2018年1月22日月曜日

悪天候  L'intempérie

La crue de la Seine  セーヌ川の増水
久しぶりに更新します。
年明けにこのマックブックを購入してから、夫のレクチャーのもと、使いこなすのに時間がかかりました。慣れてしまえば何ということもないのですが、今まで使っていた父のパソコンが使えなくなったのが何とも寂しく、新しい、しかも初めてのマッキントッシュのパソコンに移行する気に、なかなかなれませんでした。

さて、のっけから暗い写真で申し訳ないのですが、現在のパリは連日のように天気が悪く、雨も降るのでセーヌ川の増水はなかなか収まりません。

Pont de Sully からの眺め


写真ではちょっと分かりづらいですが、
普段人々が散歩を楽しんでいる遊歩道が、完全に浸水した状態になっています。セーヌに浮かぶ船に乗り込むために、小型のボートを使う有様です。


今年の年明けは、アメリカやカナダを襲った大寒波も話題になりましたが、フランスでもスキーのメッカ、アルプス地方の豪雪も話題になりました。奇しくも今日、東京でも10センチほどの積雪があったとか。
去年の夏の猛暑の反動でしょうか。





さて話題を変えて、というと私の場合大抵食べ物のことになるわけですが、俳句会の新年会で、日本食を堪能した時の握り寿司です。パリでも本当に美味しい寿司を食べさせてくれるお店は、数が限られているとはいえ存在します。ですが要注意、日本人のお店に限ります。大抵の日本料理と名のつく、「寿司・焼き鳥屋」は、中国人経営ですから、もどきを食べることになります。以前、フランスでも人気のある北野たけしがパリでお寿司を食べたときに、「こんなの、寿司じゃねぇ」みたいなことをのたまったらしいですが、さもありなん。おそらく、日本人じゃない人の手によって握られたお寿司だったのでしょう。
でも在住者からすると、これはなんとも贅沢な発言であって、もどきと言えども慣れれば美味しく感じるものです。背に腹は変えられません。

フランスにいる以上、フランス文化ではないものはどうしても「もどき」になりがちですが、そういった事からも人間が鍛えられますね。「郷に入れば郷に従え」で、「もどき」でもあれば幸せ、感謝する気持ちがないと、海外では暮らせません。

先日、勉強会の後の飲み会に久しぶりに参加したのですが、参加者は私たち以外は在仏30年、40年のつわものばかり。皆さんとてもしたたかで、しかもユーモアのセンスが抜群です。海外で感じ、経験してきたことを物ともせず、笑い話に変える余裕がある。
そんな先輩たちと共にいると、とても勇気づけられますね。同郷人として、誇りに思います。

昨今は内向きになりがちな日本人ですが、海外にはスケールの大きい先輩たちがいることを知って欲しい。日本でしか通用しない事柄がこの世の中にはたくさんある事を知って欲しい。そして祖国日本を心から愛してやまないでいる事を知って欲しいです。

Place de la Nation  ナシオン広場

 次回からは一時滞在する日本からお届けします。
一年ぶりの日本、楽しみです。



2018年1月2日火曜日

新年明けましておめでとうございます!  Bonne année !

昨年12月25日のクリスマスのミサの後に撮ったものです。

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

昨日の元日は、パリは大荒れのお天気でした。
台風が来たのかと思うぐらい、強い風と大粒の雨でした。
元旦ということで、シャンゼリゼ詣でをしようと友人夫婦と凱旋門前で待ち合わせたのですが、少し早めに着いた私達は、あまりの強風と雨で立っていられず、地下にある改札口まで降りたほどでした。
無事に再会できたのが幸いでしたが、「これでは歩くのも大変」ということで、さっさと当初から予定していたカフェ・フーケに入り、やっと人心地つくことができました。

Club sandwhiches au café Fouquet's

右の写真は、ちょうど人が引けた時に写したもので、
店内には、間断なく人の入りのあったカフェ・フーケでした。
元日にフーケなんて!という向きもあるかもしれませんが、
私達夫婦は結婚をした年の記念として入って以来ですから
実に14年ぶりに来店ということでお許しいただけるでしょうか。

日本の人にはピンと来ないかもしれませんが、
ここフーケは、歴史のある名店でして、世界各国から訪れる名だたる人々の来店が記録されています。往年の名俳優や映画監督、歌手の名前が、正面の店先の床に刻まれています。

大雨にも関わらず、世界中から訪れる観光客で賑わっていたシャンゼリゼでしたが、
この店の前もやはり列ができていました。待っている間に、床に刻まれた有名人の名前を読み上げては歓声を挙げたものです。


 さて閑話休題。

大晦日に夫が腕によりをかけて作った年越しそば、鴨南蛮です。
友人がFBに、年が明けても年越しそばの写真を載せていたのに影響されて載せてみました。蕎麦は日本食品店で買った日本製、ネギと生姜はフランス、そして上に乗っかっている正真正銘の鴨肉も、もちろんフランス製です。本物の鴨肉を使えることが、この時期フランスにいて良いことの一つでしょうか。しかも鴨肉を二人で500グラム、そして蕎麦に至っては4人分の400グラムを二人でぺろりと平らげました。そう、食べるのが大好きな食いしん坊といえば聞こえは良いのですが。。

とにかくこんな感じの年越し、年明けでした。
皆様はどんな年末年始をお過ごしでしたでしょうか。

新しい年がまた、皆様にとりまして佳き年となりますように。
本年もよろしくお願い申し上げます。

(このパソコンでのブログも、これで最後になります。
 長年にわたって愛用したのですが、ついにガタが来ました。
 次回からは新しいパソコンで書きたいと思います。よろしくお願い致します。)


2017年12月23日土曜日

クリスマス(ノエル)の前に  Juste avant le Noël

Notre-Dame de Paris パリのノートルダム大聖堂
昨日、シテ島にある警視庁(Préfecture de Police)に行って、10年の滞在許可証をもらってきました。この10年カードは2回目となります。
フランスの役所の人たちの対応の悪さというものが今回は全くなく、無事、円満に済みました。必要な書類を完璧に揃えて提出すれば、(そしてにこやかにしていれば)本来は問題はないのですが、この滞在許可証の取得の場では、感情の吐露が起こりやすく、行くたびに(そうそう私の場合は行く場所ではないですが)ドラマを見ることになります。書類が全部揃っていないのに列に並んで時間を無駄にする人、書類の不備を指摘されて泣き叫ぶ人、そもそも通達された日にちを間違えて来る人等々。日本の役所では滅多に起こりえないことが普通に起こります。人間の、あるいは人種の多様性ーそこから忍耐力や人としての権利を学びます。

フランスは移民を受け入れるようになってから久しい国ですが、実際に自分も外国人としてこの国に生きるようになってみると、その懐の深さに感心しますし、人は一人ひとり違うということを、心底身に染みて毎日を生きることは大変でもありますが、逆に楽でもあります。
Crèche de la Cathédrale  聖堂内に展示されていた馬小屋の一部
滞在許可証の取得後、同じシテ島内にあるノートルダム大聖堂へお礼参りをしました。
この日は朝から暗く、小雨の降りしきる天気ということもあり、訪れる人の数もまばらでしたが、観光地のメッカとして、テロ対策に迷彩服を着て銃を携えた軍人たちがしっかりと周囲を警戒していました。

毎年、聖堂内で飾られる馬小屋は、とても大きく、また写真にあるように精巧にできているため、その周囲はいつも人だかりとなっています。当時のベツレヘムの村の様子、人々の暮らしや仕事ぶりもよく分かり、見ていて飽きない作りになっています。
お祝いに、そばに置いてあった献金箱に3ユーロを入れて、ロウソクを一つ、灯してきました。

大聖堂の横を流れるセーヌです。

降り続く雨のせいか、セーヌ川の水かさも増しているようでした。
流れる水も、こんな風に濁り、冬のパリの陰鬱さに一役買っていました。こんな天気では、バトー・ムーシュに乗っている人も少なく。


なんとなく気分まで鬱々としてしまうので、話題を変えます。
先日の教会での忘年会で、簡単なちらし寿司を作りました。ちらしと言えば春ですが、一足早くの迎春も兼ねて作ってみました。

こちらはハンバーグ。
ハンバーグといえば日本では「洋食」の代表選手の一つですが、フランスではマイナーな食べ物です。そもそもひき肉の料理が一般的ではないので、スーパーでも、牛のひき肉しか置いてません。なので写真のハンバーグは牛100パーセントのひき肉で作ったのですが、合いびき肉と違ってジューシーさに欠けますね。因みに鶏のひき肉もないので、もし鍋に入れる鶏団子やつくねを作ろうと思ったら、骨付きの鶏肉を買って、それをさばいて肉を骨からはがして自分で肉を叩いて作るしかありません。なのでそこまでパリで作る人は、、、おそらくかなりの趣味人でしょう。


ナシオン広場に恒例の、生のサパン、もみの木を売るコーナーです。
クリスマスの直前まではもちろん、当日まで売り続けます。
 

今年のクリスマスも、皆様にとりまして佳きものとなりますように。
この世に救い主としてお生まれになったイエス・キリストに、思いを馳せつつ。。

Joyeuse Fête !!


2017年12月11日月曜日

映画「沈黙」について   Le film " Silence "


先日、パリの日本人カトリックセンターにおいて上映された、遠藤周作の「沈黙」という映画について、感想などを述べたいと思います。但し、私自身がキリスト教徒であること、そして長年にわたり(たかだか10年ちょっとだとしても)フランスという、今やカッコつきとなっているとはいえ、典礼暦で社会が動いているカトリック国の一つに住んでいることを、まず前提としてお伝えしておきます。そしてこの作品は、非常に重要な多くの問題提起を抱えていますので、ちょっとやそっとでは論じられない、一つか二つのテーマに絞らないことには収拾がつかないと思われますし、一つか二つにテーマを絞ること、それとて容易ではないし、すべての問題提起が底では一つに繋がっている訳ですから非常に奥深いものとならなくてはなりません。そんな事が自分にできるのか?いやできない、しかし自分の生きている土台としてのキリスト教に関わることで、何一つとっても自分で納得できないのは辛い、という思いで、ほんの一部でも感想を述べてみたいと思います。

一緒に観た友人の一人も言っていたのですが、原作に劣らず、遠藤周作が小説として表現したものが実によく映像化されていたと思います。私は小説を先に読んでいましたので、その表現のリアルさに、かなり読みきるのに苦労したのを覚えています。そのずっと後で映画を観たわけですが、文章では想像の域を超えなかったものが映像化されたことでまた違った衝撃を受けました。
しかしそれよりも私が自分自身で驚いたのが、自分が既に宣教師の側の人間だという発見でした。もちろん、17世紀の日本が舞台とはいえ、同じ日本人が演じているということで、しかも日本の名優ぞろい、立派に演じきっているところは誇らしくも思いました。しかしその中でも自分はどっち側の人間なのか?ということはとても重要で、堂々と、ある意味小気味良いとも言える代官側の人間ではない、という自覚は必要だと思いました。もちろん、キリスト教徒なのですから、迫害されたキリシタンたちと同じ立場なのですが、ともすると、むしろ残虐に迫害する側、つまり権力者側の気持ちも日本人として分かってしまうため、そこら辺の識別に苦労するのです。
しかし一歩引いて考えると、なぜ、自分は権力者でもないのに、当時生きていたならむしろヒエラルキーとしては従属する階級に属しているはずなのに、この隷属する百姓を一個の人間として扱わない側の代官の言動に、何か共感してしまうのは何故なのか? 映画の上では百姓の命は、本当にむしけら同然です。このことは、決して例外的な扱いではなかっただろう、ということは、他の史実を見ても明らかです。過去の大戦でも、数え切れないほどの命がむしけら同然に、しかも無駄死に追いやられたことで証明されています。
権力者は、国を守るため、という大義名分がありますが、実際には国民の命を非常に軽く見ているという事実は、これはもういかんともし難いものがあります。それなのにその国民の多くは権力者におもねる言動をとるし、それに賛同しない者に対しては圧力を加える。この構造は、あの戦争をあそこまで長引かせた一要因として外せないことですし、そんな人間性をもつ日本人は、過去と同様、今もって何一つ変わっていないと思います。

少し話題がそれました。
そんな、国民(当時その多くはお百姓さんでした)の命をいとも軽く扱っていた権力者たちにとって、キリスト教が脅威になるのは当然でした。今でいう「人権」というものを、当時では人間の尊厳という概念があったからです。そして絶対的な真理があった。もちろん今でもあります。映画の中で、ロドリゴ神父の「どこの国にあっても、真実は真実である。日本においてそれが真実ではないなら、それ自身、真実とは言えない。」というセリフがありますが、日本に住む多くの日本人にとって、この言葉はピンと来ないかもしれません。なぜなら日本人は、絶対的な真理などは存在しないし、そんなものは求めていないからです。求めなくても、少なくとも表面上は平和に生きていかれるからなのです。それは、昔からよく言われているように、日本が島国で単一性の高い民族だからなのです。だからその同一性から外れる者をのけ者にするのは当たり前であって、いじめ問題の根はそこにあります。言ってみれば「何が悪いの?」、つまりキリシタンを迫害して「何が悪いの?」ということです。

よく仏教でもキリスト教でも、突き詰めれば同じところに行き着く、という見方がありますが、もちろん私もそれには同意します。しかしならば何故迫害しなくてはならなかったのか?それはもはや宗教的な問題ではなく、政治と結びついていたというのは周知のことでしょう。日本という国を超えて、もっと大きな存在があるという、日本にはないイデオロギーを危険視したのです。そんな宗教を放っておいたら国の統一が図れなくなります。事実、キリスト教に改宗した者たちによって、当時、お寺や神社が破壊された、という歴史があります。
しかし転んだフェレイラがロドリゴ と再会した場面で言った、「日本人が信じている神と我々の信じている神は違う神なのだ。お前の前で殉教していった日本人は、お前のために死んだのだ。」というセリフがあります。この発言は、非常に大きな問題でして、軽く言い逃れることはできません。遠藤周作氏に限らず、現代においても日本人としてキリスト教をどう信じるのか?否、信じることができるのか?という根本的な問いがあります。氏と同様、この問いを一生のテーマとしている日本人の神父たちも少なからずいます。

日本人は、果たしてすべてを超越した神なる存在を、信じることができるのでしょうか?

非常に大きなテーマですので、多くの賛否両論を超えて、私なりの答えを簡略化して書きたいと思います。
私の場合は、キリスト教を信じる夫に出会った、というのが最も大きくて素直な答えだと思います。19才で最愛の母に死なれてから、父や兄二人がいたとはいえ、大きな苦しみの中でもがき続けていた私は、後年、夫を紹介されて出会ってから、心の平安を得ることができました。
ですから「超越した神なる存在を信じることができるのか?」その問いに対する私なりの答えは、「超越した神と出会い、信じている人々ー神父やシスターに限らず一般信徒でもーと、誠の出会いをしたならば信じられる。」ということでしょうか。

映画の中のお百姓さんたちのように、キリスト教との出会いによる貧しさや苦しみからの救いだけでなく、そうした超越した神を信じている人との出会い、ロドリゴ神父とガルペ神父との「真の出会い」によって、殉教として身を投じるまで至った、と思いました。

私は本当に苦しんでいる人々、真面目に、真摯に自分の苦しみに向き合っている人々、そして真の救いを求めている人々に共感します。そして真の救いというのは、日本的な相対主義では「絶対に」救われない、という救いであることを、強く主張したいと思います。


2017年12月4日月曜日

待降節  L'Avent

La Place d'Edgar Quinet et la rue d'Odessa エドガー・キネ広場とオデッサ通り

待降節が始まりました。
正確には先週の日曜の、11月26日に「王であるキリスト」を迎え、典礼暦がマタイからマルコとなり、昨日の日曜日で待降節第一主日となりました。
でも街はとっくにクリスマス(ノエル)の装いとなっています。

上の写真は、エドガーキネの広場にあるカフェの一つで、カトリックセンターが近いこともあり、時々利用しています。このカフェの売りの一つは、店先でクレープを販売していることで、目の前で生地から焼いてつくってくれるクレープは絶品です。この間は一人でしたが行列に並んで買いました。甘いのだけでなく、食事系のクレープ(crêpe salée)も豊富で、わたしは大好物の Jambon & Fromage (ハムとチーズ入りクレープ)を注文することが多いのですが、熱々になったハムととろけるチーズを、はふはふさせながら食べます。パリでは、Casse croûteといって、小腹が空くと、こうして買い食いすることが多いのです。おしゃれなパリジャン・パリジェンヌが、食べながら歩いているのを良く見ますし、メトロの中でも見られます。

On vend des huîtres de Normandie devant le café

寒さも本格的となってくると、フランス名産の生牡蠣が売られるようになります。
日本にいた頃は、生牡蠣を食べるなんてことは滅多にありませんでしたが、パリに住むようになってからはレストランででよりも家で買ったものを食べるようになりました。
生牡蠣は、専用のナイフで閉じた貝殻を開けて身をはがして食べるので、フランスでは一家に一つ以上はそのナイフを所有しています。この貝殻をこじ開けるというのがなかなかやっかいでコツがいります。下手をすると指を切ってしまいます。
日本映画の、伊丹十三作品の「たんぽぽ」に、男が貝殻を口につけて唇を切ってしまい、血が出てしまう場面があります。そこで海女が牡蠣の身を自分の手のひらに移して男に食べさせるのですが、とてもエロチックでしたね。昔から、貝は女性を象徴するものだったんですね。そのことを私は夫から初めて教わったのですが(本当です)、「ぶりっ子にも程がある」と呆れられました。
パリは海のない地域なので、生牡蠣を開けるときに広がる海というか潮の香りに懐かしさを覚えます。実家は東京の墨田区なので、隅田川に近く、東京湾からも遠くありませんでしたし、海の香りを嗅ぐと、子供の頃千葉の九十九里浜で潮干狩りをしたことを思い出します。
亡父は同じ牡蠣でも、牡蠣フライが大好物でしたっけ。

Le grand magasin de Galerie Lafayette


今年のギャラリー・ラファイエットのクリスマス用イリュミネーションはこんな感じです。数年前は、広場に面した側面が、まるで光り輝くビザンチン洋式のモスクのようでしたが、近年は今ひとつですね。恒例の子供用ショーウィンドーも、今年はなぜか「鳥」がテーマでしたが、パッとしませんでした。通行人の一人が、「チープだな」と言っていたのにもうなずけました。

昨日はカトリックセンターでクリスマスバザーを開催しました。朝のうちは氷点下という寒さで空は暗く、「今年は内輪で終わるかな」と話していたのですが、それにしては人が沢山来たので、盛況となりました。

昨日が無事終わってホッとひと息。今日は家でのんびり疲れを癒そうと思います。
人生、悲喜こもごもですが、どうにかこうにか暮らしていけていること、そして何より夫と仲が良いことに心からの感謝です。

今年も残すところ後わずか。
まだまだクリスマスにむけてイベントが目白押しですが、今年一年を振り返りつつ、悔いのないように過ごしたいものです。
皆様も忙しい師走とは思いますが、お身体大切に、そして思いっきり楽しみましょう!

Rue des Francs Bourgeois


2017年11月24日金曜日

晩秋と四方山話  La fin d'automne et l'anecdote

Jardin des Tuilleries チュイルリー公園
いよいよ秋も終わり、本格的な寒さを迎えているパリですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。先日、珍しく雲のない晴天がありましたが一日限り、その後も日は差しても弱々しい光で、曇天となっています。

夕方になると、大きく傾いた太陽の光がアパルトマンの窓から差してきて、ちょうどその角度が普段座っている位置に直撃するのでカーテンを引いています。弱々しい秋の光とはいえ、直撃するとさすがに眩しいですね。やはり太陽の威力ってすごいと思います。

公園の木々も街路樹も、黄色くなった葉をほとんど落とし、地面はそうした落ち葉で埋まっています。家の近所の通りにも、まだ掃き清められていない黄色の落ち葉が絨毯のようになっています。落ち葉をごみとしてさっさと掃いてしまわないで、落ちたままにしておくのも風情があっていいものですね。


こちらもチュイルリー公園ですが、晴れ間の見えた瞬間に撮ったものです。この後友人たちとルーブル美術館を見学する予定になっていたのですが、私たち夫婦は約束の時間よりも大幅に早く着いたために、時間つぶしで公園を散歩したのでした。

手前にあるカルーゼル門からこの写真にむかう通路には、黒人たちが絨毯を広げたくさんの物を並べて(今の時期は毛糸やフエルトの帽子)売っていて、思わずそれに見入っていると、危ない、危ない、背後から隙を狙ってスリの集団が近づいて来ました。日本人と見ると、未だにお金を持った観光客として狙われるのですから油断大敵ですね。もっとも狙われたのは私ではなく、私たちの側にいた本当の日本人の観光客(態度と服装で分かります)の方でしたけれど。

Cour Napoléon du Musée du Louvre ルーブル美術館のナポレオン広場

普段、パリの街中を歩いていて、危ない目に遭うことはほとんどないのですが、一ついつも気になるのが、前から人が歩いてくる時ですね。何が気になるかというと、避けないんですよ、すれ違う時に。すれ違うのだから避ける必要がある訳ですが、私の場合、100パーセント、私が避けています。フランス人て、避けないんですよ、絶対。

これには面白い話があって、フランス滞在40年以上の年配の友人なのですが、この事で実験したそうなのです。どういう事かというと、前から歩いて来ても、その友人は、「絶対に」避けなかったそうです。そうするとどうなるか?ぎりぎりまで来てぶつかりそうになった時、しぶしぶ避けるそうです。これってどういう事なんでしょうか?但し、フランス人同士の場合は分かりません。今度誰かに聞いてみようと思っています。

私にはこの友人のような度胸がないので、最初からもう、何も考えずに避けてしまいますが。。 このような態度が、一事が万事、とまでは行かなくても、フランス人の押しの強さという点では他の事にも通じますね。


未だに、自分がフランスでフランス人の間に混じって暮らしている不思議を感じます。
子供の頃からフランスという国、特に言語には慣れ親しんできた訳ですが、なぜか馴染んでいない、よく言えば常に旅行者のような新鮮な感慨をもって暮らしています。

常にブログに使えるような風景かどうかを観察し、常にカメラを持ち歩いているせいか、滞在14年目でも、観光客のような目を持ち続けています。自分の好奇心の強さのせいもありますね。


年明け、1月の末に一時帰国することになりました。一年で最も寒い時期に、「耐えやすいように」と夫が勧めてくれました。日本の冬といえば炬燵にみかん!(古いですかね)
でも自分の国とはいえ、日本を逃れ場にする発想を、もうそろそろ卒業したいですね。
ひと月ほどでパリに戻るので春はパリですが、夫はといえば、日本の桜をもう20年以上も見ていません。それを思うと、申し訳なく思いますね。。

日本も寒い時期ですが、恩師や友人たちと会えることを思うと楽しみです。

Au marché de St Germain サンジェルマン市場の花屋にて










2017年11月16日木曜日

晩秋、そして和食について



目の前の、眼下に見える公園の木々も、黄葉真っ盛りとなりました。
なんやかんやと時は過ぎて、秋も終盤、街では早くもクリスマスの装いとなっています。
今年はデパートのショーウィンドーで、どんな飾り付けや仕掛けが見られるでしょうか。近いうちに見に行こうと思います。
今日は、久しぶりに日の光が差す、明るい空となっています。


最近、日本の通信講座で、海外在住の日本人にむけたものを一つ、「家庭料理」を受講しています。
特に、和食についての基本的な知識を学びなおしたい、というのが最大の理由ですが、実際につくろうとすると、かなりの障害があることに気づかされました。

それはどういう事かというと、まず、和食に使う食材が、パリでは簡単には手に入らない、という事です。もちろん、通称日本人街と言われるオペラ街に行けば、ある程度のものは手に入るのですが、そこに行くまでの手間や時間を考えると、やはりもったいない感じがします。
例えば、その通信講座でつくらなくてはならない課題料理に筑前煮があるのですが、具として普通のスーパーで手に入るのはニンジンと鶏肉ぐらいです。その他の、干ししいたけやレンコン、ごぼう、竹の子、こんにゃく、絹さやなどは、売っていません。しかも鶏肉は、ささ身以外は全部骨付きですから、骨から肉をそぎ落とすという、肉をさばく必要があります。これが結構厄介なのです。


写真は、友人との昼食につくった、これも課題料理の一つ、五目炊き込みご飯と味噌汁、そして友人が持ってきてくれたヒヨコマメのサラダです。
友人の手料理は、もちろん、パリの普通のスーパーで手に入るものばかりで作られていましたが、五目炊き込みご飯は、やはり、簡単には手に入らない食材を多く使いました。

重ねては書きませんが、ご飯の上に彩りとして乗せた香菜は、実は三つ葉の代用品。同じアジアでも、中国系の食料品店は、街のあちこちにありますから、そこでは東南アジアのものも売っているのです。


こちらは ほうれん草のおひたし。
日本でもこの時期はほうれん草、手に入りづらいか、高いかもしれませんが、小松菜とか他の葉物があると思います。パリではこれも、上記した日本か韓国の食料品店に行かないと手に入りません。削り鰹もしかり。

パリで和食をつくるのが如何に困難か、ごく一部の例をとって説明しました。
驚いたことに、和食では「ほとんど肉を使わない」ということも発見しました。教材の料理本を見ても、使っている料理はまず肉じゃが、そして筑前煮ですが、あと代表的なのが豚の角煮(これはとても作りやすいです、和食用の調味料がそろっていれば)、しゃぶしゃぶ、すき焼き、鍋の水炊き、ぐらいでしょうか。あとは動物性の蛋白源としては全部、魚です。このこともまた、パリでは美味しい魚が手に入りにくいということで、ハードルが高くなっています。

なので、フランスに住む日本人は、やはりどうしても、フランス料理を普段には食べざるを得ない、ということになります。特に、和食、主食のご飯ですが、それが苦手なフランス人男性と結婚している日本女性は、ほとんどの食事をフランス料理にしていると思われます。こんなに手の込んだ、しかもお金もかかる和食をフランスで普段の食事につくるのは、そう、フランス語で言えば、raisonable なことではないのです。



上の写真は、なんとか、和食っぽい食事、もどきをつくったものです。
お味噌汁の油揚げも、手に入りづらい食材ですが、冷凍庫にまとめて常備してあるものを使いました。ワカメもしかり。韓国製の乾燥ワカメです。
メインの魚は缶詰(フランス製、鯖です)、トマト、巨大なさやえんどうもフランス製。お米も南仏、カマルグ産です。

世界各国の食材が、簡単に手に入る日本のスーパーとは大違い。
食事一つとっても、日本人が海外でも暮らしづらいということが、お分かりいただけたでしょうか?

きっと、「私はパンが大好きだから大丈夫」とか、「毎日肉でもへっちゃら」という感想がおありだと思います。でもそれは海外といえでも期間限定で暮らしている人の感想であって、永住を決めている日本人にとっては、ご飯やお味噌汁の味というのが、いかに本来の日本人の味覚、体質に合致しているかを、身を持って知っているのです。

もちろん、慣れもありますから、何十年と暮らしている間に、パンとチーズとワインの生活に、すっかり馴染んでいる日本人たちもいます。でも私自身は、和食をつくる機会というのが一年を通して何回かあるので、習って良かったと思っています。

肉じゃがもどきです
考えてみると、日本にいても、手のかかる和食は、今時の女性はつくらないかもしれませんね。
パリで和食をつくるのは、 単なるノスタルジーのなせる業なのかもしれません。

でも和食は世界に冠たる料理。そして日本人にとってはおふくろの味です。ぜひ、つくり続けて行きたいものです。