2017年6月16日金曜日

訃報  Le décès du père Pierre DUNOYER


先週の金曜日、9日の朝に、パリ外国宣教会のデュノワイエ神父様がお亡くなりになりました。
神父様は、長年にわたり、日本人のために司牧をしてくださった方で、日本では主に北九州(特に福岡)で20年、フランスに戻られてからはパリ及びその近郊に住む日本人のカトリック信者のために30年、ご奉仕くださいました。信者に限らず、当時パリに住む日本人の多くの人は、デュノワイエ神父様に何らかの形で関わり、あるいは助けられました。享年94歳。心よりご冥福を祈ります。

上の写真は、神父様が2004年に引退されてからお暮らしになっていた、Monbeton にあるパリ外国宣教会の老人ホームの庭の入り口です。神父様はここに、13年お住みになっていたことになります。そしてこの庭へは、引退後の神父様に会いに行った際、必ず歩いた道のりで、とても懐かしく、この道の先には、墓地があります。


この墓地の横を通るたびに、神父様は「僕はここに入るんだよ。」と仰っていました....


 
夫がパリ外国宣教会の総長、ジル・レタンジェ神父様より訃報のメールを受け取ったのが、亡くなった日の夕方でした。ついにこの日が来てしまった!覚悟していたとはいえ、その知らせに夫も私も一瞬にして奈落へ突き落とされたように感じました。                            それ以降は、とにかく少しでも多くの人に知らせようと躍起となりました、特に神父様と縁の深かった方々には電話でお知らせし、皆さん、一様に深い驚きと悲しみを表現していました。


結局、パリ日本人カトリックセンターからは、私たち夫婦と、もう一人、信者の女性と三人でモントーバンに向かい、葬儀に参列しました。
葬儀のミサは、12日の月曜日の午後3時から営まれましたが、そこに、福岡時代に親の代から神父様にお世話になったという女性も駆けつけました。葬儀の後、日本で言うところのお清めの際、福岡で神父様がどんなに人々を慰められ、勇気付けられたかをお話くださいました。



ミサでは、夫が共同祈願、そして私は第一朗読を頼まれました。
朗読箇所は、ヨブ記19章23-27節でした。
恥ずかしながら私は、ミサの間は、ほとんど泣いていました。神父様から、今となっては最後となってしまったお言葉を、繰り返し思い出していたのです。それは、「神父様、本当にとても辛い時は、どうすればいいのでしょうか?」という私に対する問いのお答えでした。

「Vous devez vous habituez à penser aux jours heureux !」
 (そういう時は、)幸せだった日々の事を考えるようにしなさい。というものでした。


本当に、神父様に助けられた人々は、大勢います。カトリックセンターには来なくなった人々、そしてパリに住み続けている人々、果ては日本に帰った人々も含め、数知れません。

そもそも、キリスト教が日本に伝わって以来、数多くの宣教師が日本人のために司牧をし、日本で骨を埋めてきた訳ですが、その一人ひとりの人生は、想像を絶して波乱万丈であったと言うことが出来るでしょう。デュノワイエ神父様も、引退された後でさえ、南仏からいつも日本人のためにご奉仕し、尽くされていました。

引退された当時から、心臓に問題のあった神父様でしたが、お亡くなりになる前には、延命治療をお断りになった、とのことです。
長きにわたる、病気による苦しみからも解放され、今や安らかに天国で神様の御許にいらっしゃることでしょう。棺に入ったお顔は、本当に若々しく、若き頃の神父様を彷彿とさせるものでした。

神父様、本当にありがとうございました! 
ここに、神父様にお世話になった全ての人の心を代表して、弔辞とさせていただきたいと思います。

神父様とよく一緒に写した林檎の木、多くの実がなっていました。


                                                                                       

        


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