2016年5月30日月曜日

現実をしる、ということ


引き続き、冴えない天気の続くパリです。
今朝も外の気温は13度。日本の梅雨のように、しとしとと雨が降っています。
天気に左右されている訳ではありませんが、しばらくブログの更新をしなかった間も、ずっと今一な天気のパリでした。

日本ではオバマ大統領が広島に訪問したこと以外では、これまた悲惨なニュースが多いようで、気持ちが沈んでしまいます。
パリでも、初のアメリカの大統領が広島に訪問したことを大々的に報道していました。
オバマさんがやはり謝罪をしなかったこと、今後の日米関係は、経済的な結びつきを強化することを、特に取り上げていました。

それ以外でも、日頃から日本のニュースはネットで見ていますが、
そもそもニュースになることって、気持ちが落ち込むようなことの方が多いですね。
前向きに生きようと思ったら、ニュースなんか見ない方が良いのかもしれません。


写真は引き続きリュクサンブール公園のものです。
この時は雨が降っていず、公園の近所のスタンドでクレープを買って、二人でベンチに座ってほう張りました。
天気は冴えなくても、新緑の美しい季節です。


公園の花壇は、定期的に花が取り替えられるのですが、今は黄色を主体としたお花が植えられています。そして大好きなバラも、ちらほらと咲き始めていました。
今年は満開のバラを見に、バラ園に行けるかどうか。夫が今、学年末の論文を提出するために、仕事のほかに、大学の図書館通いをしています。



毎日、生きていると色々なことがありますね。
私は、特にパリで暮らしていると、毎日が新しいことの発見があって、良く言えば飽きませんが、日々鍛えられるなぁ、と、少ししんどい思いがどうしてもあります。
日本にいる時も、生活をしていればしんどい事もありますが、もう少し穏やかに生きらる気がします。
先ほど、悲惨なニュースは見ない方がいいと書きましたが、知らなければいいのか?という疑問もありますね。知らないで、自分は明るく、前向きに生きられればそれでいい、とも思えません。
やはりキリスト教徒としては、世の中の悲惨を知った上で、そういった、被害を受けた人々に寄り添いながら、なおかつ福音を述べ伝える必要があるのでは、と考えます。

先日、フランシスコ教皇が、「人の苦しみに無頓着なのは、キリスト者ではない」というような文面を発表していました。
自分ひとりが世の中の悲惨をしょって歩いている訳ではないと言い聞かせながらも、苦しんでいる人たちと寄り添っていたい、そして悲惨を知った上でも希望を失わずに、人々と連帯して生きていきたい、と強く思います。



ところで、話変わって、突然焼きそばを写します。

私のあまりに悲劇的な様子を心配して、
夫がいろいろと気にかけてくれるのですが、
その一つに、料理をつくってくれる、というのがあります。
これは、日本の食料品店で買い求めた日本の焼きそば用の麺に、フランスの豚肉、キャベツ等でつくったものです。この時は、私はそばで眺めていただけでしたが、二回目は一緒につくりました。

この頃、日本のドラマや、漫画(Kindleで手に入れたもの)をよく見ています。
こういうものを見ていると、パリのアパルトマンが、日本の実家にいるように思えて、心から安心します。今、私の青春時代に流行った漫画、「伊賀のかば丸」を読みふけっています。この漫画は本当に懐かしく、自分の幸せだった10代の頃の記憶を思い出させてくれるだけでなく、単純に笑えるところが大好きです。この、「単純に笑える」、大笑いができるというのは、本当に大事ですよね。
こういう漫画を読むと、難しいことを考えることは誰でもできる、むしろ、頭を空っぽにして大笑いすることの大切さを思います。

前述したことと矛盾するようですが、
一旦は絶望してしまうような世の中ですが、絶望しつつも、希望を失わずにどう生きるか?が問われていると思います。とにかく健康を保とうと思ったら、このスタンスを持たないと、潰れてしまいますね。現実を常にしる、悲惨をみる、しかし世の中捨てたもんじゃないと思う、これしかないように思います。









 


2016年5月19日木曜日

アジアにおける平和と和解の会


ぱっとしない天気が続いているパリですが、いかがお過ごしでしょうか。
今朝も雨、日本の梅雨のような長雨が続いています。
湿度も、パリにしてはかなり高いようです。

さて、昨日はとても良い会合に参加しました。
パリの日本人カトリックセンターにて、「アジアの平和と和解のための会」を主催したのです。
この会は、責任者である夫と、韓国人のシスターとの協力と呼びかけのもと、去年から始まった会です。大体3ヶ月ごとに行っています。
私は、長く日本にいて留守だったので、久しぶりの参加となりました。

今回の分かち合いの材料として選んだ、ネルソン・マンデラ氏の映画をまず見ました。
ご存知のように、彼は長年にわたる黒人差別の歴史(アパルトヘイト)をなくした、まさに歴史上の大人物です。映画は、その彼が大統領に選出された後の物語で、私は初めて知ったのですが、彼は大のラグビーファン。南アフリカのラグビーチームを、何とか強くしたいと模索します。そのチームは、1人を除いて全員が白人で構成されているため、試合があっても、国内の黒人たちは、相手方の黒人の選手やチームを応援する始末。これは何とかしなければならない。
マンデラ氏は、大統領になる前は、30年間も、離島で牢獄生活を強いられていました。しかしそんな艱難辛苦の最中にあっても、彼は本を読み続け、自分を励ましていたのです。もちろん、今は流暢となっている英語も、彼にとっては敵の言語。でもそれを熱心に習得したのです。そして、「ゆるし」こそが、最大の武器であり、和解への道であることを体得します。そうした苦しみの中から得た彼の信念は、揺るぎのないものでした。そのことを、まずラグビーチームのキャプテンに伝えるのです。結果、次々とチームは強豪の相手チームに勝利し、ついに、ワールドカップの決勝戦において、もっとも手強い相手であったニュージーランドに辛くも勝利します。そして、応援しなかった国内の黒人たちも一緒に大喜びをし、白人との和解にも成功しました。

今でこそ、白人と黒人が共存しているのは当然の世界となっていますが、当時の南アフリカでは、人口の90パーセント近くを占める黒人は、同じ人間として扱われていなかったのです。
「ゆるし」こそが最大の武器であり、最良の道であることを、マンデラ氏は、身をもって証明したのでした。試合終了後に、マンデラ氏とキャプテンが、互いに「国のために成し遂げたこと」を、握手しながら喜んだ場面は、本当に感動的でした。そして応援していた大観衆が、黒人と白人とが手を取り合って大喜びしてるシーンで終わっています。


差別により、迫害を受けている人々の側から「ゆるし」を示すということは、
普通の感覚でいったら到底考えられないことです。
そこに至るまでの道のりも、大変な憎しみと苦しみを経ているはずです。
憎しみを持ち続けていたら、永遠に、この苦しみは終わらないし、和解はあり得ません。
マンデラ氏は、その叡智によって、ゆるすことによってしか、その地獄の苦しみから解放されないことを悟ったのだと思います。

映画を観終わってから、アジアの友人たちと、持ち寄りの食事を食べながら分かち合いをしました。
ここではどんな分かち合いをしたかは省きますが、やはり、この会の存続が、アジアにおける平和の一つの証となるようにしたいという意見で一致しました。

日本にいる日本人には、中々分かりづらいことかもしれません。
しかし、フランス・パリという異国の地に、同じアジア人同士が集まって、平和について話し合うということが、いかに貴重で(語弊があるかもしれませんが)面白いことか、昨日は特にそれを感じました。参加者は、中国人の神父、韓国人の学生(女性)、台湾人の助祭、そして日本人は4人でした。日本人のお年寄り一人を除いて、皆、カトリック教徒です。
ただのアジア人同士ではなく、同じ信仰をもった人同士の集まりということも、この会の大きな特徴でしょう。つまり、キリストを仲介とした神の愛を信じている人同士だからこそ、過去の歴史をもってしても、深く共感しあえるのだと思います。
残念ながら、パリにいる日本人でも、他のアジアの人々、特に韓国人や中国人を嫌う人はたくさんいます。本当に残念だと思います。昨日の分かち合いの場は、本当に心癒される、フランス語でいうところの、convivial な和やかなものでした(一場面で、議論がありましたが)。
何より私にとっては、パリにいながらにして、フランス語を話す相手が、同じ黒髪と黒い目をした人種であったということが楽しく、快いものでした。そこに、一人でもフランス人がいたら、あそこまでのリラックス感は得られなかっただろうと思います。

久しぶりに、心が洗われるような経験をしました。



最後に、マンデラ氏が、愛読した、イギリス人の詩人 William Ernest Henley (1843-1903) の詩の、最後の部分を引用したいと思います。(ここはフランスなので、フランス語に訳したものをご紹介します。)
Je suis le maître de mon destin
Je suis le capitaine de mon âme

《わたしは自分の運命の主人である。
わたしは自分の魂のキャプテン(舵取りをする人)である。》


2016年5月13日金曜日

友人と散歩


今日は、ちょっと年上の友人と、パリの中心部を散歩しました。
彼女はパリに来て40年近く、フランス人のご主人との間に生まれたお子さんももう立派な大人になっているような年代の方ですが、とても若々しく、笑顔の美しい方です。

さて今日のパリは、予報を大きく外れて午後から晴天となりました。
キツネの嫁入りのようなお天気雨がぱらつきましたが、すぐに青空に。
写真のカフェは、シテ島からサン・ルイ島へと渡ったすぐ後にあるカフェで、こんな風に、テラスは人で満員、ほんと、少しでも晴れるとみんな、カフェのテラスを陣取ります。そんな陽気な人々を見るのが大好きですね。本当はもっと至近距離で撮りたいところですが、失礼に当たるかな、とちょっと遠くから写しました。でもこっちの人は、カメラを向けるとさりげなくポーズを取るんで、またそれが楽しいし、絵になります。
夫は、あ、美人だな、と思って女性を見ると、その女性は必ず、自分が一番美しく見える角度で見返してくるとか。笑っちゃいますけど、そこまで行くと、人生楽しいですよね。


雨が少し降ったせいか、ちょっと煙ったように見えるセーヌ河です。
これはサン・ルイ島から、右岸へとわたる橋の上から撮りました。今日のセーヌ河の水の色は澄んでいました。


こちらは逆に、右岸からサン・ルイ島、そしてシテ島を振り返ったもの。
写真中央の尖塔は、もちろん、ノートルダム大聖堂のものです。


前後しますが、こちらは言わずと知れた、ノートルダム大聖堂の後姿。
この後姿が「優美」だ、ということは、もう定説になっていますが、私はむしろ、側面の方が好きですね。こんな風に、「優美」な姿を写真に収める人が絶えない広場です。

今回、この観光地に来て驚いたのが(もう、人がやっぱり少ない!ということはさておき)、日本で言うところの自撮棒を持っている人がたくさんいたこと。私も兄が、日本で買ってくれたのを持っていますが、夫に、「結構トラブルが起こってる」から止めろと言われて日本に置いてきたのですが、どうしてどうして、みんなこぞって自撮棒を持って写しまくっているではありませんか。中国人だけかと思いましたが、結構色んな人種が持っていました。


友人は、「久しぶりにノートルダムに来たわ~」と嬉しそうでした。
実際に住んでいる人って、あんまり観光地に行かないですからね。聖堂内ではミサが行われていたのか、入るのに並ばなくてはならず、行列ができていました。
人々の服装がラフなんで、そんなところも良いな~、と思っています。



最後に、友人とランチをしたレストランの近くにある公園を載せます。ここは、ノートルダムから道ひとつ隔てたところにある小さな庭園で、観光地で歩き疲れた体を休めるのにピッタリです。園内には随所にベンチが置かれ、お昼時だったので、スタンドで買ったサンドイッチをほうばっているカップルの姿もありました。    
中央に植えてある花は、私の大好きなハーブの一つ、ジギタリスです。フランス語では Digitale、英語ではフォックスグローブといい、美しい花をこのように釣鐘状に咲かせるのが特徴です。
結婚前にガーデニングにはまっていた頃、この花だけは育てられませんでした。大好きなんですが、毒があるということで、敬遠してしまったんですね。パリでこの花を見られるとは思いがけず、早速写真に収めました。


今日は、あの11月13日に起きたパリ同時多発事件からちょうど半年、ということで、駅の構内に置かれているフリーペーパーには大きく報じられていました。あのフランス史上初という、大きなテロから半年。。百人以上の死者を出したこの事件の爪痕はまだ生々しく、人々の心に大きな傷跡を残しました。レピュブリック広場にはたくさんの花束が置かれ、人々の祈る姿が絶えません。
「La vie continue, mais la peur reste présente」(生活は続いている、しかし恐怖は未だにある、の意) この言葉で締めくくられていました。

この場を借りて、改めて亡くなった人々のご冥福を祈りたいと思います。







2016年5月12日木曜日

夜のパリ


先週の、どこまでも青く広がっていた空はどこへやら、
今週に入ってから、またパリ特有の曇り空になっています。

パリでは、雨が降ることももちろんありますが、大抵は小降りかすぐに止んでしまうことが多いのです。しかしこのところ、日本の秋の長雨のような雨が降り続いています。しとしと降っていたのが、急に雨脚が強くなったりします。そしてかなり強く降っても、傘をささない人が多いのには未だに驚いています。見ると上着のフードを被って雨除けをしているんですね。それでも上着はびしょ濡れ。でも平気な顔をしています。「そんなに傘をさすのが嫌なの?」と言いたくなりますが。。これも一つの文化でしょうね。

ところで上の写真は、もう10日ほど前に、コンサートが引けた後、夫と夜のパリを歩いた時に撮りました。どこのブランドだったか忘れましたが、今年らしいマネキンの装いに、思わずパチリ。
実は私、洋服が大好き、おしゃれが大好き、です。
昔の人は、着道楽と言ったそうですが、まさにそれ。しかも困ったことに、買って似合わないと分かると片っ端から捨ててしまうという恐ろしい習性があります。
普通、洋服ってそんなに捨てないですよね?それとも10年以上前から流行っている断捨離で、結構捨てている人も多いんでしょうか。
私の場合、外から見ると、買っては捨てて、買っては捨てて、を繰り返しているように見えるらしく、夫からは、「いい加減にして!」と悲鳴にも近い声で言われてしまいます。


「こんな素敵なロングドレスを着ている人がいるような場所、パリで行ったことない」とため息混じりに見ていますが、流行は、とくに先進国ではやはり似通っているなぁと感心しました。
写真の、腰に巻いているフリンジとかショルダーは、日本でも大流行してますよね。(実際に身につけている人は少ないように思いますが) 日本で「これ素敵」と思ったフリンジ付きのショルダーバッグを見つけ、値段を見てのけ反りました。一時の流行に、こんなには出せない、と思いましたね。

ところで夜のパリというと、個人的に思い出すのがパリに暮らし始めた頃の夜です。
ここで打ち明けてしまうと、
その頃は体調が悪く、日本で療養中だったのですが、いきなりパリに来て夫に助けられながら生活を始めたのでした。それなのに、「パリにいる!」と大興奮していましたので、その勢いで、毎夜のように、二人でパリの街中を徘徊(?!)していたのです。
そう、それは、村上春樹さんの小説、「ノルウェーの森」に出てくる女性と僕のように、
まるで何かに憑かれたように二人して歩き回っていたのです。

その女性の名(調べないですみません)は忘れましたが、幼馴染の男の子を自殺で亡くしたために、病にかかってしまった。その病名は、統合失調症。作中にはその病名は出てきませんが、面白いことに、映画化されたときに、スクリーンの中で登場しました。多分、日本人の監督だったら、こんなにハッキリとは出さないだろうな、と観ていて思いました。


これはパリのデパートの一つ、ギャラリー・ラファイエットです。
日本にいると、デパートに行くことが楽しみの一つになったりしますが、ここパリではそうは行きませんね。日本のデパートほど、楽しくありませんから。(こう書くと、お叱りが来るかもしれませんが、そもそも普段、パリのデパートに行って遊ぶという日本人を知りません。ほとんどが、観光客の方ですね。)何故なんだろう、といつも考えますが、、、分かりません。「楽しくない」これに尽きますね。
デパートのブランド売り場に群がっているのは、もはや日本人ではありませんし。

でも久しぶりに訪れて、(夜の10時は回っていました)クリスマス前のイリュミネーションしか知らなかった自分を発見しました。これも悪くないのでは?と思いパチリ。その横を、二人の男女が颯爽とジョギングしながら通り抜けました。。

夜の街を歩くと、ふと、最初の頃の自分の姿を思い出すのでした。


2016年5月7日土曜日

マレ地区


先日、日本からのお客様をお迎えするのに、マレ地区に行って来ました。
宿泊されていたホテルは、マレ地区からほど近い、レ・アールだったので、歩いて行きました。
ご覧の通りの晴天で、早朝のパリは、人気も少なく、空気も心なしか澄んでいるようでした。

マレ地区は、通称ユダヤ人街とも呼ばれ、休日でもこの地区だけは営業していることが少なくありません。それは、フランスの暦は、カトリックを基準としていますが、ここだけはユダヤ教を基本としているためです。この日もフランスは、「主の昇天」でお休みでしたが、マレ地区は人でごった返していました。もちろん、ほとんどのお店も営業していました。


こんな写真を載せていいのか、ちょっとビクビクものですが、
注意される前に撮ったものなので、希少価値からいって載せてみます。
ここは、マレ地区にある、ユダヤ人美術館前です。
手前にはもう一人の銃をもった人がいて、いつも3人で見張りをとるのが原則だそうです。
さすが警備が厳重ですね、中に入ってからも、一人ずつ厳密に手荷物検査を受けました。
日本人はわれわれ4人だけ。来ている人たちも、ほとんど全員がユダヤ人でした。(フランス人は滅多に来ないそうです) でもユダヤ人の人たちは本当に親切ですね。われわれが日本人だからなのか、館内にいても、その親切ぶりをひしひしと感じました。


こちらは rue des Rosiers (ロジエ通り)。
写真だと人が少なめに思われるかもしれませんが、いえいえ、通り抜けるのが大変なぐらい大勢でした。
この通りの先の角には、
以前、銃撃戦が行われたときの弾の後が壁に残っていて、その説明が看板になっている店があります。負の歴史、受けた被害の歴史をしっかり残すところがパリですね。






とにかくいいお天気でした。
パリは、どこを歩いていても楽しいですが、
このように晴天で、太陽がさんさんと照っていると、本当に嬉しいですね。木々も青々としているし、花もここぞ、とばかりにあちらこちらで咲き誇っていました。




 



こちらは、昨年改築オープンしたピカソ美術館です。長年の工事を終えて、広々とした空間となりました。

先ほどのユダヤ人美術館では許されなかった写真ですが、
ここでは自由に撮れました。

わたしは、美術館では、作品と同時に、人々のことも観察します。
人々がどんな服装をして美術館にくるのか、すごく興味があるのです。夫にも、美術館に行くときは、とくに「おしゃれしてね」と言われます。






最後に、やはり食事の場面を載せたいと思います。

ここはユダヤ人街にある人気店の一つです。
お昼に入って、ユダヤ人が食べる、特有の料理、Falafel (ファラフェル)を注文しました。
ユダヤ人は、肉、とくに豚肉は食べませんから、ほとんどの料理がベジタリヤンなのですが、この一皿もそうです。お皿の中央にある揚げ物は、Pois chiches といって、ひよこ豆を潰したものを丸めて揚げたものです。そのほか、フムスや玉ねぎの酢の物、ナスのトマト煮など、横にあるピタパンに入れたり付けたりして食します。とってもヘルシーなのですが、お腹一杯になります。
食後のコーヒーをゆっくり味わってから外に出てみると、すごい行列。早めに入って正解でした。



今回は、マレ地区のごく一部をご紹介しました。









2016年5月4日水曜日

モンマルトルの麓にて ~番外編~


番外編と称して、昨日書ききれなかったことを載せてみます。

昨日は、散歩の終点として、Anvers のスクエアー前にある、おしゃれなカフェに寄りました。
気温もちょっと高め、17度ぐらい、日差しが強い中で、「のど渇いたよね」と
夫はビール(なぜかドイツビールしか置いてありませんでした)、わたしは Virgin Mojito (ヴァージン・モヒート)を頼んでみました。モヒートといえば、ちょっと前に、パリでも大流行した飲み物ですが、すっかり定着した感がありますね。わたしが頼んだものは、sans alcool (ノンアルコール)のモヒートなので、ラム酒が入っていませんでしたが、充分に美味しかったです。成分は、フレッシュライムに sucre roux (ブラウンシュガー)、そして炭酸水ですが、飾りにミント、そしてクラッシュアイスを一杯入れて、キンキンに冷やすのがポイントです。


つまみに Mix tapas (9ユーロ)を頼みました。因みに、夕方は Happy Hour 、(なぜか英語ですが)ハッピーアワーで、飲み物はすべて5ユーロでした。
さてこのタパス、こちらも日本でお馴染みですが、コロッケや揚げ餃子のようなもので、少々辛いソースがついていました。お皿は、ardoise といって、青灰色の粘板岩、日本でもスレートと呼ばれる石盤で、屋根瓦に使われたり、黒板のようにして文字を書いたりします。

私たちは、日差しの強いテラスを避けて店内の席につきましたが、テラスには人が鈴なり状態。
店内も、ドアを開放し、壁際は全部窓、窓の外にはマロニエが日差しで輝いていました。
そしてうるさ過ぎない程度の軽いジャズがかかり、いきつけの人たち同士の楽しい会話。
それらを背景に、のんびりとした午後を楽しみました。



2016年5月3日火曜日

モンマルトルの麓にて


今日はお天気が良いので、モンマルトル方面へ足を伸ばしてみました。
実際には、夫が仕事をしている修道院の本部が近くにあるので、夫の仕事が終わった後を待って、また一緒に散歩を楽しみました。
春分を過ぎてから、全国的に日が伸びているわけですが、パリは、今や日が沈むのが8時過ぎ。存分に夜の明るさを楽しめるのです。

よく、モンマルトルの丘、とは言いますが、麓、とはいいませんよね。
でも実際には麓はもちろんあるわけで、ここ、Anvers から南の界隈は、おしゃれな下町として、歩いているだけで楽しくなるようなところです。
写真に写っているスクエアーでは、映画か何かの撮影をしていました。夫と前を通り過ぎると、「あ、あの俳優知ってる!」と夫。そう、そういうことが日常茶飯事なのも、パリならではですね。

ここは、そのスクエアーから南へ下る方面に伸びている、rue Turgot (チュルゴ通り)。

ちょうど、夕方の学校が終わる時間帯だったので、子供たちと、そのお迎えをする親たちでごった返していました。

おしゃれなパン屋も多く、その店先でパンをかじっている子供たちがあんまり愛らしいのでカメラに収めたかったのですが、、諦めました。

以前、観光客のふりをして、ゴムアメの屋台の前にいた子供たちにカメラを向けたら、「Non, non ! Pas de photos !」と、大げさに指を振って叱られたことがあるのです。夫に聞いたら、「子供を撮っちゃいけないんだよ。」と言われ、大ショック。「ネットに流されて、悪用されることがあるからね。」
そこまで考えなかった自分の浅はかさに、またまたショックでした。そういう世の中なんですよね。




こちらは、rue de Rochechouart (ロシュシュアー通り)。道の両側には、おしゃれな店が並んでいます。

こんな所に住めたら、本当にパリに住んでいる、という感じがして楽しいだろうなぁ、と思います。







 このお店は乳製品を扱う専門店。
 Crêmerie Rochechouart と書かれている看板が読めるでしょうか。

 写真では分かりづらいですが、
 店先には搾りたての牛乳をいれるアルミ缶が並んでいたり、牛の形をしたポットが置かれていたり。可愛らしいのです。




ちょっと光が入りすぎていて、見づらいですね。
                写真手前がバー、その奥隣が果物屋さんです。
                なんとなく、おしゃれな感じ、伝わるでしょうか。


                  こちらは、rue Rochechouart と、
rue Maubeuge の交差する小さな広場。
            なんとなく、この写真だと冬枯れているようにも見えますが、
                  空は青々と晴れ上がっていました。


やはり、最後は、ここ、Anvers (メトロ2番線の駅です)からの眺めでしょうか。
この場面を見ると、いつでもカメラに収めたくなるのは私だけでしょうか。この駅前の細~い道から垣間見えるサクレクール寺院は、いつ見ても圧巻ですが、とくに、こうした澄んだ青空のときは尚更ですね。この通りの突き当たりにまたスクエアーがあり、そこから歩いてモンマルトルの丘を登るのもよし、 Funiculaire(ロープウェイ)に乗って上るのもよし。でもロープウェイは、丘の途中までしか行かないので、サクレクール寺院まで行くには、やはり坂道を登らなければなりません。どっちにしろ、いい運動になることは確かです。

さて今回は、ちょっとパリ(モンマルトル)案内になってしまった感がありますが、
久しぶりにここら辺を歩いて、大いに気分を良くした次第です。楽しんでいただけたでしょうか。。