昨日、天候不順の中でも、夫と、
「散歩したいよね」と繰り出した、リュクサンブール公園の、マロニエの木です。
リュクサンブール公園の、南の入り口にある、大きなマロニエの木は、
今、こんな状態です。上の方は、四角に刈り込んであるので、下部だけ撮ってみました。
マロニエの木は、場所によってはもう、満開に近く咲いています。
ここは、なぜか、まだ花の陰も見えないぐらいですね。
平日とはいえ、春休みのバカンス中ということもあり、
普段より人は少なめでした。
パリには、いくつもの公園がありますが、
それぞれが緑豊かで特徴があるのですが、
個人的にはここ、リュクサンブール公園が一番好きだし、縁があります。
次にチュイルリーですが、リュクサンブールの方が、カルチエ・ラタンの中心にあるせいか、
アカデミックで、より親しみがある感じがします。
この公園の近くのカフェには、
もう百年以上前になりますが、島崎藤村がパリ滞在中に入り浸っていた、ということですし、
往年の大女優、高峰秀子さんが一年間滞在したホテルも、このすぐ近くでした。親日家のフランソワーズ・モレシャンさんの生家も、この近く。そう、彼女はインテリの出身なのですよ。
この公園周辺に住むには、代々の金持ちか、大学の教授クラスなど、よっぽどの縁がないと住めません。ここら辺に住む、ということは一つのステイタスですね。
この写真のときは、ご覧のような空。暗雲があったために、画面も暗くなりました。
写真では分かりづらいですが、
この時は、真っ赤なコートを着ている婦人に、たくさん会いました。少なくとも3人に出くわしました。
たまたま偶然なのか、はたまた、薄暗い日には、気分を明るくする真っ赤を着たくなるのかわかりませんが、「多いな~」と夫と話したものです。「さっちゃんもたまにはこういう色を着なよ」と横で言っていましたが。
でもこの空、なんかドラマチックに見えませんか?
まるで西洋絵画に出てくるような。。 ってここは本場ですね。
ここは公園の東側、サン・ミッシェル大通りの側になります。
私たちは、昼食ぬきだったので、公園前のクレープ屋で、甘いクレープを買って、
この景色を見ながらベンチに座って食べました。
写真 左の方に座っていた女性は、
ベンチに深く座り、頭を手でかかえてうつむいていました。深く絶望しているポーズ。
夫と二人して、しばし見入ってしまいました。
この時期にカメリア(椿)? と驚かれると思いますが、
そうなんです。気温の低さを証明していますね。
ここは、クロズリ・デ・リラ。
昔、19世紀ごろから、文学者や芸術家たちが集う場所であったレストランに植わっている椿です。これもリュクサンブール公園の南に位置しています。実存主義のサルトルやボーボワールも居場所にしていたそうで、そういったことも、もはや隔世の感がしますね。でもちゃんと現存しているところがパリだな~という感じです。
今回の投稿は、
自分たちの世代でさえ、古くて知らないことをちょっとだけ書いてみました。
パリは、連日冬のような気温。
でも考えてみたら、パリは一年を通して寒さ対策が必要な土地だ、と思い出しました。
そう思えば、慣れることが肝心ですね。
2016年4月28日木曜日
2016年4月25日月曜日
リラの花咲く頃
先週の土曜日から、
パリの街角でリラ(ライラック)の花が売られるようになりました。
このところの天候不順、気温の低さにも負けず、
辺りにかすかな香りを放ちながら、バケツに入れられていました。
お兄さんが手にしていた花束を「いくら?」「5ユーロ」と話しかけて買いました。
花屋さんで売られているのと違って、びっくりするぐらい安いですが、
未だにリビングで咲いてくれています。(3日しか経っていないので当たり前、と思われるかもしれませんが、こういう季節ものは、早く悪くなるのです。)
パリは、ここ1週間ぐらい肌寒く、時折小雨がパラついたりして、
外出のときは防寒をしっかりしないと風邪を引いてしまいそうです。
2週間前に、ドゴール空港から出たときの暑いぐらいの気温はどこへやら、という感じです。
そんな中、編み物を再開しました。
大好きな編み物、ですが、肩が凝りやすいので、少しずつ、根気を入れずにやる、というのが
自分なりの方法です。腱鞘炎や、脳に支障がきたすまでやるのは避けたいですね。でも夢中になると、気づかないうちにそうなってしまう危険が、編み物には常にありますね。気をつけたいものです。
夫の通う、大学機関の目の前の風景です。
やはり小雨が降っていました。
写真では傘をさしている人がいますが、パリでは、雨が降っても人は滅多に傘をささないのですよ。
不思議でしょう?
それもそのはず、日本のように、長くしつこく降ったりすることは、ほとんどないから、なのです。
伊達の薄着同様、傘をさすのも粋なことではないのかもしれません(パリでは)。
夫が、また得意のホットケーキを焼いてくれました。
パンの買い置きがなくて、朝のパン屋さんが開くよりもかなり早くお腹がすいたので
つくってくれました。
粉は小麦粉から、蜜も手作りしてくれました。素朴なおいしさでした。
さて、「やる気が出ない」と嘆いた前回でしたが、
少しずつ、やる気が出始めてきました。
本来の自分に戻るころ、また日本かな、という感じですが、
まぁ、それも仕方ない、という感じです。
編み物は、一時、といっても1年以上経ちますが、放っておいた、通信講座なので、
少なくとも入門編だけでも終了させたい、
今はそれが目標でしょうか。
仕事の翻訳と、同時進行ですね。
夏の暑さが恋しいこの頃です。
2016年4月21日木曜日
風光る季節
ブログを更新するにあたって、
まずは熊本、大分、阿蘇地方の、地震による被害を受けた、そして今も受け続けている方々への、
お見舞いを申し上げます。本震、余震、ともに大型の地震だったということで、ここフランス・パリの日本人の間でも話題になっています。亡くなられた方々へのお悔やみを申し上げますと共に、怪我をされた方々、避難されている方々への、一日も早い復興、平和な日々が来ますようにお祈り申し上げます。
さて、パリに話を移したいと思います。
昨日、用事があって、シャンゼリゼに行ってきました。
晴天に恵まれ、着ていたジャケットを脱いでしまうほど気温も上がり、(17度ぐらいだったでしょうか) 人々の笑顔が印象的でした。が、やはり、いつものシャンゼリゼとは違って、人がこころなしか少ないのを感じました。
写真は、コンコルド広場に近い並木道です。
マロニエが、もうすぐ花開こうとしているところです。
ご覧のとおり。人気が少ないですね。
ここはパリでも観光のメッカですから、一番、テロに狙われやすい所でもあります。
シャンゼリゼを歩いて下って行きましたが、防具服を着た守備兵にも合わず、夫は、
「これじゃぁ狙われ放題だね」と言っていました。
主犯格が捕まって、とりあえずはホッとしている、という状況なのでしょうか。
あまり、「観光地に人が少ない」とばかり書いていてもしょうがないのですが、
久しぶりのパリが、なんだか違う場所のような気がしてしまうものですから書かずにはいられません。
わたし自身の状態も、まだまだ万全ではありません。
ここ1、2年の疲れがドッと出ているのでしょうか、
パリの街中を歩いていても、今ひとつ元気が出ません。
ここは一つ、じっと我慢してやり過ごすしかないのでしょう。
さて、パリはイチゴの季節。
写真のイチゴはフランス製で、Gariguette といいます。スペイン製のものに比べると、小粒ですが、とても甘く、自然の味がします。こんな風に大きさが不ぞろいなのは、日本では考えられないことですが、それだけ、自然に近い形で栽培しているのでしょう。ひとパック、250グラムぐらいで2ユーロしませんが、フランスではわりと高価ですね。(1キロにして考えると分かりやすいです。)
わたしの親しくしている皮膚科の先生は、「朝はイチゴしか食べない」と言っていたのを思い出します。贅沢ですね。
これからは薄着の季節、そろそろ、食事制限をしないとならないでしょう。
そしてパリは、一年で最も良い季節を迎えます。
その季節に相応しいような、明るい気持ちに早くなれるよう、時を待ちたいと思います。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
2016年4月13日水曜日
帰ってきました!
ついに戻ってきました、あぁ、花の都パリへ!
というと、ちょっと大げさでしょうか?
でもお許しください、何と言っても8ヶ月ぶりなのです。
2003年に、結婚するためにやってきて住み始めたパリ。
考えてみれば、その10年後の2013年の11月に、父は他界したのでした。
父は、10年間、私たちの結婚生活を見守ってくれたのです。もう、充分でしたね。
その2013年からこっち、パリにいるより日本にいる方が長くなっていました。
今回も、久しぶりにパリに戻ったとはいえ、7月には東京に帰ります。
実家がどうなっているのかの最終確認です。
さて、パリといえば、昨年末の同時多発テロの記憶がまだ新しいのですが、
実際のパリも、その痛手を受けているように感じました。
写真のカフェは、バスティーユ広場に面しているところで、そのテロの起きた場所からさほど離れていません。驚いたことに、写真でも分かるように、人が少ないのです。
平日とはいえ、真昼間のバスティーユのカフェがこんな状態であるのを見たのは初めてのことでした。
私自身は、10日(日)の夕方にドゴール空港に無事降り立ち、夫の出迎えを受けてパリのアパルトマンに帰ってきたわけですが、飛行機(ANA の直行便)の中は、空席もあり、日本人よりフランス人の方が多いのでは?という感じでした。ドゴール空港も、心なしが人出が少なく、閑散とはまでは行きませんが、何となくひっそりとしていました。何しろ、トランクを引き取る場所にですら、人が少なく、自分の荷物をあっという間に探し出せたのですから。
今、このメールを、時差ぼけを利用して書いています。
パリに無事着いた旨、個人的なご報告の前に、お知らせとしたいと思います。
ずっとパリに住んでいる人からは、復活祭を過ぎてから、めっきり春らしい陽気になったと知らされていましたが、気温で言えば、東京のちょっと暖かい冬ぐらいの温度で、私は出かけるときに、福島で普段着に愛用していた、暖かいキルティングのコート(裏はボア)を着用しましたが、それが丁度良いぐらいでした。
とにかく、観光地の一つであるバスティーユ広場に、人が少ないんでびっくりでした。
あのベルギーの空港でのテロも、当初はパリが標的だったらしいですね。
一番上の写真のカフェでも、私たちが屈託なくテラスに座って寛いでいたら、数人の人たちも誘われるようにして座ってきました。「アジア人が座ってるんだから安全だ、と思ったのかな?」などと私はちゃかしましたが、でも、イスラム国(IS) テロリストたちの、フランスへの恨みの恐さを思い知らないとなりません。
でもここはバスティーユ。フランス革命の発祥の地、市民が自由を勝ち取ってきた歴史的な場所でもあります。
そして何と言っても同性愛者の街。私たちが歩いているうちでも、格好いい男性二人が仲良く手をつないで歩いているのを見て、「パリに帰ってきたな~」と、わたしは嬉しくてたまりません。
上のカフェに写っている二人も、女性同士。後から生クリームを山盛りにしたカフェを仲良く二人で注文しては、顔を突き合わせるようにして話し込んでいました。
まだやっと春の息吹を感じ始めたばかりのパリです。
「 Ne quitte pas un fil 」(一糸をまとうのを忘れるな、とでも訳しましょうか)、とは良く言ったもので、
まだまだ薄着はできないパリです。でもそこは伊達者のパリジャン・パリジェンヌ。何とか春を表現したくて伊達の薄着をする時期でもあります。格好をつけるのも一苦労(?!)のパリですね。
この場を借りて、
日本でお世話になった全ての方々に、
深く御礼を申し上げますとともに、無事、パリに戻ったことをご報告申し上げます。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
また別途、個別にご連絡いたします。。
2016年4月2日土曜日
奈良への旅
先月の28日から、2泊3日で奈良に行って来ました。
恩師と、その友人たちに会うためと、できることなら満開の桜を見るために。
あまり詳しい経緯は省きますが、
桜は、氷室神社のしだれ桜の満開や、萬葉植物園での彼岸桜、そして品種はわかりませんが、天理市での道なりに咲いた桜を堪能できました。
写真の鹿ちゃんは、萬葉植物園からの帰り道で撮りました。
奈良にも(浅草と似て)
たくさんの外国人(洋の東西を問わず)が
至る所で観光を楽しんでいました。
鹿に対して面白いことをするのも、
大抵は外国の人。
こちらは英語をしゃべっていたかと思います、
鹿の前でおおはしゃぎ。
飼いならされた鹿とまじかに接するなんて
あまりない事ですものね。
日本人は見て、眺めて楽しみますが、
あちらの人は(とくに大人)、
相手が鹿だろうが、こうしてコミュニケーションをとろうとする。お国柄の違いを楽しみました。
萬葉植物園では、菜の花が満開でした。恒例とはいえ、桜との競演は見事でした。
奥の、桜の真横には、満開の連翹も咲き誇っていました。連翹の山吹色も桜と合いますよね。
以下 3枚は、氷室神社の桜です。
しだれ桜だけでなく、普通の桜もこのように満開でした。
写真に人影はありませんが、
周囲にはカメラを構えた人、人、人。
歓声に包まれた空間でした。
この日、かなりの晴天でしたが雲が多く、写真を撮った瞬間は曇っていたせいか、ちょっと暗いのが残念です。。 それでも満開の桜、堪能できたので、満足、満足、です。
今回の奈良への旅は、
恩師が桜を見たいとおっしゃったことに連動して、思い切って福島から参加した旅でした。
恩師のほかに、2人の恩師の古くからの友人とも会うことができ、満開の桜以上に、会えた喜びの大きい旅となりました。
まだその余韻が強い中で、色々と書きたいことはあっても、
今回はこの辺でとどめておこうと思います。
再会できた喜びに浸りつつ、
恩師が、元気で、できるだけ長生きをして欲しいと、ますます思うこの頃です。
追伸: 恩師の最後のものとなる本をいただきました。
表紙の裏にも、恩師の大好きな詩とサインをいただきました。
心をこめて、一文字一文字、しっかりと読みたいと思います。
一生の宝物です。
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