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Maison Peret ダゲール通りのカフェ、メゾン・ペレ |
パリに住んでいると、自分は日本人であり、また世界中から様々な人種が押し寄せては引いていく中で暮らしていると、世界の中の日本人であり、アジア人であり、はたまた黄色人種である、という意識が「常に」頭にある状態にいます。
ところが、生涯旅行以外では日本の地を離れたことのない、大正生まれで戦争を体験している亡父は、生前、私が日本および日本人の特殊性を訴えたときに、いみじくも「日本の常識が世界の非常識ではなく、世界の常識が日本の非常識なのだよ」とか、「世界でもっとも優秀な民族がゲルマン民族と日本人なのだ」とか言って、自分の親ながら腰を抜かしたのを覚えています。父の場合は熱烈な自国愛、とまだ言える時代でしたが、今ではネトウヨと言われかねないですね。自分の国を愛することはもっともな事とはいえ、それが行き過ぎ、つまり無批判になると恐ろしいものに変わってしまいます。
奇しくも亡父は遠藤周作氏と同じ年、そして同じキリスト教徒でもあることから、氏への興味は深くありました。特に「白い人 黄色い人」は、以前から読みたいと思っていた本の一つで、先日、ようやくその願いが叶いました。氏は、この本により芥川賞を受賞しており、初期の作品として、その後の幾多の作品の原点になっていると思われます。
感想文の前提となるあらすじの紹介は控えさせていただくとして、氏と同じく、日本人としてキリスト教をいかに捉えるか、ということ、更にはキリスト教徒自身としての視点から感想を述べたいと思います。
その前に、この本は、題名にある、「白い人」「黄色い人」はそれぞれ違うストーリーを持った別の短編であることをお伝えします。この本には、それ以外にも二編の短編があり、そちらは読んでいませんが、おそらく、最初の二編同様、ストーリーは違っても、根底に流れているテーマであるキリスト教への懐疑は同じと思われます。
さて、最初の二編である「白い人」と「黄色い人」ですが、時代はともに第二次世界大戦前と始まり、最中、ということで共通しています。特に、私は「黄色い人」の方を面白く思ったのですが、戦時下に、日本の教会における信者のあり方というのが非常にリアルに描かれていると思います。そして根本的には、この時代と今とでは、教会のあり方はほとんど変わっていないのではないか、とも思います。また、フランスの地としてはリヨンの街が出てくるので、遠藤周作氏自身がその地に暮らした経験があることから、氏自身の回想録とも言えるでしょう。
「黄色い人」では、宝塚の仁川が主な舞台で、関西方面にある、パリ外国宣教会の宣教師が建てた教会での物語です。(パリ外国宣教会は、フランスが母体の、アジアの各国を宣教地とした修道会です。明治維新で日本が開国を迫られてからキリスト教が解禁となり、その際一番多くの司祭を日本に送ったのがこの修道会でした。)そこで幼少期を過ごし、後年、医師となった主人公の「ぼく」が、宣教師の一人のデュラン神父の日記をもとに、戦中の有り様を綴っていて、それ自身が、もう一人の宣教師であり、高槻の刑務所に囚われているブロウ神父に宛てた手紙の形式になっています。ブロウ神父は、同僚であるデュラン神父の裏切りにより投獄されたのです。
デュラン神父は、戦争前の昭和12年に起こった関西における大きな台風の被害にあった若い女、キミコと関係をもち、教会から追われる身となっています。ただ、同僚のブロウ神父の情けにより、教会の離れの松林の中にある建物に二人は住まわせてもらっています。生涯独身を通し、神にのみ身を捧げるべき神父が、女性と関係をもつのは禁じられているどころか、本来なら破門です。ですが、日本に宣教に来た神父と、一般信徒である女性がそうなってしまうことは、よくある、とまでは言えなくとも、割とある、banal (ありふれた)なことです。そうした例を、パリでも聞きます。それゆえか、あるいは偏に同僚に対する憐れみからか、ブロウ神父はデュラン神父を女性とともにかくまってやるのです。
ただ問題の焦点はそこにあるのではなく、主人公の「ぼく」の、罪に対する考えと、フランス人の神父の、つまり「白い人」である白人の罪意識の違いにあるのです。
「ぼく」はブロウ神父にこう綴ります。
「デュランさんやあなたたち白人は人生に悲劇や喜劇を創れる。けれどもぼくには劇は存在しないのです。それは今日はじまったことではない。既に子供心にあなたをだましていた幼年のころからそうだったのでした。」
「結局、神父さん、人間の業とか罪とかはあなたたちの教会の告解室ですまされるように簡単にきめたり、分類したりできるものではないのではありませんか。..... 黄色人のぼくには、繰り返していいますが、あなたたちのような罪の意識や虚無などのような深刻なもの、大袈裟なものは全くないのです。あるのは、疲れだけ、ふかい疲れだけ.... 」
主人公の「ぼく」を通して、氏の本音が語られているようですが、時代が戦争と無関係ではないことは考慮すべきでしょう。戦争により、人間の死が、今より身近にあって、死ぬことがありふれたことになっている中では、ただ疲労や諦めのみが人生を覆っていたのかもしれません。「ぼく」自身が肺を患っていたこともあるでしょう。しかし、それらを取り除いたとしても、氏の、キリスト教を自分のものとすることの難しさに苦しんでいることは、後年の作品を読んでも明らかです。例えば『沈黙』では、日本人の信仰のあり方を「沼地」にたとえています。沼地に何か植物を植えても、根が腐って育たない、ということです。
私自身は、パリに暮らすようになって15年目、キリスト教の洗礼を受けてから13年の歳月を経ている者(まだ全くの若輩者ですが)からすると、少なくとも氏の、白人に対する見方が通り一遍であることを感じますが、あのカトリックの世界ではエポックメイキングとなった、1962年からの第二バチカン公会議からは遥か昔であることを差っ引いて考える必要があるのでしょう。2年間にわたるこの公会議によって、まずは教皇が過去の歴史、カトリックが行った過ちの歴史を謝罪する、という歴史上初めてのことが行われ、それまではラテン語のみで行われていたミサが、各国語で挙げることをゆるされ、更には日曜のミサに万が一参加できなくても地獄には落ちない等、画期的とも言える条項が他にも数多く決定され、まさにカトリック界におけるグローバリゼーションともいえる状況となりました。とはいえ、この公会議による大変革が日本に採用され始めるのが、20年も後の、80年代になってからなのです。
西洋世界における第二バチカン公会議のインパクトはやはり大きく、その当時を知るドミニコ会のシスターからは、「この公会議によって、カトリックは真のカトリックとなった。」という感想を聞きました。「カトリックが真のカトリックとなった」とは、過去の過ちは過ちと認め、心からゆるしを請うこと、そして西洋諸国以外の国の権利を認め、新たな義務を打ち立てたことにあります。
小説に戻ります。
氏は、デュラン神父自身にこう言わせています。
「私たち欧州人が好んで絶望や孤独とよぶあの芝居がかった、ドス黒く歪んだ影はどこにも見つけることはできなかった。にも拘らず、無感覚な能面にも似たこの東洋の女の面貌ほど、神と隔たった顔はなかった。」
これは現在からすると、ひどい偏見ですが、このように書かざるを得ないほど、当時の西洋人、つまり白人の日本人への理解が浅かったのだと思われます。正当なキリスト教の教義を教えることに熱心で、日本人の心の中にある宗教性を見ないようにしていたのではないのでしょうか。
デュラン元神父と暮らしているキミコは、デュランが、教会から破門されて8年も経っているのに罪の意識に苛まれているのを見て、「忘れてしまいなさいよ」と言い放ちます。教会や、神への信仰などというものを捨てて、南無阿弥陀仏と唱えてしまえば楽になる、と。一旦は心を動かされ、エデンの園でのエバのそそのかしに乗ったアダムのように、罪意識を消すために、逆に罪を犯し続けていくデュランでしたが、やはり最後まで神を忘れることができず、裏切ったユダのごとく、自殺のようにして空襲にあたって死ぬことを選びます。
第二バチカン公会議が開かれ、世界が経済を中心にグローバル化し、インターネットにより世界中が瞬時に結びつくような時代となっても、人々の中にある偏見は消えません。消えないどころか、昨今のアメリカの大統領を筆頭に、偏見やヘイトは激しさを増しているように感じます。そして何より、キリスト教界における、性的暴力の横行の発覚は、目を覆うほどです。
ある初老の日本人男性が、「キリスト教によって、世界はよくなってるんだろうか ? むしろ悪くなっているのではないですか ? 」という指摘が頭にこびりついて離れません。私も、昨今の世界情勢を見るにつけ、思わずその指摘に賛同してしまいそうですが、キリスト教、しかも真のキリスト教を信じる者として、とにかくキリストの福音を宣べ伝えなくてはならないと思っています。キリストは愛の神であり、ゆるし、ゆるし合う宗教です。そして悪には敢然と立ち向かい、悪には正当な裁きをし、そして和解への道を根気よく模索し続けるべきだと思います。常に被害者の側であること、弱い者、小さくされている者の側にいることこそが、真のキリスト教徒であると信じています。
「白い人」の感想はなく、「黄色い人」の感想に終始してしまいました。
遠藤周作氏の生きた時代と今は、どう違うのでしょうか。人間は、人間である以上、偏見は差別はあり続けるでしょうし、もしかしたら人間はその価値を貶めているのかもしれません。それでも尚、私はキリストの福音、フランス語では Bonne Nouvelleと言いますが、これは「良い知らせ」という意味です、それはキリストの到来を告げるものですが、その良い知らせ、福音を心から信じています。この世は地獄だとしても、このキリストの福音は、有効に働くと信じていますし、キリストこそが真実であり、人間として生きる道だと信じています。
最後に、ヨハネによる福音書を引用したいと思います。
「わたしは道であり、真理であり、命である」ヨハネによる福音書14章6節
" Moi, je suis le Chemin, la Vérité et la vie.
Nul ne vient au Père sinon par moi. Si vous me connaissez, vous connaîtrez aussi mon Père ; dès à présent vous le connaissez et vous l'avez vu. "
( L'évangile selon saint Jean / 14.6-7 )
上記の6節の続きを記します。実は、この有名なフレーズの後に書かれている言葉こそがこの箇所では重要だと思うからです。
「誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今はあなたがたは父を知っており、また既に父を見たのである。」ヨハネによる福音書14章6-7節
キリストを信じている者は、父なる神をも信じていることになる、ということです。日本人としては、多くの場合、キリストこそがとっかかりであると思うのです。いきなり、天地の創造主たる神を信じられなくても良い、私たちと同じ人間になられたキリスト、そして私たちの罪、悪の一切を背負って十字架にかけられたキリストを信じられるなら、いずれ、父なる神を信じていることになるのだと、私も信じています。
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au musée du Louvre ルーブル美術館にて |