2014年1月30日木曜日

浅草寺参り


先日の晴天の時に撮った写真です。この日はまさに西高東低の冬型の天気で、空はまさに快晴。雲一つない青空に、ピーンと張りつめた冷たい空気が気持ち良い1日でした。

こんな青空は、パリで見られることは滅多にありません。少なくとも冬の間には。この時期日本で過ごせる幸せを肌に一杯感じて、週に1回は浅草寺参りをします。実家から歩いて10分ちょっと。ちょうど良い散歩コースですし、仲見世を歩けば、大勢の人で溢れているから気分も盛り上がります。
世はアベノミクス効果で円安。日本に観光に来る外国人が過去最多とか。
東京で、その効果をもっとも感じるのが、ここ浅草界隈でしょうか。東京から日本情緒が消えて久しいですが、ここ、浅草には、しっかりとした伝統とそれを受け継いでいる人々がいます。
写真の神社は、浅草寺の、向かって東側に坐している浅草神社で、日本三大祭りの一つの、三社祭のお神輿をここに収めることでも有名です。
 

こちらは、神社から、入り口の鳥居の方を見て撮ったものです。左にあるのは能舞台です。
こうして見てみると、日本の神社・仏閣は、どれも良く似てますね。今話題になっている靖国神社にも、もう少し大きいですが、こんな能舞台がありましたっけ。
京都・奈良は言わずもがなですが、日本古来の建造物 は、やはり美しいですね。東京にいながらにしてその美しさを堪能できる土地に住んでいることに感謝です。

もう1月も終わりなので、そろそろツルバラの剪定をしなくては、と思っています。父が、生前、ぐんぐん伸びる枝を、折れないように垂直にひもで結んであるのをほどいて、ほぼ水平方向に倒します。そうすることで、枝にくまなく日光が当たり、花芽が促進されるのです。
これは毎年寒い時期にする恒例の園芸作業。
公園のあちらこちらでも、枝の剪定をしているのを見かけます。手がかじかまないようにしっかり防寒して。でも今は、気温がちょっと高め。雨が降っているようです。。



 

2014年1月19日日曜日

東京ミッドタウン


昨日は久しぶりに遠出をしました。
普段は地元のスカイツリー近辺や浅草、錦糸町といったところしか散歩をしないのですが、友達に誘われて、六本木にある東京ミッドタウンに行ってきました。昔は、六本木に行くのに、地下鉄の日比谷線しかなかったために、ちょっと時間がかかったのですが、今は大江戸線で両国から1本で行けます。電車に乗っている時間も、20分ちょっと。かなり近くなりました。
とはいえ六本木です。馴染みがあるとは言えない地区なので、やはり行くのにちょっと緊張しました。でも地下から歩いてこのミッドタウンに出て、ガレリアという地区から外に出たら気分は一転。都会らしい景色と、美しい自然との調和に、気持ちが明るくなりました。もともと、都会生まれの都会育ちなので、本物の自然が一番好きだし、感動するのですが、こうして、高層ビル群と自然がうまく調和したのを見るのも大好きです。散歩をしていて、いろんな言語が飛び交っているのも気に入りました。でも浅草もそうなのですが(笑)。なにせ環境が違います。

でもどうなんでしょうね。自分自身は下町の古い日本家屋に住んでいて思うのは、あまりにも西洋的というか、むしろ近代化された建物に住むというのは、どうなんだろう、と。もちろん、今や日本の生活様式は、完全に西洋化されているわけですが、10年、パリという大都会に住んだ経験から、日本に住むなら、自然に囲まれた日本家屋、あの懐かしい縁側があるような家に住みたいな、と思っています。(夫も同意見です) よく日本好きの外国人が好むような生活スタイルですね。京都にお住いの、ベネシアンさんの住まいは、本当に憧れです。

こうして、父の他界後、1人でこの家に暮らしていると、もっと突き詰めていうと、人間の幸せは、外的な環境に左右されないのではないかな、と思い始めました。父がいた頃は、「こんな家!」と、本当に嫌だったし、建て替えてほしかったけれど、今、父がいなくなってみると、とても居心地が良くなりました。そんなことを書くと父には申し訳ないけれど、父がいなくなったことで、初めて味わえる自由に、心底、環境じゃない、心の問題だ、と思いました。もちろん、父がいなくなった、ということそのものが環境の変化なのですが、こんな家とおもっていたのが、生まれ育った家に住んでいる幸せを感じられるようになりました。考えてみれば、ここには、先祖代々、100年以上ここに生きているのです。
どんなにぼろ家(!)でも、住んでいる人間にとって、そこが自分の本当の居場所になってさえいれば、関係ない、と思っています。少なくとも雨風はしのげるわけですから。贅沢って、ホント、キリがないですからね。。

因みに写真は、家のすぐ近所の小料理屋です。亡父が、生前、よく懇意にしていたお店です。
今更、の写真ですが、なんとなく。まだ1月ですしね。

 

 

2014年1月4日土曜日

明けましておめでとうございます!!


新年明けましておめでとうございます!!
喪中ですが、でも新しい年を迎えられたことは、やはりめでたいことなので、敢えてこう書きました。
皆様、新年をどのように過ごしていらっしゃいますか?

上の写真は、もちろんスカイツリー。福島から帰省中の兄に教えてもらい、ツリーをこんな形で見えるオブジェの下に立って、上を見上げて撮影しました。青空に映えた白い石の合間から見えるツリーの頂上。一瞬、「ここはどこだろう?」と思ってしまいました。
日本のお正月、三が日は気持ちよく晴れましたね。日本の冬の青空は格別美しいと感じます。
日本にいる間に、今年1年の足場を固められたら、と思います。

今年一年も、どうぞよろしくお願いいたします。
皆様の幸せを、心からお祈り申し上げます。

 

2013年12月17日火曜日

素晴らしい晴天


今回、父のことがあって帰国して以来、初めて隅田川沿いを散歩しました。この時は見事な晴天で、気分も上向きだったので、思い切って散歩に出かけました。
でも案の定、隅田川を見ながらの散歩を始めたら、どうしても父のことを思い出してしまい、涙が止まらなくて困りました。こんな状態ばかりを紹介するブログは、読んでいる方にとってもあまり良いとは思われないので更新できずにいましたが、この素晴らしい晴天をお見せしたくてアップしました。

撮影した場所は、隅田川にかかる橋の1つ、桜橋という、歩行者だけの幅の広い橋を台東区側に渡って、下流方向(写真の右側)へ歩き始めた位置です。スカイツリーを撮るのに絶好の場所です。観光客がほとんどいない、地元の人だけが知っているような所です。
じっと見ていると目に染みるような空の青さと、太陽の光が川面に反射してキラキラしていて、本当にまぶしい光景でした。父はこの、青空の向こうにいるんだ、と思いながら、涙と感謝のうちに歩きました。



すみません。どうしても悲しみに傾いていまいますね。
でも気分を変えます!

先日、親しい友人とパンダバスに乗りました。前々から気になっていたのですが、大体1時間に1本しか走っていないので、機会を待っていました。この日は後20分ぐらいで来るとわかったので、友達とカフェで時間を潰して待ちました。ここは吾妻橋のたもとにある交番のところにあるバス停で、「水上バス乗り場」といいます。目の前の水上バス乗り場には、バスを待つ人々の列がありました。

写真左手はその交番に向かってバスが来たところ。右手は、行き先のスカイツリーのある橋のたもとで降りた後に撮りました。乗ったパンダは女の子。天井に赤いリボンがついています。
友達とは、子供の様にはしゃいで乗り心地を楽しみました。まぁ普通のバスの小型車ですが、座席の背には、パンダの耳がついていたりして、童心に帰った気分でした。
浅草からスカイツリーまでは、ものの7分ぐらいの道のりでしたが、道行く人の、パンダバスを見る表情を楽しみながらの短い旅でした。たまにはこんな気分に浸る時間が、必要ですよね。

今晩から東京は寒波で、雪がちらつく天気になるとか。今のうちに外出の予定を済ませる必要がありそうですね。北陸の雪も、何十年も見られないようなこの時期としては珍しい豪雪とか。夏だけでなく、冬の異常気象も始まっていますね。

家の片づけ。何とか進ませたいです。

 

2013年12月9日月曜日

近所の公園


家から5分ほどのところにある公園です。目の前には、父、2人の兄が通った小学校もあるので、長い歴史のある地でもあります。でも私にとっては本当に小さいころにしか遊んだ記憶がありません。せいぜい小学校低学年ぐらいまででしょうか。小学校から電車通学をして遠くの学校に通っていたためです。その頃は、この公園の真ん中にはコンクリートでできた小山があって、様々な角度から上れるように工夫がしてありました。もう40年ぐらい前になるので、もうその小山は壊されてありませんし、このように開放的な雰囲気になりましたが、当時はその小山がとても高くて、てっぺんまで上った後、降りるのが本当に怖かったのを覚えています。
他の遊びとしては、公園をぐるりと囲んである高さ30センチほどの囲いの上を、下に落ちないように1周する、というのがありました。子供ながらにバランスをとるのが難しく、色々な樹木につかまりながら従妹と遊んだ記憶があります。それだけのことでしたが、とってもスリリングで、落ちそうになると悲鳴を上げるほど真剣だったのを覚えています。

久しぶりにこの公園の前を通って、お母さんと子どもたちが陽だまりで遊んでいるのを見て、急に撮りたくなりました。この頃は単に買い物に行くときでも、デジカメを持ち歩いています。
なんて平和なんだろう、と心が動かされました。父のいない世界にも慣れつつあるとはいえ、思い出の多い土地にあって、何かにつけて父を思い出します。父が長年にわたって書き綴っていた日記は、まだとても読めません。ちょっと開いて読んだだけでも号泣してしまうので。


散歩の途中で出会った、目の覚めるような黄色の菊に出合いました。
自然の色は、どの色だって目に優しいはずですが、これは本当に目にまぶしかったです。
下町は、路上にこまごまと工夫を凝らして花を育てている家が多く、歩いていて飽きません。ちょっと気になったものは、すぐに撮れるように心がけています。人がいる時は、声をかけると、そこで触れ合いが生まれて楽しいものです。

とにかく今は、家や自分自身をいつもきれいに整えていたいと思っています。ともすると、虚しさで何もかもがどうもよく、構わなくなってしまいそうになるので。。




2013年12月4日水曜日

隅田川  


ちょっと暗い感じですが、晴天、昼前の隅田川です。左上の高速道路のせいで、日がさえぎられているため暗くなっています。 でも何となくうらぶれた雰囲気が渋いと思って載せます。
家に一番近い、厩橋のたもとから降りたところで、手前には屋形船が並んでいました。ちょうど、船着き場になっていて、昔は釣堀でもありました。
この親水公園ができてから、何キロにもわたって水辺を歩くことができます。走るのも、もちろん爽快です。西の玉川と違って、こちらは都心の川なので、とても都会的な、整備された川となっています。


ポールの上にはカモメが。
河口に近く、海の香りもします。






歩く幅が大きいので、あちらこちらに花壇がありますが、
冬はやはりこの花、パンジーですね。
結婚前、父とガーデニング(園芸)に凝っていたので、パンジーやビオラなど、花の少なくなるこれからの季節に鉢植えで楽しんだことを思い出します。春に咲く球根を植え付けるのもこの時期でした。


家の近所を歩いていると、やはりどうしても父の面影が現れます。
日本の秋、冬の晴天に、心が癒されているとはいえ、
父がこの世にいない、ということが、未だに信じられない思いがします。やはり父は私にとって大きな存在だったのだな、と思います。

でもこの静かな安心感。
もう父はこの世にはいないけど、いつも一緒にいてくれているという確信。これが私に生きる勇気を与えてくれます。

明日は葬儀屋さんが来て、いよいよ祭壇を片付けます。この祭壇がなくなると、いつもの日常が戻ってくるかな、と思います。

2013年12月2日月曜日

待降節  L'Avent


前回のメールではご心配をおかけしまして、申し訳ございませんでした。昨日から始まった待降節により、気分を持ち直しました。友達と、近所の教会のミサに出席した後、地元のスカイツリーに繰り出しました。

これはすでに日が暮れた様子、スカイツリーの4階のアリーナという広場での様子です。
この日は歌手が向かって左手で生出演していることで、皆さん、左方向を向いている訳です。
この季節によく言われることで、言われ過ぎているためにあまり価値がなくなっていることですが、日本人は、クリスマスは年間行事の1つとして、キリスト教に関係なく、お祭り騒ぎをして楽しむ、ということが定着していますよね。今更批判する気にもなりませんが、祭りの1つとして捉えるならば、人の心に何らかのプラスの影響を与えるものとして好意的に解釈しても構わないのかもしれません。ただ、私としては、このきらびやかさが自分の心に慰めを与えてくれた、というより何か寂しさ、虚しさが一層募ったような気がしました。もちろん、綺麗だとは思いましたが。。


 












建物の4階にあるので、いわば空中庭園ということで周囲のピル群も背景として都会的なクリスマスのイメージが先行しています。

スカイツリーは、去年創業して以来、連日の人込みで、人気は全く衰えていないようです。
日本一高い電波塔としての人気ぶりだと思いますが、私も含め、皆さん、高いところ、お好きなようで。私もパリにいた頃は、エッフェル塔が大好きで、夫と一度だけですがてっぺんまで上ったのをよく覚えています。上までたどり着くのに、1時間以上待つのは当たり前の状態なので、滅多に上れないのですが、この時は2月という厳寒期だったため、割とすぐに上れたと記憶しています。

このスカイツリー。やはりものすごい人気ですが、日本人らしく、システマティックに整理され、上に行くのにチケット制、時間が来たら並んですぐに上れるので、エッフェル塔よりはかなり手軽に上れそうです。

キリスト教徒としてのコメントは敢えて控えますが、この季節、母の祥月命日も控えていることもあり、あまりお祭り気分にはなれませんが、逆に心を静めて1人、実家で片づけをしながら過ごしたいと思います。こうした機会を与えてくださった神様に感謝しながら。