2016年5月30日月曜日

現実をしる、ということ


引き続き、冴えない天気の続くパリです。
今朝も外の気温は13度。日本の梅雨のように、しとしとと雨が降っています。
天気に左右されている訳ではありませんが、しばらくブログの更新をしなかった間も、ずっと今一な天気のパリでした。

日本ではオバマ大統領が広島に訪問したこと以外では、これまた悲惨なニュースが多いようで、気持ちが沈んでしまいます。
パリでも、初のアメリカの大統領が広島に訪問したことを大々的に報道していました。
オバマさんがやはり謝罪をしなかったこと、今後の日米関係は、経済的な結びつきを強化することを、特に取り上げていました。

それ以外でも、日頃から日本のニュースはネットで見ていますが、
そもそもニュースになることって、気持ちが落ち込むようなことの方が多いですね。
前向きに生きようと思ったら、ニュースなんか見ない方が良いのかもしれません。


写真は引き続きリュクサンブール公園のものです。
この時は雨が降っていず、公園の近所のスタンドでクレープを買って、二人でベンチに座ってほう張りました。
天気は冴えなくても、新緑の美しい季節です。


公園の花壇は、定期的に花が取り替えられるのですが、今は黄色を主体としたお花が植えられています。そして大好きなバラも、ちらほらと咲き始めていました。
今年は満開のバラを見に、バラ園に行けるかどうか。夫が今、学年末の論文を提出するために、仕事のほかに、大学の図書館通いをしています。



毎日、生きていると色々なことがありますね。
私は、特にパリで暮らしていると、毎日が新しいことの発見があって、良く言えば飽きませんが、日々鍛えられるなぁ、と、少ししんどい思いがどうしてもあります。
日本にいる時も、生活をしていればしんどい事もありますが、もう少し穏やかに生きらる気がします。
先ほど、悲惨なニュースは見ない方がいいと書きましたが、知らなければいいのか?という疑問もありますね。知らないで、自分は明るく、前向きに生きられればそれでいい、とも思えません。
やはりキリスト教徒としては、世の中の悲惨を知った上で、そういった、被害を受けた人々に寄り添いながら、なおかつ福音を述べ伝える必要があるのでは、と考えます。

先日、フランシスコ教皇が、「人の苦しみに無頓着なのは、キリスト者ではない」というような文面を発表していました。
自分ひとりが世の中の悲惨をしょって歩いている訳ではないと言い聞かせながらも、苦しんでいる人たちと寄り添っていたい、そして悲惨を知った上でも希望を失わずに、人々と連帯して生きていきたい、と強く思います。



ところで、話変わって、突然焼きそばを写します。

私のあまりに悲劇的な様子を心配して、
夫がいろいろと気にかけてくれるのですが、
その一つに、料理をつくってくれる、というのがあります。
これは、日本の食料品店で買い求めた日本の焼きそば用の麺に、フランスの豚肉、キャベツ等でつくったものです。この時は、私はそばで眺めていただけでしたが、二回目は一緒につくりました。

この頃、日本のドラマや、漫画(Kindleで手に入れたもの)をよく見ています。
こういうものを見ていると、パリのアパルトマンが、日本の実家にいるように思えて、心から安心します。今、私の青春時代に流行った漫画、「伊賀のかば丸」を読みふけっています。この漫画は本当に懐かしく、自分の幸せだった10代の頃の記憶を思い出させてくれるだけでなく、単純に笑えるところが大好きです。この、「単純に笑える」、大笑いができるというのは、本当に大事ですよね。
こういう漫画を読むと、難しいことを考えることは誰でもできる、むしろ、頭を空っぽにして大笑いすることの大切さを思います。

前述したことと矛盾するようですが、
一旦は絶望してしまうような世の中ですが、絶望しつつも、希望を失わずにどう生きるか?が問われていると思います。とにかく健康を保とうと思ったら、このスタンスを持たないと、潰れてしまいますね。現実を常にしる、悲惨をみる、しかし世の中捨てたもんじゃないと思う、これしかないように思います。









 


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