2019年8月17日土曜日

玉谷直美先生へのオマージュ Hommage à Madame Naomi TAMATANI

近所の軒先の花 芙蓉  passe-rose sous l'avant-toi
止むに止まれない思いでまたパソコンに向かっている。
長きにわたり、私の恩師である玉谷直美先生への感謝を込めて、先生の著作の感想などを書きたいと思う。この思いは、先生の著作を手にしてからずっと、心に思い描いていたことであって、その思いをようやくここに実現できることにとても喜びを感じている。

とはいえ、先生ご自身もご自分のテーマとして長きにわたり考えていたものを本という形にしたのであるから、私がそれに対し何かを述べるということは、大変に難しい。ただ、以下に挙げる2冊の著書は、今から30年以上の昔に書かれたものであるのに全く古びていず、むしろ今日における女性の生き方にひと筋の光 ー ヒントを与えてくれるものである。そしてその30年以上前の、1980年代後半は、私自身は10代の後半であるし、また先生は50代前半であったという、現在の私の年齢に重なるのである。
そういった意味でも、この二冊の本は、私自身の生き様を振り返るのに、とても適しているのである。
さらに言えば、10代の終わりに最愛の母を失った私にとって、奇しくも先生は亡母と同じ年。母が自分の身代わりとして先生と出会わせてくれた、と言うと、言いすぎであろうか ?

前置きはさておき、先生の二冊の著作を紹介したいと思う。
「女性の自己実現」女子パウロ会 (昭和54年初版)
「女性の心の成熟」創元社 (昭和60年初版)

まず今回は、この二冊のご紹介ということで、それぞれの序論の一部を書き記したいと思う。多くの文学作品、特に外国人作家の本の序文には、その本の内容の紹介というだけでなく、著者の本質に触れるような、価値のあるもの、また面白いものが多いのであるが、この二冊もそれに倣っている。そういう意味で、著者、および序文を書いている著書の恩師の一人である故河合隼雄氏の言葉を載せるだけでも大いに刺激を受けることと思う。

先生ご自身に、ご著書の引用をする許可を得ていないのであるが、ここでお許し願いたいと思う。

まず「女性の自己実現」の序から、私の感想をまず述べたいと思う。
 先生の序論を引用する前に、この本が書かれた80年代における女性の置かれた立場ということを理解しなくてはならないと思う。特に職業婦人という言葉がわずかながら残っていた時代で、大学卒業後、女性が就職するのは当たり前になりつつあったとはいえ、結婚により専業主婦となる道、つまり寿退社がまだ一般的であった。長年会社で勤めていた女性の先輩たちは、独身が多かった時代である。
それにより、結婚しても職業婦人としての道を当時選んだ少数の女性たちは、仕事と家庭との両立に、今の時代では想像を絶するほど苦労をした。その姿はそのまま、当時の玉谷先生の姿と重なるのであるが、そのパイオニアとしての苦労は、今を生きる女性にとっても誠に参考になると思う。
一方、専業主婦を選んだ女性は女性で、誠に悩ましい時代であった。彼女たちは、経済力は元より、一個の人間としての成熟という問題があった。それは19世紀の名著の一つ、特にフェミニズム運動にも問題提起を与えたノルウェーの作家、イプセンの「人形の家」の主人公の女性ノラを彷彿とさせる。夫はまるで着せ替え人形か何かのようにしかノラを扱わず、ある決定的な事件を境に最後、ノラは夫の元、つまり家から出て行く道を選ぶ。
とはいえ、ノラの問題は、経済的な問題というより、夫の愛情が本物かどうかの方がクローズアップされているという点で、玉谷先生の序論の二人の女性像には両方とも当てはまらないと言える。また最後にノラが家を出るのも、誠に正しい判断と言わざるを得ない。ノラは、内面の成熟を遂げたが故に、家を出ることができたとも言える。

ところで著作の序からの抜粋をする。
『現代は女性の生き方が問われつづけている時代である。そのとき、外面的な解決を志向するのではなく、女性の内面的成熟によって問題を解決しようとする方向性が考えられてもいいのではないか、と思う。ー略ー お互いに自分の居場所をそのままにして、内面的成熟をとげることによって生き方を発見』するのである。
そしてその『内的成熟』を、『女性の自己実現という言葉であらわしてみることにした。』と結んでいます。

 今より女性の立場が不自由であった時代、さらに先生が若い頃に遡ればそれは想像を絶したものであったろう。しかし今現在にも通じる生き様となっているのは、どんなに便利になり、女性の自己表現が楽になったとはいえ、「女性であることの不自由さ」には普遍的なものがあるからであろう。

もう一冊の著書の序論の紹介は、次回に回したいと思う。
パーキンソンで肩が限界に達しました。
今回はこれにて失礼いたします。

夏の花たち Des fleurs estivals


 

2019年8月16日金曜日

猫との暮らし 再び  Vivre avec une chatte - de nouveau

愛猫 アビ 18才 ma chatte favorite s'appelle Abi, 18 ans

結婚前から実家で飼っていた愛猫のアビを、また引き取って一緒に暮らしている。
実家を取り壊す際に、福島に住む兄が引き取っていたのだが、先日東京に帰省した時に猫を持ってきたのを、そのまま置いていったのだ。

猫は子供の頃から買い慣れていて、この猫は4匹目だが、一番長生きしている。

しかし猫が来たことで、一人暮らしの静寂さが、完全になくなってしまった。
もちろん、老猫なので、1日の大半はすやすやと眠っているのであるが(写真のように)起きてくると、自分の要求が満たされるまで泣き続ける。やかましいことこの上ない。
一応、必要最低限の欲求は満たしてやるが、猫っかわいがりしないように気をつけている。(ウソ〜 !! という外野の声が聞こえるが😆)

幼い頃から色々な小動物を飼ってきたが、犬だけは飼ったことがないので猫との違いはうまく説明できないが、でも犬でも猫でも、人間の幼児並みに手がかかるし、一度飼ったら死ぬまで面倒をみるのは当然であろう。犬猫の殺処分反対運動は、まったく正しい。


ところでこの猫をくれた近所の人の家が、取り壊されてしまった。隣の二軒も一緒に更地に。
そのうちの一軒は小料理屋さんだったのだが、裏地に大型マンションが建ったおかげで家が傾いた、と嘆いていたとか。近所の大工さんが、「ちょっと飲みに行く場所がまたなくなっちゃった」と先日、家の絵を壁にとり掛ける作業をしている時に言っていました。

うちのマンション同様、大通りに面した建物は、どんどん高層のマンションになっていきますね。 下町の風情が消えていきます。


そんなこんなで変わりゆく街並みですが、これも都心に住む必然なのでしょう。
昔の実家のままだったら、万が一にも隅田川が決壊して氾濫したら、ひとたまりもなかったのですから良しとしましょうか。もっとも、西の多摩川のように、自然のままにしている川と違い、かなり堤防を高くして整備してますから、氾濫するということはまず、あり得ないのですが。

猫との二人 ? 暮らし。いずれパリに戻るまで、せいぜい楽しみたいと思います。
パーキンソンのリハビリにも良さそうです。

ではどうぞ楽しい週末を ! !




2019年7月24日水曜日

友の死  Le décès de M.Tetsuhiko ESAKI

早生(わせ)のぶどう raisins précoces

   また一人、親しかった友が亡くなりました。享年76歳、多くの病を抱えての闘病生活の末に、急激の体調悪化により亡くなったそうです。

 彼は、長年パリ日本人カトリックセンターの一員として、様々な形で関わりを保ってくださっていました。途中、紆余曲折がありましたが、10年以上の長きにわたり、ご奉仕くださいました。
 初めて彼がカトリックセンターにいらした時、まだセンターは rue de Babylon のパリ外国宣教会の敷地内にありました。友人と連れ立って颯爽と現れた彼は、その独特の魅力ある声と話し方で、私は思わず振り返ったのを覚えています。

 とても魅力のある方でした。生涯を通して、何事にも寄らず、紳士な方でした。

 
 今はただ、病気による苦しみの多かった晩年からやっと解放されて、神様の御許で安らかに憩いでいることでしょう。

 私は情けないことに未だ日本にいてリハビリ、療養中のため、葬儀と埋葬式に参加できず、残念でなりません。その日時には、自分の診察を受ける日に当たっていますが、心を合わせて祈りたいと思います。

 江崎さん !  お疲れ様でした ! そして本当にありがとうございました !



 
 

2019年7月15日月曜日

海の日に La journée de la mer

家の近所の白い百合 Le lys blanc près de chez moi

梅雨真っ盛りの海の日。なかなか梅雨は明けませんね。久しぶりに日本の梅雨を満喫しています。

そんな中、一人で近所の浅草に出かけました。
今や、浅草は世界の浅草になりつつあると言っても過言ではないぐらい、海外からの観光客で賑わっています。土地柄、気取りというものとは程遠い、気楽で雑多な雰囲気も加味されて、東京でも人気のスポットですね。地元人でなくても、人が多いことが苦にならなければ、いたって居心地の良いところです。

そんな中をぶらぶら歩いていて思うのは、浅草は、日本人が、東京で最も日本人らしくいられる土地なのではないかな、ということです。下町の人情や江戸文化で発展した「粋」などは、日本人に本来そなわっているもので、その名残のある浅草に来ると、皆、解放されたように感じるのでは ? と。

ブルーが美しい桔梗 la belle blue, campanule

肩の力を抜いて、お気楽に歩ける町、それが浅草の魅力ですね。

翻って自分を振り返ると、そんな街並みから一転してパリに住み始めた当時の自分は、かなり肩に力が入っていたなぁ、と思うのです。
どこの国に行っても短パンにTシャツにビーサンのようなアメリカ人を真似てみようか、とは思いませんが、浅草を歩いているようにパリの街中を歩けたら... どんなに楽だろう... と、一人感慨に耽っていました。

赤い百合の花言葉は、「虚栄心」だそうです... language des fleurs du lys rouge; la vanité

どんな国、どんな土地柄でも自分らしく生きられる道はあるのではないか、とも思います。

最近、浅草寺の裏の、昔「山谷」と言われた地区のことを考えています。キリスト教徒としても「蟻の町のマリア」で有名な土地ですが、自分に何かできないか、と。

一方で、そんな力みもどこ吹く風、海外からの観光客のための安宿が増えたために、ディパックをかついだ外国人たちが多く闊歩しているとか。
そんな人々の風情を、フランス語では nonchalant(e) とか、sans-souci などと言いますが、そういったのんきさや拘りのなさも、浅草には似つかわしいですね。

梅雨明けの待ち遠しい、浅草散歩でした。




2019年7月3日水曜日

地元に住むということ Vivre en terre natale

近所の花 プルンパゴ
リハビリのために、一時帰国のはずがいつの間にか半年を過ぎてしまいました。
 今回の更新では、
 生まれ育った土地と全く同じ土地に住むということのメリットとデメリットを考えてみました。

 メリットは、ここでも散々書いてきているように、下町の人情が至るところで味わえる、ということでしょうか。都心の下町ということで、町の風情は大きく変わってきており、表通りに面した建物は高層になりつつありますが、代々その土地に住み続けている人同士の交流は生きています。町内会も、活発とはいえないまでもきちんと機能しています。

 外を歩いていて、近所の人と挨拶ができるのは、本当に嬉しいものです。そこには子供の頃の思い出を思い起こさせてくれる懐かしさがあります。

昔、実家でも育てていたアガパンサス
さて、デメリットですが、こちらの方が皆様の関心が高いのでは ? と想像しますが、書き出すと止まらなくなりそうなので、ごく控えめに書きたいと思います。

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の通り、過去の自分を知っている人たちに囲まれているというのは、安心でもあり、窮屈でもあります。特に私の場合は、聖書にある「放蕩息子」ならぬ放蕩娘だったので、後ろめたさは常につきまといます。
夫からは、「普通に幸せそうに暮らしていれば、皆、過去のことなんか忘れるもんだよ。でも同じ過ちを犯したら、過去の過ちのこともすぐに思い出してしまうだろうね」、と言われています。
  確かにそうだろうな、と思いますし、そうした手応えを感じることがあります。

珍しいブルーローズ
翻って、過去の私は、否、現在も、気軽に引っ越しをしている人が羨ましくてなりません。どんな理由でも良いのです、数年住んだら別の土地へ移動する。
 私の場合は、東京に家があるということで引っ越しをしなくて済んだ、といえば聞こえは良いのですが、19才で母親が他界してからは、本当に別の土地に暮らしたかった。母の思い出に、窒息しそうになるぐらい、苦しんだからです。
 37才で結婚してパリに住むようになるまで、それこそ一所懸命、そう、どんなに辛くても同じ地に住み続けました。そういう意味では、石の上にも三年といったものに通じる信念というか執念 ? といったものが鍛えられたと思っています。

 そういう意味では、過去の私に何も引けを取ることはないのかもしれません。
 フランス語で、culpabilité (これはフランス人ぽい概念ですので訳すのが難しいですが、直訳は「罪意識」、意訳としては「気まずさ」よりも強い意味があります。キリスト教国らしい概念です)このキュルパビリテ、人間としては厄介なものですが、これがない人というのは、むしろ面白みのない、平板な人と言えるのではないでしょうか ?

梅ジュース
  昨日、父を思い出して梅ジュースを作りました。梅酒ではないので、1か月したら飲めるそうですが、作った後にさて、どこに置いておこうか、悩みました。冷暗所がこのマンションの部屋には見当たらない ? !

 とにかくデメリット、恥ずかしい思いを抱えながらそれを手懐け、そんなこともあったよね、と笑い飛ばせる、あるいは否定せずに肥やしにして行くのが真の大人と言えるのでしょう。しかし、それを支えてくれるような、人的な環境が必要なことは言うまでもありませんし、昨今の諸々の事件を見ると、そうした環境作りが急務であると言えるでしょう。全てが「自己責任」とする考えには、正直馴染めません。。

 先に挙げた、「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」の続き、ご存知でしょうか。
 「そして悲しくうたふもの」です。
 今や、故郷は私にとって、パリになりつつあるのかもしれません。

  良い午後をお過ごしください。
  Bonne soirée ! !






2019年6月25日火曜日

断捨離の果てに  à la fin de " DAN-SHA-RI"

家の近所の紫陽花、ハイドランジア
今日は梅雨の晴れ間、という感じで、昨日までの雨が嘘のように晴れている東京です。

満開時
写真の紫陽花は、地元の、リハビリに通っている接骨院のそばのお宅の玄関前に咲いていたもので、今はもう、枯れ始めています。満開時のものです。

 このハイドランジア、亡き父と生前、園芸に凝っていた時に、どうしても手に入れられなかった花で、
今でこそポピュラーですが、20年以上前はまだ希少でした。
 こうして大株に育つと、剪定の仕方によるのでしょうが、真っ白なクリスマスツリーのようで、見るたびに心が弾みます。
とても上手に育てておられますよね。
 背景の濃いグレーの外壁が、
花の白さを一層引き立てているようです。

 さて、昨日は、タイトルにあるように、断捨離、しかも大きな断捨離としては最後になったと思われる断捨離を決行しました。
このマンションに残していた、実家に置いていた和の違い棚を処分したのです。


 この違い棚は、実家から持ってきていた数少ない家具でも、仏壇を別にすれば最後まで残っていた家具でした。ここに、亡父の、世界中を旅して集めた土産物品を飾っていたのでした。その土産物品たちは、仏壇の下の引き戸の中に丁寧に収めて、このようなまっさらな状態で記念写真を撮りました。

 処分をする !  と決めてから、実際に処分業者に来てもらうまで、たったの二日間しかありませんでしたが、その間ずっと、心は静かに興奮していました。いよいよこの家具も処分するのか? と、かなり逡巡もしましたし、兄や夫とも繰り返し連絡をして心を落ち着かせていました。それほどまでに、決意のいることでした。

  
 結果、やって良かった、処分して良かった、と思いました。父との和解は成立していたものの、父を象徴する物が常に視界に入っているのはおそらく、無意識のレベルでは辛かったのだと思います。なくなって、心からホッとしました。一抹の寂しさには責任を持たなくてはなりませんが。

 不思議なことに、ここ数年来悩み続けていた、「自分と手芸との関係」に、答えが出ました。「やりたい時にやればいい」、「やりたくない時でも、毛糸や編み棒などを捨てたりせず、大事に取っておこう」。つまり、「やるかやらないか ? やらないなら全捨てすべきでは ? 」という、ゼロか100か、というどちらかの極論に自分を持って行こうと躍起になっていたのが、その中間の、緩やかな選択肢に落ち着いたのです。

ちょっと距離を置いて考えれば、ごくごく当たり前の結論なのですが、それがここ3、4年できなかった。不思議です。
「やっぱり、何やかんや言っても好きなのだから」と、初心にかえることができたのです。


 好きなものは好きと言えなかった自分、否、好きと分かっていても身体が辛くて出来なかった自分に、「できる範囲で良いんだよ、やりたくない時は無理してやらないでやりたくなるまで放っておいて良いんだよ」父から、そう答えをもらったように思います。

実際に、様々な示唆やヒントをくださった友人たちにも心から感謝したいと思います。

鬱陶しい梅雨も、元気に乗り切れそうです。





2019年5月16日木曜日

実家のバラとデコルテについて  Des rosiers en fleurs et le décolleté

隣家のバラ Rose des voisins

日本(東京)はバラの季節ですね。
実家のマンションのお隣さんには、園芸に熱心なご主人がいて、うちがまだ古い一軒家だった頃育てていたバラをいくつか引き取って育てて下さっています。
上の写真はご主人が購入されたものですが、私自身もこうした色合いのバラが大好きなのでトップに載せました。こんな色合いのバラで思い出すのが、「ニンフの腿 cuisse des nymphe 」という名のバラです。美しい少女の腿、なんて、若々しさにも艶やかなこの色合いにぴったりのネーミングだと思いませんか ?





右の2枚は多分、うちにあった、
「ピエール・ド・ロンサール Pierre de Ronsard」と
黄色は「グラハム・トーマス Graham Thomas」だと思います。
(咲いてからまだご主人に確かめていないので)

こんな風に、お隣さんに限らず、ご近所との交流が残っているここ、下町に暮らせることは、今となっては幸せなことだと
つくづく思います。

ところで、こうした下町の人情の他に
このブログに書きたくなったこと。
それは件名にあるように、「デコルテ」についてです。

日本ではローブ・デコルテ robe décolletée という言い方で知られていますが、今月から令和となり、その式典で皇后はじめ、皇族の女性たちが着ていましたが、皆様ご覧になったでしょうか。

本来、フランスでローブ・デコルテといえば、その意味のなす通り、襟元を開けたドレスを意味します。
しかし日本の皇族が着用していたのは、ごくごく控えめなローブ・デコルテであって、本来のものと比べると胸元の開き方が小さいですよね。
これは日本文化を象徴しているものの一つと私などは見ているのですが、西洋の女性のように、胸の谷間までぐっと見せることは日本には馴染まないようです。

その視点で見ると、話は大分飛びますが、あの Me too で一躍時の人となった伊藤詩織さんへのバッシングの一つに、着ている服の胸の開きが大きい、というのがありました。海外暮らしが長い私の目からすれば、あの程度の胸の開き、つまりデコルテは何でもないことなのですが、日本の文化にどっぷり浸かっている人たちからすれば非難の対象になるのだ、と妙に感心したことを覚えています。

私自身の経験を書きますと、
先日総武線に乗っていたところ、遠目でも目立つほどの色の白い若い女性がある駅から乗ってきました。

「きれいだな(色が白くて眩しいな)」と思って何気なく目をやったら、すぐ隣に立ったのです。そしてすぐに目のやり場に困りました。
小柄な女性だったので、長身の私は彼女の胸元を見下ろす形になったのですが、日本女性としてはハッとするぐらい空いていたのです。谷間が見えるほどに。
女性ながらドキドキしましたね。
本当に目のやり場に困りました。


この体験から思うんですが、胸元を見せるなら、健康的でなくてはならない、ということ。普段から人に見せ慣れていて、夏のバカンスには避暑地の海でたっぷり日焼けして、という西洋女性のような、あっけらかんとした美しさというのが必要なんではないか ?

まだまだ奥ゆかしさが残っている(そう、残っていると思うんです)、あるいは隠す美学という背景のある日本において、大きなデコルテは下手をすると悪目立ち、もっと言うといやらしくなってしまう危険性がある、ということですね。

伊藤詩織さんに関して言えば、容姿端麗、流暢な英語、これだけで世の女性たちの反感、つまりはコンプレックスと嫉妬なわけですが、それが加味されていると私は思います。

でも結論としては、日本ではデコルテはほどほどが良いんじゃないでしょうか、ということでした。

良い週末をお送りください。
Bon week-end !!