2014年9月14日日曜日

秋晴れによせて


このところの朝晩は、めっきり涼しくなって、残暑予報もどこへやら、
日中もさわやかな秋晴れが続いています。
日の光が、真夏と違って和らいで感じるのは、気温が下がったせいでしょうか。

写真は、最寄りの駅前の街路樹、銀杏並木です。
まだ全くと言っていいほど、色づいていない様子で、秋らしい日差しを受けて輝いていました。

考えてみたら、この時期の日本にいるのは、10年ぶりです。
結婚して10年、年に一度は帰国して、ある時は真夏から9月の初旬まで滞在することもありましたが、9月も半ばごろまではさすがにいませんでした。フランスは、9月が新学期、新年度になりますから、それに合わせて帰国していました。

昨日は秋祭り。
数日前から電線に吊られている提灯が、夜になると色とりどりの光を放っていましたが、
昨日がちょうど氏神様の鎮守の日で、日が暮れるころまでお神輿が出ていました。
子供たちは昼間、お母さんやお父さんと一緒に山車を引っ張って、町内を巡り歩きました。


あいにくお祭りの写真は撮れませんでした。というのも、お祭り、ダメなんです。
ダメ、というのは好きじゃない、という意味ではなくて、むしろ、好きすぎてダメ。
母が他界した後は、あの祭り囃子を耳にしているだけで号泣していました。亡母は、お祭りが大好きだったんです。生まれも本郷・湯島なので、小さいころからお祭りに馴染んできた人でした。

あの祭り囃子。
お化けのQちゃんとか、新しくも懐かしい曲もありますし、昨日なんかAKBのフォーチュンクッキーが流れていて思わず笑いましたが、本来の囃子の音色は、郷愁を誘いますね。
生まれも育ちもこの東京・下町で、故郷といえばここだけなのですが、何か、はるか遠いふるさとを懐かしむような気持ちになります。(もちろん、それはパリではありません。日本国内の、山や森林に囲まれたような、美しいふるさとです。)

写真は、旧震災記念堂公園です。「旧」というのは、以前その名称だったんですが、今は、横網公園と変わっています。震災記念堂で良かったのに、その方が歴史的にも貴重だったと思うのですが。
ここは、毎年9月1日の関東大震災の日に、夜通し縁日のでる公園で、この土地の下には、震災で焼け死んだ数万ともいえる数の方の遺骨が埋まっています。私が子供の頃は、公園中央にあるお堂が、この日だけ開けられて、入ることが許されていました。そこには、天井近くに、大きな絵が、お堂をぐるりと囲むようにして飾られており、その絵には、幾種類もの阿鼻叫喚、死体の山が描かれていました。子供ながらに、ものすごく怖くて、上の兄となんかと思わず手を握ってしまったものです。
今は、東京大空襲の記念館も、園内に併設されてしまい、それもあって、横網(ここは横網町という町名です)になったのでしょう。
ここを以前訪れた夫曰く、「地震という自然災害で亡くなった人と、空襲という戦争で亡くなった人とを一緒にするのはどうなのかな?」と言ってましたが、そうですね~。なんともコメントに困りますが。とにかくここは、何度も痛めつけられた土地なので、今じゃ、とても綺麗に整備されています。京都の碁盤の目のように、とまでは行かなくても、それに近いほど、道路が分かりやすくなっています。

この大震災、その1週間後に私の父は生まれたので、「震災っ子」と呼ばれたそうですが、大きくなったお腹を抱えて逃げ惑った祖母を思うと、その気性の強さに思わず頭が下がります。祖母が無事だったからこそ、父が生まれ、私が生まれた訳ですから。。
その父も、去年亡くなりましたが、今年生きていれば91才。その間、大地震が起きなかったことになります。この近所では、よく「70年に一度は大地震が起こるぞ」と言われていたんですが、大外れでしたね。でもその代わりといっては何ですが、東日本で起こってしまったのかもしれません。


この池では、子供の頃よく遊びました。兄や近所の子たちとアメンボをを眺めたり、オタマジャクシを捕まえたり。都会っ子とはいえ、子供らしい遊びを、兄たちと沢山した覚えがあります。

ところでこの震災記念堂をこのブログでご紹介するのは実は二度目なのですが、一度目に夫から注意されて、書くべきことを書かなかった、ということだったので、ここで触れたいと思います。それは、この関東大震災のあった時、近隣の在日の人たちが、あらぬ疑いをかけられて、ものすごい仕打ちを受けた、ということなのです。当時は、今よりもひどい偏見がありましたから、その仕打ちも拷問に等しかったそうです。具体的に聞いたのですが、あまりにひどかったせいか、失念してしまいました。申し訳ありません。あまりに酷いことが起きると、人間、忘れるようにできているのかもしれません、生きぬいていくための方便として。

よく、「日本だけじゃない」、「日本だけが悪いんじゃない」、「日本だけがやったことではない」という、いわば開き直りの言葉が、最近も良く聞かれますが、これは果たして言い訳になるのでしょうか? 逆に言えば、「みんながやってたんだから」ということでやったことになってしまいませんか?「みんながやったんだからしょうがなかったんだ」では、それで亡くなった方々は浮かばれません。
そんな理由で、尊い命が棄てられていいのでしょうか?
やはり、「みんながやろうがどうしようが」、自分たちが犯した罪を、誤魔化してはいけないと思います。やはり、真摯に反省し、謝罪を求め、ゆるしを求めるべきです。
卑近な例を出せばわかりやすいですよね。もちろん、いじめ問題です。「みんながやったから私も」とか、もしかしたら「自分もやらなかったら、自分がやられていた」ということももちろん、あります。人間、弱いですものね。
でもやはり、それでも、被害者の立場に立たないと、と強く思います。「加害者にも救済を」という理屈もあります、もちろん。でも、被害者にしてみれば、どんな理屈も通らない、悲惨な出来事なんです。
一体、自分はどちら側の人間なのか、どちら側の人間でいたいのか、海外に住む日本人として、いつも考えて生きています。



夜のスカイツリーです。
こんな姿を見たら、昔の人はどれだけ驚くでしょうか。90年生きた父も、隔世の感を込めて眺めていたことでしょう。このツリー、なんか昔のソーダ水の瓶のようで、懐かしく、楽しく思われるので載せてみました。

今回は、思わず長文になってしまいました。
最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうございます。
よい週末、連休をお楽しみください。







 

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