パリにいると、暇な時に日本の歌をYoutubeでよく聞き流すのですが、つい最近、ジャパニーズポップスで80年代の一連の曲を聞いていて、アンルイスさんに惹かれるようになりました。
彼女のことを詳しく知っている人は現在、そう多くはないと思いますが、「あぁ無情」や「六本木心中」などの曲を聞けば、あ、聞いたことがある、と思う方は多いと思います。私にとってはちょっと上の世代に当たるため、彼女が活躍している時代には興味がありませんでした。
今回、偶然聞き流している中で、ふと彼女の曲、「Woman」が耳にとまりました。そしてとても強く惹かれてしまったのです。
彼女は生まれは神戸らしいのですが、父親が在日のアメリカ海軍の軍人だったので、横浜の本牧にある海軍用の住宅街で幼少期を過ごしたそうです。子供の頃から芸能界で育ち、グラビアアイドルやアイドル歌謡を歌っていましたが、上記のヒット曲が生まれたのは1970年代から80年代にかけてでした。彼女がまだアイドルとして歌っていた頃の映像も見ましたが、やはりハードロックに転向した後の彼女の方が似合っているし、生き生きとして見えます。歌手として多少歌唱力に欠けると思われるので、ロック調の、感情を叩きつけるような、叫ぶ寸前のような歌が合っていると思われます。
なぜ彼女にこんなにも惹かれるのか、つらつら考えているのですが、一つには、彼女がちょうど40歳の頃、パニック障害に陥った、ということがあるという事に思い至りました。この事は、ファンか、私のように今になって興味を惹かれてウィキペディアで調べて知る以外、ほとんど知られていないことだと思います。ただし、彼女自身、当時公の場でその事をカミングアウトし、そのために父親の母国であるアメリカに渡って療養したこと、今現在は芸能界から完全に引退し、ロスでゆったりとした生活を送っていることもまた、知る人ぞ知る事柄となっているようです。
これこそ余談ですが、今時、そして特に芸能界において、ハーフというのは珍しい存在ではなくなっていますよね。(近年では、二つの文化を持っているということで、「ダブル」と言うそうです。どちらの呼び名にしても、近しい人の事を考えるとあまり良いとは思えませんが。)
芸能界という、いわば特殊な業界に限らず、ここパリにおいても、フランス人と結婚している日本人(女性も男性も)はごく普通ですし、お子さんがいればそのお子さんたちは混血となる訳です。ですが、その事情を持ってしても、混血であること、つまり二つの文化を同時に背負うということ、厳密には二つの人種、血を持っていると捉えられると思いますが、その事がとても困難であるということは、今も昔も変わらない事実のようです。
何が言いたいのかというと、アンルイスさんに話を戻すと、彼女がパニック障害になってしまったのは、そこら辺に事情があるような気がするのです。
彼女が活躍した70年代から80年代という時代は、まだそんなに混血の人がそれほどメジャーではなかった時代ということも影響しているとは思いますが、外見上の美しさでもてはやされることにジレンマを感じ、それこそ「ありのままに」ではありませんが、デビュー当時の奥ゆかしさ、もっと言えばぶりっ子をかなぐり棄てた、という事は充分考えられます。そして本来の自分を表現しようと懸命になった、と。
実際のところ、ヒット曲の歌詞さながらに、派手な私生活を送っていたのかもしれません。しかし私にとって彼女は、自分が生きられなかったある一つの人生のあり方、可能性を生き切った人のように思えて、それでどうしようもなく惹かれるのだと思います。
「Woman」の歌詞の一部を載せます。(著作権の問題があるのでごく一部にします)
-私の名前は「女」。悲しみを身ごもって、優しさに育てるの。
私の名前は「女」。女なら耐えられる痛みなのでしょう。
これらは、女性ならば誰でもが実感することではないでしょうか。
ここでの解釈として、奈良の恩師である玉谷直実先生の著作を引用したいと思います。
「女性はどのような体験でも、じっともちこたえてゆく壺のような特性をもっていなければならないとつくづく思う。体験は壺のなかで変容し、あるものは香り高い精神となって発酵し、またあるものは壺の底に沈み土と化してゆく。」(『女性の自己実現-こころの成熟を求めて』、女子パウロ会刊より)
今や還暦となって、ロスで大好きな猫と一緒にのんびり暮らしているというアンルイスさん。
持病を抱えながらでも、幸せに暮らしている事を祈るばかりです。
そしていつの日か「Woman」を、アンルイスさんに倣って誰よりも格好良く歌えるようになりたいと密かに願っています。
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