2019年7月15日月曜日

海の日に La journée de la mer

家の近所の白い百合 Le lys blanc près de chez moi

梅雨真っ盛りの海の日。なかなか梅雨は明けませんね。久しぶりに日本の梅雨を満喫しています。

そんな中、一人で近所の浅草に出かけました。
今や、浅草は世界の浅草になりつつあると言っても過言ではないぐらい、海外からの観光客で賑わっています。土地柄、気取りというものとは程遠い、気楽で雑多な雰囲気も加味されて、東京でも人気のスポットですね。地元人でなくても、人が多いことが苦にならなければ、いたって居心地の良いところです。

そんな中をぶらぶら歩いていて思うのは、浅草は、日本人が、東京で最も日本人らしくいられる土地なのではないかな、ということです。下町の人情や江戸文化で発展した「粋」などは、日本人に本来そなわっているもので、その名残のある浅草に来ると、皆、解放されたように感じるのでは ? と。

ブルーが美しい桔梗 la belle blue, campanule

肩の力を抜いて、お気楽に歩ける町、それが浅草の魅力ですね。

翻って自分を振り返ると、そんな街並みから一転してパリに住み始めた当時の自分は、かなり肩に力が入っていたなぁ、と思うのです。
どこの国に行っても短パンにTシャツにビーサンのようなアメリカ人を真似てみようか、とは思いませんが、浅草を歩いているようにパリの街中を歩けたら... どんなに楽だろう... と、一人感慨に耽っていました。

赤い百合の花言葉は、「虚栄心」だそうです... language des fleurs du lys rouge; la vanité

どんな国、どんな土地柄でも自分らしく生きられる道はあるのではないか、とも思います。

最近、浅草寺の裏の、昔「山谷」と言われた地区のことを考えています。キリスト教徒としても「蟻の町のマリア」で有名な土地ですが、自分に何かできないか、と。

一方で、そんな力みもどこ吹く風、海外からの観光客のための安宿が増えたために、ディパックをかついだ外国人たちが多く闊歩しているとか。
そんな人々の風情を、フランス語では nonchalant(e) とか、sans-souci などと言いますが、そういったのんきさや拘りのなさも、浅草には似つかわしいですね。

梅雨明けの待ち遠しい、浅草散歩でした。




2019年7月3日水曜日

地元に住むということ Vivre en terre natale

近所の花 プルンパゴ
リハビリのために、一時帰国のはずがいつの間にか半年を過ぎてしまいました。
 今回の更新では、
 生まれ育った土地と全く同じ土地に住むということのメリットとデメリットを考えてみました。

 メリットは、ここでも散々書いてきているように、下町の人情が至るところで味わえる、ということでしょうか。都心の下町ということで、町の風情は大きく変わってきており、表通りに面した建物は高層になりつつありますが、代々その土地に住み続けている人同士の交流は生きています。町内会も、活発とはいえないまでもきちんと機能しています。

 外を歩いていて、近所の人と挨拶ができるのは、本当に嬉しいものです。そこには子供の頃の思い出を思い起こさせてくれる懐かしさがあります。

昔、実家でも育てていたアガパンサス
さて、デメリットですが、こちらの方が皆様の関心が高いのでは ? と想像しますが、書き出すと止まらなくなりそうなので、ごく控えめに書きたいと思います。

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の通り、過去の自分を知っている人たちに囲まれているというのは、安心でもあり、窮屈でもあります。特に私の場合は、聖書にある「放蕩息子」ならぬ放蕩娘だったので、後ろめたさは常につきまといます。
夫からは、「普通に幸せそうに暮らしていれば、皆、過去のことなんか忘れるもんだよ。でも同じ過ちを犯したら、過去の過ちのこともすぐに思い出してしまうだろうね」、と言われています。
  確かにそうだろうな、と思いますし、そうした手応えを感じることがあります。

珍しいブルーローズ
翻って、過去の私は、否、現在も、気軽に引っ越しをしている人が羨ましくてなりません。どんな理由でも良いのです、数年住んだら別の土地へ移動する。
 私の場合は、東京に家があるということで引っ越しをしなくて済んだ、といえば聞こえは良いのですが、19才で母親が他界してからは、本当に別の土地に暮らしたかった。母の思い出に、窒息しそうになるぐらい、苦しんだからです。
 37才で結婚してパリに住むようになるまで、それこそ一所懸命、そう、どんなに辛くても同じ地に住み続けました。そういう意味では、石の上にも三年といったものに通じる信念というか執念 ? といったものが鍛えられたと思っています。

 そういう意味では、過去の私に何も引けを取ることはないのかもしれません。
 フランス語で、culpabilité (これはフランス人ぽい概念ですので訳すのが難しいですが、直訳は「罪意識」、意訳としては「気まずさ」よりも強い意味があります。キリスト教国らしい概念です)このキュルパビリテ、人間としては厄介なものですが、これがない人というのは、むしろ面白みのない、平板な人と言えるのではないでしょうか ?

梅ジュース
  昨日、父を思い出して梅ジュースを作りました。梅酒ではないので、1か月したら飲めるそうですが、作った後にさて、どこに置いておこうか、悩みました。冷暗所がこのマンションの部屋には見当たらない ? !

 とにかくデメリット、恥ずかしい思いを抱えながらそれを手懐け、そんなこともあったよね、と笑い飛ばせる、あるいは否定せずに肥やしにして行くのが真の大人と言えるのでしょう。しかし、それを支えてくれるような、人的な環境が必要なことは言うまでもありませんし、昨今の諸々の事件を見ると、そうした環境作りが急務であると言えるでしょう。全てが「自己責任」とする考えには、正直馴染めません。。

 先に挙げた、「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」の続き、ご存知でしょうか。
 「そして悲しくうたふもの」です。
 今や、故郷は私にとって、パリになりつつあるのかもしれません。

  良い午後をお過ごしください。
  Bonne soirée ! !






2019年6月25日火曜日

断捨離の果てに  à la fin de " DAN-SHA-RI"

家の近所の紫陽花、ハイドランジア
今日は梅雨の晴れ間、という感じで、昨日までの雨が嘘のように晴れている東京です。

満開時
写真の紫陽花は、地元の、リハビリに通っている接骨院のそばのお宅の玄関前に咲いていたもので、今はもう、枯れ始めています。満開時のものです。

 このハイドランジア、亡き父と生前、園芸に凝っていた時に、どうしても手に入れられなかった花で、
今でこそポピュラーですが、20年以上前はまだ希少でした。
 こうして大株に育つと、剪定の仕方によるのでしょうが、真っ白なクリスマスツリーのようで、見るたびに心が弾みます。
とても上手に育てておられますよね。
 背景の濃いグレーの外壁が、
花の白さを一層引き立てているようです。

 さて、昨日は、タイトルにあるように、断捨離、しかも大きな断捨離としては最後になったと思われる断捨離を決行しました。
このマンションに残していた、実家に置いていた和の違い棚を処分したのです。


 この違い棚は、実家から持ってきていた数少ない家具でも、仏壇を別にすれば最後まで残っていた家具でした。ここに、亡父の、世界中を旅して集めた土産物品を飾っていたのでした。その土産物品たちは、仏壇の下の引き戸の中に丁寧に収めて、このようなまっさらな状態で記念写真を撮りました。

 処分をする !  と決めてから、実際に処分業者に来てもらうまで、たったの二日間しかありませんでしたが、その間ずっと、心は静かに興奮していました。いよいよこの家具も処分するのか? と、かなり逡巡もしましたし、兄や夫とも繰り返し連絡をして心を落ち着かせていました。それほどまでに、決意のいることでした。

  
 結果、やって良かった、処分して良かった、と思いました。父との和解は成立していたものの、父を象徴する物が常に視界に入っているのはおそらく、無意識のレベルでは辛かったのだと思います。なくなって、心からホッとしました。一抹の寂しさには責任を持たなくてはなりませんが。

 不思議なことに、ここ数年来悩み続けていた、「自分と手芸との関係」に、答えが出ました。「やりたい時にやればいい」、「やりたくない時でも、毛糸や編み棒などを捨てたりせず、大事に取っておこう」。つまり、「やるかやらないか ? やらないなら全捨てすべきでは ? 」という、ゼロか100か、というどちらかの極論に自分を持って行こうと躍起になっていたのが、その中間の、緩やかな選択肢に落ち着いたのです。

ちょっと距離を置いて考えれば、ごくごく当たり前の結論なのですが、それがここ3、4年できなかった。不思議です。
「やっぱり、何やかんや言っても好きなのだから」と、初心にかえることができたのです。


 好きなものは好きと言えなかった自分、否、好きと分かっていても身体が辛くて出来なかった自分に、「できる範囲で良いんだよ、やりたくない時は無理してやらないでやりたくなるまで放っておいて良いんだよ」父から、そう答えをもらったように思います。

実際に、様々な示唆やヒントをくださった友人たちにも心から感謝したいと思います。

鬱陶しい梅雨も、元気に乗り切れそうです。





2019年5月16日木曜日

実家のバラとデコルテについて  Des rosiers en fleurs et le décolleté

隣家のバラ Rose des voisins

日本(東京)はバラの季節ですね。
実家のマンションのお隣さんには、園芸に熱心なご主人がいて、うちがまだ古い一軒家だった頃育てていたバラをいくつか引き取って育てて下さっています。
上の写真はご主人が購入されたものですが、私自身もこうした色合いのバラが大好きなのでトップに載せました。こんな色合いのバラで思い出すのが、「ニンフの腿 cuisse des nymphe 」という名のバラです。美しい少女の腿、なんて、若々しさにも艶やかなこの色合いにぴったりのネーミングだと思いませんか ?





右の2枚は多分、うちにあった、
「ピエール・ド・ロンサール Pierre de Ronsard」と
黄色は「グラハム・トーマス Graham Thomas」だと思います。
(咲いてからまだご主人に確かめていないので)

こんな風に、お隣さんに限らず、ご近所との交流が残っているここ、下町に暮らせることは、今となっては幸せなことだと
つくづく思います。

ところで、こうした下町の人情の他に
このブログに書きたくなったこと。
それは件名にあるように、「デコルテ」についてです。

日本ではローブ・デコルテ robe décolletée という言い方で知られていますが、今月から令和となり、その式典で皇后はじめ、皇族の女性たちが着ていましたが、皆様ご覧になったでしょうか。

本来、フランスでローブ・デコルテといえば、その意味のなす通り、襟元を開けたドレスを意味します。
しかし日本の皇族が着用していたのは、ごくごく控えめなローブ・デコルテであって、本来のものと比べると胸元の開き方が小さいですよね。
これは日本文化を象徴しているものの一つと私などは見ているのですが、西洋の女性のように、胸の谷間までぐっと見せることは日本には馴染まないようです。

その視点で見ると、話は大分飛びますが、あの Me too で一躍時の人となった伊藤詩織さんへのバッシングの一つに、着ている服の胸の開きが大きい、というのがありました。海外暮らしが長い私の目からすれば、あの程度の胸の開き、つまりデコルテは何でもないことなのですが、日本の文化にどっぷり浸かっている人たちからすれば非難の対象になるのだ、と妙に感心したことを覚えています。

私自身の経験を書きますと、
先日総武線に乗っていたところ、遠目でも目立つほどの色の白い若い女性がある駅から乗ってきました。

「きれいだな(色が白くて眩しいな)」と思って何気なく目をやったら、すぐ隣に立ったのです。そしてすぐに目のやり場に困りました。
小柄な女性だったので、長身の私は彼女の胸元を見下ろす形になったのですが、日本女性としてはハッとするぐらい空いていたのです。谷間が見えるほどに。
女性ながらドキドキしましたね。
本当に目のやり場に困りました。


この体験から思うんですが、胸元を見せるなら、健康的でなくてはならない、ということ。普段から人に見せ慣れていて、夏のバカンスには避暑地の海でたっぷり日焼けして、という西洋女性のような、あっけらかんとした美しさというのが必要なんではないか ?

まだまだ奥ゆかしさが残っている(そう、残っていると思うんです)、あるいは隠す美学という背景のある日本において、大きなデコルテは下手をすると悪目立ち、もっと言うといやらしくなってしまう危険性がある、ということですね。

伊藤詩織さんに関して言えば、容姿端麗、流暢な英語、これだけで世の女性たちの反感、つまりはコンプレックスと嫉妬なわけですが、それが加味されていると私は思います。

でも結論としては、日本ではデコルテはほどほどが良いんじゃないでしょうか、ということでした。

良い週末をお送りください。
Bon week-end !!







2019年4月30日火曜日

平成最後の日  Le dernier jour de " Heisei "

近所の植え込みが花盛り

今日は平成最後の日として、テレビでは特番が組まれ、上を下への大騒ぎ、という感じですね。私も御多分に洩れずこうしてブログを書いているわけですが、「平成」とは皆様にとって、どんな年月だったのでしょうか。

平成は、30年余りの年月でしたが、時の流れから言えば、決して短くない年月です。
生まれたばかりの赤ん坊が、30歳になるのですから、人間の歩みの中では短くない。

私にとっての平成は、激動の時代でした。ちょうど真ん中の年である平成15年に結婚してパリに住むようになったことが一番の変化だったと思います。
その前の15年間は、母亡き後、父との闘いの毎日でした。
しかし今や、全てが過ぎ去り、こうして腰を据えて日本で暮らせるのも、亡き父のお蔭と思っています。

皆様はどんな平成を生き抜いてこられたのでしょうか。

面白いのは、パリにいる夫の反応。「パリにいたら平成も令和も関係ないよ。元号じゃなくて、西暦で生きてるからね。」
所変われば同じ日本人でも全く違う反応が。でも案外、大騒ぎしてるのは、マスコミと一部の日本人だけだったりして ??

そんな夫は今日から信徒の皆さんとルルドへ巡礼に旅立ちました。
ルルドは南仏とはいえ、朝晩の冷え込みがあるので薄着は出来ません。ユニクロの防寒着をしっかり着込んでの出発です。元号なんて、どこ吹く風、です。 


さて、そうは言っても日本にいる身。令和とやらの名のつく新しい時代は、一体どんな時代になるのでしょうか ? そして皇太子様が天皇となられ、皇室はどのように変わっていくのでしょうか ?
この元号が馴染む頃には、パリに戻れているといいのですが...

肩が痛いのでこれで。

ちょっと前に満開だった、大好きな牡丹






2019年4月5日金曜日

春爛漫  C'est le printemps !!

新宿御苑 Jardin impérial de Shinjuku
また久しぶりの投稿となりました。
時の経つのは早いもので、前回の投稿からふた月以上が経ちました。
その間、ようやく精密検査の結果も出て、パーキンソン症状と診断されました。ここ数年にわたる、左半身の不自由の理由がやっとわかり、そういう意味ではやれやれですが、パーキンソンという診断には、少なからずショックを受けました。

パーキンソン病は、難病指定をされていますが、医学の進歩ゆえに昔に比べるとかなり改善されることがわかっています。基本的には薬物治療なのですが、それに運動療法をプラスすることにより、進行を遅らせることができるそうです。

そんなこんなで、ブログの更新がままならなくなっています。


人生も、50年を過ぎると、いろいろな不具合が出てくるものですね。
同年代の友人達には、自分だけではない、と勇気づけられています。
そしてこうなってみて初めて、「ゆるし」とは何か ? 「ゆるされなくてはならないのは自分の方だったのではないか ?」という思いに突き動かされています。

フロイトの『夢分析』、読むのを再開しました。
正直、本を手に持って読むことが困難な状態ではありますが、限られた能力の範囲での工夫ということも考えるようになりました。



写真は、桜の満開が告げられてからすぐの、花曇りの日でしたが、信仰を同じくする友人との語らいは楽しく、暗くなりがちな心を慰めてくれました。
病気に負けず、そして希望をもって生きてゆきたいと思っています。
皆様もどうぞ、心身ともにお元気でお過ごしください。





2019年1月31日木曜日

初春のお慶びを申し上げます ! Je vous souhaite une nouvelle année !

浅草 雷門 Porte de Kaminari à Asakusa
ご無沙汰しております。気がつけばもう1月も今日で終わり、慌ててブログを更新しています。今年は新しい年の幕開けもここ、日本・東京で迎えました。夫婦揃っての日本での年末年始は盛りだくさんで、4日から5泊6日した京都・奈良での滞在が、この一時帰国でのハイライトでした。
TOKYO SKY TREE

その京都・奈良の旅のご紹介の前に、
ここ地元のご紹介をしたいと思います。

墨田区といえばもう、周知のこととなったこのスカイツリーですが、右の写真は、私の実家の氏神様が祀ってある牛嶋神社からの眺めです。
以前の実家にあった神棚を奉納してお炊き上げしてもらうために訪れた際のものです。

この一点の曇りのない晴天に、夫と共に歓声を上げて喜びを分かち合いました。日本の冬の晴天と、いつでも入ることのできるお風呂こそが最高のものだと実感します。

実はこの一時滞在、私の身体の精密検査を受ける目的もあります。なので夫は1月の13日にパリに戻りましたが、私は引き続き東京に滞在しています。
左肩が痛いために、このブログを更新するのも一苦労、キーボードを打つのがとても辛い状況です。


肩の痛みのために簡単にはしょりますが、ここは奈良の二月堂の前です。恩師、玉谷先生と、お手伝いをしている坂出さんの車で訪れました。大阪の親友に連れられて来た時は、近くにある法華堂にもお参りしました。

坂出さんのお宅では、またまた大ご馳走になりました。
坂出さんの奥様のおもてなしにすっかり寛いでしまいましたし、ご主人様からは普通では手に入らない東大寺の鏡餅をお土産に戴きました。人工的ではない、人の手でつかれたお餅は、子供の頃のお餅のようにとても固く、すぐにカビが生えましたが極上の味でした。

ご主人様の手彫りの仏像は、あちらこちらの境内に祀られています。

「いづ重」の鯖寿司を中心とした盛り合わせ

大阪の親友と食べた「おかめ」のお好み焼き

飛んでこちらは東京・銀座の「梅林」のロースカツ定食。
夕方の4時過ぎという中途半端な時間ながら店内は満席。中国人の観光客も多かった。

すみません、夫婦揃って食いしん坊なもので。。
夫は日本で食べたいものは全部食べて満喫して、嬉々としてパリに戻りました。。( ^∀^)

しばらく静養のために日本に留まります。
今年はどんな年にしようか、思案中です。

皆様の今年一年のご健康と幸せを祈ります。
(ブログの頻度はかなり間断になると思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。)