近所の花 プルンパゴ |
今回の更新では、
生まれ育った土地と全く同じ土地に住むということのメリットとデメリットを考えてみました。
メリットは、ここでも散々書いてきているように、下町の人情が至るところで味わえる、ということでしょうか。都心の下町ということで、町の風情は大きく変わってきており、表通りに面した建物は高層になりつつありますが、代々その土地に住み続けている人同士の交流は生きています。町内会も、活発とはいえないまでもきちんと機能しています。
外を歩いていて、近所の人と挨拶ができるのは、本当に嬉しいものです。そこには子供の頃の思い出を思い起こさせてくれる懐かしさがあります。
昔、実家でも育てていたアガパンサス |
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の通り、過去の自分を知っている人たちに囲まれているというのは、安心でもあり、窮屈でもあります。特に私の場合は、聖書にある「放蕩息子」ならぬ放蕩娘だったので、後ろめたさは常につきまといます。
夫からは、「普通に幸せそうに暮らしていれば、皆、過去のことなんか忘れるもんだよ。でも同じ過ちを犯したら、過去の過ちのこともすぐに思い出してしまうだろうね」、と言われています。
確かにそうだろうな、と思いますし、そうした手応えを感じることがあります。
珍しいブルーローズ |
私の場合は、東京に家があるということで引っ越しをしなくて済んだ、といえば聞こえは良いのですが、19才で母親が他界してからは、本当に別の土地に暮らしたかった。母の思い出に、窒息しそうになるぐらい、苦しんだからです。
37才で結婚してパリに住むようになるまで、それこそ一所懸命、そう、どんなに辛くても同じ地に住み続けました。そういう意味では、石の上にも三年といったものに通じる信念というか執念 ? といったものが鍛えられたと思っています。
そういう意味では、過去の私に何も引けを取ることはないのかもしれません。
フランス語で、culpabilité (これはフランス人ぽい概念ですので訳すのが難しいですが、直訳は「罪意識」、意訳としては「気まずさ」よりも強い意味があります。キリスト教国らしい概念です)このキュルパビリテ、人間としては厄介なものですが、これがない人というのは、むしろ面白みのない、平板な人と言えるのではないでしょうか ?
梅ジュース |
とにかくデメリット、恥ずかしい思いを抱えながらそれを手懐け、そんなこともあったよね、と笑い飛ばせる、あるいは否定せずに肥やしにして行くのが真の大人と言えるのでしょう。しかし、それを支えてくれるような、人的な環境が必要なことは言うまでもありませんし、昨今の諸々の事件を見ると、そうした環境作りが急務であると言えるでしょう。全てが「自己責任」とする考えには、正直馴染めません。。
先に挙げた、「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」の続き、ご存知でしょうか。
「そして悲しくうたふもの」です。
今や、故郷は私にとって、パリになりつつあるのかもしれません。
良い午後をお過ごしください。
Bonne soirée ! !
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