔しうるか、ということだけです。』玉谷直美著「はじめに」から 

この文に続いて先生は、その「魂の飛翔への道」を、「足元の身体」、つまり「心理的発達」からはじめなくてはならない、と述べています。そして更にそれが「哲学的、宗教的次元」と絶えず接触を保ち、「飛翔を可能にする方向性」をとらなくてはならないと書いています。
その「方向性」を指し示すことは無謀な冒険だと述べながらも、本論では女性の成熟にいくつかの発達段階を、様々な女性のケースを取り上げて説明されています。


臨床心理士であり、カトリック信者でもある玉谷先生の視線は、常に女性の立場に立ちつつ、更に弱い立場に置かれている精神を病んだ、あるいは危機に立たされている女性の側にあります。もちろん、それらの女性たちの抱える問題は、健康な女性にとっても他人事ではない事であって、読んでいて気づかされる点が多々あります。特に女性の成熟の過程で、女性の中にある男性機能(アニムス)をどう取り込み、自分のものとして統合していくか、という点や、母性を豊かなものにするために自我を自分の中心から外して忍耐力を養わなくてはならない点など、特に私自身に必要なものとして読みました。

しかしこの本の感想を書くには自分は深く深く同意することが大きくて、自分なりの考えを述べるには、まだまだ時間が必要だと感じています。

夫の誕生日、そして結婚15年の記念日が近いこともあり、その流れた月日を、改めて先生の本を読むことによって思いを馳せたいと思います。











2019年8月17日土曜日

玉谷直美先生へのオマージュ Hommage à Madame Naomi TAMATANI

近所の軒先の花 芙蓉  passe-rose sous l'avant-toi
止むに止まれない思いでまたパソコンに向かっている。
長きにわたり、私の恩師である玉谷直美先生への感謝を込めて、先生の著作の感想などを書きたいと思う。この思いは、先生の著作を手にしてからずっと、心に思い描いていたことであって、その思いをようやくここに実現できることにとても喜びを感じている。

とはいえ、先生ご自身もご自分のテーマとして長きにわたり考えていたものを本という形にしたのであるから、私がそれに対し何かを述べるということは、大変に難しい。ただ、以下に挙げる2冊の著書は、今から30年以上の昔に書かれたものであるのに全く古びていず、むしろ今日における女性の生き方にひと筋の光 ー ヒントを与えてくれるものである。そしてその30年以上前の、1980年代後半は、私自身は10代の後半であるし、また先生は50代前半であったという、現在の私の年齢に重なるのである。
そういった意味でも、この二冊の本は、私自身の生き様を振り返るのに、とても適しているのである。
さらに言えば、10代の終わりに最愛の母を失った私にとって、奇しくも先生は亡母と同じ年。母が自分の身代わりとして先生と出会わせてくれた、と言うと、言いすぎであろうか ?

前置きはさておき、先生の二冊の著作を紹介したいと思う。
「女性の自己実現」女子パウロ会 (昭和54年初版)
「女性の心の成熟」創元社 (昭和60年初版)

まず今回は、この二冊のご紹介ということで、それぞれの序論の一部を書き記したいと思う。多くの文学作品、特に外国人作家の本の序文には、その本の内容の紹介というだけでなく、著者の本質に触れるような、価値のあるもの、また面白いものが多いのであるが、この二冊もそれに倣っている。そういう意味で、著者、および序文を書いている著書の恩師の一人である故河合隼雄氏の言葉を載せるだけでも大いに刺激を受けることと思う。

先生ご自身に、ご著書の引用をする許可を得ていないのであるが、ここでお許し願いたいと思う。

まず「女性の自己実現」の序から、私の感想をまず述べたいと思う。
 先生の序論を引用する前に、この本が書かれた80年代における女性の置かれた立場ということを理解しなくてはならないと思う。特に職業婦人という言葉がわずかながら残っていた時代で、大学卒業後、女性が就職するのは当たり前になりつつあったとはいえ、結婚により専業主婦となる道、つまり寿退社がまだ一般的であった。長年会社で勤めていた女性の先輩たちは、独身が多かった時代である。
それにより、結婚しても職業婦人としての道を当時選んだ少数の女性たちは、仕事と家庭との両立に、今の時代では想像を絶するほど苦労をした。その姿はそのまま、当時の玉谷先生の姿と重なるのであるが、そのパイオニアとしての苦労は、今を生きる女性にとっても誠に参考になると思う。
一方、専業主婦を選んだ女性は女性で、誠に悩ましい時代であった。彼女たちは、経済力は元より、一個の人間としての成熟という問題があった。それは19世紀の名著の一つ、特にフェミニズム運動にも問題提起を与えたノルウェーの作家、イプセンの「人形の家」の主人公の女性ノラを彷彿とさせる。夫はまるで着せ替え人形か何かのようにしかノラを扱わず、ある決定的な事件を境に最後、ノラは夫の元、つまり家から出て行く道を選ぶ。
とはいえ、ノラの問題は、経済的な問題というより、夫の愛情が本物かどうかの方がクローズアップされているという点で、玉谷先生の序論の二人の女性像には両方とも当てはまらないと言える。また最後にノラが家を出るのも、誠に正しい判断と言わざるを得ない。ノラは、内面の成熟を遂げたが故に、家を出ることができたとも言える。

ところで著作の序からの抜粋をする。
『現代は女性の生き方が問われつづけている時代である。そのとき、外面的な解決を志向するのではなく、女性の内面的成熟によって問題を解決しようとする方向性が考えられてもいいのではないか、と思う。ー略ー お互いに自分の居場所をそのままにして、内面的成熟をとげることによって生き方を発見』するのである。
そしてその『内的成熟』を、『女性の自己実現という言葉であらわしてみることにした。』と結んでいます。

 今より女性の立場が不自由であった時代、さらに先生が若い頃に遡ればそれは想像を絶したものであったろう。しかし今現在にも通じる生き様となっているのは、どんなに便利になり、女性の自己表現が楽になったとはいえ、「女性であることの不自由さ」には普遍的なものがあるからであろう。

もう一冊の著書の序論の紹介は、次回に回したいと思う。
パーキンソンで肩が限界に達しました。
今回はこれにて失礼いたします。

夏の花たち Des fleurs estivals


 

2019年8月16日金曜日

猫との暮らし 再び  Vivre avec une chatte - de nouveau

愛猫 アビ 18才 ma chatte favorite s'appelle Abi, 18 ans

結婚前から実家で飼っていた愛猫のアビを、また引き取って一緒に暮らしている。
実家を取り壊す際に、福島に住む兄が引き取っていたのだが、先日東京に帰省した時に猫を持ってきたのを、そのまま置いていったのだ。

猫は子供の頃から買い慣れていて、この猫は4匹目だが、一番長生きしている。

しかし猫が来たことで、一人暮らしの静寂さが、完全になくなってしまった。
もちろん、老猫なので、1日の大半はすやすやと眠っているのであるが(写真のように)起きてくると、自分の要求が満たされるまで泣き続ける。やかましいことこの上ない。
一応、必要最低限の欲求は満たしてやるが、猫っかわいがりしないように気をつけている。(ウソ〜 !! という外野の声が聞こえるが😆)

幼い頃から色々な小動物を飼ってきたが、犬だけは飼ったことがないので猫との違いはうまく説明できないが、でも犬でも猫でも、人間の幼児並みに手がかかるし、一度飼ったら死ぬまで面倒をみるのは当然であろう。犬猫の殺処分反対運動は、まったく正しい。


ところでこの猫をくれた近所の人の家が、取り壊されてしまった。隣の二軒も一緒に更地に。
そのうちの一軒は小料理屋さんだったのだが、裏地に大型マンションが建ったおかげで家が傾いた、と嘆いていたとか。近所の大工さんが、「ちょっと飲みに行く場所がまたなくなっちゃった」と先日、家の絵を壁にとり掛ける作業をしている時に言っていました。

うちのマンション同様、大通りに面した建物は、どんどん高層のマンションになっていきますね。 下町の風情が消えていきます。


そんなこんなで変わりゆく街並みですが、これも都心に住む必然なのでしょう。
昔の実家のままだったら、万が一にも隅田川が決壊して氾濫したら、ひとたまりもなかったのですから良しとしましょうか。もっとも、西の多摩川のように、自然のままにしている川と違い、かなり堤防を高くして整備してますから、氾濫するということはまず、あり得ないのですが。

猫との二人 ? 暮らし。いずれパリに戻るまで、せいぜい楽しみたいと思います。
パーキンソンのリハビリにも良さそうです。

ではどうぞ楽しい週末を ! !




2019年7月24日水曜日

友の死  Le décès de M.Tetsuhiko ESAKI

早生(わせ)のぶどう raisins précoces

   また一人、親しかった友が亡くなりました。享年76歳、多くの病を抱えての闘病生活の末に、急激の体調悪化により亡くなったそうです。

 彼は、長年パリ日本人カトリックセンターの一員として、様々な形で関わりを保ってくださっていました。途中、紆余曲折がありましたが、10年以上の長きにわたり、ご奉仕くださいました。
 初めて彼がカトリックセンターにいらした時、まだセンターは rue de Babylon のパリ外国宣教会の敷地内にありました。友人と連れ立って颯爽と現れた彼は、その独特の魅力ある声と話し方で、私は思わず振り返ったのを覚えています。

 とても魅力のある方でした。生涯を通して、何事にも寄らず、紳士な方でした。

 
 今はただ、病気による苦しみの多かった晩年からやっと解放されて、神様の御許で安らかに憩いでいることでしょう。

 私は情けないことに未だ日本にいてリハビリ、療養中のため、葬儀と埋葬式に参加できず、残念でなりません。その日時には、自分の診察を受ける日に当たっていますが、心を合わせて祈りたいと思います。

 江崎さん !  お疲れ様でした ! そして本当にありがとうございました !



 
 

2019年7月15日月曜日

海の日に La journée de la mer

家の近所の白い百合 Le lys blanc près de chez moi

梅雨真っ盛りの海の日。なかなか梅雨は明けませんね。久しぶりに日本の梅雨を満喫しています。

そんな中、一人で近所の浅草に出かけました。
今や、浅草は世界の浅草になりつつあると言っても過言ではないぐらい、海外からの観光客で賑わっています。土地柄、気取りというものとは程遠い、気楽で雑多な雰囲気も加味されて、東京でも人気のスポットですね。地元人でなくても、人が多いことが苦にならなければ、いたって居心地の良いところです。

そんな中をぶらぶら歩いていて思うのは、浅草は、日本人が、東京で最も日本人らしくいられる土地なのではないかな、ということです。下町の人情や江戸文化で発展した「粋」などは、日本人に本来そなわっているもので、その名残のある浅草に来ると、皆、解放されたように感じるのでは ? と。

ブルーが美しい桔梗 la belle blue, campanule

肩の力を抜いて、お気楽に歩ける町、それが浅草の魅力ですね。

翻って自分を振り返ると、そんな街並みから一転してパリに住み始めた当時の自分は、かなり肩に力が入っていたなぁ、と思うのです。
どこの国に行っても短パンにTシャツにビーサンのようなアメリカ人を真似てみようか、とは思いませんが、浅草を歩いているようにパリの街中を歩けたら... どんなに楽だろう... と、一人感慨に耽っていました。

赤い百合の花言葉は、「虚栄心」だそうです... language des fleurs du lys rouge; la vanité

どんな国、どんな土地柄でも自分らしく生きられる道はあるのではないか、とも思います。

最近、浅草寺の裏の、昔「山谷」と言われた地区のことを考えています。キリスト教徒としても「蟻の町のマリア」で有名な土地ですが、自分に何かできないか、と。

一方で、そんな力みもどこ吹く風、海外からの観光客のための安宿が増えたために、ディパックをかついだ外国人たちが多く闊歩しているとか。
そんな人々の風情を、フランス語では nonchalant(e) とか、sans-souci などと言いますが、そういったのんきさや拘りのなさも、浅草には似つかわしいですね。

梅雨明けの待ち遠しい、浅草散歩でした。