ブログに、初めて書評のようなものを書きましたので、お時間のある方はお付き合いください。
昨夜、以前から読みかけていたフランスの恋愛小説、「マノン・レスコー」を読み終わった。
まだ本書を読んでいなくてこれから読もうとされている方は、以下の文をお読みにならないでください。逆に、興味はあるけど読まないから、という方はもちろん、人生において一度でも真剣な恋に堕ちたことのある方にこそ、読んでいただきたいと思います。
さて本というものは、わたしにとって2種類に分けられます。1つは読みやすい本、もう1つはもちろん、読みづらい本。この「マノン・レスコー」は、明らかに後者に属していました。というのは、良く言われるような悪文だからというのではなく、その内容が、あまりに激しいものだからでした。
このフランスの恋愛大国にあって、その頂点を極めた小説として名高い本書は、
1731年、作者アベ・プレヴォが、オランダへ逃亡中に出版されたものである。作者34才の春であった。彼の生涯は、不明な点も多いとはいえ、知られている限りでも波瀾をきわめたものであり、この書は彼の自叙伝ともいわれている。この書の主人公であるシュバリエ・デ・グリューは、名家の出であり、10代から僧院での生活をしているように、アベ・プレヴォもまたそうであった。僧院から無断で離れたために、逮捕状が出されるはめになるところなど、 シュバリエと重なっている。この逮捕状のために、アベ・プレヴォはイギリスやオランダなどに逃亡したり、軍隊生活を送ったりしなければならなくなるが、ようやくその逃亡生活に終止符を打つことができた年には46才になっていた。その間も精力的に小説を書き続け、晩年には小説の主な舞台となったシャイヨーにある修道院での院長となり、静かな生活を送りながら書き続けた。67才でその生涯を閉じるまで、その著作数は、二百を超えたという。
さて読んだ感想であるが、まずこの話しの語り手であり、マノン・レスコーの崇拝者であるシュバリエ・デ・グリューの、マノンへの愛情表現が激しく、これ以上は人を愛せないであろうという類のものであることが、まず、読者を驚かせるであろう。18世紀という時代もあり、パリの上流社会という特殊な世界が背景に
あることも読み手を本の世界に馴染ませるのに時間がかかることもある。しかしわたしは、フランスに住んでいる以上、この本を読まないで済ますことはできないと考え、忍耐強くページを繰った。何より、シュバリエの心の美しさ、純粋さに魅かれた。彼はマノンに出会ったときは、まだ17才であった。そしてマ
ノンの年は不詳だが、それより若いとある。そんな年端も行かない子供同士が、というよりだからこそ余計、恋の熱情に身を任せることができたのであろう。 シュバリエの今でいうところの純粋培養で育った良家のおぼっちゃまが、美しい女性に恋をする物語なのである。否、それでは言い足りていない。身も心も、1人の女性に捧げつくした、1人の男の悲劇的な物語、と言った方が、まだ言い得ているであろう。
マノン・レスコーといえば、いわば悪女の代名詞のようにいわれるが、彼女が人並み以上の美貌をもち、しかし家が貧しく、教育が満足にされずに育った女性としてみれば、容易に理解できる女性像である。シュバリエとの出会いは、そもそも、彼女のなかにすでに芽生えていた享楽的な性格を矯正するために、修道院に送
りこまれようとする前夜、その途中にある宿屋でであった。一方シュバリエは、両親から勧められたアミアンでの学業を終え、実家に帰る途中であった。
シュバリエのことを改めて紹介しよう。というのは、彼の属していた社会が、いかにマノンのそれと違っていたか、しかし女性を誠に愛することのできる男性が、どういう人物だったかをしれば、なお一層、この物語の悲劇性がわかるからである。本文から引用する。「わたしは17才であった。そうして、名家に属する私の両親が、私を遊学させたアミアンで、私は哲学の家業を終了した。先生たちが私を学校中の模範に推挙したほど、私は慎み深い、几帳面な生活を送ったのであっ
た。それも私がこの賞賛に値するために格別の努力をしたというのではなく、ただ生まれながらにして温良な、物静かな気質を私はもっていた。私は好んで学問に身を入れた。私の門地と、学業の優秀なこと、及び容貌の与える快感とによって、私は街中の教養ある人々に知られ、かつ衆望を集めた。司教が私に僧籍に入る
ことを奨めたほどであった。」
こうした、派手ではないが、確かな業績を残したシュバリエは、故郷の父の家へむかう途中の宿屋で、マノンとの運命の出会いをしてしまうのであった。何たる運命であったろう。シュバリエ自身が、後に自分の物語を回想する場面ではこう嘆息している。「あぁ!どうして私はもう一日出発を早めなかったのであろう。そうしたら私はあらゆる私の純潔
を父の家に持って帰れたであろうのに。」と。しかしこの宿命の出会いの瞬間から、シュバリエは恋に落ち、その奴隷となって苦難の道を歩むことになってしま う。
話の詳細は避けるが、純粋な魂といのものが、破滅への予感や、実際に転落していく運命に翻弄されながらも、愛する対象のためには命を惜しまない、ということがどうしてできるのか、それが理解できるか否かは、読み手に委ねられている。このような、現代にあっては皆無と思われるような純粋な魂の行方が、つまりは破滅に向かうしか道はなくなってしまうという悲劇を、この本でも学ぶことができる。現代の人々が、この破滅を未然に防ぐ手立てとして、異性に対し、賢く振舞うようになったのは、こうした小説が、危険を教えてくれ
たからだ、ということもできるかもしれない。とはいえ、日本では江戸時代でも心中物はとても人気があったというのだから、この純愛を、命をかけて貫く物語は、古近東西を通して普遍の、心を打つものとして不動の人気があるのであろう。
つまりは、一度でも真剣に恋を経験した人間ならば、シュバリエの立場が、痛いほどわかるであろう。
またこの話の特筆として、シュバリエには心から信頼できる友がいたことである。
他の誰もが、実の父親でさえも見捨てたシュバリエを、最後の最後まで救いだそうと尽力を施したのは、ただ1人、彼だけであった。彼が、最終的なシュバリエの救いとなったのである。さすがの神も、1人ぐらいはそうした人物を設定しないことには、もちろん小説としても成り立たなかったであろう。
この悲劇の主人公、私は敢えて、マノンではなく、シュバリエをそうとらえるのであるが、彼には、その最後まで忠実なただ1人の友、チベルジュがいた。彼の境遇は、シュバリエのそれよりは劣るが、修道僧としての確固とした考えをもった人物であり、シュバリエを心からの友として愛している。彼の愛するシュバリエが、恋ゆえに放蕩におぼれ、没落して行く中で、何度か助けに入るのも彼であるが、彼は恋の素晴らしさを信じていなかった。彼は、シュバリエが経験していることは、悪による偽の幸福に溺れている罪人たちと
同じだと断じる。そして自分を不幸に導くとわかっていながら進んで不運へ、罪悪へと急いでいるのは、理性に反する、とシュバリエを非難するのであるが、それにシュバリエはこう答える。「チベルジュは間違っている。自分は彼女を愛している。それは幸福の幻影ではない。全宇宙が崩壊しても、自分は彼女の姿を見るであろう。なぜなら、自分は他には何も愛さないからである。」
しかし、愛を、全き純粋な愛を至上のものとする一方で、現実問題としてお金が果たす役割は、現代以上に大きい時代であった。もちろん革命を経験する前のフランスとして、階級が厳然と存在していた。高貴な身分のシュバリエが、恋のために金銭によって破滅して行く様は、現代以上に大きなことであった。しかも愛する対象は、金銭や豪奢な暮らしに目がない女性である。
この小説の中では、マノンの美貌に引きつけられた身分の高い男たちが数多く登場する。マノンが、その金銭を目当てに自分の体を売るのであるが、それは彼女のポリシーには反しない。「心の操」だけが問題なのだとシュバリエに言ってのける。そのたびに、可哀想なシュバリエは、悲壮なまでに苦しむのであるが、最後にはマノンの「この世のものとは思われないほどの美しさ」に負けてしまう。これでもか、これでもか、という仕打ちに、読んでいる方としてはほとほと付き合いきれないものを感じてしまう。この金銭の価値という
ものが及ぼす甚大な影響に驚かされるが、それ以上に、外見の美しさの価値を、これほどまでに高く重んじる民族性にも驚くものがある。西洋における美に対する価値観は、日本のそれと比べてはるかに、それこそ想像を超えて大きいということに驚くばかりである。考えてみれば、西洋画や彫刻には、女性美を賛美することが1つの文化になっている。ひるがえって日本はどうであろう。浮世絵をすぐ思い浮かべるが、あれはあくまでサブカルチャーであって、日本文化の本筋ではない。もちろん、日本女性の美を描いたものも、近年はあるのであるが、西洋のそれとは露骨さが違うように感じる。18世紀のフランスは、特に上流社会にあっては、本物の美に対しては金銭を惜しまない、という風潮が強かった。
こうしたことをつらつら考えながら、パリの街中を歩くのも一興である。日本に住む日本の方々には想像しにくいかもしれないが、小説を読んだ後街を歩けば、
小説そのままの人々が街中を歩いている。もちろん、映画館で映画を見た後も同じ。日本で西欧の映画を見終わったら、街に出ればいつもの日常がある だけで、映画の世界は別世界だったで済むのであるが、こちらではそうはいかない。その映画の世界が、そのまま現実の世界として続いているのである。そうした世界に、海外に住む日本人は暮らしているということを知って欲しいと思う。そういう中で生きている人間として、何が発言できるのか、ということを、常に突き付けられているとも言える。
話を元に戻すが、人間の真実の姿というものは、本当に心を打つものだと思う。主人公の数々の、心からの叫びを紹介したいと思う。シュバリエが、マノンに投げかけた言葉で、特に感動的なものを取りあげようと思う。
「お前は女だ。男が要るに相違ない。けれど、お前に必要なのは金持ちで気楽な身分の男だ。(......) ところで僕には、差し出せるものといえば、愛と変わらぬ心しかな い。女というものは、僕の貧乏を軽蔑して、僕の純粋さを玩具にするのだ。」
またマノンが不貞を行った後での弁明については、その「正直一途の」言い方に感銘をし、「彼女は悪意なくして罪を犯しているのだ。」とシュバリエは悟るのである。
最後には、とうとうマノンはその放蕩の挙句、囚人として、奴隷のように鎖につながれ、アメリカ大陸へと運ばれる運命となる。シュバリエは、その運命を共にする悲痛な決意をする。「世界中の奴らが僕を迫害したり裏切ったりするのだ。(......) 僕は自分から進んで、僕の没落を仕上げるために、この悪い運命に手を貸してやるのだ。」 そして囚人の姿となり果ててもなお、美しい姿でいるマノンに再会し、2人は地の果てといわれたアメリカ大陸で、ついには2人だけの幸せな生活を送
る。
彼らは、愛の確かさ以外は、「世の人々が価値があるとするものを、ことごとく失った。」後で、しかし「愛し合う恋人同士にとっては、宇宙全体
が祖国ではないか。」と悟る。そして新大陸での新生活では、「気違いじみた貪欲も、馬鹿げた名誉心なども関係なく」幸せな生活をつかの間送った。しかし、その幸福ですら長くは続かなかった。
以上の他に、シュバリエの言葉として書き記しておきたい言葉はたくさんあり過ぎて困るほどであるが、以下に記す。
「君と一緒にいて不幸せなのは、僕には結構なことだ。」
「僕はいまや自分の欲しいものはすっかりもっている。君が僕を愛してくれる。ね、その他の幸福を、今まで僕が願ったことがあるか。」
こうした数々の心の叫びを経験した後で、アメリカ大陸で無一文になってから、マノンは心からの改心をした。
人は、全てを失った時に見えて来るものによって、奇跡的な改心をすることができるのである。それこそが、誠の愛の力であろう。自分(筆者)の経験からも、愛こそが、真実の愛のみが、人を全的なものとして完成させるのであると思う。人間が、人間らしくいられる、最後の砦となるのが、愛であろう。
マノンの心からの改心をしったシュバリエは、ついに神の御前で結婚しようと申し出る。2人は幸せの絶頂を感じるのであるが、運命の糸は、2人にとってあくまで残酷であった。正式に結婚しようとした矢先に、そこでもま
た、マノンの美貌が仇となって、急速に悲劇へ向かう運命となり、結末を迎える。シュバリエは、最後の最後で、彼女の愛を一身に受けた後で、永遠に彼女を失ってしまうのである。
こうして話の筋を追ったあとで思うのは、なぜ、神はこの2人にこうも残酷な運命を与えたのか、ということである。もちろん、小説なのだから、と一笑に伏してしまえば良いことなのかもしれないが、わたしにはこの結末は辛すぎる。ただ、やはり悪は罰せられ、善人は最後には助かる、という勧善懲悪をみることもできないわけでない。しかし、マノンを失ったシュバリエが生き残ったこと、それからの人生を亡きがらのようにして過ごすだろうことを考えると、やはり神はこの2人に、一般人以上の惨さを与えたように思えてならない。少なくともシュバリエには、何の罪も認められないのであるから。ただただ偏に、愛する女性に翻弄されてしまった、弱い、しかし悲しいほどに美しい魂をもった男であっただけなのである。シュバリエを愛する読者として、最後まで納得がいかない筆者であった。
この物語から、様々な教訓を引き出せると思うが、それはそれぞれの読者諸氏に任せたいと思う。
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
尚、写真は、Jardin des plantes (パリの5区にある植物園)です。すでに秋の花々が咲き乱れていました。