2017年6月26日月曜日

暑さが少し弱まりました la chaleur s'est adoucie


日本の皆様、如何お過ごしでしょうか?
先週に沖縄が梅雨明けしたとネットで知りましたが、東京はまだまだでしょうか。
思えば4年前に父が他界するまで、毎年この時期に夫と一時帰国していたのを思い出します。
フランスは6月が年度末、学期末でもあるので、大学通いをしている夫にとっても、この時期に夏のバカンスをとるのは理にかなっていた訳です。

写真は、カトリックセンターで日本語ミサの際、祭壇に供える生花ですが、この時はデュノワイエ神父様の意向ミサでもありました。記念に載せるのと同時に、6月の花としての紫陽花の美しさもお伝えしたいと思いました。

白い紫陽花も美しいですよね。日本でガーデニングに凝っていた頃は、白い額紫陽花(英名:ハイドランジア)が大好きで、今でも思い出に残っています。園芸種としては新しい部類にはいるのでしょうが、もともとの紫色の紫陽花にはない、別の気品のようなものが感じられます。

結婚前、親友と行った、蓼科にあるイングリッシュガーデンでの雪のように白いアナベルが咲き乱れていたのを、今でも思い出します。


Jardin des Missions Étrangère de Paris à Montbeton


パリは、連日の怒涛のような猛暑が終わり、最高気温27度まで下がりました。
今、朝の8時半ですが、18度。わりと爽やかです。でも夕方から夜にかけて最高気温に達するので、爽やかなのは今のうちだけと言えるでしょう。そもそも最高気温が27度というのは、この時期のパリの気温から行けばやはり高め。暑いパリに変わりはありません。

今年の夏のバカンス、気温はどうなるのでしょうか....


直径16,5cmのドイリー











2017年6月21日水曜日

モントーバンとモワサック   Montauban et Moissac


先日のデュノワイエ神父様の訃報により駆けつけた、モントーバンの街並みと、そこから車でおよそ30分のところにあるモワサックの町のご紹介を致します。

先週の日曜から火曜日にかけて、計3日間の旅でしたが、今と同様、連日、日差しの強い猛暑でした。モントーバンは、近年、TGVが停まるようになり、しかも Montparnasse 駅(モンパルナス)から Toulouse 駅(トゥールーズ)行きの直通で行けるようになりました。途中、Bordeaux 駅(ボルドー)や Agen 駅(アジャン)に停まるとはいえ、パリから丸5時間。結構な長旅です。

写真はモントーバンの町の中心にある広場です。
この広場を囲むようにして建物が並んでおり、日本でいうところの1階部分(地上階)は、回廊になっています。こうした町の作りは、フランス、引いてはヨーロッパによく見られる形式です。


こうして回廊の中に入ると暗く、そして何より日差しが遮られるのでとてもひんやりしています。
これは石造りの建物の最大の利点の一つだと思います。



この回廊の並びにあるカフェの一つで私たちは度々休憩するために立ち寄り、そのことで、カフェを切り盛りしているマダムと大親友のようにして冗談を言い合ったりする事ができました。

そうした、気さくな間柄をすぐに結べるというのは、南仏ならではないでしょうか。あるいは本来、フランス人というのは情に深いものであって、パリにいるとそれが前面には出にくくなっているだけなのかもしれません。





Glorification de la croix (十字架の栄光)

こちらは飛んでモワサックの L'Abbaye Saint-Pierre (聖ペトロ大修道院)の le cloître (列柱廊ー修道院の方形の中庭を囲む、柱の並んだ回廊)に並んでいる柱の頭部分です。
モントーバンにも教会が一杯ありますし、私たちは暑さを避けて休憩する場所として三つの教会を訪れましたが、それらよりも有名な、こちらの教会とその柱廊をご紹介致します。

L'abbatiale de Saint-Pierre de Moissac (聖ペトロ大修道院付教会)


私たち夫婦にとっては二度目の訪問になる、このモワサックの町、そして教会と柱廊ですが、最初に訪れたのは、まだデュノワイエ神父様がご存命でおられ、神父様のご提案により訪れたのでした。二度目に降り立ち、その事を思い出しつつ、見学をしました。


これはその大修道院に付属する教会の南側の入り口上部にある le tympan (タンパン)ですが、
その説明を述べる前に、このモワサックの地に始まった修道院の歴史を多少、書き記したいと思います。

この聖ペトロ大修道院は、その歴史を6世紀の聖クロヴィス王にまで遡ることが出来ますが、この地に修道院としての存在が認められたのは、次のカロリング朝の時代、大体8世紀から10世紀ごろと言われています。11世紀の半ばには、かの有名なブルゴーニュにあるクリュニー大修道院との連携が図られ、その事により、修道士の生活というものが一変したそうです。
12世紀の初めには、百人余りの修道士たちがこの地で暮らし、その主な活動は、祈りと、一日に8回もあった礼拝と言われています。当時の書記たちは、修道士たちが祈りに使うラテン語の宗教書や聖書、キリスト教徒たちによるテキストの抜粋や注釈書をコピーし、利用していたようです。そのオリジナルの原稿は、現在パリの国立図書館に保存されています。

写真のタンパンは、柱廊が建築された1100年の、その20数年後に彫られたもので、その図像は、とりわけ聖ヨハネの黙示録にある、沢山のヴィジョンの中の一つに想を得ています。


聖ペトロ教会の内部は、下の階、つまり地上階だけ見学できるようになっています。

石造りの部分は12世紀に造られ、レンガのゴチック形式の部分は15世紀に造られました。

また、この教会に隣接する修道院は、1626年に還俗され、当時のベネディクト修道士たちは在俗会員となりました。それにより、モワサックの、聖ペトロ教会、及び修道院での宗教生活は終わりを告げ、更には1790年、フランス革命後にはこれら建造物が個人に売却され、国の財産になりました。

その後、様々な紆余曲折を経て、1998年に、その柱廊とロマネスク様式のタンパンはユネスコの世界遺産に登録されました。Saint-Jacques-de-Compostelle (いわゆるコンポステラ)への巡礼の道筋としても認められました。





さて、いよいよ柱廊の説明をいたします。

先ほど、この柱廊は1100年に建造されたと書きましたが、これらの柱のすべての頭部に、見事なロマネスク芸術の成果を見ることができます。

Décor végétal (植物の飾り)
柱の数は76本、その頭部 (chapiteau) には、その内のおよそ50本に、聖書のエピソードと、聖人たちの一生の物語が彫られています。その他の柱頭には創世記を想起させる、植物や動物が描かれています。




これらの柱頭を一つ一つ見上げながら、
当時の修道士たちの黙想にならい、静かに回廊を歩く幸せをかみ締めました。
この日も気温は高く、外はうだるような暑さでしたが、この回廊はひっそりと静まり返り、私たちの気持ちを静めてくれました。今は亡き神父様の面影を思い起こしながら。 

Le cloître roman de l'abbaye Saint-Pierre de Moissac


現実に戻ります。
パリは引き続き猛暑、連日30度を超えているだけでなく、夕方には37度になる予報です。

「一体、どうなってるの?」という感じですが、2003年の悪夢(暑さのために、フランス全土でおよそ二万人のお年寄りが亡くなりました。)が繰り返されないことを祈るばかりです。

しかしこの猛烈な暑さも今日の夜までだそうですが、明日以降、気温がぐっと下がるとはいえ最高気温27度の予報で、それがまだしばらく続くそうです。。















2017年6月19日月曜日

猛暑のパリ  Grandes chaleurs à Paris !


連日のように暑い日々の続いているパリです。
今、朝の8時ですが、すでに20度を越えています。日中は30度を越える暑さ。ただし日中とはいえ、今はどんどん日が伸びている時ですから、夜の8時、9時でも明るいわけで、その間はずっと30度前後となっています。
パリに長く住む人々も、この時期こんなに暑いのは珍しいと、フーフー言っています。

写真のメロンは、今まさに旬の果物で、こんなに大きくてずっしりとしていても、プロモーションでなんと1個1,99ユーロ。日本円にして240円といったところでしょうか。日本と違ってメロンも特別な果物ではなく、気軽に食べられます。

果肉は夕張メロンのようにオレンジ色をしているものしか売られていません。(少なくとも普通のスーパーでは。)

大抵 旬の果物は、買ってすぐ食べられますが、中には熟れていない内に店頭に並んでいる場合もあるので、買ってから常温でしばらく置く必要があったりします。
そして完全に熟れてから、冷蔵庫に入れ、冷やして食べます。
この手間が日本では必要がないだけに、最初はよく失敗をしていました。

味も、日本のに比べると、数段 甘味に欠けますが、日本の完璧な味ではなく、フランス流の自然な味に慣れると、これはこれで美味しいものです。


暑い、暑い、と言いながら、大好きな手芸にも励んでいます。

上は中細の毛糸で編んだ、四角いドイリー、
左はコットン糸でレース編み、小さい、試し編みで編んだ円形のドイリーです。
ここまで暑いと、毛糸は編んでいて指に汗をかきますから、
コットン糸やエコンダリアなどの糸の方が楽ですね。
もっとも、ここまで暑くなると、編み物自体が辛くなりますが。



昨日のカトリックセンターでの夏祭りで出したおにぎりです。
日本食品店で手に入れた青菜(刻んで漬物になっているもの。1袋でなんと5ユーロ近く、日本円で600円もします!)を、玄米を混ぜて炊いた白米に入れたものです。
日本の事情に詳しい友人たちは、「じかに手で握らない方が、衛生的で良い。」ということを言っていたので、とても驚きました。日本は、夏に食中毒を起こすことが多いので、サランラップで握るのが常識となっているのですね。知りませんでした。濡れた手にしっかりと塩を付けて握れば大丈夫かと思うのですが... 「おむすび」の佐藤初女さんだったら、多分、じかに手で握って心をこめることにこだわるだろうな、とふと思いました。


まだこの時間、パリは20度ちょっと、爽やかな風も多少あるので快適ですが、午後から30度を越す予報です。さぁ、今日も一日 暑さに負けず、元気に過ごしましょう!




2017年6月16日金曜日

訃報  Le décès du père Pierre DUNOYER


先週の金曜日、9日の朝に、パリ外国宣教会のデュノワイエ神父様がお亡くなりになりました。
神父様は、長年にわたり、日本人のために司牧をしてくださった方で、日本では主に北九州(特に福岡)で20年、フランスに戻られてからはパリ及びその近郊に住む日本人のカトリック信者のために30年、ご奉仕くださいました。信者に限らず、当時パリに住む日本人の多くの人は、デュノワイエ神父様に何らかの形で関わり、あるいは助けられました。享年94歳。心よりご冥福を祈ります。

上の写真は、神父様が2004年に引退されてからお暮らしになっていた、Monbeton にあるパリ外国宣教会の老人ホームの庭の入り口です。神父様はここに、13年お住みになっていたことになります。そしてこの庭へは、引退後の神父様に会いに行った際、必ず歩いた道のりで、とても懐かしく、この道の先には、墓地があります。


この墓地の横を通るたびに、神父様は「僕はここに入るんだよ。」と仰っていました....


 
夫がパリ外国宣教会の総長、ジル・レタンジェ神父様より訃報のメールを受け取ったのが、亡くなった日の夕方でした。ついにこの日が来てしまった!覚悟していたとはいえ、その知らせに夫も私も一瞬にして奈落へ突き落とされたように感じました。                            それ以降は、とにかく少しでも多くの人に知らせようと躍起となりました、特に神父様と縁の深かった方々には電話でお知らせし、皆さん、一様に深い驚きと悲しみを表現していました。


結局、パリ日本人カトリックセンターからは、私たち夫婦と、もう一人、信者の女性と三人でモントーバンに向かい、葬儀に参列しました。
葬儀のミサは、12日の月曜日の午後3時から営まれましたが、そこに、福岡時代に親の代から神父様にお世話になったという女性も駆けつけました。葬儀の後、日本で言うところのお清めの際、福岡で神父様がどんなに人々を慰められ、勇気付けられたかをお話くださいました。



ミサでは、夫が共同祈願、そして私は第一朗読を頼まれました。
朗読箇所は、ヨブ記19章23-27節でした。
恥ずかしながら私は、ミサの間は、ほとんど泣いていました。神父様から、今となっては最後となってしまったお言葉を、繰り返し思い出していたのです。それは、「神父様、本当にとても辛い時は、どうすればいいのでしょうか?」という私に対する問いのお答えでした。

「Vous devez vous habituez à penser aux jours heureux !」
 (そういう時は、)幸せだった日々の事を考えるようにしなさい。というものでした。


本当に、神父様に助けられた人々は、大勢います。カトリックセンターには来なくなった人々、そしてパリに住み続けている人々、果ては日本に帰った人々も含め、数知れません。

そもそも、キリスト教が日本に伝わって以来、数多くの宣教師が日本人のために司牧をし、日本で骨を埋めてきた訳ですが、その一人ひとりの人生は、想像を絶して波乱万丈であったと言うことが出来るでしょう。デュノワイエ神父様も、引退された後でさえ、南仏からいつも日本人のためにご奉仕し、尽くされていました。

引退された当時から、心臓に問題のあった神父様でしたが、お亡くなりになる前には、延命治療をお断りになった、とのことです。
長きにわたる、病気による苦しみからも解放され、今や安らかに天国で神様の御許にいらっしゃることでしょう。棺に入ったお顔は、本当に若々しく、若き頃の神父様を彷彿とさせるものでした。

神父様、本当にありがとうございました! 
ここに、神父様にお世話になった全ての人の心を代表して、弔辞とさせていただきたいと思います。

神父様とよく一緒に写した林檎の木、多くの実がなっていました。


                                                                                       

        


2017年6月6日火曜日

一つの山を越して  Surmonter la crise


5月末に訪れた、バガテル庭園での孔雀です。

今朝のパリは気温は低め(14度)、青空は見えるものの、強い風が雲を押し流しています。

連日の猛暑で、心身疲労が激しく、とくに神経過敏なところのある私は、ほとんど拷問に近いものを感じていました。拷問、というとちょっと大げさに聞こえますが、パリの晴れ上がった空から注がれる日差しは、明らかに日本のものより強く、私には堪えるのです。ご存知のように、パリでは湿気がほとんどなく、太陽光線は肌に突き刺さるようで、ほとんど「痛い」と感じるぐらいなのです。
日本だと女性は、どんなに暑くても日差しを避けるという名目で、UVカットの長袖や、顔を隠すようなもの(サンバイザーや帽子、首の日焼けを防ぐショールなど)を身につけていても大丈夫ですが、こちらでそれをやったら、完全にridicule (滑稽)になってしまいます。
とはいえ、日焼けだけではなく、日射病が恐い私は、麦わら帽子をかぶって外出していましたが、まぁアジア人女性だからという感じで変な目で見られることはありませんでした。それでもここ2~3日は、体調を崩していたのです。

こちらもバガテル庭園の孔雀です。羽を広げるとこんな感じになります。

首の部分の青さが際立っていました。




今日になって、グッと気温が下がったお蔭で、大分元気を取り戻しました。気温によってこんなにも影響を受けることを、改めて感じています。

それにしてもバガテル庭園の孔雀はとても美しかったです。
園内のあちらこちらにいて、人間にもすっかり慣れていて、その独特の鳴き声を響かせていました。


尾が長く美しいのがオスです。


 5月の末にバガテル庭園を訪れた際に、「バラよりもアイリスと芍薬の方が満開」とお伝えしたように、ちょっと遅れましたが芍薬の満開の様子を載せます。

バラと違って、匂いを嗅ぐことをしませんでしたが、「匂うように咲く」とはこのことだと思わせるほど、太陽の光を一身に受けて、見事に咲き誇っていました。



 「薔薇か牡丹か芍薬か」、といったところですが、華やかな花というのは、やはり魅力がありますね。
芍薬と牡丹の違いは、葉を見れば一目瞭然なんだそうです。それと、芍薬と名前の似ている石楠花(シャクナゲ)は、草と木の違い、ということで、これもまた違いが分かるということですが、実家ではこの三つのうちの、牡丹だけを栽培していたのを思い出します。
小さい頃、満開の牡丹の横に座ってよく写真を撮らされましたっけ。

因みに、牡丹は中国の国花だそうです。



 表題の話題に戻りますが、
人生は、誰にとっても旅路ですから、歩いていれば(小走り、あるいは走っていても)、山あり谷ありですね。

二年前の夏に心臓発作で倒れた兄(上の)が、ようやく全快を認められて再就職先の病院が決まりました。こんなに嬉しいことはありません。

ただし、痛んだ心臓が修復された訳ではないので油断はできませんが。


こんな、目の覚めるような白色もありました。
コンパニオンプランツのジギタリスも美しく映えて。


 生きていて辛い経験は一杯ありますが、亡父の言っていたように、「苦労は、し甲斐のあるように」という事でしょうか。しかし、「困難を乗り越える」とか、「苦労のし甲斐があるように」という概念は、キリスト教的ではない様に思われます。困難、と一口に言っても、乗り越えられるような困難とは違う次元での困難というのが、この世には付き物だからでしょう。その困難を引き受けるしかない、という状況もあると思います。これは諦める、というのと違って、キリスト教徒としては、十字架上のキリストに倣って生きる、ということになると思います。そしてこの世は忍耐の学校である、ということも付け加えたいと思います、僭越ですが。。

今日も一日、良い日となりますように。