2013年12月17日火曜日

素晴らしい晴天


今回、父のことがあって帰国して以来、初めて隅田川沿いを散歩しました。この時は見事な晴天で、気分も上向きだったので、思い切って散歩に出かけました。
でも案の定、隅田川を見ながらの散歩を始めたら、どうしても父のことを思い出してしまい、涙が止まらなくて困りました。こんな状態ばかりを紹介するブログは、読んでいる方にとってもあまり良いとは思われないので更新できずにいましたが、この素晴らしい晴天をお見せしたくてアップしました。

撮影した場所は、隅田川にかかる橋の1つ、桜橋という、歩行者だけの幅の広い橋を台東区側に渡って、下流方向(写真の右側)へ歩き始めた位置です。スカイツリーを撮るのに絶好の場所です。観光客がほとんどいない、地元の人だけが知っているような所です。
じっと見ていると目に染みるような空の青さと、太陽の光が川面に反射してキラキラしていて、本当にまぶしい光景でした。父はこの、青空の向こうにいるんだ、と思いながら、涙と感謝のうちに歩きました。



すみません。どうしても悲しみに傾いていまいますね。
でも気分を変えます!

先日、親しい友人とパンダバスに乗りました。前々から気になっていたのですが、大体1時間に1本しか走っていないので、機会を待っていました。この日は後20分ぐらいで来るとわかったので、友達とカフェで時間を潰して待ちました。ここは吾妻橋のたもとにある交番のところにあるバス停で、「水上バス乗り場」といいます。目の前の水上バス乗り場には、バスを待つ人々の列がありました。

写真左手はその交番に向かってバスが来たところ。右手は、行き先のスカイツリーのある橋のたもとで降りた後に撮りました。乗ったパンダは女の子。天井に赤いリボンがついています。
友達とは、子供の様にはしゃいで乗り心地を楽しみました。まぁ普通のバスの小型車ですが、座席の背には、パンダの耳がついていたりして、童心に帰った気分でした。
浅草からスカイツリーまでは、ものの7分ぐらいの道のりでしたが、道行く人の、パンダバスを見る表情を楽しみながらの短い旅でした。たまにはこんな気分に浸る時間が、必要ですよね。

今晩から東京は寒波で、雪がちらつく天気になるとか。今のうちに外出の予定を済ませる必要がありそうですね。北陸の雪も、何十年も見られないようなこの時期としては珍しい豪雪とか。夏だけでなく、冬の異常気象も始まっていますね。

家の片づけ。何とか進ませたいです。

 

2013年12月9日月曜日

近所の公園


家から5分ほどのところにある公園です。目の前には、父、2人の兄が通った小学校もあるので、長い歴史のある地でもあります。でも私にとっては本当に小さいころにしか遊んだ記憶がありません。せいぜい小学校低学年ぐらいまででしょうか。小学校から電車通学をして遠くの学校に通っていたためです。その頃は、この公園の真ん中にはコンクリートでできた小山があって、様々な角度から上れるように工夫がしてありました。もう40年ぐらい前になるので、もうその小山は壊されてありませんし、このように開放的な雰囲気になりましたが、当時はその小山がとても高くて、てっぺんまで上った後、降りるのが本当に怖かったのを覚えています。
他の遊びとしては、公園をぐるりと囲んである高さ30センチほどの囲いの上を、下に落ちないように1周する、というのがありました。子供ながらにバランスをとるのが難しく、色々な樹木につかまりながら従妹と遊んだ記憶があります。それだけのことでしたが、とってもスリリングで、落ちそうになると悲鳴を上げるほど真剣だったのを覚えています。

久しぶりにこの公園の前を通って、お母さんと子どもたちが陽だまりで遊んでいるのを見て、急に撮りたくなりました。この頃は単に買い物に行くときでも、デジカメを持ち歩いています。
なんて平和なんだろう、と心が動かされました。父のいない世界にも慣れつつあるとはいえ、思い出の多い土地にあって、何かにつけて父を思い出します。父が長年にわたって書き綴っていた日記は、まだとても読めません。ちょっと開いて読んだだけでも号泣してしまうので。


散歩の途中で出会った、目の覚めるような黄色の菊に出合いました。
自然の色は、どの色だって目に優しいはずですが、これは本当に目にまぶしかったです。
下町は、路上にこまごまと工夫を凝らして花を育てている家が多く、歩いていて飽きません。ちょっと気になったものは、すぐに撮れるように心がけています。人がいる時は、声をかけると、そこで触れ合いが生まれて楽しいものです。

とにかく今は、家や自分自身をいつもきれいに整えていたいと思っています。ともすると、虚しさで何もかもがどうもよく、構わなくなってしまいそうになるので。。




2013年12月4日水曜日

隅田川  


ちょっと暗い感じですが、晴天、昼前の隅田川です。左上の高速道路のせいで、日がさえぎられているため暗くなっています。 でも何となくうらぶれた雰囲気が渋いと思って載せます。
家に一番近い、厩橋のたもとから降りたところで、手前には屋形船が並んでいました。ちょうど、船着き場になっていて、昔は釣堀でもありました。
この親水公園ができてから、何キロにもわたって水辺を歩くことができます。走るのも、もちろん爽快です。西の玉川と違って、こちらは都心の川なので、とても都会的な、整備された川となっています。


ポールの上にはカモメが。
河口に近く、海の香りもします。






歩く幅が大きいので、あちらこちらに花壇がありますが、
冬はやはりこの花、パンジーですね。
結婚前、父とガーデニング(園芸)に凝っていたので、パンジーやビオラなど、花の少なくなるこれからの季節に鉢植えで楽しんだことを思い出します。春に咲く球根を植え付けるのもこの時期でした。


家の近所を歩いていると、やはりどうしても父の面影が現れます。
日本の秋、冬の晴天に、心が癒されているとはいえ、
父がこの世にいない、ということが、未だに信じられない思いがします。やはり父は私にとって大きな存在だったのだな、と思います。

でもこの静かな安心感。
もう父はこの世にはいないけど、いつも一緒にいてくれているという確信。これが私に生きる勇気を与えてくれます。

明日は葬儀屋さんが来て、いよいよ祭壇を片付けます。この祭壇がなくなると、いつもの日常が戻ってくるかな、と思います。

2013年12月2日月曜日

待降節  L'Avent


前回のメールではご心配をおかけしまして、申し訳ございませんでした。昨日から始まった待降節により、気分を持ち直しました。友達と、近所の教会のミサに出席した後、地元のスカイツリーに繰り出しました。

これはすでに日が暮れた様子、スカイツリーの4階のアリーナという広場での様子です。
この日は歌手が向かって左手で生出演していることで、皆さん、左方向を向いている訳です。
この季節によく言われることで、言われ過ぎているためにあまり価値がなくなっていることですが、日本人は、クリスマスは年間行事の1つとして、キリスト教に関係なく、お祭り騒ぎをして楽しむ、ということが定着していますよね。今更批判する気にもなりませんが、祭りの1つとして捉えるならば、人の心に何らかのプラスの影響を与えるものとして好意的に解釈しても構わないのかもしれません。ただ、私としては、このきらびやかさが自分の心に慰めを与えてくれた、というより何か寂しさ、虚しさが一層募ったような気がしました。もちろん、綺麗だとは思いましたが。。


 












建物の4階にあるので、いわば空中庭園ということで周囲のピル群も背景として都会的なクリスマスのイメージが先行しています。

スカイツリーは、去年創業して以来、連日の人込みで、人気は全く衰えていないようです。
日本一高い電波塔としての人気ぶりだと思いますが、私も含め、皆さん、高いところ、お好きなようで。私もパリにいた頃は、エッフェル塔が大好きで、夫と一度だけですがてっぺんまで上ったのをよく覚えています。上までたどり着くのに、1時間以上待つのは当たり前の状態なので、滅多に上れないのですが、この時は2月という厳寒期だったため、割とすぐに上れたと記憶しています。

このスカイツリー。やはりものすごい人気ですが、日本人らしく、システマティックに整理され、上に行くのにチケット制、時間が来たら並んですぐに上れるので、エッフェル塔よりはかなり手軽に上れそうです。

キリスト教徒としてのコメントは敢えて控えますが、この季節、母の祥月命日も控えていることもあり、あまりお祭り気分にはなれませんが、逆に心を静めて1人、実家で片づけをしながら過ごしたいと思います。こうした機会を与えてくださった神様に感謝しながら。



2013年11月30日土曜日

虚しさ


浅草にもっとも近い橋、吾妻橋の真ん中あたりで撮りました。実家からは歩いて10分ちょっとです。夕方4時前後の夕暮れだったと記憶しています。ぶらぶら1人で歩いていて、あまりに空の紅色が美しくて撮りました。何枚か撮って先に進もうとしたら、いつの間にか同じようにして携帯で写真を撮っている人たちがいました。皆、同じように感じるのだな、と嬉しくなりました。

パリでも、美しい風景に出合うと、すぐにデジカメを取り出して写していましたが、こうした夕暮れの風景は、どこの国でも美しいですね。パリだと、セーヌに架かる橋から、よく感嘆して眺めたものです。

父とも、結婚前に、母の代わりとしてよく海外旅行をして、その時に夕暮れの景色を一緒に味わいました。日の出の美しさは言うまでもありませんが、夕暮れのそれは、暮れていく寂しさを伴って一層美しく見えたものです。

父が他界し、あんなに気を遣っていた相手がいなくなると、寂しいものですね。他人が評するところの父親像と、娘の私が感じていた父親像が、必ずしも一致しないところもあって、尚一層、自分の気持ちを察してくれる人が限られています。しょうがないのかもしれません。でもそれでも、「一生懸命、子供たちのために生きてくれた、本当にありがとう!!」という気持ちで一杯です。遺影を見ながらついて出る言葉はもう、それしかありません。

父が死んで3週間が経ちました。
自由が嬉しいと言いながら、今は虚しさをかんじています。何にも興味が持てない。つまらない。
食事をしていても、1人だと義務感でしている感じです。


あまり暗くなっても申し訳ないので。。
でもなるべく1日に1回は外を歩いています。これは、近所の家の昼顔(?)。こういう色をヘブンリーブルーというのでしょうか。やはり美しいので撮りました。
散歩は好きです。日本の朝の明るさに救われています。

2013年11月25日月曜日

震災記念堂


家から歩いて行ける距離にある、慰霊堂です。1923年に起きた、関東大震災で多くの犠牲を出した地として、この公園が造られました。因みに亡き父が生まれたのもこの年で、震災の1週間後に生まれたので、「震災っ子」と呼ばれたそうです。祖母は、大きなお腹で地震の中を逃げ回ったのだと思うと、その生命力の強さに感心します。何はともあれ、母強し、ですね。
でも忘れてはならないのは、この地震で、罪なき人々が汚名を着せられて殺されたこと。こうした影の歴史も、しっかり伝えて行かなくてはならないと思います。


本当に見事な銀杏並木ですが、近所のお母さんが、小さな子供たちを遊ばせている時間でもありました。思い思いに自転車を置きっぱなしにして、左奥にある砂場で子供たちは歓声を挙げて遊び回り、お母さんたちは日向ぼっこをしていました。
この裏手にある学校を挟んで、隅田川沿いにある同愛記念病院は、私や兄たちが生まれた病院です。すっかり綺麗に改築されて、昔の面影はありません。


銀杏(ぎんなん)を拾っているのでしょうか、女の子が、お父さんの監視のもと、地面にかがんでいるのを撮ってみました。中々絵になるなぁと思いながら。
とにかく、パリも黄葉の季節だと思いますが、これほど銀杏を並木として植えている個所はないだろうと思います。銀杏はフランス語では Ginko 、銀行みたいで面白いなと、覚えたとき思いました。

生まれて初めて味わっている1人暮らし、でも生まれ育った家なので、やはり思い出が多く、自由とはいえ寂しさを味わっています。自由と引き換えに得た心境なのでしょう。やはり自由を得るには大きな犠牲か、喪失を経験するのかもしれません。

深まりゆく日本の秋を味わえることに感謝しながら。


 


2013年11月23日土曜日

浅草寺


家の近所で一番の観光スポットといえば、今はもうスカイツリーとなってしまいましたが、お隣の台東区の浅草寺は、やはり今でも大人気です。実家からは歩いて12~3分。地元とはいえませんが、近場の遊び場としてはかなり重要です。お参りという義務感がなくても、単にぶらぶらと仲見世を歩くだけでレジャーランドに来たような楽しさを味わえます。

 宵闇迫る仲見世の様子はこんな感じです。

ここに来ると色々な国籍の人がいるので、パリを思い出し、ホッとします。 ここは日本だけど、世界は日本人だけではないんだ、ということを思い出させてくれます。とても良いことだと思います。
でも正直、日本に帰るたびに、周囲で話されていることが100パーセント理解できる世界というのは、本当に楽だなぁと思うのですが。


去年、夫と旅した京都・奈良を思い出します。こういった文化遺産は、後々の後世までずっと、残されていって欲しいと思います。そんなことを思うようになったのも、年のせいでしょうか。

父の家族や母のお寺も、ここから歩いて行ける距離にあります。
父の納骨は、都合により年明け以降になります。
毎日、父の遺骨に祈り、見守って暮らしています。
不思議なのですが、父の死の悲しみは散々味わった後で、今はとても静かな気持ちでいます。
この生まれ育った家で、たった1人で暮らしている不思議と、初めての1人暮らしに、とても平安で自由な気持ちです。父には、「ありがとう、本当にごめんね!」と祈っています。

夫には申し訳ないですが、初めてぐらいに味わう自由。しばらくの間、この家で猫と暮らそうと思います。