2017年1月30日月曜日

旬野菜  marchand de primeurs


昨日、お昼前に夫婦で散歩を楽しみました。
ここはヴァンセンヌの森の入り口近く、Porte Dorée の朝市です。
朝市では、いつも新鮮な野菜や果物に目が行ってしまいますが、この時も同様で、先ずこの元気の良いキャベツが目に留まりました。フランスのキャベツは、日本のと違い、見て分かるように濃い緑色の葉で出来ています。中の方へいくと、日本のキャベツのように白い部分が出てきますが、葉はあくまでも固く、とても生では食べられません。
キャベツには、あの温泉の成分の一つともなっている硫黄が含まれているため、フランスのキャベツを煮込むと、周囲に硫黄の、それこそ異様な匂いが漂います。異様、というと語弊がありますが、あの独特な匂いは強烈です。
フランスには、Potée ポテという肉と野菜を煮込んだ料理があるのですが、その野菜にこのキャベツを使うと、もう、周囲にはその匂いが充満して、あ、キャベツを使ったな、というのがありありと分かります。なので私はこのキャベツを使ったことがほとんどありません。冬の葉物としては、白菜を使うようにしています。
写真手前には、分かりづらいですが、行儀よくタッパーに入ったインゲンが並んでいました。


こちらは日本でも市民権を得ているアーティチョーク。フランス語では Artichaut と言います。
あまりに見事に積んであるので、店主に、写真を撮ってもいいかと尋ねたところ、「大したものは置いてないんだけどな」 《 Il n'y a rien de spécial !》 と言うもんですから、《Si ! Si !》 「いやいや(一杯ありますよ!」と思わず言ってしまいました。カメラを向けると、《 Cheese !》 とポーズを撮ったりして、愛嬌のある人でした。
このアーティチョーク、日本ではチョウセンアザミとも呼ばれるそうですが、もともとは地中海地方原産だそうです。これは丸ごと、たっぷりの沸騰したお湯で茹でて、一つ一つをむいて、根元のちょこっとした部分(花序と言うそうです)を食べます。最後には、すべての葉をむき終わった後に、太い根っこの部分を食べます。これがとにかく癖になる味で、それ自体にほとんど味はないとは言え、栗のような、芋のような味わいがあり、手作りのドレッシングに浸して食べると何ともいえない美味しさがあります。
フランスでは、この芯の部分を、coeur d'artichaut というのですが、別の意味で、移り気、浮気心とも訳せます。C'est un coeur d'artichaut ! と言えば、「あれは浮気な男だ」と訳します。
そういえば、以前、アメリというフランス映画が日本でも流行りましたが、この coeur d'artichaut という言葉が使われていましたね。確か、自分が軽蔑している意地悪な男を指して、「artichaut にだって心、coeur はあるわよ!」みたいに主人公が叫んでいました。

アメリ、懐かしいですね。
あの女優 Audrey Tautou は、あの撮影後、しばらく沈黙していたのは、あまりにもこの映画によるイメージが強烈だったために、オファーが来なかったというまことしやかな噂が流れました。確かに、一つのキャラクターに染まってしまうと、次がない、という例は、この業界では良くあることなんでしょう。特に、子役で成功した人ほど、そういう傾向があるようです。


旬野菜が並んでいると、春はもう、そこまで来ているんだな、という想いに駆られますが、
まだまだ寒いパリです。
ですが、ちょうどこの日ぐらいから気温が緩んで、日中は8度ぐらいまで上がりました。
それに釣られるようにして、今朝は雨が降っています。

実はまた、日本に一時帰国することになりました。
日本の年度末に向けて、色々と用事がたまっています。
何の用事もなく、いわばバカンスのようにして日本に滞在することが、近年減っていますが、考えてみたら日本に向かう飛行機に乗ること自体、バカンスですね。折角のチャンス、用事を片付けるだけではなく、有意義に過ごそうと思います。






2017年1月23日月曜日

余談ですが -特にアンルイスさんについて-


パリにいると、暇な時に日本の歌をYoutubeでよく聞き流すのですが、つい最近、ジャパニーズポップスで80年代の一連の曲を聞いていて、アンルイスさんに惹かれるようになりました。
彼女のことを詳しく知っている人は現在、そう多くはないと思いますが、「あぁ無情」や「六本木心中」などの曲を聞けば、あ、聞いたことがある、と思う方は多いと思います。私にとってはちょっと上の世代に当たるため、彼女が活躍している時代には興味がありませんでした。
今回、偶然聞き流している中で、ふと彼女の曲、「Woman」が耳にとまりました。そしてとても強く惹かれてしまったのです。

彼女は生まれは神戸らしいのですが、父親が在日のアメリカ海軍の軍人だったので、横浜の本牧にある海軍用の住宅街で幼少期を過ごしたそうです。子供の頃から芸能界で育ち、グラビアアイドルやアイドル歌謡を歌っていましたが、上記のヒット曲が生まれたのは1970年代から80年代にかけてでした。彼女がまだアイドルとして歌っていた頃の映像も見ましたが、やはりハードロックに転向した後の彼女の方が似合っているし、生き生きとして見えます。歌手として多少歌唱力に欠けると思われるので、ロック調の、感情を叩きつけるような、叫ぶ寸前のような歌が合っていると思われます。

なぜ彼女にこんなにも惹かれるのか、つらつら考えているのですが、一つには、彼女がちょうど40歳の頃、パニック障害に陥った、ということがあるという事に思い至りました。この事は、ファンか、私のように今になって興味を惹かれてウィキペディアで調べて知る以外、ほとんど知られていないことだと思います。ただし、彼女自身、当時公の場でその事をカミングアウトし、そのために父親の母国であるアメリカに渡って療養したこと、今現在は芸能界から完全に引退し、ロスでゆったりとした生活を送っていることもまた、知る人ぞ知る事柄となっているようです。


これこそ余談ですが、今時、そして特に芸能界において、ハーフというのは珍しい存在ではなくなっていますよね。(近年では、二つの文化を持っているということで、「ダブル」と言うそうです。どちらの呼び名にしても、近しい人の事を考えるとあまり良いとは思えませんが。)
芸能界という、いわば特殊な業界に限らず、ここパリにおいても、フランス人と結婚している日本人(女性も男性も)はごく普通ですし、お子さんがいればそのお子さんたちは混血となる訳です。ですが、その事情を持ってしても、混血であること、つまり二つの文化を同時に背負うということ、厳密には二つの人種、血を持っていると捉えられると思いますが、その事がとても困難であるということは、今も昔も変わらない事実のようです。



何が言いたいのかというと、アンルイスさんに話を戻すと、彼女がパニック障害になってしまったのは、そこら辺に事情があるような気がするのです。
彼女が活躍した70年代から80年代という時代は、まだそんなに混血の人がそれほどメジャーではなかった時代ということも影響しているとは思いますが、外見上の美しさでもてはやされることにジレンマを感じ、それこそ「ありのままに」ではありませんが、デビュー当時の奥ゆかしさ、もっと言えばぶりっ子をかなぐり棄てた、という事は充分考えられます。そして本来の自分を表現しようと懸命になった、と。

彼女の捨て身とも言えるステージ上でのパフォーマンスを見ていると、とても感情を掻き立てられます。彼女の私生活は、もちろん全く知りません。ただ、数年間、同じく芸能人の桑名正博さんと結婚していた、という事ぐらいです。(お子さんも一人いらっしゃるようです)
実際のところ、ヒット曲の歌詞さながらに、派手な私生活を送っていたのかもしれません。しかし私にとって彼女は、自分が生きられなかったある一つの人生のあり方、可能性を生き切った人のように思えて、それでどうしようもなく惹かれるのだと思います。

「Woman」の歌詞の一部を載せます。(著作権の問題があるのでごく一部にします)
-私の名前は「女」。悲しみを身ごもって、優しさに育てるの。
   私の名前は「女」。女なら耐えられる痛みなのでしょう。

これらは、女性ならば誰でもが実感することではないでしょうか。
ここでの解釈として、奈良の恩師である玉谷直実先生の著作を引用したいと思います。
「女性はどのような体験でも、じっともちこたえてゆく壺のような特性をもっていなければならないとつくづく思う。体験は壺のなかで変容し、あるものは香り高い精神となって発酵し、またあるものは壺の底に沈み土と化してゆく。」(『女性の自己実現-こころの成熟を求めて』、女子パウロ会刊より) 

今や還暦となって、ロスで大好きな猫と一緒にのんびり暮らしているというアンルイスさん。
持病を抱えながらでも、幸せに暮らしている事を祈るばかりです。
そしていつの日か「Woman」を、アンルイスさんに倣って誰よりも格好良く歌えるようになりたいと密かに願っています。







2017年1月16日月曜日

寒波


寒い日々が続いています。
毎日小雨が降り、時折雪交じりのみぞれとなっています。
最高気温が3度、最低気温は氷点下となっています。
日本も太平洋側に寒波の影響で降雪となったようですね。
寒さによる体調管理に、充分気をつけたいと思います。

さて、写真は我が家にある唯一(?)のぬいぐるみです。
実は可愛いもの好きなのですが、それでもぬいぐるみを持つ趣味は若い頃からなかったのですが、この厳しいフランス社会の中で生きるようになってから欲しくなりました。見て心が和むものに囲まれて暮らしたい、と思うようになりました。

この子たちは、私と夫、そして以前パリに暮らしていた年下のピアニストの子の身代わりです。
これを見て彼女のことや、それにまつわる思い出を懐かしんでいます。
自分たちに子供が出来なかったので、せめてもの慰みですね。


さて、昨日はカトリックセンターにて、
新年最初の日本語ミサと新年会が催されました。

ミサの後、恒例の皆さん持ち寄りの手料理で歓談しました。
写真右の三つ葉を巻いたお稲荷さんは、私が作りました。
稲荷寿司は、前の晩に作っておけるので便利です。
ちゃんとお揚げさんを煮含めるところから手作りしました。

三つ葉は、日本食品店で手に入れたのですが(そこ以外、パリではどこも売っていません)、参考までに値段をお教えしますが、純日本産(産地は大分でした)で一袋7ユーロ弱。日本円にすると900円強となります。一束の値段です。あまりの高さに買うのをためらいましたが、新年会、年に一度ぐらいは、と思い直しての購入でした。
こうして、何かものを買うのに(特に日本のもの)円に換算して買うくせがありますが、
年配のフランス人も、以前のフランに換算して購入するかどうかを決めると聞いたことがあります。
1ユーロ6フランぐらいでしょうか、日本の120円よりはずっとマシですが。



さて、昨日は食事の後、百人一首をやりました。
いまどき日本でも珍しくなったカルタ取りですが、ここパリでは日本の風習を懐かしんであちこちで開催した模様です。こちらで育っている日本人の子供たちの日本語の勉強にもなりますし、逆に日本語を勉強しているフランス人にとっても日本語に触れる良い機会となります。
久しぶりにやって、みんな熱く盛り上がりました。

このカルタ取りの前には日本の歌を3曲歌いました。
「1月1日」、「朧月夜」、そして恒例の「ふるさと」。
「ふるさと」は、特に年配の人たちにとっては、胸の熱くなる思いがあります。
今でこそ日本とフランスの往復は身近なものとなっていますが、30年、40年前にフランスに来た人々は、故郷である日本が懐かしく、「錦を飾る」という言葉がまだはっきりと意識されていた時代でした。でも今となっても、フランスにいる日本人は、今でも、大なり小なり、そうした思いがあると思います。ちょうど、日本国内でも、地方から東京に来るときは、似たような想いを抱えて状況するのではないでしょうか。「ふるさとは、遠くにありて思うもの」。日本に帰っても恥じない心意気でフランスで暮らしていきたいですね。

2017年1月8日日曜日

曇天、気温緩む


新しい年が明けて、あっという間に10日も過ぎてしまいました。
 
ここはリュクサンブール公園。
この時期特有の空の暗さがよく表れていると思います。
曇天で気温が緩んでいるので、最低気温が3度ぐらい、最高が7度ぐらいです。
年末の、日中でも氷点下だった頃に比べると暖かいですが、でもやっぱり寒いですね。
それでもしっかり防寒して、外で過ごすのがパリ流です。


こちらはリュクサンブール公園から程近い、かの有名なソルボンヌです。正面の建物が本館正面入り口となります。入り口前の広場では、両側に本屋やカフェなどが軒を連ねています。手前の大通りはサン・ミッシェル大通り。カルチエ・ラタンとはいえ、ショッピング用のブティックだらけとなってしまい、昔のアカデミックな雰囲気は薄れてしまっています。むしろ、この通りと交差しているサイドストリートの方に、昔ながらの本屋やカフェが現存していて、良い雰囲気です。

大学、大学院と、日本でですがフランス文学を専攻した人間として、ここは登竜門でしたが、未だコンタクトを取っていません。色々な理由があるのですが、大きな理由として、大学が大きすぎて生徒の面倒見が良くないらしいのです。日本の大学に比べると、かなり自分で何でもこなして行かないとならない様です。何となく温かみを感じない場には馴染めないというか、気後れしてしまう性質なので行かないようにして来ました。行く暇もなかった、というのも正直な所ですね。


サン・ミッシェル広場にある泉 Fontaine です。
向かって左側がサン・ミッシェル大通り、右にはいくつもの小道があり、しゃれたカフェや飲食店が並んでいます。この広場に面して、ジベールという歴史のある大型書店があります。この書店はサン・ミッシェル大通りに2件あって、ぎりぎり、カルチエ・ラタンの雰囲気を残す店となっています。あとはかなり観光地化されてしまっています。
ジベールの真横にある小道、ユシェット通り rue Huchette には、所狭しと飲食店が軒を連ねていますが、特にここはトルコ・ギリシャの料理屋やユダヤ人が常食するファラフェルを売る店が多いのが特徴です。
昔、大学三年の夏に、初めてパリを訪れた際、同級生たちと食べたギリシャ・サンドイッチを思い出します。今でこそ日本でもお店があって食べられるようになりましたが、当時は生まれて初めて食べた味、皆で「美味しいね~」「こんな美味しいの食べたことない!」などとはしゃいだのを覚えています。



 こんな裸木ばかり見ていると、春はまだまだ先だな~、とため息が出ますが、
寒さから言えば、これからが本番。木々もそれにそなえてじっと我慢しているように見えます。

寒い、暗い、で家の中に閉じこもりがちになってしまいますが、
そんな時こそ、思い切って外に出て、冷たい冬の空気に触れることが大切だと思います。
肝試しならぬ勇気試し。
私は最後の課題作品となった編み物、ベストを編んでいるのですが、編み物をしにカフェに出かけるのも乙なもの、この時期の楽しみです。

皆様は寒い冬をどのように過ごしていますか?














2017年1月1日日曜日

新年明けましておめでとうございます  Bonne année !


新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

年末年始、ISがヨーロッパでのテロを予告し、世界中に呼びかけているということで、
観光地に行くのはやめよう、と夫と話していたのですが、「明るい内なら大丈夫かも?」と考え直し、大晦日、シャンゼリゼに繰り出しました。
予想以上に人が多く、「みんな命賭けてるよね~」とか、「そん時はそん時!」みたいな感じで、一種の運命共同体というのでしょうか、みんな楽しげでした。しかしベルリンの教訓から、クリスマスマーケットの出入り口には、車が突っ込めないように、大きな石棺のような石がしっかりと置かれていました。

しかしヨーロッパは無事でしたが、イラクとトルコで起きてしまいました。
心から哀悼の意を表したいと思います。
世界のどこかでテロが日常的に起きているという現実を、しっかり認識しておきたいと思います。


結局、日が暮れて以降も外に留まりました。
4時過ぎには日が暮れますから致し方ありません。シャンゼリゼのイリュミネーションが点灯した瞬間も居合わせました。

私たち夫婦は、景気づけにコンコルド広場の観覧車に乗りました。初めてです。
最初の写真は、観覧車からシャンゼリゼ方向を撮ったものです。


パリは今、うす暗いですが昼間。
ウィーンのニューイヤーコンサート(日本でも同時中継されていますね)を聞きながら小豆を煮ているところです。

新しい年が、皆様にとりまして佳い事の多い年となりますように!
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます!