2018年12月10日月曜日

待降節 L'Avent


Notre-Dame de Paris ノートルダム大聖堂
一時帰国を間近に控え、ようやく時間にゆとりができました。
先月の25日(日)から待降節、L'Avent となり、救い主 イエス・キリストの誕生を待ち望む時期となりました。待ちに待ったクリスマスシーズンですね ! 

因みに12月25日がキリストの誕生日になったのは、いつ頃かご存知ですか ? ブログを書くにあたり、調べて初めてしっかりと分かったのですが、なんと4世紀に決められたそうです。ちょっと遅いと思われませんか? 私はキリスト教の布教が始まってすぐにこの日を祝うようになったと思っていましたが違うんですね。というのも、一方のキリストの死は歴史的に明らかで、過ぎ越しの祭り、つまり復活祭(イースター)の直前の金曜日に十字架に架けられて死んだわけですが、キリストの誕生は実は謎なのだそうです。
この12月25日に定められたのは、もともと冬至に行なわれていた異教の光の祭りに由来するとされています。冬至を過ぎると、それまでどんどん日が短くなっていたのが逆転して、日が長くなりますね。その日の光である太陽神の復活を祝ったことが始まりで、キリストは「世の光」としてこの世に誕生したことから、その冬至に近い日にちを誕生日と制定したようです。
さて、写真は、先週の土曜日に撮影したものですが、日が明けても日中の暗さが特徴のパリの空です。まさに冬至の前の、日の光を待ち望む天候です。
Sapin de Noël 、クリスマスツリーも、テロが頻発するようになった頃から地味な演出になってしまいました。
思えば先月の13日で丸3年を迎えた、あのバタクラン劇場での惨劇は、パリに住む人々に衝撃を与えましたし、その後も続いたイスラム過激派によるテロの傷跡は世界各地に見られました。

しかしこの日は、昨今日本でも報じられている、gilet jaune(イエローベスト)による暴動が大きなものになると予定されていた日でもありました。ノートルダム大聖堂の中に入るには、いつでもこうして長い行列に耐えなくてはならないのですが、この日はさすがにかなり人の数が少ない印象でした。
gilet jaune のことを書くのは、長くなるので端折りますが、シャンゼリゼを中心とした一連の暴挙は、大統領辞任が最終目標です。長く続いた共和制そのものが脅かされていると言えるかもしれません。その暴動の激しさと規模は、あの68年を彷彿させるとフランスのメディアは騒いでいますし、果てはフランス革命まで引き合いにされている始末です。
このgilet jaune、まだまだ続くとのことで、もしかしたら歴史的瞬間が起こるかもしれませんが、それを見る前に私たちは日本へと飛び立つことでしょう。

ほとんど暴動というものが日常において起こらない、一見平和な日本からすると、フランスという国はとんでもない国として映るかもしれません。(しかし日本も、この間の渋谷でのハロウィーンの暴動には驚きましたが、普段抑圧しているものが、一気に噴き出したように見えました。大人しいとされている日本人ですが、大人しくさせられていることにもっと気づいてもいいと思います。)

皆様はどんなクリスマス、年末年始をお過ごしになりますか ?
私たち夫婦は久しぶりに一緒の日本を存分に楽しもうと思っています。
Joyeux Noël et heureuse année !!

Le coucher du soleil à la place de la Nation  夕暮れのナシオン広場





2018年11月13日火曜日

秋の深まり  C'est l'automne !


10月末の日曜日にサマータイムが終わってからというもの、それまでの季節外れの暑さから急転直下、真冬並みの寒さになっていました。気温自体は平年並みに戻ったということでしたが、それまで暑かったせいでとても寒く感じました。寒暖の差で風邪を引いている人も多かったです。その時からすると、今は室内に暖房も入り、部屋の中でぬくぬくと過ごしています。
それが今日からしばらくは日中15度前後の予報で、なんだか暖かく、日差しも出てきたので急いでカメラのシャッターを切りました。それが上の写真です。私たちが住むアパルトマンから見える風景です。今までもこの風景、使ってきましたが、やはりこの黄葉を見ると、どうしても写真を撮りたくなります。


ところで先日、ようやく編み込みのニット帽を編み上げました !  手が不自由な中での作業でしたので時間がかかりましたが、今年の冬に間に合って良かったです。これは夫用ですが、全く同じものを自分用にも編もうと思っています。こんな年でもお揃いのものを身につけたいだなんて、子供っぽいでしょうか。

12月の半ばから夫婦で一時帰国します。
年末年始を日本で過ごせるのは最高ですね。パリに住む友人たちからは羨ましがられます。あの年末の独特の雰囲気は、日本ならではですし、年始の澄み切った空の下での休日、年始参りは気分が晴れ晴れとします。今年は三が日明けに奈良にいる恩師に会いに行くのが日本滞在のハイライト。紅葉は無理ですが、真冬の京都・奈良を存分に楽しむ予定です。関西在住の友人たちと会うのも楽しみです。

2018年10月21日日曜日

なかなか終わらない夏  encore les jours estivaux !

Cours de Vincennes, près de la Nation ナシオン広場に面したヴァンセンヌ大通り

10月も半ばを過ぎたというのに、日中はまだ夏のような日差しが輝やいています。
最高気温が20度を切っているはずなのに、汗びっしょり、体感温度はもっと高い気がします。

写真も、夏の名残をとどめた夕闇ですが、人々の軽装からもそれが偲ばれます。
左手にある移動式メリードーランド(le manège)も、この季節最後の風物詩として物悲しい雰囲気です。昔から、日が暮れてからの電灯には、郷愁を誘うものがあると感じています。
まだ来週もこの陽気、続きそうですね。

とはいえ、食欲の秋、実りの秋ということで、スーパーの店頭には木ノ実類や、果物ではぶどうと林檎が山積みになっています。今年は夏のような陽気が続いているので、なんだかそれらが売られているのを見ると少し不思議な感じもします。ぶどうはキロ単位で、スーパー専用の紙袋に一杯買って楽しみます。


写真は今朝作ったおはぎ。亡き母が、子供の頃秋のお彼岸によく作ってくれたのを思い出しながら作りました。母は餡子を煮るのが得意で、砂糖を入れて煮詰める段階では、黒々とした照りが出るように、根気よくこねていたのを覚えています。こぶしほどある大きなおはぎを、嬉々として近所に配っていました。

繰り返し書いてしまいますが、左の足と肩が痛むせいか、普通に日常生活をしていても疲れてしまいます。翻訳の仕事が終わってホッとしていますが、なんとか、以前のような体調に戻したいところです。何かいい方法、ないでしょうか ?
皆さんも体調管理には、くれぐれもお気をつけください。





2018年10月2日火曜日

栗と編み物  Des chataignes et le tricot


夏の終わりごろから、ようやく「運動療法士( kinésithérapeute)」の元に通い始めました。ここでも何度も触れている、左の脚と腕を治療するためです。
わりと身体を動かすのは苦ではないとはいえ、家では椅子に座っていることが多く、プロの手を借りて、強制的に自分に運動を課す必要がありました。そのお蔭もあって、少しずつ筋肉が復活し、痛みも和らいできたように思います。ですが今まで2年以上放っておいたつけで、疲れが出たせいか、また顔にヘルペスが大きく出てしまいました。まだ家で静養の必要がありそうです。

写真は、家の近所の八百屋さんで買った、今が旬の栗です。去年は不作だったので買った覚えがなく、今年は店頭に大粒が並んでいたので思わず買いました。大体500グラムで6ユーロちょっとでした。キロ、円にしておよそ1,500円弱ぐらいでしょうか。安くはないですが、今しか食べられないので思い切って買いました。
一晩、たっぷりの水に浸けておいた栗を、翌朝剝いて、栗ご飯にしました。500グラムの栗は、一回では食べきれないので、二回に分けました。栗を一晩水に浸けると、俄然皮が剥きやすくなります。時間がない場合は、10分ほど茹でるといいみたいです。
味付けは塩とお酒のみ。ほんのり秋の香りが楽しめます。


腕が痛い、痛い(こうしてキーボードを打つだけでも肩甲骨の辺りが痛みます)と言いながら、少しずつ、今年夫に被らせようと思っている帽子を編んでいます。編み込みなので余計時間がかかります。夫婦でお揃いを、と思っているのですが、ともかく一つは編みあげたいな、と。

お恥ずかしながら、去年の夏に編んでいた、この編み込みの鍋敷きを、ようやく仕上げました。

私が左腕を痛めたのは、これが原因ではなかったかと思うほど、手の込んだものでした。

裏のスワンは、手加減が悪く、ひきつれているのが何とも言えませんが。一応完成作品として記念に載せます。(図案は、大好きな「すぎやまもと」さんのものです。)
この痛みを乗り越えることで、「好きなことは、絶対諦めない」という気概が得られますように !

日本はまた台風一過ですね。被害に遭われた方々への心からのお見舞いを申し上げます。
インドネシアでの大型地震に関しても、お悔やみ申し上げます。1日でも早い復旧がなされますように。










2018年9月23日日曜日

遠藤周作の「白い人 黄色い人」" L'homme blanc et l' homme jaune " de Sûsaku ENDOU

Maison Peret ダゲール通りのカフェ、メゾン・ペレ

パリに住んでいると、自分は日本人であり、また世界中から様々な人種が押し寄せては引いていく中で暮らしていると、世界の中の日本人であり、アジア人であり、はたまた黄色人種である、という意識が「常に」頭にある状態にいます。
ところが、生涯旅行以外では日本の地を離れたことのない、大正生まれで戦争を体験している亡父は、生前、私が日本および日本人の特殊性を訴えたときに、いみじくも「日本の常識が世界の非常識ではなく、世界の常識が日本の非常識なのだよ」とか、「世界でもっとも優秀な民族がゲルマン民族と日本人なのだ」とか言って、自分の親ながら腰を抜かしたのを覚えています。父の場合は熱烈な自国愛、とまだ言える時代でしたが、今ではネトウヨと言われかねないですね。自分の国を愛することはもっともな事とはいえ、それが行き過ぎ、つまり無批判になると恐ろしいものに変わってしまいます。

奇しくも亡父は遠藤周作氏と同じ年、そして同じキリスト教徒でもあることから、氏への興味は深くありました。特に「白い人 黄色い人」は、以前から読みたいと思っていた本の一つで、先日、ようやくその願いが叶いました。氏は、この本により芥川賞を受賞しており、初期の作品として、その後の幾多の作品の原点になっていると思われます。

感想文の前提となるあらすじの紹介は控えさせていただくとして、氏と同じく、日本人としてキリスト教をいかに捉えるか、ということ、更にはキリスト教徒自身としての視点から感想を述べたいと思います。

その前に、この本は、題名にある、「白い人」「黄色い人」はそれぞれ違うストーリーを持った別の短編であることをお伝えします。この本には、それ以外にも二編の短編があり、そちらは読んでいませんが、おそらく、最初の二編同様、ストーリーは違っても、根底に流れているテーマであるキリスト教への懐疑は同じと思われます。

さて、最初の二編である「白い人」と「黄色い人」ですが、時代はともに第二次世界大戦前と始まり、最中、ということで共通しています。特に、私は「黄色い人」の方を面白く思ったのですが、戦時下に、日本の教会における信者のあり方というのが非常にリアルに描かれていると思います。そして根本的には、この時代と今とでは、教会のあり方はほとんど変わっていないのではないか、とも思います。また、フランスの地としてはリヨンの街が出てくるので、遠藤周作氏自身がその地に暮らした経験があることから、氏自身の回想録とも言えるでしょう。

「黄色い人」では、宝塚の仁川が主な舞台で、関西方面にある、パリ外国宣教会の宣教師が建てた教会での物語です。(パリ外国宣教会は、フランスが母体の、アジアの各国を宣教地とした修道会です。明治維新で日本が開国を迫られてからキリスト教が解禁となり、その際一番多くの司祭を日本に送ったのがこの修道会でした。)そこで幼少期を過ごし、後年、医師となった主人公の「ぼく」が、宣教師の一人のデュラン神父の日記をもとに、戦中の有り様を綴っていて、それ自身が、もう一人の宣教師であり、高槻の刑務所に囚われているブロウ神父に宛てた手紙の形式になっています。ブロウ神父は、同僚であるデュラン神父の裏切りにより投獄されたのです。
デュラン神父は、戦争前の昭和12年に起こった関西における大きな台風の被害にあった若い女、キミコと関係をもち、教会から追われる身となっています。ただ、同僚のブロウ神父の情けにより、教会の離れの松林の中にある建物に二人は住まわせてもらっています。生涯独身を通し、神にのみ身を捧げるべき神父が、女性と関係をもつのは禁じられているどころか、本来なら破門です。ですが、日本に宣教に来た神父と、一般信徒である女性がそうなってしまうことは、よくある、とまでは言えなくとも、割とある、banal (ありふれた)なことです。そうした例を、パリでも聞きます。それゆえか、あるいは偏に同僚に対する憐れみからか、ブロウ神父はデュラン神父を女性とともにかくまってやるのです。
ただ問題の焦点はそこにあるのではなく、主人公の「ぼく」の、罪に対する考えと、フランス人の神父の、つまり「白い人」である白人の罪意識の違いにあるのです。

「ぼく」はブロウ神父にこう綴ります。
「デュランさんやあなたたち白人は人生に悲劇や喜劇を創れる。けれどもぼくには劇は存在しないのです。それは今日はじまったことではない。既に子供心にあなたをだましていた幼年のころからそうだったのでした。」
「結局、神父さん、人間の業とか罪とかはあなたたちの教会の告解室ですまされるように簡単にきめたり、分類したりできるものではないのではありませんか。..... 黄色人のぼくには、繰り返していいますが、あなたたちのような罪の意識や虚無などのような深刻なもの、大袈裟なものは全くないのです。あるのは、疲れだけ、ふかい疲れだけ.... 」

主人公の「ぼく」を通して、氏の本音が語られているようですが、時代が戦争と無関係ではないことは考慮すべきでしょう。戦争により、人間の死が、今より身近にあって、死ぬことがありふれたことになっている中では、ただ疲労や諦めのみが人生を覆っていたのかもしれません。「ぼく」自身が肺を患っていたこともあるでしょう。しかし、それらを取り除いたとしても、氏の、キリスト教を自分のものとすることの難しさに苦しんでいることは、後年の作品を読んでも明らかです。例えば『沈黙』では、日本人の信仰のあり方を「沼地」にたとえています。沼地に何か植物を植えても、根が腐って育たない、ということです。

私自身は、パリに暮らすようになって15年目、キリスト教の洗礼を受けてから13年の歳月を経ている者(まだ全くの若輩者ですが)からすると、少なくとも氏の、白人に対する見方が通り一遍であることを感じますが、あのカトリックの世界ではエポックメイキングとなった、1962年からの第二バチカン公会議からは遥か昔であることを差っ引いて考える必要があるのでしょう。2年間にわたるこの公会議によって、まずは教皇が過去の歴史、カトリックが行った過ちの歴史を謝罪する、という歴史上初めてのことが行われ、それまではラテン語のみで行われていたミサが、各国語で挙げることをゆるされ、更には日曜のミサに万が一参加できなくても地獄には落ちない等、画期的とも言える条項が他にも数多く決定され、まさにカトリック界におけるグローバリゼーションともいえる状況となりました。とはいえ、この公会議による大変革が日本に採用され始めるのが、20年も後の、80年代になってからなのです。
西洋世界における第二バチカン公会議のインパクトはやはり大きく、その当時を知るドミニコ会のシスターからは、「この公会議によって、カトリックは真のカトリックとなった。」という感想を聞きました。「カトリックが真のカトリックとなった」とは、過去の過ちは過ちと認め、心からゆるしを請うこと、そして西洋諸国以外の国の権利を認め、新たな義務を打ち立てたことにあります。

小説に戻ります。
氏は、デュラン神父自身にこう言わせています。
「私たち欧州人が好んで絶望や孤独とよぶあの芝居がかった、ドス黒く歪んだ影はどこにも見つけることはできなかった。にも拘らず、無感覚な能面にも似たこの東洋の女の面貌ほど、神と隔たった顔はなかった。」
これは現在からすると、ひどい偏見ですが、このように書かざるを得ないほど、当時の西洋人、つまり白人の日本人への理解が浅かったのだと思われます。正当なキリスト教の教義を教えることに熱心で、日本人の心の中にある宗教性を見ないようにしていたのではないのでしょうか。

デュラン元神父と暮らしているキミコは、デュランが、教会から破門されて8年も経っているのに罪の意識に苛まれているのを見て、「忘れてしまいなさいよ」と言い放ちます。教会や、神への信仰などというものを捨てて、南無阿弥陀仏と唱えてしまえば楽になる、と。一旦は心を動かされ、エデンの園でのエバのそそのかしに乗ったアダムのように、罪意識を消すために、逆に罪を犯し続けていくデュランでしたが、やはり最後まで神を忘れることができず、裏切ったユダのごとく、自殺のようにして空襲にあたって死ぬことを選びます。

第二バチカン公会議が開かれ、世界が経済を中心にグローバル化し、インターネットにより世界中が瞬時に結びつくような時代となっても、人々の中にある偏見は消えません。消えないどころか、昨今のアメリカの大統領を筆頭に、偏見やヘイトは激しさを増しているように感じます。そして何より、キリスト教界における、性的暴力の横行の発覚は、目を覆うほどです。
ある初老の日本人男性が、「キリスト教によって、世界はよくなってるんだろうか ? むしろ悪くなっているのではないですか ? 」という指摘が頭にこびりついて離れません。私も、昨今の世界情勢を見るにつけ、思わずその指摘に賛同してしまいそうですが、キリスト教、しかも真のキリスト教を信じる者として、とにかくキリストの福音を宣べ伝えなくてはならないと思っています。キリストは愛の神であり、ゆるし、ゆるし合う宗教です。そして悪には敢然と立ち向かい、悪には正当な裁きをし、そして和解への道を根気よく模索し続けるべきだと思います。常に被害者の側であること、弱い者、小さくされている者の側にいることこそが、真のキリスト教徒であると信じています。

「白い人」の感想はなく、「黄色い人」の感想に終始してしまいました。
遠藤周作氏の生きた時代と今は、どう違うのでしょうか。人間は、人間である以上、偏見は差別はあり続けるでしょうし、もしかしたら人間はその価値を貶めているのかもしれません。それでも尚、私はキリストの福音、フランス語では Bonne Nouvelleと言いますが、これは「良い知らせ」という意味です、それはキリストの到来を告げるものですが、その良い知らせ、福音を心から信じています。この世は地獄だとしても、このキリストの福音は、有効に働くと信じていますし、キリストこそが真実であり、人間として生きる道だと信じています。
最後に、ヨハネによる福音書を引用したいと思います。
「わたしは道であり、真理であり、命である」ヨハネによる福音書14章6節
" Moi, je suis le Chemin, la Vérité et la vie.
  Nul ne vient au Père sinon par moi. Si vous me connaissez, vous connaîtrez aussi mon Père ; dès à présent vous le connaissez et vous l'avez vu. "
( L'évangile selon saint Jean / 14.6-7 )
上記の6節の続きを記します。実は、この有名なフレーズの後に書かれている言葉こそがこの箇所では重要だと思うからです。
「誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今はあなたがたは父を知っており、また既に父を見たのである。」ヨハネによる福音書14章6-7節
キリストを信じている者は、父なる神をも信じていることになる、ということです。日本人としては、多くの場合、キリストこそがとっかかりであると思うのです。いきなり、天地の創造主たる神を信じられなくても良い、私たちと同じ人間になられたキリスト、そして私たちの罪、悪の一切を背負って十字架にかけられたキリストを信じられるなら、いずれ、父なる神を信じていることになるのだと、私も信じています。


au musée du Louvre ルーブル美術館にて










2018年9月22日土曜日

誕生日と結婚記念日 Les deux anniversaires en septembre


朝晩はすっかり涼しくなりました。
日中も、陽が照る時も風が冷んやりとしています。最高気温が20度前後となりました。

さて、9月はフランスは新年度の始まりですが、学校では新学年を迎え、アパルトマンのはす向かいにある幼稚園と小学校に、子供達が戻ってきました。午後になると、眼下に見える小さな公園では、わんぱくな子供たちが奇声をあげて遊びまわっています。
子供達がどんなに騒いでも、「うるさい !」などと怒鳴る大人は一人もいません。子供の乳母や子守で付き添っている大人(大抵は恰幅のいい黒人の女性です)が唯一声を荒げるのは、子供が危険なことをする時です。そのほかのことは大目に見るのです。

また9月は、個人的なことになりますが、8日は夫と、亡き父の誕生日です。乙女座ですね、まさに聖少女、乙女マリアの誕生日ともされています。夫と初めて出会ってから、自分の父親と誕生日が一緒と知って、とても感慨深かったのを覚えています。「父から私は夫にバトンタッチされるのだな」と思ったのです。
そして11日、まさに9.11の日に、私たちは教会で結婚式を挙げました。2004年でしたので、あのアメリカ同時多発テロ事件から丸3年が経っていました。普通なら縁起でもない、として避けたのでしょうが、教会の都合と、夫の誕生日の近くの週末、ということもあり、この日となりました。多くの方への追悼の思いも込めて、この日に決行しました。

 ところで話は変わりますが、先日、日本から取り寄せた、長野県産の木曽椹(きそさわら)で出来たお櫃(おひつ)が届きました。
次回の一時帰国の時に買っても良かったのですが、色々な手間を考えると、海外発送にしてもらうのが一番良いとわかり、届けてもらいました。
写真にあるように、二合サイズでとても可愛らしい佇まいです。樹齢百年を超える木材だけを使っているので、耐水性、そして吸水性にも優れています。炊きたてのご飯を一旦このお櫃に移してから食べると、確かに一味違うのが分かります。ご飯本来の旨味や、そしてほのかな香りとともに歯ごたえがあって、とても美味しいです。また残ったご飯をお櫃に入れて翌日食べましたが、とても美味しかったです。
パリに長く住むようになってくると、美味しいご飯を食べるのが最高の贅沢に思われます。


先日、秋の彼岸が近いこともあり、みたらし団子をつくりました。今回は、家にあった、中国産のもち粉だけを使ってお餅をつくり、タレは醤油と砂糖、水、片栗粉でつくりました。今回はタレが固まりすぎることなく、上手くつくれたように思います。でもちょっとしょっぱかったかな ?


こちらは BIO のお店で買った、pain au lait (ミルクパン)を半分に切って軽くトーストし、そして市販の餡子に塩バターをはさんだだけの、餡パンです。はさむバターは、無塩ではない方が、味にパンチが出て美味しいと思います。バターの代わりにマーガリンやホイップクリームでも良いですね。


最後はコーンポタージュです。
今朝つくったのですが、こちらも簡単につくれます。最初に玉ねぎを一個か二個、みじん切りにするのが少し手間ですが、あとはそれを熱した鍋にバター(これは無塩)を溶かしたものに入れ、しんなりしたら小麦粉を適当に入れて粉っぽさがなくなるまで炒めます。そこに水とチキンブイヨン、缶詰のスイートコーンかホールのコーンを入れます。煮立ったら牛乳、しばらくして生クリームを入れ、仕上げに塩・胡椒で味を整えて出来上がりです。(分量は、すべて適量で出来ます)

痛めていた左側の足と腕ですが、ようやくパリでも整体や接骨院に通い始め、少しずつよくなっています。大分放っておいたので時間はかかりそうですが....

秋が深まる頃に、また編み物ができるのを目指して。エクササイズ&トレーニングをがんばります !


2018年9月6日木曜日

秋の気配  on sent l'automne qui approche

Salon de thé < Miss Marple > ティーサロン「ミス・メイプル」
6日未明に起きた、北海道での地震により被害を受けた方々へのお見舞いと、亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。北海道に縁のある、パリでの友人達、そして私自身も親戚がいるので、とても驚き悲しんでいます。1日でも早い復旧と、今後の対策が万全となるよう、願っています。

先日、久しぶりにパリの女友達と会いました。その友人とは、年に2回ぐらい、パリか東京で会うのですが、間をおいてあってもすぐに打ち解けて話のできる貴重な友人の一人です。
場所は、写真にあるように、「ミス・メイプル(フランス語読みだとマープルですが)」というティーサロン、喫茶店ですが、今回はランチとお茶、両方を楽しみました。

Cake fromage à la sauce framboise et un café
友人は何度か訪れているらしく、店の女主人とは顔なじみになっていました。その女主人はとても感じがよくて、お店の内装の雰囲気とよく合っていました。私は初めての来店でしたが、彼女からにっこりされて、すぐにリラックスすることが出来ました。

写真は、デザートのレアチーズケーキ。同じお皿に乗っているのはフランボワーズのソースです。これをたっぷりかけて頂きました。とても濃厚で、東京の赤坂にある「しろたえ」のレアチーズケーキを彷彿とさせる美味しさでした。

Esplanade des Invalides アンヴァリッド前広場
 パリは新年度を迎え、朝晩の冷え込みに秋の気配を感じますが、夕方になると太陽が輝いて気温も上がります。そんな陽気の中、街を歩いているとまだバカンス気分の抜けきれない様な人々が楽しげに歩いています。明後日の土曜日は夫の51歳の誕生日。さて、何をつくってあげましょうか?

2018年8月22日水曜日

夏の夕暮れに乾杯しよう ! Tchin'tchin' pour la soirée estivale !

Gare de Lyon パリのリヨン駅前


前回の投稿の最後に使った写真を改めて載せます。夏の間は、日差しの強さであまり写真を撮りためていないので。
この写真を撮った時は、時計台にもあるように夜の9時5分過ぎ。そう、朝の、ではなく夜の9時過ぎです。この写真は、もうひと月近く前なので、今よりは日が長かったのですが、現在パリの日の入りは午後9時ちょっと前と、この写真とあまり変わらない明るさがまだあります。

今年の夏は、珍しく夫婦揃ってパリにとどまっているのですが、考えてみたらこの8月の後半に二人でパリにいるのは初めてのことと分かりました。大抵は夫婦で日本にいるか、夫がヨーロッパ内で仕事で私一人で日本にいるかのどちらかでした。
そのため、3月に寝室を大改造した後の片付け、整理をゆっくりとすることができています。
Maitai au café Lithograohe カフェ「リトグラフ」のマイタイ
このところ、友人たちとカフェで飲んだり食べたりする機会が多く、これも夏にパリにいるお蔭と思っています。パリにいる日本人は、大抵は暑すぎる日本に帰らないでパリにいることが多く、夏の暑さが引けた頃(10月も後半でしょうか)に帰るパターンが多いです。

私は基本的にアルコールが飲めない体質なのですが(この世にアルコールというものがなくても全く困りません)、大勢の仲間との席では多少飲みます。空腹を避ければ、ワインはグラスに三分の一ぐらいだったら飲めます。飲むこと自体より、友人たちとワイワイしながらの雰囲気が好きなんですね。

 先日、友人に会いに行くメトロの中で、割と大きな事件に巻き込まれました。

私の斜め前の座席に座っていた黒人のおじいさんが、突然発作を起こして、電車を止める事態に発展したのです。車内はそれほど混んではいなかったのですが、バカンス客がいて、目の前にいたドイツ人の家族がすぐに異変に気がついておじいさんの手当てを始めました。おじいさんの隣に座っていた若い女性は突然のことでパニックとなって叫び出し、車内は一時乗客全員が総立ちとなりました。すぐにおじいさんは車内の床に寝かされ、人工呼吸を若者が始め、その間に非常ベルを鳴らしたり、「医者はいませんか?」の呼びかけが飛び交いました。
幸いにも次の駅でおじいさんは意識を取り戻し、駅員さん達に渡され一命を取り留めました。背後に救急車の音が聞こえる中、ようやく列車が通常通りの運行を再開しました。

パリのメトロでは様々な出来事が起こりますから、こうしたことは良くあることなのですが、目の前で経験したのは初めてだったのでかなりショックを受けました。あの若い女性のように叫びこそしませんでしたが、私自身、涙が溢れて止まりませんでした。あのような状況で平常心を保つことの難しさを感じましたが、その泣き叫ぶ女性を介抱する人もすぐに現れたのにはとても感心しました。

 ところでその日は、もう一つの感動する経験をしたのです。

Milk shake à la fraise 苺入りミルクシェーキ
  夕方に、モノプリという大型スーパーに立ち寄りました。私がお菓子の陳列棚を眺めていたら、色の浅黒い若い男性が、両手にサラダのカップとジュースを持って、「これを買いたいんだけどお金がないんだ。一緒に払ってくれる?」と無心されたのです。これこそ良くあることなので、私はとっさに、「現金を持っていないの」と嘘をついて追い払ってしまいました。
その後、そのことはすっかり忘れて買うべきものを眺めていたら、その彼が、スーパー内をあちこち歩き回って無心をしていることが分かりました。
そのことが分かると胸が痛むのを感じ、彼を呼び寄せてお金を渡しました。自分でもいくら持っているかわからなかったのですが、財布を開けると、20ユーロ札が2枚しかありませんでした。彼の抱えている食べ物は、合計で多く見積もってもせいぜい5ユーロぐらい。でも彼の率直な様子に胸が打たれた私は「これしかないから」と20ユーロ札を1枚渡しました。彼は法外な金額に眼を剥いて私をじっと見たので、その瞳の真剣さにまたまた胸打たれた私も、真剣な目をしてうなずきました。感謝の言葉と共に彼は素早くその場を立ち去りましたが、私はしばし呆然としていました。

パリの事情に詳しくない方は、物乞いに20ユーロあげることがどれほど法外なことか、想像を絶すると思います。逆にわかっている人からは、「馬鹿ね ! 」と言われるぐらいなことです。でも私はそうするしかなかったし、そうしたかったのです。

後で夫から、メトロでの経験を、その物乞いにお金を施すことで、浄化したかったんじゃないの ? と言われ、そういうことだったのかもしれない、と思いました。

Dans la gare de Lyon パリのリヨン駅構内

皆様も、夏の間に普段は経験しないことをする機会があったかもしれません。
残り少ない夏を、存分に楽しみましょう ! !









2018年8月8日水曜日

残暑お見舞い申し上げます 〜 オペラ街のラーメン店について

Café Le Jokey カトリックセンターの近所のカフェ
残暑お見舞い申し上げます。
日本は台風13号の接近で大変な最中だと思いますが、パリは昨晩から一気に気温が下がって、冷ややかな朝を迎えています。日中も最高気温が27度の予報で、日差しはあっても風は涼しくなっています。明日は久しぶりに雨になるそうで、このことからも、何か日本の気候と連動しているような不思議さを覚えています。

夏は暑いのは当たり前、とはいえ、このところのパリの気温は連日35度近くとなり、日本の家では普通にあるクーラーがないアパルトマンでは、暑さをしのぐのは扇風機。ないよりは全然ましですが、暑さから解放されることはありませんでした。「クーラーがないから大変だよ〜」と日本に住んでいる友人に言うと、「でも湿気がないでしょう?」と返されるのですが、いえいえ、「Il fait lourd !」といって、蒸し暑さもあるのです。lourd は、重い、という意味の形容詞ですが、 天気が重苦しい、うっとうしい、という意味にも転じます。

暑さが続くと、サッパリとした麺が食べたくなりますね。
写真は例によって夫が用意してくれました。

こちらは汁なし担々麺。
なんだか料理は夫が担当のような感じですが、少なくとも麺類は夫が作ってくれることが多いです(*^_^*)

麺といえば、このところ熱々のラーメンを食べに行く機会が多かったので、そのことについて少しコメントしたいと思います。
ラーメン業界に詳しい人なら、パリのオペラ街(通称、日本人街と言われています)では、昨今、日本現地からのラーメン店がぞくぞくと出店していて、ラーメンの激戦区になっていることはご存知かと思います。古くからあるお店に加えて、新しく参入して来たラーメン店は、日本各地からのものですが、私は自分のブログにはお店の固有名詞を載せることはしないと決めているので(例外はあります。特に褒める場合は。)今回も書きませんが、先日行った、大阪の塩ラーメン専門店にはがっかりしました。

私は、飲食店のお店の評価をするときは、味はもちろんのことですが、店員の接客態度や、それに伴うお店全体の雰囲気をとても気にします。パリでは、文化の違いと多人種ということで、きめこまやかなサービスというものを当てにすることが不可能なのですが、その反動といいますか、日本のお店でならそれを味わえるのではという期待が、日本本土からの出店にはある訳です。そして昨今の日本からのラーメン店では、それが実際に味わえます。日本の企業とはいえ、現地の人間を雇うことがあるので、日本のお店でも肌の色がさまざまなフランス人が料理や接客を担当します。私たち夫婦の一番のお気に入りのラーメン店は、生粋のフランス人たちが、入店早々に、「らっしゃい ! 」と威勢の良い声で出迎えてくれます。初めてその待遇を受けた時には、涙が出るほど感動しました。「あ〜、日本に帰らずして日本を味わえた ! 」と。

ところが先日行った、出店したばかりのその大阪の塩ラーメン専門店(これだけ書けばどこかすぐに分かってしまいますが)は、味はともかく、接客がなっていなかった。あまり詳しい点に及んでまで批判することは控えますが、給仕の女性自身は感じが良かったのですが、店内の雰囲気がよそよそしい感じがしたのです。
それから味も、塩味だけのラーメンで勝負するということに、こだわりが強すぎると思いました。醤油や味噌など、日本の伝統的な発酵食品を使わないと、「まずくはないけど、食べた気がしない。」と思いますし、塩ラーメンは、家でインスタントで作ってもその味出せるよ、ということになります。
そのラーメン店を後にして(店内からの、「ありがとうございました ! 」という日本語の声なし。)、もう二度と来ないな、と思いました。たかがラーメン店で、あそこまでの気取り(内装、接客態度)を誇示するお店にパリでは初めて出会いました。

そしてもっと言うなら、たかが、といえどもラーメン一杯、最低でも15ユーロ(円に換算して1,800円ぐらい)、その他餃子やビールを頼んだら二人でも50ユーロ(同じく、7,000円近く)するんですから、大人しく看過するなんてことは出来ません。ラーメン店で、人はまず何を欲しているのか ?   そこら辺を、「花の都パリ」に踊らされてあぁ、勘違いしてもらっては困るのです。

Gare de Lyon パリのリヨン駅
パリはバカンスも中盤。7月の休みを取った人たちと入れ替わるようにして、8月もパリを起点とする大きな駅では家族連れが跡を絶ちません。

そして今日を境にして、全般的に気温が下がる見込みですが、まだまだ夏の太陽は健在です。これからパリに来る方々も、夏の陽気を楽しめることでしょう !
Bonnes vacances !  et  bon voyage !






2018年7月16日月曜日

フランス優勝おめでとう ! Félicitation pour la victoire !!

Le jour de la victoire au quartier chinois 優勝が決まった日の中華街
昨日のW杯、決勝戦の当日、試合が始まる数時間前に、我々夫婦はカトリックセンターにて、日仏カップルの結婚講座をしていました。パリの日本人カトリックセンターでは、日仏カップルの結婚講座をして欲しいという、フランス各地の教会の神父、あるいは司教の要望に 応える形で、今は夫が責任者としてひと組につき数回の講座を受け持っています。大抵はフランス人男性と日本人女性のカップルで(ごく稀にその逆もあります)、フランス人男性の方は、普段教会には行かないけれども幼児洗礼を受けており、一方の日本人女性はキリスト教とはほとんど無縁か、全く知らないけれどもフランスの教会で結婚式を挙げたい、という希望を叶えるべくカトリックセンターを訪れます。結婚講座では、キリスト教における結婚観をはじめ、最低限のキリスト教の知識もお教えします。その間に、実際に洗礼を受ける日本女性もいます。皆さんとても熱心で、こちらとしてもお教えするのに熱が入ります。

ところが昨日は数時間後に決勝戦ということで外や周囲が騒がしく、集中するのが大変でした。でもカトリックセンターに結婚講座を受けに来るカップルは、大抵まじめながらとても陽気で、こちらとしても彼らの末永き幸せを祈らずにはおれません。


優勝してから1日しか経ってはいないとはいえ、既に食傷気味になっていますが、でも改めて捉え直してみると、素直に「優勝おめでとう ! 」と言える自分がいます。
実は上記した結婚講座が終わってから、あと1時間で決勝戦という頃(大体午後の4時ごろ)に、私たち夫婦は「お腹が空いた」ので、13区の中華街に行くことにしました。お腹がすいたら中華、というのが私たちの間ではほとんど合言葉になっています。それは中華料理が日本食に近く、美味しくて安くてお腹いっぱいになるからです。

ところでその中華料理店に入って食事をし始める頃には試合が始まっていて、そのお店でも大型スクリーンで試合を映し出していました。ところがそのお店では、店員以外は我々のみ。途中から入店して来たフランス人の叔父さんも、「全く興味なし」という風にしてスクリーンには背を向ける形で着席しました。
そこでとても興味深かったのは、そのベトナム人の店員たち(中華料理店でも店員はベトナム人の場合があります)が、フランスに得点が入るたびに飛び上がって大歓声を挙げていたことです。こちらとしては、その無邪気さにとても考えさせられました。フランスの旧植民地として何の屈託もないのか...  でもじきににそれも浅薄な考えと悟りました。彼らは決してナイーブではない。フランスにおいて商売をしている以上の、感謝と敬意もあるし、したたかさもあるのです。

Place de la Nation, près de chez nous 家の近所のナシオン広場にて
何はともあれ、我々はフランスに住んでいます。住んでいる国の応援ができないとしたら悲しいことですよね。人種による歴史や背景を考え出したら素直に喜べないとしても、目の前で単純に大喜びしているフランス人たちを見て、釣られて喜んでしまう自分がいました。フランス、特にパリは常にテロの危険に晒されていると言っても過言ではありません。そんな中、多少(?)のはめを外しても許されるのではないでしょうか。(但し、優勝した夜のシャンゼリゼでは一部暴徒化し、店のショーウィンドウが割られたり、キオスクが燃やされたりなどしたので、これは多少の羽目外しとは言えませんね。)

暴力は論外ですが、徹底的に楽しむ姿には学ぶべきものがある、と思った次第です。
Vive la France !  フランス万歳 !



2018年7月14日土曜日

心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます Toutes mes condoléances



前回の投稿では、大阪北部の地震についてのお悔やみを申し上げましたが、その矢先に、今度は西日本を中心とした豪雨による大きな被害となってしまいました。
亡くなられた、数多くの方々に心から哀悼の意を捧げますとともに、被災して避難生活を送っている方々に心からのお見舞いを申し上げます。
ここ数年の、水害による被害にはいつも驚かされていましたが、今年は被害者の数が尋常ではないことで、ここパリでも大きく取り上げられています。同じ日本人として心が痛みますし、被災地出身の日本人の友人たちもいますから、とても他人事ではありません。一刻も早く、皆様が元の生活に戻れるよう、お祈り申し上げます。

また日本は猛暑と聞いています。
猛暑の中での避難生活は、とても難儀なことと思います。
どうぞできる限りのご自愛をして凌いでいただけたらと思います。

今日はフランスは7月14日の革命記念日で祝日に当たっております。
今年の軍隊行進では、シンガポールと日本がゲストとして特別招待を受けています。 もうそろそろ始まりますが、日本とフランスとの友好関係が、末長く続きますように。






2018年7月2日月曜日

暑くなりましたね La chaleur revient

Jardin du Luxemboug リュクサンブール公園
パリはバカンスシーズンに突入し、本格的な暑さとなっています。
日中は30度を超えるようになり、夜も20度を下回らない暑さです。

日本は関東で記録的に早い梅雨明けと聞いています。日本もかなり暑そうですね。
そして今日であの大阪北部の地震発生から2週間。亡くなった方々に心から哀悼の意を捧げますと共に、被災された方々、そして今なお避難生活を送っている方々に心からのお見舞いを申し上げます。地震後の大雨や暑さで、更に大変なことと思います。どうぞくれぐれもお身体をお大切になさってください。


フランスは地震こそないですが、意外なことに水害が多く、セーヌ川の氾濫、特に上流域での被害が毎年取り沙汰されています。パリでもセーヌ川の増水を何年かおきに経験していますが、家屋や交通への影響はさほどないようです。それよりもテロの恐れの方が大きいと言えるかもしれません。街中を歩いていて、機関銃を持った迷彩服の兵隊さんの3人連れに出会うことは、もはや日常の風景となっています。

とはいえ、地震のないことのメリットは日本人の感覚からすると大きいですね。特に家の中で高いところに物を置いても落ちてくる心配がないと、たとえば本を天井まで積み上げても大丈夫なわけです。写真は、ごく親しい人のアパルトマンの書棚の一部ですが、学者ということで高い天井までぎっしりと本が積み上げてあります。電子辞書の活用を嫌う年配の方ですから、冊数は古本屋が開けるほど膨大なんですね。確か先の大阪での地震では、大量の本の下敷きになって亡くなった年配の方がいると聞いていますが、それを思うと、パリでも本当に大丈夫なのか? ととても心配になってしまいます...

Jardin du Luxemboug 同じくリュクサンブール公園
今年の夏は日本に帰らないと決めたのですが、考えてみれば去年の夏も帰らなかったことを思うと、日本の夏が恋しいです。でも年末に帰れることを励みにしてパリでがんばろうと思います。夏はこれからが本番というのに、早くも気持ちは年末の日本に飛んでいます...



2018年6月16日土曜日

感想文など  Après avoir lu des livres...

そろそろ終わりになるとはいえ、牡丹 Pivoine の季節です。
中国原産の花とはいえ、その大らかで華やかな様子は、まるで西洋の王女様のようです。まさに「百花の王」の別名にふさわしい風情です。でもこのような艶やかさを、「西洋的」と思ってしまうのはなぜなんでしょうか。不思議といえば不思議だし、小さい頃からの刷り込みといえばそれまでですが、それって時には無視できないほど大きいと思うことがあります。

さて、ブログの更新速度が緩慢になっていますが、理由は二つ。
「本当に書きたいことを書くわけにいかない」という縛りがあることが一つ。
もう一つは現実的に左肩から来る痛みで、編み物はおろか、キーボードを打つのが苦痛ということが挙げられます。今は、昨日の温湿布が効いているので、なんとか打っています。

でも「本当に書きたいこと」が別にあるだなんて、考えてみれば思わせぶりですが、いずれ時を見て、ですね。少し書くと、私は何において人と連帯したいのか、ということです。私の原点です。とはいえ、今までブログを読んでくださっている方は、多少、気づかれるところがあるかもしれません...

Saint Paul の教会
肩が痛い間に、Kindleで本をあれこれ読んでいたのですが、
ちょっと感想を書くには時期を逸していると思われる本、稲垣えみ子さんの『魂の退社』(電子版発行日2016年6月23日)と、『寂しい生活』(電子版発行日2017年6月29日)を読んだので、それについて触れたいと思います。

彼女は1965年生まれで、1才しか違わないことで、同じ時代の空気を生きてきた女性として気になっていました。私たちが子供の頃の、70年代と80年代は、まさに日本は高度経済成長の真っ只中で、「いい学校に入って、いい会社に入れれば、あるいは三高の男性をゲットして結婚すれば、人生安泰」と、誰もが信じられた時代でした。私も少なくとも19才で母を亡くすまでは、そうした王道を歩んでいました。
稲垣さんは、その王道を、私のようなひどい挫折をすることなしに、突き進みました。一橋大学から、朝日新聞の本社勤務、その勤めを28年間成し遂げた後に、あの2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、アフロヘアにして退職します。

上記の本は、二冊とも、その経緯とその後の生活を綴っているわけですが、その節電生活の徹底ぶりが、その奇抜なアフロヘアと相まって注目を浴びたのだと思います。
日本では、断捨離がブームになってから久しいですし、生活をミニマリズムにしていくことも、巷では普通のことになっていますが、彼女の場合は、それに加えて月150円 ! という尋常では到達できないレベルの節電生活が話題となっています。
個人的には、「そこまでやるか?」と引いてしまうところがあるとはいえ、さすが大手の記者を勤め上げた記者魂ですね、とことん追求している姿勢と、全く気取りのない文体で、あっという間に読み上げてしまいました。
主婦レベルで考えられる、ちょっとした節電から始めて、「そもそも電気というものが存在しない」という世界まで行ってしまいます。テレビやオーディオ、電子レンジなどの家電製品もすべてなくしてしまいます。最後まで残った冷蔵庫をやめる件は、読んでいてハラハラしました。よくぞそこまで ! 読みながら乗り移った彼女の分身が、快哉を叫んでいました。

ただ、ひとたび読了して落ち着いてみると、全く別の視点と疑問が浮かびました。
そこまで彼女が徹底できたのも、独り身、ということがとても大きいのではないか、と。それだけでなく、介護が必要な身内からも自由、ご自身にも持病らしきものもない。全くの恵まれた自由の身です。
本のレビューにもありましたが、それらの自由に加えて、いくら退職後は無職になったとはいえ、退職金の多さ、それプラス自分を実験台にして、こうして本を書いたりマスメディアにも登場したりと「一般人」からしたら恵まれた環境での挑戦なわけです。
原発には基本的には反対だけれど、電気を必要としているお年寄りや入院生活を送っているような、弱者からの視点に欠けているのではないか? そうした疑問も沸きました。

Réamur Sébastopol 界隈
ともあれ、私自身も、何かをする場合に極めたくなる性格というのを振り返ってみると、彼女がしていることは、あながち無駄、と一笑に付すことでもないと思いますし、それはそれで人々に、少なくとも節電を通して、「生きていく上で本当に必要なものって何だろう?」と、根本命題を考える一つのきっかけとなったのではないか。そういった意味で、一読をお薦めします。

更に付け加えると、会社を辞めた後の顛末から、いかに日本が「会社社会」であるか、会社に正社員として就職している人にいかに有利にできている国かを暴露し、昨今の「働き方改革」なる政策が、いかに絵に描いた餅かを突きつけていることも面白いと思いました。
Place de la Nation
また別の見方をすると、人生をかけるほどに夢中になれること、熱中できることがあるって素晴らしい、とも思います。
最近、自分なりに、「人の役に立ちたい」あるいは「社会に貢献したい」ということは、もちろん大切だけれども、それプラス、「自分が心から楽しめること、夢中になれること」を見つけたいと思っています。両者が噛み合えば最高なんでしょうけれど...









2018年5月27日日曜日

手作りの愉しみ  Plasir de travailler à la main

Eglise de St. Sulpice サン・シュルピス教会
晴れ、時々雨のパリですが、昨日からまた気温が上がり始めました。
最高気温が28度前後、最低気温16度前後です。
朝でも、15度以上あると、室内ではもう「暑いな」と感じます。

写真にあるサン・シュルピス教会は、以前、爆発的なヒットとなった、「ダビンチコード」の舞台の一つで有名ですが、ここはパリでも左岸のメッカでもあります。近くにはサン・ジェルマン・デ・プレ、オデオン、そしてパリジャン、パリジェンヌの憩いの場であるリュクサンブール公園などがあり、とてもパリらしい地区です。
家からここに来ると、自分がやっぱりパリに住んでいることを実感できますが、自宅の近辺とはあきらかに雰囲気が違います。アカデミックでありながら、おしゃれなんですね。逆にうちの近辺はと言うと、パリにしっかりと地に足をつけている雰囲気が、今となっては良いのかな、とも思います。

さて、翻訳の仕事も一区切り、部屋の内装も目処がついてきた中で、再び手作りを始めました。
ネック(衿ぐり)から編み始めるやり方で、サマーセーターを作り始めました。
まだ左腕と指が痛いので、もう棒針編みは諦めないとならないかもしれませんが、このかぎ針編みだと、右手主導なので耐えられます。同時に、麻のカーテンの裾にも、エジングレースを編みたいと思っています。

なんと、この年でプリン作り初挑戦です。小さい頃から好きだったお菓子作りですが、なぜかプリンは作りませんでした。
茶碗蒸しを作った時に、すが立ってしまったので、自分には蒸すお菓子は向いていないと思ったのです。結果は案の定、すが立ってしまいましたが、今度キッチンを新しくしたら、オーブンも新調しようと思っているので、オーブンで作ってみようと思います。

 こちらはフルーツサンドならぬ苺サンドです。こちらも初挑戦。苺がまだスーパーで出回っているうちに作ってみようと取り組みました。
これも簡単なようで難しかったのは、生クリームをもっとホイップして固くする必要があったこと、また味としてサンドイッチ用の食パンがいまいちだったのと、クリームがべちゃついてしまって、食感が良くなかったのです。やはりお店で食べるようには仕上がりませんね。

これにめげず、暇をみてまた挑戦しようと思います。

余談ですが...
実は「続・スカートを履く日」として投稿文を書こうかと思っていたのですが、よくよく考えてみると、自分にはあまり深く論じる資格はないのではないか、と思い至りました。

この間、ある雑誌で、作家の酒井順子さんの投稿を読みました。同世代の女性として、彼女の鋭い視点に共感しますが、そこには『男尊女子』という新語が載っていました。簡単に書くと、「自然と男を立ててしまう女」のことを言うらしく、これは自分にまさに当てはまると思いました。マスコミを通じて、さまざまな愚かなことをする男どもが連日取りざたされているとはいえ、私は身近にそうした男性に会う機会がほとんどありませんでしたので、自然と、兄を二人もっていることもあり、男性に敬意を表してしまいます。

とはいえ、被害にあった女性とは、強く連帯したいと思っていますし、この世の男性主導のあり方に、常に批判の目を向けていたいとは思っています。
日本で声を挙げ始めた女性たちに、エールを送りたいと思います。








2018年5月18日金曜日

バガテル庭園  Parc de Bagatelle

Jardin de Reuilly 12区にある公園
一時期暑い日が続いたパリですが、しばらくは晴天でも涼しい日々となっています。今は午後の4時過ぎですが、外は最高で19度、これから夜にかけてはぐっと下がる予報です。ですが今はどんどん日が伸びてきているので、日の入りは夜の9時半、10時近くなっても明るい天候です。明日からまた徐々に気温が上がって、週明けは25度ぐらいまで上がるそうです。

さて先週の日曜に、夫とブーローニュの森の中にあるバガテル庭園に行って来ました。
バラにはちょっと早いかな、と思っていたら案の定、早咲きのつるバラと原種が主に咲いているだけで、あとはアイリスが咲き始め、一方で藤が盛りでした。

Colette 「コレット」フランスMeilland社製

Old Blush 「オールドブラッシュ」中国原産
Rosa rugosa アジア産
結婚してからというもの、特に実家がなくなってからは園芸というものから遠ざかっている私ですが、相変わらず花木は好きですし、以前ほどではないにしろ、バラも好きなままです。
写真にあるような原種と早咲きのものは、その歴史も興味深いですが、特に香りが濃厚であることで知られています。実際に嗅いでみると、盛りを過ぎたものでもかすかに芳しい香りがしました。


 バラのコンパニオンプランツとしての花や葉ものも元気でした。写真のクレマチスはまだこれから、というところでしたが、葱坊主や露草は今を盛りと生え揃っていました。ギボウシのような葉ものも大好きです。

白い藤が見事でした。
アーチに絡めてあるので藤のアーチとなっていましたが、ふと、何年か前に、ここでウエディングドレスを着た女性が写真撮影をしていたのを思い出しました。
季節としてバラには早かったのですね。
この小道には、幾重にもアーチがあって、つる性の花木が楽しめるようになっています。


 バガテルといえば、雉、鴨、猫などの小動物がいることでも知られています。猫の写真を載せられないのが残念ですが、この時は一匹の足をビッコを引いた子猫とのアイコンタクトに夢中で写真どころではなかったのです。

雉も鴨も、人を全く恐れず、悠々自適の暮らし。私も早くそうなりたいものです。


たまには二人の写真を載せてみます。表紙に使った写真の近所の散歩道です。
写真を撮ってくれ、と頼まれて撮ったら、「あなた達のも撮ってあげるわ」と言われ、撮ってもらったものです。「どこから来たの?」と聞かれ、(このよく聞かれる質問の意味は、何年パリで暮らしていようと、パリに住んでる、と答えるのはダメで、出身国を言うまでは聞かれ続けるのを知っているので)「日本」と答えると、「わお ! 日本大好き !」とニコニコされました。大抵、私たちに話しかける人は、日本びいきが多いですね。単純に嬉しい。

日本の南では梅雨に入ったそうですが、梅雨もまた楽しめるといいですね !  遠く離れていると、梅雨のザーザー降りの雨や、何となく湿気ている空気とかも懐かしいものです。
今年の夏は、日本に帰らないことになりました。
あぁ、日本恋しや....